第135話 快眠ベッド魔法:一号
「左右の草地に各十二、二名一組で広範囲から近付いてきています。道の前方に五、後方には六。これで全てかと」
シトスが聴覚を研ぎ澄ませて、足音や呼吸音などから敵の位置と人数を割り出していた。
手近にあった小箱を床に置くと、それを教会の馬車に見立てて敵の配置を素早く皆に伝える。
御者台にいるミケッタとホルニ、更にはクウィンスにも情報共有をするため、大気の精霊魔法を使って自分の声を静かに届かせていた。
緊迫した空気を感じ取ったのか、フードから抜け出たほのかもシャポーの頭の上で皆と同じように真剣な表情をつくっている。
「待ち伏せされていたのなら、左右の草地には、馬車を逃がさないような罠が仕掛けてある可能性もあるわね」
「ええ。両翼の敵を私とムリューで、と言いたい所なのですが、敵の配置が離れていることもありますので時間がかかり、馬車まで何人かが到達してしまう可能性が高いですね」
トゥームの言葉に、シトスが冷静な声で答えを返す。
二人のやり取りは簡潔明瞭で、三郎は流石だなと感心しながら聞いていた。こと戦いにおいて、三郎は門外漢であるため黙って見守るしかできないのだ。
「私が前方、カムライエさんが後方。近付いてしまった敵は、状況で対応するしかなさそうね」
シトスとトゥームの会話から、敵が馬車から離れた位置にいる今、先手をとって攻撃を仕掛けたいという意思が伝わってくる。接近されて乱戦になるのは避けたいと考えているのだ。
なぜなら、こちら側の人数の少ない今、入り乱れた戦いの中では死角から流れ矢などが飛んでくる『事故』的な負傷のリスクが大きくなってしまう。その上、シャポーと三郎の二人をも護りながらとなれば、なお一層の注意を払わねばならなくなるからだ。
シャポーは、やり取りを見つめながら何か言いたそうにそわそわとしてた。戦いを専門としているわけではないので、任せておくべきだと理解する気持ちと、自分も何か役に立ちたいという想いとの間で揺らいでいるのだった。
作戦と呼べるほど上等なものではなかったが、カムライエが頷いたのを確認すると、四人の表情が鋭く引き締まった。
シトスは外の音に耳を傾け、トゥームは敵の近付く気配に意識を集中した。
初手の敵が遠すぎても不意を付けず、近すぎても乱戦となる危険性が高くなる、ぎりぎりのラインを計っているのだ。
賊達は停車した教会馬車に向けて武器を構え、ゆっくりと包囲をせばめてきており、獲物を逃さないといった場慣れした雰囲気が伺える。
その時、御者であるミケッタの声が車内に向けて囁かれた。
「前方の敵は、俺達が引き受けさせてもらいますよ」
「・・・良いのですか」
ミケッタの申し出に、シトスが一瞬考えを巡らせたあとに聞き返した。
御者の二人が武器を扱えることは知らされていたが、その実力までシトスは見ていない。なので、馬車に接近されてしまった場合、それに対処してもらえれば良いと考えていたのだ。
しかし、前方の敵を受け持ってもらえるなら、各個の負担が減るのは間違いない。
「俺らも訓練は受けてますから。それに、もう一人やる気になってるヤツがいるもんで」
ホルニがシトスへと言葉を返しながら、前方へ視線を送る。そこには、馬車との接続部を自分で器用に外したクウィンスが、相手を威嚇するように体毛を逆立てて喉を低く唸らせていた。
友獣のワロワ種が、これほどに闘争心を見せることは珍しい。御者の二人も、クウィンスとの付き合いは相棒と呼んでもいいぐらいには長いのだ。
修道騎士やグレータエルートといった、戦闘のエキスパートがいるとはいえ、クウィンスにこれ程のやる気を見せられてしまえば黙ってる分けにはいかない。
「風の精霊に、飛び道具からの護りをお願いしておくから、流れ矢とかは気にしなくていいからね」
「助かります」
「ありがてえ」
ムリューの言葉に、ミケッタとホルニが小声で感謝を伝える。
「ならば後方を・・・」
「こ、後方は、任せてくださって結構ですので」
