第142話 魔導罪人
三郎が、教会評価理事の堅苦しい面を張り付かせた旅を続けている頃、セチュバー宰相メドアズは、三名の近衛兵を伴ってセチュバー本国へ疾風の如く馬を走らせていた。
十一ある要塞の各所で、馬や友獣の引く馬車を乗り換え、休む間も惜しんでの強行軍であった。
流石セチュバーの兵とでも言うべきか、三名の兵士は疲れの表情を微塵も表に出さず、先を急ぐメドアズに遅れることなく続いている。
体内魔力操作において、セチュバー国内でも屈指の技術を持つメドアズですら、身体が自分のものでは無いかのように重く感じられるほど疲労が蓄積されていた。
第十一番目の要塞から本国までは、なだらかな下り坂となっているため、馬の駆ける速度は自然と速くなる。卓越した馬術を持っていなければ、疲れた体は振り落とされていたことだろう。
セチュバー領の大半を占めるのは、むき出しの岩や石だ。馬を走らせている道も、硬い岩を削り出して整えられたものであり、落馬しようものならば命も落としかねない。
道の両側には、ごつごつとした灰色の岩がそそり立って視界を遮っていた。
メドアズは、セチュバーの特徴的ともいえる道の先を見据えたまま、まともにとった休息など第十一の砦で昨晩とった食事と睡眠くらいだったのではないかと思い返していた。
一晩で抜ける程の軽い疲れではなかったが、セチュバー本国に入る前に少しでも体力を回復させておいた方がよいとの判断から、第十一要塞で夜を明かしたのだ。
常に計画性と慎重さを重んじているメドアズに無謀なほど行動を急がせているのは、セチュバー本国に向かわせていた部隊からの不可解な報告が理由だった。
『国民について、生きてはいるが生気を失ったかの様子。ゲージへの返答無い事由、コレと確認す。王妃と若君の安否確認のため、至急城へ向かう。仔細報告は、定時連絡の際に行うとする。以上』
その後、偵察の部隊からの報告がぷつりと途絶えたのだ。定時連絡すら途絶えてしまっている。
部隊編成の責任者でもある魔導師団長メノーツから、状況報告を受けたメドアズは、再び調査部隊を送るかどうか迷いを見せた。
事前に知らされていた部隊員の構成は、メドアズの目から見ても魔導師や兵士の中から最適な人選が行われていた。それ以上の優秀な者ともなれば、師団長のメノーツや副団長を務めるカカンとクスカの双子姉妹に限られてくる。
カカンとクスカに至っては、攻撃魔法において特筆すべきものはあるのだが、調査分析に向いているとはお世辞にも言い難い。師団長のメノーツは、全てにおいて平均的に優秀であり調査分析も申し分なく行ってくれるだろう。だが、魔法の戦闘ともなれば、カカンとクスカに一歩後れを取る。
総合的に評価して、この三名と近衛兵の数名を一部隊として送る以外に手はなかった。しかし同時に、第一門要塞が戦場となった際、各部隊をまとめる指揮官が不足することも意味していた。
悩むメドアズの表情を読み取ったメノーツが、頭の中にえがいている十一の要塞を使った作戦の流れを、自分に全て教えるようメドアズに言った。
そして『私達が全滅する前には、帰ってきてくださいね』と、話の最後にメノーツは笑ってメドアズに言うのだった。
メドアズと近衛兵三名の編制ならば、移動にも多少の無理がきくうえ、不測の事態にも十分に対応可能な部隊となる。王妃や若君を救い出すにしても、メドアズ自身が最も適した人材だったのだ。
司令官という立場上、自分自身を常に除外して考えていたメドアズに、メノーツが与えてくれた最悪の中における最適解がそこにあった。故に、メドアズは、今馬を走らせてここにいる。
(先の調査部隊の報告から考えて、城下までは何事もなく入れたとみて良いか。警戒しなければならないのは城内。このまま町を駆け抜けてしまうか・・・いや、本国に入る前から注意すべきだな。焦りを感じている自分を『理解』しろ、平時の己であったならば、どう判断を下すか『思考』するんだ)
