第140話 最初の勇者へサムズアップ
カムライエの驚きに人心地がつくと、大魔導師ラーネは真顔になって本題へとはいっていた。
「では、首都内の北西部地域からキャスール方面に向けて、自然の物ではない魔力素が空気中に混ざっているということなのですか」
自分の師匠の話をいち早く理解したシャポーが、顎に人差し指をあてながら、考え込むような難しい顔をして言う。
当然、シャポーの頭の上では、ほのかが真似をしている何とも締まらない絵面だった。
「キャスール地方から魔力素が運ばれてきてるみたいだ、ってのが正確な表現だねぇ。テスニスって地域は、夏でもクレタ山脈から吹き下ろしてくる冷たい風のおかげで避暑地になってるくらいだ、そいつに乗って来てるのさ。ま、この首都まで流れ着く間に、かなり薄まっちまってる感じはするけれども」
弟子の誤認を修正するように言うと、ラーネは大気をかき回すようにぱたぱたと手を振る。
教会建屋は、テスニス首都の中心から東寄りにある為、ラーネの言う魔力素の影響下には無いとのことだ。
そうとは聞かされているものの、三郎は部屋の中を眺めるように視線を巡らせてしまうのだった。
「首都北西部ということは、正しき教えが勢力下としている地区も含まれているということですか」
三郎とラーネの正体を知ったショックから立ち直ったカムライエが、胸元にしまっていたテスニス領の地図を机の上に広げると、首都北西部を指でなぞって質問する。
「そうさね、ちょうどその辺りでフィルタの魔法を行使したから、キャスールを中心に扇状にクレタ山脈の麓まで、あたしの魔法がゆきとどいてるはずだよ」
ラーネは、地図上でキャスールの位置に人差し指を置き、親指で半円を描くようにクレタ山脈の西側からテスニス首都の一部を通過し、南方面にある山脈の麓まで綺麗な線を描いて見せた。
三郎の眼には、ラーネの示した範囲が『正しき教えの勢力下』だと教えられた地域と一致しているように映った。
「はわー、さすが師匠なのです。そんな広範囲にフィルタリングの魔法を常態化させているのですか。魔力壁化してしまうことによる重複次元への歪みなどは、大丈夫なのですか?自然環境の行き来にも影響があると考えられるのですが」
「あたしを誰だと思ってるんだい。変てこな一元素だけをフィルタリングするなんざ、うっすーい膜で十分さね。まぁ、魔法の影響が出ない濃度帯を探って区切った結果、キャスールを中心に扇状になったんだけどもね」
「ち、ちなみに、師匠の使われたフィルタリング魔法は、発動条件がむつかしそうなのです。魔力素の大気中濃度を判別して広げたように言われてたのですが、発動するまでに三日はかかったのではないでしょうか」
「ふーん、三日もかかるかね」
弟子の顔になって質問するシャポーに、ラーネは口の端をにやりと吊り上げて言葉を返す。
「み、三日でも早いと思うのです。魔力素の判別に一日、広範囲フィルタ魔法の準備に二日くらいは・・・まさか、もっと短くできるのですか」
「シャポーも、思考空間内に魔法障壁の法陣くらい何種類か置いてるだろ。広範囲系の障壁魔法をフィルタ魔法に変換して、対象となる魔元素の素子振幅さえ解析すりゃ、流体濃度に沿って展開するだけで、即発動ってわけさね」
「はへぇ~、師匠は簡単に言われますが、振幅解析だって――」
シャポーとラーネの白熱する専門的な会話に、三郎は文字通り目が点の状態になって「はぁ」と声を出すしかできない。
(要するに、本題としては、首都の北西部からキャスールにかけて、何らかの魔法が大気中に混ざっちゃってるってことか。俺は、それさえ理解できてればいいんですよね、きっと。これはあれだろ、魔導師の性で討論が盛り上がってるみたいな感じだろうなぁ)
話しは、魔含物質の元素番号だの比重だのという所まで出てきており、三郎には到底理解の及ばない領域へと進むのだった。
トゥームやシトス達は、三郎よりも魔力に関する知識があるため、一応理解しながら聞いている様子ではあった。だが、あまりにも規格外な広範囲の魔法について『三日はかかる』だの『即発動』だのと、常識外れな話をしている魔導師二人に苦笑を浮かべていた。
師匠であるラーネもそうだが、シャポーも三日かかろうがなんだろうが、テスニス領の実に四分の一に相当する地域を、フィルタの魔法で覆ってしまえると言っているに他ならないのだ。
「っと、ほら、あんたのお仲間さん達が話しに置いて行かれてるじゃないかい。ウチの弟子ってば、夢中になるとコレでねぇ、誰に似たのやら、おほほほほ。さて、本題に戻しましょ・・・で、どこまで話したっけかね」
