第138話 シャポーのししょう
カムライエが約束していた時間よりも早く到着たことを、少しばかり焦った様子で教会事務員の青年が知らせに来のは、三郎達が朝食を済ませてすぐのことであった。
三郎は、御者のミケッタとホルニにもその事を伝えてもらうよう青年にお願いして、カムライエを通してくれたという待合室へと皆を伴なって向かう。
快い返事を返してくれた青年の頬が、少しばかり上気して赤みがかっていたのは、急いで知らせにきてくれたためだろうな、と三郎は他愛のない考えを頭の片隅に浮かべながら廊下を歩くのだった。
青年の話しでは、どうやらカムライエの他にもう一人別の人物が来訪しているという。
旅の支度は、前日にほぼ済ませていたため、カムライエの到着次第でキャスールへ向けて出発できるようになっている。そのことは、カムライエも承知していることだ。
予定よりも早い時間に『誰か』を連れて来たということは、三郎達とその人物が話をする必要があると、カムライエが考えているのは確認せずとも明らかだった。
「あいたた、ちょっと待って。筋肉痛で、そんなに、早く、歩けない。痛い」
事務員の若者の前では、理事という手前もあってやせ我慢していた三郎であったが、廊下を少しばかり進んだ時点ですぐに音を上げる。
足腰から首、更には両腕にかけて、長年さぼりにさぼらせていた筋肉達が、昨日のトゥームの『しごき』で痛みという形で目を覚まさせられたのだ。
「あの程度で情けないわね。ほら、肩をかしてあげるから」
トゥームが、呆れ半分といった口調で言うと、三郎を支えるように手を差し伸べた。
「トゥームさん、あの程度と申しますが『もう無理』って言った所から更に倍近くもやらされたんだから、おっさんの体は壊れちゃうの。解る?」
「はいはい、ワタクシも悪うございました。でも、長剣を構えた姿が案外さまになってたから、いけるかと思ったのよ」
三郎は、トゥームの肩に手を置くと、顔を覗き込むようにして言う。トゥームは悪びれもせずに答えを返した。
シャポーが三郎の隣へ急いで来て「シャポーにも、つかまって下すって結構ですので」と言い、ぴょこぴょこと跳ねるのを見て、三郎はその頭を軽く数回ぽんぽんと撫でて「ありがとさん、大丈夫だよ」と礼を言うのだった。
シトスとムリューは、三人のやり取りに笑顔を見せながらも、三郎達の前を迷うことの一切ない足取りで待合室へと歩みを進めている。
流石は森の民というところか、大きな建物の内部でも方向感覚や位置を把握する能力は鋭い様子だ。
建物の中といえば、昨日訓練した場所も教会建屋の地下にある第一訓練場と呼ばれる大きな部屋であった。
グレータエルートの二人は、建物の中という条件にもかかわらず、大気中に足場を構築する変幻自在の動きでトゥームと手合せをして見せたのだった。
彼等は、森や自然の中とは違った語り掛けを精霊へと行うことによって、多少のパフォーマンスは落ちるものの精霊魔法の効果を存分に引き出せる、それを中央王都での戦闘で学んだというのだ。
トゥームも、シトスやムリューの予測不可能と思われる動きを目で追い、時に姿を消す精霊魔法にも気配を察知することで見事に応戦していた。
しかしながら、先の中央王都での戦闘や深き大森林での戦いで負った傷などの完全に癒えきっていない三人は、互いの状態を確認する目的もあって手合せを行っていた。当人たちにとっては、全力で出せる八割方の稽古であったが、修練兵などが目にすれば格の違いを思い知らされたであろう立ち会いだった。
シャポーは、トゥーム達の戦闘を真剣な目で見つめては、大きなノートに何事か書き込んでいる様子だった。三郎がちらりと覗き込んだ限りでは、眼球や虹彩などの絵と、魔導文字と思われる複雑な文字によるメモ書きが、所狭しと書かれていた。
シャポーの頭の上に乗っていたほのかも、同じように手合せする者達の姿を目で追い、難しい表情でメモをとるシャポーの真似をして遊んでいた。
そんな中、三郎自身も自分に小さな変化があるのに気付く。勘違いかもしれないのだが、交代で手合せを行っている三人の動きが、以前よりも見えているような気がしたのだ。
以前と言うのは、ソルジでトゥームとマフューが手合せした時にさかのぼる。当時は、動作の止まる一瞬一瞬しか目に入ってこなかった。だが今は、影を追いかけるような感覚で、人のいる位置へと視線が動かせていた。
三郎が『おや?目が遅ればせながらもついていってる。おやおやぁ』と心の中で呟きながら、手近に置いてあった長剣に手を伸ばし、立ち上がって構えをとってみた。ずしりと重い感触に、腰を据えて正眼の位置をとる。
(気を付けないと、ぎっくり腰になっちゃいそうだなぁ)
真面目に剣の構えをとることなど、高校生の体育の授業以来だなとも考えながら、こんな感じだったかなと重心が崩れぬように気を付けて背筋を正す。
ちょうど、シトスとムリューが手合せに入っており、汗を拭っていたトゥームの視線が三郎へふと向けられた瞬間であった。
『なんだ、剣を握ったことがあるみたいじゃない』
トゥームのもらした呟きに、シトスとムリューも動きを止めて三郎を見る。おのずと、シャポーも三郎へ顔を向けた。
『ん?』
注目を集めてしまった三郎に、不幸とも呼べるトゥームズブートキャンプが行われたのは、書かずとも知れようことであった。
「まったく、ここまで酷い筋肉痛になるだなんて、体内魔力の操作が上手くない証拠よ」