メドアズは、焦燥に駆られている心から、冷静な判断を失わないよう自分自身に言い聞かせた。
メドアズが焦りを感じるのも無理はない。今は亡きセチュバーの王であり親友でもあったバドキンの妻子が、無事であるのかすらわからないのだ。
メドアズの胸に、バドキンから送られた最後の一報が思い出され、ちくりと針のように刺さった。
(バドキン王に後を託された私が、不確かな報告を頼りに考えてどうする。情報から考えうる可能性を洗い出し、そして、己の眼で見て状況を判断すべきだ)
思考を巡らせていたメドアズの視界が、突然に灰色の岩の檻から解放さたかのようにひらける。
本国と第十一要塞を結ぶ道の岩山地帯を抜けたのだ。
真っ直ぐと伸びる道の先に、セチュバー本国の重々しくも堂々たる姿が目に入った。
セチュバーの町を囲むのは、何人にも破壊されることが無いと感じさせる、灰色の重厚で長大な城壁だ。セチュバー本国は、攻め込む者があれば巨大な一つの要塞として敵を迎え撃つことだろう。
威風堂々とした本国を遠目に、メドアズは後続の兵士に手で停止の合図を送り、自身の馬の手綱を引いた。軍用に訓練された馬は、嘶くことなく足を緩めると、呼吸を整えるかのように鼻を鳴らして足を止めた。
荒い呼吸をついている馬の首元をねぎらうように優しく叩いてやり、メドアズは兵達に馬から降りるよう無言のまま合図を送る。そして、身の隠せる巨石の影へと皆を集めた。
「これより本国へと向かうが、先の報告から、国民は何らかの魔法による影響を受けていると考えられる。精神保護など、三種の魔法を皆にかけておく。それでも十分に注意を払い、自身の精神状態に少しでも異変があれば、私に知らせるようにしてくれ」
三人の近衛兵が迷いのない表情で頷き返すと、メドアズは、一人一人の額に向かって複雑な魔法の印を結ぶ。
『メドアズ・アドューケの名を起動軸とし、この者の精神に他の介入を阻む盾を与えん。脳と肉体の伝達は阻害されること無く、記憶は置き換えること適わず。魔導三点を力の正三角形とみなし、内心・外心・重心の軸を我が名と定めたし』
魔導精神学における『三重の己の保持』と呼ばれる魔法だ。起動軸に行使する魔導師の名を置くことで、三つの精神魔法が対象者の中で正三角形を形成し、魔力的に剛性の高い魔法となるのだ。
三つの魔法を単純に重複してかけるよりも、法陣の三角を形成させることによって相乗効果を生み、魔法の解除も困難とする上級魔法だった。
兵士達に魔法をかけ終えたメドアズは、額に薄っすらと汗を浮かばせながら、己にも同様の魔法を行使するのだった。
***
メドアズ達が、警戒しながら本国の門をくぐる。
門を護る衛兵は、普段と変わらぬ場所に立ってはいるものの、その表情に生気は無くただ遠くを見つめているだけだった。
街中へと入っても、普段の活気は微塵も無く、時が止まってしまったかのようにしんと静まり返っている。
だが、セチュバーの民達はそこに存在していた。
衛兵と同様に、呆然と立ち尽くしている者や、座ったまま微動だにしない者が市街地のあらゆるところに見受けられた。
「生気を失ったようだとは聞いていましたが、目にすると不気味なものですね」
近衛兵の一人が、あまりの奇妙さに小声で呟く。
メドアズ含め四名は、人々にぶつかってしまわぬよう馬を手綱で引きながら、王城へと歩みを進めていた。
その時、向かう道の先に兵士の一団が立ち尽くしており、横を通り過ぎようとした。
「な、お前。セチュバーの兵士が何てざまを」
メドアズに続いていた一人の近衛兵が、顔に覚えのある兵士がいたのか、思わず荒げた声を上げる。
「待て。その者にどのような魔法がかけられているかわからぬ今、無暗に刺激を与えるんじゃない」
