第13話 優しい風の記憶
少し開かれた窓から、午前中の初夏の風が入り込み、三郎は前髪を撫でられて目を覚ました。西向きの窓から、軟らかい光が差し込んでいる。
鳥の鳴き交わす声が、三郎の覚醒を助けるように、意識を後押ししてくれた。
(俺は、どうなったんだ・・・)
高熱が引いた後特有の、何とも名状し難いだるさが、三郎の思考を邪魔する。
三郎は、おぼろげな意識の中、自分がベッドに寝かされている事を理解した。教会であてがわれている自分の部屋の、見慣れた天井が目に入り、軟らかい布団の感触が伝わってきたからだ。
木目がそのまま使われている天井は、三郎が元居た世界の古民家を彷彿とさせ、心を落ち着かせてくれるので、三郎は気に入っていた。
三郎は、幾分か意識がはっきりしてくると、ベッドの横に誰かが居る気配に気がついた。
首をゆっくりとめぐらせ、目を向ける。左肩に引きつる感覚があり、魔獣に引き裂かれた事実を三郎に思い出させた。だが、予想に反し、首を動かしても違和感があるだけで、さほど痛みを感じる事はなかった。
三郎のめぐらせた視線の先には、椅子に座って静かに眠っているトゥームが居た。ベールからのぞく髪が、普段と違い少し乱れていて、献身的に三郎の事を診てくれていた事が、手に取るように伝わってくる。
(何か、こっちの世界に来てから、看病されまくってるな)
教会の玄関先で意識を失って看病され、3回ほど高熱をだした時も看病してもらい、今もまた、トゥームが傍らに居て看病されている。
(これは、あれだな。そろそろ、女神に見えてくる頃合ってやつだよなぁ)
三郎は、そんな事をぼんやりと考えながらトゥームの顔を見ていた。整った顔立ちをしており、長いまつ毛が、閉じた目のラインをはっきりとさせている。天然なのか、瞼に薄く陰影が差しているようで、それがトゥームを実年齢よりも上に見せているのだと、三郎はこの時理解したのだった。
(歳のこと言ったら、また機嫌損ねそうだから言わないけど)
見惚れると言うよりも、観察と言うほうが近い感覚で、三郎は何となくトゥームの顔を眺めていた。
すると、トゥームがうっすらと目を開き、三郎の視線とトゥームの視線が重なった。
「目、覚ましてたのね。ごめんなさい、うとうとしちゃったわ」
トゥームは、穏やかな声色で三郎に話しかける。ほっとしたような、嬉しそうな表情に見えるのは、三郎の身を心から心配していたためだろう。
「また、看病してもらっちゃったな。ありがとう」
三郎は、弱々しくも笑顔を作ってトゥームに返事を返す。三郎は、高熱と魔獣に負わされた傷の回復で、体力を使ってしまったようで、トゥームに一言礼を言っただけで気だるさを感じてしまう。
トゥームは、そっと三郎の額に手を置くと、熱が無い事を確認した。トゥームの手は、ひんやりとして心地よく、三郎の倦怠感を和らげてくれるようだった。
「左肩は、痛みとか無い?」
トゥームの言葉に、三郎は肩の具合を確認するように、左腕をゆっくりと動かし布団から出してみる。首を動かした時と同様で、傷の辺りに違和感があるものの、痛みが走る事は無かった。
「ああ、大丈夫そうだ。少し肩に、違和感がある程度だな」
三郎はトゥームに、軽く腕を曲げ伸ばしして見せて、問題ない事をアピールする。そのまま、左手を額に当てて、三郎は自分でも熱が無い事を確認した。
「ラルカは、怪我とかして、なかったかな」
三郎は、緊急とは言え、十二歳の少女に全速で体当たりした事を思い出し、何処か痛めてしまわなかったかと心配になった。
「・・・ふふっ、サブロー、あなたって人は」
トゥームは一瞬きょとんとした後、笑いながら首を横に振った。そして、ラルカはかすり傷程度で、無事であった事を伝える。
「そうか、良かった・・・」
三郎は、長い安堵のため息を吐きながら呟き、額に置いていた左手で両目を押さえた。三郎が原因で、ラルカが頭でも打っていたら、元も子もない。
トゥームは、三郎のそんな様子を、目を細めて見ていた。両目を押さえていた三郎は、トゥームの慈しみともとれる表情を完全に見逃すのであった。
「三日も目を覚まさないから、皆心配していたのよ」
そう言いながら、トゥームはベッドサイドに置かれたテーブルから、吸い飲みの様な物を手に取り、三郎の口元へ近づける。三郎が安堵のため息の後、咳払いをしたためだった。
(三日・・・そんなに、眠ってたんだな)
