第137話 向上心ある仲間たち
野盗らを宿場町の警備隊に引き渡してからの旅は、三郎が大きなあくびをもらしてしまうほど、平穏無事に過ぎていった。
進みゆく馬車の周囲には、夏の日差しを存分に浴びようと、草たちが青々とした葉を揚々と広げている高原が続く。緑色に混ざり、紫色の花がちらほらと咲き始めているのが風景に彩りを添えていた。
時折渡る橋の振動や湖の水面に映るクレタ山脈の美しい景色といった小さな変化が、のどかな馬車旅に時の経過を知らせるかのようであった。
高原国家というだけあって、夏にも関わらず涼し気な空気を感じさせる。
街道周辺は、旅の者が警戒しやすいよう木立などは整備されており、雲一つない青空から降り注ぐ光が行く先を照らしだしていた。
馬車の幌や御者台の上に張り出されている庇が、程よく日光を和らげ、三郎達の旅を快適なものとしてくれている。
三郎は、のんびりとした窓外の風景から馬車の中へと視線を戻した。そこには、シトスの隣で平和そうに舟をこいでいるムリューの姿があった。
人族の尺度で推し量るなら、ムリューの外見は十代後半から二十代前半といったところにみえる。だが、エルート族は長命だというので百年以上は生きているのだろうなと、三郎はふと考えていた。
なぜ三郎が、ムリューの年齢を頭の中で思い浮かべていたのかというのも、野盗達を警備隊に引き渡した際の手際の良さからであった。
ムリューは、連行していた道程の間に、野盗から引き出せる情報のほぼ全てを聴取し終えていたのだ。
改めて、グレータエルートはエルート族の中でも戦闘のエキスパート達だったなと、三郎に思わせたのだった。
エルート族の『真実の耳』は、ムリューが野盗たちへと投げかけた質問に、否定であろうと反抗的な罵声であろうと言葉を発してしまうだけで、正否の判別を可能とさせるのだ。下手をすれば、心臓が早鐘をうつように高鳴れば、それすら聞き分けて嘘を見抜く。
宿場町へと到着した時には、商人用の馬車に乗せられていた野盗たちの表情が、心を見透かされてしまったという恐怖を浮かべていたのは言うまでもない。
野盗を引き取った警備隊員から、本当に助かりますとの感謝の言葉を何度も繰り返しあびせられ、カムライエもムリューに『人手の不足している現状、ご協力を有難く受け取らせていただきます』と言っていたほどだ。
ムリューが聴取を済ませていたおかげもあり、三郎達の足止めされる時間は、引き渡しの間だけという非常に短い時間で済むのだった。
その聴取の内容といえば、残党の有無からねぐらとしてた洞窟の位置、野盗にしては人数が多かった理由にいたるまで、牢に入れてから時間をかけて聴き出さねばならないようなもの以上の情報量であった。
三郎達に直接ないし間接的に関わるところでいえば、テスニス首都からキャスールまでの間を正しき教えの兵が厳重に警戒しており、その地で野盗働きの出来なくなった者達も流れ着いて合流していたのだという。また、中央王都領からも軍の動きを嫌った者達が、テスニスに流れて来ていたために、大きな野盗の集団となっていったのだ。
キャスール地方から追い出される形となった者が、その腹いせとして『正しき教えの兵士』を名乗り、悪評を広めようと吹聴していたことまで聴き出せていた。
だがしかし、哀しいかな、その風体や面構えから野盗以外の何者でもなく、その小賢しい意趣返しが成功するとは到底思えない所ではあった。たった一人、騙されてくれたおじさんが居たことは、発案した悪党の救いになったのかもしれない。
救いといえば、三郎にとって『野盗がキャスール地方から逃げ出した』というのは、朗報と思える情報だった。
正しき教えという団体が、有象無象の輩までをも取り込んで、ただ勢力を拡大しようとしている組織ではないことを意味するからだ。
武装集団を組織する場合、取捨選択をせずに勢力だけを伸ばすことを考えてしまえば、金目当ての者や単に暴力を振るいたい者までもが集まり、その地に住まう市井の民が被害者となることがある。犯罪者まがいの正規兵ほど、悪党よりも質の悪いものはない。
高教位ギレイルが、ある意味分別をもって組織をつくっている証拠でもあるといえよう。