掴みかかりそうになった兵士を、メドアズが一括した。
「すみません。この者は、第一兵団に所属していました兄の息子で、こんな姿・・・っ」
過去形で話す兵士の口ぶりから、メドアズは中央王都で命を落とした第一兵団の者なのだろうと察した。
「気持ちは理解する。しかし、まずは王妃と若君を優先しよう。この状況は、確実に魔法による影響だと判断できたからな。解除するにしても、一度戻り調べる必要がある。口惜しいだろうが、今は堪えてくれ」
「はっ!」
メドアズの言葉に、兵士は表情を戻すと敬礼をもって答えた。
近衛兵である三人は気づいていないだろうが、魔導師でもあるメドアズには魔法の影響だとの確信があった。
門を通過した際、他者の魔法影響下へと侵入した独特の感覚におそわれたのだ。表現するなら、粘りつくような重苦しさに全身を包まれたような感触だ。
メドアズは、体表の魔力を強めることで、その不快な空気を御していた。
立ち尽くす兵士の一団を後に、一行は黙々と歩き続けて王城までたどり着く。
何度も出入りした覚えある城門も、物騒な沈黙の中にあると違った景色に映る。
城の入口前にある広場に馬を繋いで待たせると、メドアズを先頭に慎重に王城内へと足を踏み入れた。城の扉さえも、半分開いた状態で止まっており、自ずと警戒心を高ぶらせる。
城の中も街と同様の有様で、人々が、ただただ呆然としている中をメドアズ達は進む。
「二手に分かれ、ご寝所などを確認いたしますか」
兵士の一人が、自然と小声になりながらメドアズに進言する。
「いや、急ぎ調べたとて、結果は変わらぬであろう。はやる気持ちは私とて同様だが、警戒を厳にするためにも行動を共にする。謁見の間から王族廊へ入り、王妃と若君の私室へと向かう」
メドアズの言葉に、近衛兵たちは深く頷いて了解の旨を伝えて来た。
石造りのセチュバー城は、兵士たちの鎧装備の立てる音を、城の奥まで届かせるかのように反響させていた。
細心の注意を払っていたため、謁見の間の入口へとたどり着いた近衛兵達は、実際に歩いた距離の倍以上の時間が経過したかのように感じていた。メドアズも魔力検知の視力を強めていたため、歩き慣れたはずの王城の中にもかかわらず精神をすり減らしていた。
謁見の間と廊下を繋ぐ両開きの扉は、ここに来るまでの物とは違い固く閉ざされている。
「開けます」
一人の兵士が前に出ると、扉側面へぴたりと体を当てて重心を低くして言った。
メドアズが頷くと、兵士はゆっくりと力を込めて行く。
重い造りの扉は、音もたてず静かに動き出した。
人一人が通れるほどの隙間が出来ると、突然謁見の間から声が響いてきた。
「どれだけ人を待たせるのだね。君らがセチュバーの町に入ってから、ずっとここで待っていたのだよ。慎重なのは良いことではある、だが待ち人が居るとは考えなかったのかね。賢いメドアズ君ともあろう者が」
メドアズは、その声に聞き覚えがあった。五十も過ぎた壮年の男の顔が脳裏に浮かぶ。
間違いなく、亡きバドキン王に『軍事魔法の知識はご入用ではないかね?』と告げた声だった。
天然エネルギー結晶の採掘洞に、秘密裏に魔導研究用の施設を与え、軟禁状態となっているはずの男だ。
近衛兵の肩を押しのけると、メドアズは謁見の間へ飛び込んだ。
「なぜお前が王座に座っている。魔導罪人ゾレン・ラーニュゼーブ」
「ほう、私の名を呼んだのは、初めてなのじゃないかね、魔導師メドアズ・アドューケ。しかし『罪人』とはあまりな言われようだ」
射殺すようなメドアズの視線の先に、王座に見合わぬ薄汚れた魔導師のローブを身にまとった男が、薄ら笑いを浮かべて答えた。
白髪の交じる手入れもしていないであろう長い髪の隙間から、暗い瞳が覗いていた。
次回投稿は5月31日(日曜日)の夜に予定しています。