シトスが、トゥームとカムライエに後方をお願いしようと口を開いたとき、その言葉をシャポーが遮った。
真剣な表情をしているシャポーに、皆の視線が集まる。
「任せてくださって、結構ですので」
一度声に出したことで決心が定まったのか、二度目の声は強い響きをもっていた。
「いや、でも、後方には六人もいるんだよ。大丈夫なのか」
三郎は、咄嗟に心配する言葉を口にしてしまった。
なにせ、シャポーは学者肌の魔導師なのだという認識が、三郎の中では既に根付いてきている。戦闘について、率先して任せてくれと言うとは思っていなかったのだ。
鼻息も荒く、三郎に深く頷いて見せるシャポーに、トゥームが表情を崩して優しく言った。
「ならお願いするわ、よろしくね。シトスとムリューは左を、私とカムライエさんは右を。三郎は窓布を閉じて身を低くしておいて」
トゥームの意外な言葉に、三郎は驚いてトゥームの顔を見た。
そこに、心配するような表情は一切浮かんでいない。
「はいです」
少しばかり高揚するような声で、シャポーは返事をかえした。
トゥームはシャポーに頷き返すと、外の気配を探るように鋭い表情にもどるのだった。トゥームの決断に、シトスやムリューが反論する様子はない。
ただ、おっさんだけが、初めてのお使いを見守る親のような気持ちで、落ち着きが無くなってしまうのだった。
「・・・戦闘開始の合図は、私が出すわ」
トゥームの小さな声が、シトスの精霊魔法によって皆の耳に届けられる。
三郎は、生唾を飲み込む音ですら大きく感じてしまうほど緊張してその時を待っていた。自分の役割は、窓を閉じて身をかがめているだけなのだが。
「あ」
意識の集中を高めていたトゥームが、何かを思い出したかのように小さな声を上げた。
「どうかしましたか」
近付きつつある敵の動きに変化が無かったため、シトスがそっと聞き返す。
「・・・可能な限り、殺さずに捕らえてもらっても、いいかしら」
少し迷いを含んだその言葉は、合図を待っていた全員の耳に届けられた。
野盗行為をはたらく者など、断罪されても文句は言えない立場だ。平和の為に剣を握る修道騎士の口から、野盗まがいの者を生きて捕らえろとの指示が出るのは、クレタスにおいては珍しいことだといえる。
しかし、聞き届けた全員が了解した旨をトゥームへと返してくれていた。
修道騎士トゥームの脳裏にふと浮かんでいたのは『テスニスでは血を流さずにすめば』と言っていた時の三郎の姿だった。
***
馬車への包囲が縮まってくるにつれ、野盗たちは獲物を確保したという気持ちの緩みを出しはじめていた。
停車の指示にも素直に従った後、その場を全く動かなくなった様子から、積み荷を渡す気なのだろうと勝った気になっていたのだ。
一人の男が槍を肩にかつぎなおし、勝ち誇ったような下卑た笑い声をあげた。
馬車の後方から四人の人影が飛び出したのは、ちょうどその時だった。
トゥームは、馬車から降りる動作の中で、座席の下に収められていた修道の槍をするりと抜き放つと、右側で一番近くまで迫っていた男に猛然と駆けよった。
「修道騎士!?」
男の上げた叫ぶような声が終わらぬかの内に、トゥームは槍のヴァンプレート部で跳ね上げるように、男のみぞおちを打ちすえていた。
男は、喘ぐ間も与えられずに意識を刈り取られ、どっとその場に倒れ込む。
横でクロスボゥを持っていた男が、トゥームへと構えなおした時はすでに遅く、横をすり抜けるようにまわりこんだトゥームの手刀が後頭部へ振り下ろされていた。
馬車右側に展開していた野盗達は、慌てた様子でトゥームに向けて矢を放つと、武器を構えて向かってきた。
「仲間の生死も確認せず!」
倒した男達に矢が当たらぬよう、トゥームは修道の槍で弾きながら、賊との距離を詰めて行く。
残って向かってくるのは八人だった。
修道の槍という目立つ得物を手に、トゥームが注目を集めている裏で、カムライエが二人の賊を倒して手足の自由を奪っていたのだ。その手際たるや見事なもので、既に次の狙いの背後へと移動している。