だが、仮に戦うとなった場合、手強い集団となることも暗示していた。志ある兵士達は、実力以上の敵となって立ちはだかることだろう。
(ムリューが色々と聞き出してくれたおかげで、正しき教えの情報が増えたのは良かった。でも、対談に対する心構えが少しでも整うかといえば、それはまた別の話しだよなぁ。情報が増えても、不安ってのは少しも減らないもんだ。あー、考えすぎると胃に穴が開くから、別のこと考えよう。そうしよう)
三郎の不安を余所に、ムリューは気持ちよさそうに舟をこいでいる。その隣では、シャポーも同じように平和そうな顔で舟をこいでいた。
ムリューの隣りに座っているシトスと不意に目が合うと、心の底の不安を知ってか知らずか三郎へ和やかな笑みを返してくれるのだった。
その時、さっと吹き抜けるように涼しさを孕んだ風が布窓から流れ込み、三郎の髪を撫でて通り過ぎた。トゥームが目を落としていた本をぱたんと閉じて、外の様子をうかがう素振りを見せる。
気付けば日差しもだいぶ傾き、そろそろ最初の目的地であるテスニス首都に到着しようかという所まで馬車は進んでいた。
中央王都とテスニスとの国境を越えてから、実に四日目の午後のことであった。
***
「あれ。ここら辺に白髪があったのに、いつの間にか無くなってるな」
三郎は、部屋に備えてある洗面台で顔を洗い、鏡を覗きこみながら一人呟く。ちょうど左眉の上あたりに、数本の白髪があったはずなのだが、と前髪をいじりながら目を凝らしていた。
三郎の今いる部屋は、テスニス首都にある教会建屋の一室だ。
テスニス地方を統括している場所だけのことはあり、中央王都の教会本部までとはいかないまでも、かなり大きく立派なつくりの建物であった。
中央王都に居るテスニス地方を統括する高司祭オスモンドから、三郎達一行が到着したら粗相のない様にとの連絡が入っていたようで、一人一室の小部屋が準備されていた。
風呂は共用であったが、部屋には洗面台とは別に手洗いが設置されており、狭い間取りながらもくつろげるベッドが用意され、体を十分に休めることが出来た。
建物の入口は、修練兵が長槍を持って警備しており、建物の中も巡回する教会兵士の姿がちらほらと見受けられた。
旅の中では気づかなかった心底の緊張が、安全な場所だと意識しただけで疲れとしてどっと出たのか、三郎は熟睡してしまったようで今朝の目覚めはすっきりとしたものだった。
「一応、日が落ちたら寝るっていう規則正しい生活してるからな、それが良くって白髪がなくなったんかなぁ」
前髪を手で整えながら、三郎はベッドの上に広げた司祭服のもとへと向かう。テスニスの教会が、替えの物として用意してくれた新しい司祭服だ。
一応、高司祭の服を準備しましょうかと聞かれはしたのだが、三郎は着慣れた茶色の司祭服をお願いしていた。ベッドに置いてあるものは真新しくはあったが、見た目の変わらぬ何時もの服だった。
「慣れたものを着たがる癖ってのは、別の世界に来ても変わらんもんだね」
三郎は軽く笑って一言もらすと、種の入った小袋を最初に首から下げて身に着ける。ケータソシアから贈られた精霊の種が二粒入っている、トゥームお手製の可愛げな小袋だ。
有難さがふとこみ上げたのか、三郎は両手を合わせると(ありがたや、ありがたや)と心の中で呟く。そうしてから、着慣れた司祭服に腕を通すのだった。
腰布を身に着けてすぐ、扉を軽くノックする音が響く。
トゥームが、朝食のために呼びに来たのだろうなと思いながら、三郎は扉を開けた。
「おはようサブロー。十分な睡眠はとれたかしら」
三郎の思っていた通り、身支度をきちんと整えた姿のトゥームがそこに立っていた。隣には、元気いっぱいの表情を浮かべたシャポーが並んでいる。
「ベッドがとてもフカフカだったのです。敷布や枕に疲れを癒す効果のある布地が使われていたので、その効果も絶大だったようなのです。サブローさまも、快適な目覚めだったのではと思うのですが」
「そうだったんだな。だから、一夜にして疲れがなくなったように身体が軽いんだな」