「えっと、テスニス北西部の大気に何らかの魔法が混じってるって所でしたね」
三郎は、理解の出来ている範囲で答えながら、シャポーの魔導に熱中する性格は師匠譲りなんだなと納得していた。
はっと我に返ったシャポーが「熱くなってしまったのです。話の腰を折ってしまって申し訳ないのです」と、顔を赤くして小さい声で謝るのだった。
「お話の中で、魔素子の解析もお済みとのことでしたが、魔法の種類も特定できていると考えてよろしいのでしょうか」
疑問を口にしたのはカムライエだった。
魔導幻講師ラーネが防いでいるとはいえ、三郎達はキャスールに向けてその只中へと行くことになっている。
カムライエの立場としては、三郎の安全を考慮し対策を講じねばならないし、危険だと判断できるならば高教位ギレイルとの対談も見直さねばならない。何より、魔法の種類が判別できていれば、対談を断る正当性がこちら側にあるうえ、正しき教えを解散させる足掛かりになるかもしれないのだ。
「非常に緩い精神操作。認知や承認に影響を与えるものさね。簡単に言えば、術者の話を信じやすくなったり、説得力が増したりする感じだぁね。無臭で軽い出湯成分の構造自体に、成分変化を起こさないよう魔含原子を静電結合させたみたいな変な物質魔法さ」
さらりと言うラーネの言葉に、聞いていた全員の表情が強張った。
「洗脳、みたいな魔法物質ってことか」
三郎が、恐々とした口調で呟く。
「んや、そこまで強いものじゃないね。術者の言葉に興味が無い人間なら無害であろうし、魔力の影響下にある当人ですら、気付かぬ程度の変化だろうさ。それだけに、たちが悪いともいえるけども」
手を横に振ったラーネは、三郎の洗脳という言葉を否定した。
「しかし、クレタスにおいて、民間人が一般国民に対し精神操作の魔法を使うのは違法とされています。それだけでも『正しき教え』に違法性ありと言える材料となります」
カムライエが、拳を固く握りしめて言うのに対し、ラーネは人差し指を横に振って「あまい、あまい」と、水を差すように口をはさんだ。
「言っておくけども、その魔法が大気中の成分から確認できるのは、あたしか弟子のシャポー、あとはカルバリにある魔導研究院の理事の何人かくらいだろうから、テスニス政府の立場として利用することはできないよ。それ程までに姑息な、あたしの大っ嫌いな部類の魔法だぁね」
さも嫌だといった表情で、ラーネは腕を組むと椅子の背もたれに身体を預けた。
カムライは眉間に深い皺を寄せ、瞳に落胆の色を濃くする。解決の糸口ともなりそうな情報が、その提供者から『使えないものだ』と言われたのだ。
「証拠としてあるとは教えていただいても、立証できないということですね。裁く立場であるテスニス政府の者が、確認すらできないモノだと」
「そういうこったね」
カムライエの絞り出すような声に、ラーネは感情を抑えた短い答えを返した。
「では、魔導幻講師殿の抑え込んでいるというフィルタリング魔法で、キャスール方面へ魔力素を押し返すことは・・・」
「あー、それはちょいとばかり難しい話しなんだわ。自然や空間に影響を与えないラインを見極めてフィルタリングしてるのさ。変に魔力溜まりが出来ても困るだろ。それにやれるんなら、あんた達が来る前にやってるとお思いでないかい」
カムライエは、返される返事を解っていながらも、ラーネに確認する意味で質問をしていた。予想通りの言葉に「そうですね」と、カムライエは小さく頷く。
『嫌いだ』と豪語する魔法を、ラーネが野放しにしておくような人物には見えなかったのだ。
「まぁ、キャスールの源泉のどこかしかに魔法を仕込んでるんだろうから、見つけられれば別なんじゃないかねぇ。もし見つけたなら、その場ですぐに解除するか破壊するのをお勧めするけどもさ。そうすりゃ、術者の言葉から説得力も消えさり『めでたし』ってことになるだろうさ。もしかしたら、高教位だかなんだかってヤツも、魔法の影響を受けてるかもしれないからねぇ」
肩を落としそうになるカムライエに、ラーネは解決の一助となりそうな言葉を付け加えた。
「魔法の大元を探す、そうですね。しかし、影響下にあるとわかっている地域に理事様達をお連れするのは、テスニス政府の者としてできかねます」
カムライエは、自分の部下や軍を使い解決する方法は無いものかと思考を働かせながら、三郎達をキャスールへ行かせることはできないとの政府の人間としての判断を口にした。
だが、その言葉を否定したのは、またも魔導幻講師ラーネだった。