三郎は差し出されるままに、吸い飲みから中に入った液体を口に含んだ。特に味がしないので、水なのだと思い飲み込むと、鼻に抜ける薬湯の様な香りが、三郎の鼻腔を刺激した。
「っんぐ?水じゃないのか」
悪い匂いではないのだが、突然の事に三郎は声を上げる。口に入れたときに香りも味もしないのに、飲み込んだ後の含み香が、唐突に鼻へ抜ける不思議な水だった。
「スルクローク司祭が調整した薬水よ」
トゥームは、三郎の反応を楽しんでいるかのような笑顔で答えた。そして、もう一口と言わんばかりに、吸い飲みを三郎に差し出してくる。
「スルクローク司祭って、司祭なだけに、神の奇跡とか使って、治療したりするのか?」
三郎は、差し出されるままに、もう一口飲むと、ふとわいた疑問を口にした。三日で治るにしては、左肩の調子が良すぎる気がしたからだ。脂汗が出るほどの傷など負った事が無く、三郎にとって大怪我としか思えなかったからだ。
だが、頭の片隅で『実は、大した事ない傷で、そこまで痛がる程でも無かったのか?』などと、勘ぐる自分がいたが、三郎は無視することにした。
「神の奇跡って、私達教会の人間は、神殿勤めの神官じゃないのよ」
トゥームは肩をすくめると、吸い飲みを机に戻しながら笑う。三郎は、まだ本調子ではない頭で、自分の認識の大きな間違いに気づかされた。
「あれ?教会って、神様いない?あー・・・そうだよな、勇者の教えを伝えるってだけで、神様とかの話、でてきてないよな」
教会に居候してから、三郎は神への祈りなど、宗教的な儀式を見た覚えが無かった。だが、何となく納得しつつも、腑に落ちない点が残った。
「でも、その服装とか、神に仕える的な感じ、するんだけどなぁ」
三郎は、独り言のように呟いて、トゥームの服装を眺めた。トゥームも両腕を広げて、自分の姿を見る。
「この服装・・・十字架と同じ理由って言ったら、納得するかしら?」
小首をかしげて、トゥームは三郎に言った。三郎は記憶を手繰る。確か十字架は、召還に巻き込まれてしまい、この世界に迷い込んだ『迷い人』が見つけたら、助けを求めてくるかも知れないと、そういう理由で設置されていた。
再び視線をトゥームへ戻すと、三郎は、最初の勇者の徹底ぶりに、感謝の気持ちすら抱いてしまった。
「迷い人が見たら、助けを求めてくる、服装か。そういう事か、確かにオレも、普通に受け入れてたな」
三郎が、熱心に何かを信奉している人間だったら、すぐにでもこの事に気づいていたかもしれない。だが、その他大勢の日本人よろしく、三郎は熱心に信奉するものが無かった。
「何か、まだまだ、知らない事ばかりだな」
三郎は、不思議と安心感を感じていた。この世界に、身一つで放り出された自分を、五百年も前に憂いてくれていた人が居たのだから。
「そういえば、魔獣って、どうなったんだ?」
知らない事と言ってみて、三郎は魔獣の事を思い出した。当然、あんな大きくて恐ろしい生き物を、三郎は今までに見たことが無かった。
「町への被害は出なかったわ。怪我をしたのは、サブロー以外に二人いたけど、命に関わる事はないって話よ」
トゥームは魔獣を倒した後、三郎の怪我と高熱に動転して、必死に背負って教会まで運んだ事は、言わないでおくことにした。必死な自分を思い出すと、何故だか気恥ずかしい気がしてしまうのだ。
「明日には、修道騎士が到着するから、その手をかりて、西の森を調べるそうよ」
気恥ずかしさを隠すように、トゥームは明日の話へ話題を変える。三郎は、そんな気も知らずに「そうかそうか」と安堵の表情を浮かべた。
「なら、一件落着って所、なのかな」
三郎は安心感からか、眠気におそわれ、あくびをしながら言った。出していた左手を、もぞもぞと布団の中に戻す。
「それよりも、何か口に入れる?」
トゥームは布団を直すのを手伝いながら、三日も眠っていた三郎を気遣って言葉をかける。
「そうだな、ありがとう。でも、ちょっと、眠くなって・・・」
三郎は目を閉じながら、トゥームへ礼を言った。しかし、眠気が強いのか、言葉の終わりに力が抜けてゆく。
「何か、お腹に優しい物を作ってくるわね。それまで、眠るといいわ」
トゥームの優しい響きの言葉を最後に、三郎は眠りに落ちた。熱と傷で消耗した体が、休息を求めているのだろう。
三郎が寝息をたてると、トゥームは、三郎の前髪をそっとよけて、額に触れる。
「ありがとう、貴方のおかげで、私は護る事ができたわ」
窓から、優しい風が流れてきた。
次回投降は、11月26日の日曜日の夜に予定しております。