要因をつくった張本人であるトゥームが、ため息交じりに言うと、三郎の背中へ回していた手をそっと撫でるように動かした。
不思議なことに、三郎の背中に『ずしり』と乗っていたような痛みが、少しばかり楽になった気分になる。
「あれ。何か、背中の痛みが少し減った」
「体内魔力の流れを、正常な状態になるよう外側から働きかけただけよ。一時的だから、気休め程度にしかならないけれど、痛みの回復が少しは早まると思うわ」
「教会魔法的な、あれか、自然治癒力を高めるっていうやつか。修道騎士って司祭レベルだとか言ってたもんな」
「まぁ、そうよ。それに・・・(痛くさせたの、私なんだし)」
「それに、なんだって?」
トゥームが視線をそらせながらごにょごにょと言った言葉は、三郎の耳まで届かず聞き返す。
「何でもないわよ。客人を待たせるのも悪いでしょ、さっさと行くわよ」
「いっ・・・いてぇよぉ。だから、全身筋肉痛なんだって」
トゥームの照れ隠しで連行されるように引っ張られて、おっさんは涙目になるのだった。
***
待合室の中に入ると、説明されていた通り二人の人物が待っていた。
一人はカムライエであり、もう一人の来訪者は女性であった。
まず三郎の眼を引いたのは、大きな三角帽子だった。そこには、日傘と見まごうばかりのつばがついている。
帽子から流れ出た髪は、窓から差し込む光を猫目石のように反射する深い橙色で、腰よりも低い位置できれいに整えられている。
少しばかり釣り目がかった切れ長の目と、真っ赤な唇が印象に残る美しい女性だった。
女性の服装を見て、三郎は事務員の若者が頬を紅潮させていたのを思い出し、なるほどなと納得した。
上は胸元を強調したチューブトップを身にまとっており、へそまでは出していないものの胸の谷間を強調した服装をしている。ひじまでも隠れるほどの長い手袋を着けてはいるが、健康的な肩がこれでもかと露出してしまっているのだ。
首元に下げられた怪しく光る赤い石が、女性の妖艶さを誇張していた。
(青年よ、教会勤めなのに精進が足りんな。おっさんレベルになると『若いな』とか『健康的だな』って感想が先にでちゃうんだぞ。それにしても・・・)
三郎の目は、女性のスカートへと移っていた。
トップとは真逆な印象を受けるほど長いロングスカートをはいており、緩いカーブを描くようにふわりとしたシルエットをしている。裾からのぞいている靴は、拳ほどの高さのあるヒールブーツだった。
腰には、シャポーと同じように魔導師の印が吊り下げられているが、その装飾は渦を巻いた模様をしており、魔導文字が吸い込まれるように内側へ向かって動めいている不思議な物だ。
そして何よりも驚かされたのは、背中に無造作に羽織られているフード付きのマントだった。前から見ただけでは判断つきかねるのだが、三郎の眼には体のどの部分にも触れておらず浮いている様にしか見えない。
マントは、浮かんでいることを知らしめるかのように、ゆっくりと上下に動いていた。
(あのマント、浮いてるだろ?それに、三角帽子かぶってるのにフード付きなんだねぇ。この姿はどう見ても『魔法使いのお姉さん』だよな。間違いない)
フードをかぶる時にあの大きな帽子は荷物になるだろうなという、三郎の非常にどうでもよさそうな考察を余所に、全員が部屋に揃ったのを見取ったカムライエは、扉の外に誰も居ないか確認する素振りをしてから静かに閉めるのだった。
待合室にはテーブルや椅子も用意されているのだが、カムライエと女性は立ったまま三郎達を出迎えた様子だった。
「理事殿、お約束していた時間よりも早くに来てしまい、申し訳ありません」
カムライエは改まった口ぶりで、三郎に頭を下げた。
(なんだか、テスニスに来てからカムライエさんが、すっごい丁寧になってる気がするんだよな。いや、野盗に襲われた後からか。呼び方も『理事殿』がデフォルトになってるし。後で馬車に乗ったら、なんでか理由を聞いてみよう)
三郎は、客人がいるからというにしては、改まりすぎているカムライエの態度に疑問を抱きつつ口を開く。
「いえいえ、カムライエさんがお客人を連れてこられているということは、今後の為に必要なことなのでしょう」
三郎も、見知らぬ魔法使いのお姉さんがいる手前、教会の理事として丁寧な口ぶりになるよう心掛ける。
「はい、お察しいただいた通りです。こちらにいらっしゃる魔導幻講師殿が、伝えることがあると我が機関に連絡をくださまして、本日お連れ致しました次第です」
「魔導幻講師殿が?」
三郎は、どこかで聞いた肩書だなぁと思いながらも、カムライエから女性へと視線を移した。
魔導幻講師だと紹介された女性は、にやにやとした笑いを口元に浮かべて三郎達全員をゆっくりと見渡すと、部屋の入口でかたまったまま立ち尽くしているシャポーで視線を止めた。
「はぁい。シャポーちゃん、元気してた?」
若々しい女性の声を合図に、石化の魔法が解けたかのようにシャポーが瞬きを繰り返す。
「し、師匠。なんでここにいるのですか!?」
「師匠!?」
シャポーのびっくりした言葉に、三郎達からも驚きの声がもれる。それは、連れてきたカムライエも同様のようだった。
魔導幻講師だと紹介されたのは、シャポーの師匠であり人族で随一を誇る大魔導師と言われている人物だ。
そして、人々の記憶や歴史から忘れ去られるほどの昔、大魔女ラーネと呼ばれ怖れられた女性でもあった。
次回投稿は5月3日(日曜日)の夜に予定しています。