(教会の前で待ち合わせた時に感じた以上に、彼は腕が立つみたいね)
トゥームは、カムライエへと称賛の気持ちを送りながら、次の標的と定めた男の武器へと修道の槍を振り上げるように当てに行く。
金属のぶつかり合う音が響くと、野盗の持っていた槍は空中へと高く放り出されていた。
トゥームの攻撃の強さを抑えきれず、武器を手放してしまったのだ。
「シッ」
息を短く吐く気合の声とともに、トゥームは槍二本分の距離を一気につめ寄り、男の胸へと肘をすべり込ませた。
それを目の当たりにしていたもう一人の賊の女が、クロスボゥをトゥームの頭部へ向けて間近で構えていた。
「おら、死ねぇ」
トゥームの眼前で放たれたクロスボゥの矢が、真っ直ぐにトゥームの眉間に向かってくる。
だが、トゥームが虫でも払うかのように左手を動かすと、矢は勢いを失ってぼとりと地面に落下した。
「はぇ?」
「反応は、遅くはなかったわよ」
トゥームが駆け寄るまでに、二本目の矢を準備し、その眉間に向かって矢を放ったのだ。並みの兵士が相手ならば、避ける動作をされたとしても怪我を負わせることが出来たタイミングである。
たとえ修道騎士であっても、頬をかすめる程度には傷を負っていたかもしれない。
だが、不幸だったのは、卓越した体内魔力操作と脳の処理能力を向上させることのできるトゥームが相手だったことだった。
トゥームの眼には、相手がクロスボウを握る手に力を込めた動作の瞬間すら、はっきりと映っていたのだから。
トゥームは払った左手をかたく握ると、女の腹部へ打ち込んで意識を失わせる。
残る敵は、既に四人となっていた。
トゥームは、油断することなく修道の槍を構えると、次の敵に向かって駆けだすのだった。
トゥーム達が飛び出して戦いに入ったあと、シャポーは地面に降り立った。
馬車の前方では、クウィンスを中心に二人の御者が大立ち回りを繰り広げる音が響いている。
御者のミケッタとホルニは、馬車に据え付けていた大きな円形の盾と鎚矛を手に、十分な戦力として働いていた。
野盗の一人が「友獣を殺すなよ!後が面倒になる!」と、悲痛な叫びにも似た声を上げているのがシャポーの耳にも聞こえてきた。
恐らく、友獣ワロワを傷つけるのを見ると、自分たちの連れている友獣ダグラが言うことをきかなくなるのを懸念しているのだろう。ワロワ種とダグラ種は、種族は違えど知能の高さゆえに、互いを互いに仲間と見なしている節があるのだ。
そんな戦いの喧騒を背に、シャポーは一つ深呼吸すると、向かってきている六人に目を向けた。
「おい、急げ!魔導師だぞ。魔法を使われる前に近づくぞ!」
シャポーの姿を確認した男が、危機感をにじませた声を上げる。男の声に押されるように、六人全員が脱兎のごとく走り出した。
講師クラスの魔導師であれば、長い詠唱から紡ぎだされる強力な魔法を使われる恐れがある。接敵するまでの時間を短くして呪文を唱えさせない、それが魔導師と戦う一番の対処法なのだ。
だが、別の男が突然走る速度を少し緩めた。
「へっ。よく見て見ろ、腰につけてる魔導師の印。ありゃー見習い魔導師のもんだぜ」
笑いとともに声を上げた男は、六人の中で視力の優れた者だった。普段も、道行く商隊などを見つける役割を任されており、仲間内では『遠見』の二つ名で呼ばれている。
「見習いだぁ?時間稼ぎのこけおどしか何かかよ。びびらせやがって」
小太りな男が、全力で走らなくても良さそうだと、安どの顔色で言葉を返した。体型的に走るのが苦手なのか、既に前を走る五人との距離が開きはじめていた。
一般的に見習い魔導師と言えば、簡単な呪文の詠唱にも時間がかかり、実践レベルではないという者ばかりだ。魔導の基礎知識しか持ち合わせておらず、殺傷力のある魔法など扱えるものではない。
見習い魔導師は、検定試験を受けて『素養あり』と見なされて初めて本格的な魔導の道に入ってゆく。カルバリの研究院や高名な魔導師を師と仰いで専門分野を学び、更に検定試験を受けて次の段階へと進むものなのだ。