元気のあるポーズをしながら聞いてくるシャポーに、三郎も元気いっぱいのポーズで答えた。シャポーの頭の上では、ほのかが二人のポーズを真似をしている。
「はいはい、疲れが取れて何よりね。シトスとムリューも起きているみたいだから、食堂で一緒に朝食をとりましょ」
二人と一精霊を落ち着かせるように手を振り、トゥームは食堂へ向かって歩き出す。
シャポーと三郎とほのかは、元気いっぱいのポーズを見せあいながら、トゥームの後に続くのだった。
ちょうどその時、シトスとムリューが、示し合わせたかのように部屋から出てきた。恐らく、三人の話声が聞こえていたのだろう。
「おはようございます。今日は、テスニス教会との情報のすり合わせや、教会本部との連絡など、庶務的なことを行うのでしたね。我々に、お手伝い出来ることはありますか」
トゥームと並んで歩き出したシトスが、予定を確認するように話しかけてきた。後方では、元気いっぱいのポーズにムリューが加わっている。
「ええ。とは言っても、教会側では情報を密に取り合っていたから、どちらかと言えばカムライエさんを一日待つ感じになるわ。彼は、ジェスーレ王から言いつかっている仕事や、軍の方にも顔を出さなければならないと言っていたからね」
トゥームの言葉のとおり、この日を慌ただしく過ごさねばいけないのはカムライエのみであった。
諜報機関のトップでもあり、中央王都から王の代理として戻った立場もある。その上、軍の士官でもあるカムライエは、明日キャスールへ旅立てるよう関係各所で仕事をこなすために動き回らねばならないのだ。
「国政、ともなると、我々エルート族がお手伝い出来ることも無いでしょうね」
「教会所属である私にも、国政に関する仕事は手伝えたとしても限りがあるわ。下手に口を出せば、国政を監視する者としての立場が発生してしまうし」
シトスとトゥームは、互いにどうしようもないといった風で首を横に振ると肩をすくめるのだった。
「では、お時間があれば、剣の稽古相手をお願いしてもよいでしょうか」
「もちろんよ。精霊魔法を使ってもらっても構わないわ。シトスやムリューほどの使い手に剣を教えてもらえるなら、喜んでお相手するわ」
シトスの申し出に、トゥームは嬉しそうに答える。
「ご教授願うのはこちらの方かと思いますよ。トゥームさんは、ご自身が思われている以上に実力がおありですから」
トゥームの言葉の響きから、実力に見合わない謙虚な響きが聴き取れたため、シトスは苦笑いの表情で言葉をかえした。
「なになに、剣の訓練をするの。私もトゥームと手合せしてみたかったんだー」
二人の会話に、ムリューの溌溂とした声が割って入った。シトスやムリューもベッドの具合が身体に合っていたのか、長旅の疲れが癒せた表情をしている。
「精霊魔法を使うのでしたら、是非とも後学の為に見学させてもらいたいのです。視神経系統の魔力操作も訓練したいので、皆さんの速い動きが追えるのかも試してみたいのです」
シャポーも、非常に向上心の有る言葉を口にしていた。
(皆元気だねぇ。俺はクウィンスでも撫でに行こうかなぁ。でも、シトスとトゥームの手合せってのも興味あるな。あ・・・見えないか。俺が頑張った所で、二人の動きに目が追いつかないわ。やっぱ、クウィンスなでなでコースかなぁ)
クウィンスは、教会に協力してくれている友獣なので、教会内の施設に居るはずだ。教会建屋の散策もかねて、遊びに行こうかとのんきな考えを三郎がしていると、トゥームが振り返ってとんでもないことを言い出した。
「サブローも来るでしょ?短剣の扱いくらいは出来ても損なことは無いから、基本から教えてあげるわね。見込みがあれば長剣も教えてあげる」
「うぇ!おれ?」
「そうよ」
にこやかに言うトゥームの笑顔に、三郎は断る言葉を失ってしまった。
不意を突かれて裏返りそうになった三郎の返事に、シトスとムリューが笑う。
「も、もちろん、損は無いよな。お、お手柔らかに、お願いします」
「決まりね」
次の日、おっさんが体中筋肉痛で旅立たねばならなくなることを、まだ誰も知らない。
次回投稿は4月26日(日曜日)の夜に予定しています。