「行っても問題ないんじゃないかねぇ。何せ、修道騎士にグレータエルートだ、魔法の存在を知っていれば尚更、影響を受けることはないだろ。それに、サブローちゃんだって、始原精霊の加護がちんけな魔法なんざ寄せ付けないだろうさ」
「ぱぁ!」
ラーネの言葉に、ほのかが当然だと言わんばかりに返事をする。
「あんたも、精神修養の訓練は受けてるんだろうし、ウチの弟子については、言わずもがなってところさね。大丈夫、大丈夫」
ラーネが一人一人を指でさしながら、太鼓判を押すように言った。
「いや、しかし、確証が・・・」
あまりのラーネの軽い口ぶりに、カムライエは言い淀む。
「そ・れ・に・だよ。あたしが、それを言う為だけに来たとでも思ってるのかねぇ」
ラーネは、カムライエに片目をつぶって見せると、胸の谷間をゴソゴソと探って符の束を「じゃじゃじゃーん」と言って取り出した。
符の表面には、古めかしい魔導文字が美しい模様のように描かれている。
三郎は(こっちの世界でも物を取り出すとき『じゃじゃーん』って言うんだな)と、あらぬことを考えるのであった。
「これは、あらゆる精神魔法への耐性が、びっくりするほど跳ね上がる『鈍感の護符』の様式なのです。でも、非常に難解な構成が付け足されているのですね。師匠のオリジナルのものなのでしょうか」
机に出された符を見て、シャポーが感嘆の声を上げる。
シャポーの有難そうな物言いに、他の者達も護符をのぞきこんだ。
(『鈍感』って、これ身に着けて大丈夫なのかな。変な所から取り出したし、呪符の間違いとかじゃなければいいけど)
三郎は、失礼な考えが浮かんだのを心の中だけにしまっておくことにした。
「さすが我が弟子。ほらほら、裏面にしっかりと、あたしの名前も入れておいたからね。魔導品を扱う店に持ち込めば、そりゃー高値が付く逸品だろうさ」
得意気に言う大魔導師ラーネを前に、全員が符を手に持って『裏って、これ名前入りなんだ』と、少々残念な気持ちになっていたのを口に出すことはなかった。
御者の二人にも鈍感の護符を渡すことまで決めると、ラーネは「あたしの要件はこれくらいさね」と言って立ち上がった。
「まぁ、月並みだけど『健闘を祈る』と言っておくよ。あたしゃ、フィルタリング魔法の微調整をしなけりゃいけないから、同行できないのが口惜しいけどねぇ」
そう言うラーネの顔には、心配した表情は一切見られない。
「はいです、健闘してくるのです」
鼻息も荒く、シャポーは師匠に返事をかえすのだった。
教会から出ると、ミケッタとホルニ、そしてクウィンスが旅の準備を整えて皆が出てくるのを待っていた。
シャポーが師匠からあずかった符を手に、御者の二人に駆け寄ると、護符を手渡して説明をしている。
そんな弟子の様子を、ラーネは目を細めるようにして眺めていた。
「ちょいとサブロー、ソルジでシャポーを助けたってのは、あんたなんだろ」
横を通り過ぎようとした三郎に、ラーネが声をかけて呼び止めた。
「あーっと・・・助けたっていうには、少し大袈裟かもしれませんけど、からまれてるところに声をかけたのは私ですよ」
シャポーがゲージでも使って連絡を入れていたのだろう。ラーネは、三郎とシャポーが出会った時の話を唐突に切り出してきた。そのため、三郎は記憶をたどる間をおいて答える。
「そうかい、人見知りで緊張しいのあの子が、成長するもんだなと思ってね。礼を言わせてもらうよ」
ラーネは、師匠というよりも保護者のような表情をして、三郎に言った。
「礼だなんてとんでもないですよ。シャポーには、いつもこちらが助けられてますから」
「そうかい」
三郎の言葉に、ラーネは少しばかり嬉しそうに返した。
その時、三郎はラーネを見てからずっと気にかかっていたことについて、ふと尋ねてみようかと思い立った。
「ラーネさん、一つお聞きしてもいいですか」
「なんだい、改まった顔をして」
きょとんとした表情で、ラーネは聞き返す。
「その服装についてなんですが、もしや、最初の勇者が何か言ったとか、ありませんかね」
三郎は、声を小さくして心に引っかかっていた疑問を口にする。
「へぇ、さすが良く分かったね。あれだろ『魔法使い』と言えば、こんな感じなんだろ」
ラーネは、ニカッと笑って答えると、一回転して見せた。
「やはりそうでしたか。疑問がまた一つ解決いたしました」
「そりゃ良かった」
三郎はラーネに頭を下げると、何事も無かったかのように馬車へと歩みを進めた。
(最初の勇者よ、君は色んなところで自分の趣味を広めてたんじゃ・・・いい仕事しなさいましたな)
今は亡き勇者へ、三郎は心のサムズアップを送るのだった。
次回投稿は5月17日(日曜日)の夜に予定しています。