野盗たちにとって見習い魔導師など、結晶に自分の魔力を入れれたり、ちょっした火を出せたりする『そんな程度』の存在でしかない。
「見習いとは言え魔導師だ。魔法を使わせないに越したことは無い」
六人の中でも一番慎重な男が声を上げる。
あの小さな魔導師が、油の入った瓶を道に投げて、ちょっとした火でも出されて引火すれば、自分たちを足止めする時間稼ぎ位にはなるのだ。
「まぁ、びびるこたぁねぇが、確かに、言う、通り・・・ら・・・んあ?」
遠見の男が、ぐにゃりと地面の揺れる感覚に襲われた後、ろれつが回らなくなり強い眠気に包まれる。
「んお、どうした」
少し遅れていた小太りの男が、前を走る五人の足取りがふらふらと定まらなくなっているのを目にして声をかけた。
「くぁ・・・ねむ・・・い」
後ろを振り返って、異変を伝えようとした男が白目をむくと、足がもつれて倒れそうになる。
「魔法か!眠りの魔法なんて、耐えれば、眠りの、まほ・・・う?ふぁぁ」
小太り男も、魔法の範囲へと足を踏み入れたのか、眠気にあらがうことが出来ずに前のめりに身体を傾けた。
六人の賊たちは、シャポーの顔すらまともに拝むこともなく、膝から力を失い崩れて行く。
その体は、空中でふわりと弾むと、まるでベッドに寝かされてしまったかのように空中で静止して寝息をたてはじめるのだった。小太りの男は、どでかいイビキを立ててしまっている。
「シャポーさん、何をなさったのでしょうか」
馬車の荷台から頭を低くした姿勢のまま、その一部始終を見ていた三郎は、思わずシャポーに質問していた。
三郎の頭の上では、三郎と同じような格好をして伏せをしているほのかが、楽しそうに足をばたつかせている。
「えっとですね、精神魔法と感覚魔法を併用した魔法を使ったのです。脳の疲労蓄積率を視覚や嗅覚などから急激に上昇させるとともに、眠気を誘う催眠をともなった精神魔法を発動させました。またですね、視覚から覚醒力を減衰させる光周波数を入力することで、相当な修行を積んだ人でも魔法への抵抗が難しい状況を簡易的に作ったのです。昼間の明るい時間帯ですので、感覚のほとんどを視覚に頼っているという状況をですね、上手く利用することで一層抗い難くなるよう計算式に入れた―――」
「っそれよりも、それよりもだ」
少しばかり興奮気味となったシャポーの説明が長くなりそうなので、三郎は両手を前に出して説明を一時停止する。
シャポーは、何だろうといった表情をして首を傾げた。
「あの人たち、浮いたままなんだけど、あれもその眠りの魔法の一部なの?」
三郎の指さす先には、六人の大人が空中ですやすやと眠っている姿があった。そう、浮いているのだ。
「あれはですね、簡単な大気操作の魔法の一種なのですよ。ふわふわっとしたクッションを思い浮かべて、それを大気で形成するだけなのです」
シャポーが、さも簡単なことのようにいってのけた。
「大気でつくったベッドってことか」
「流石サブローさま、簡単に言えばそうなるのです。突然の眠気で倒れると、頭を地面に打ち付けてしまって大怪我するのです。打ち所が悪いと命も危ないので、安全を考えたのですよ。それに、浮遊木の担架を思い出したので、運ぶのも楽かと思いまして」
笑顔で言うシャポーの背景では、六人の武装した大人が眠ったままスライドして近づいて来ていた。
「確かに、転んで頭を打つと大変だもんな」
「ですです。上手くいって良かったのです。せっかくですので『快眠ベッド魔法:一号』と名付けるのです」
シャポーが、嬉しそうに自分の魔法にセンスの無い名前を付けるのだった。
(この魔道少女は、いったい何個の魔法を同時に使ったんだろうね。聞いてみたいけど、長~い説明と専門用語の嵐になりそうだから、怖くて聞けない)
三郎が突っ込みをも諦めて、シャポーの魔法でシュールに移動してくる熟睡した六人を見守っている間に、周囲で鳴り響いていた戦いの音も止んでいた。
次回投稿は4月12日(日曜日)の夜に予定しています。




