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おじさんだって勇者したい  作者: 直 一
第七章 高原国家テスニス
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第134話 フラグ、そしてエンカウント

 三郎達一行は、テスニスの国境を越えて二日目の昼過ぎを迎えようとしていた。


 馬車の進む街道の周りには、中木や低木の常緑樹がまばらに生えており、所々に腰高の野草が群生する景色が広がっている。高地から吹きおろしてくる風が、夏の空気の中へ涼しさを運びながら草木を穏やかに揺らしていた。


 高原国家の名の示す通り、道は延々と続く緩やかな上り坂となっている。だが、馬車をひいている友獣ワロワのクウィンスは、疲れも知らぬかのように軽快な歩みで旅を支えてくれていた。


 クウィンスのおかげもあって各宿場町へと到着するのは、予定よりも常に早い時間であった。そのため、御者も含め三郎達は、宿でその日の疲れを十分に癒すことができており、三郎は『仲間とするちょっとした旅行』という緊張感の無い心持ちになっていた。


 少し長めの昼休憩を取った後、再び動き出した馬車の中では、それぞれが思い思いに過ごしている。


 シャポーは、自分のバックパックから取り出した大きな魔導書に目を落とし、普段あまり見せないような真剣な表情で集中して読みふけっていた。背中にたれ下げたフードがもぞりと動き、ほのかが中で寝返りをうったのがわかる。


 そんなシャポーの横で、三郎とシトスが他愛もない雑談を交わしており、ムリューが時折その会話に混ざっていた。


 馬車の幌には、左右に布でつくられた窓がついており、カムライエは景色を眺めてでもいるかのように警戒の目を外へと向けていた。


 トゥームは、もう一方の布窓の近くに座り、外の様子を警戒しつつ車内で交わされる会話にそれとなく耳を傾けるのであった。


「若い頃に命を救われてたのか。カルモラさんが、似合わないほどエルート族に対して友好的だったのは、そんな理由があったんだな。人に歴史ありってかんじだなぁ」


 三郎のさも合点がいったという声が、唸るようなため息と共に吐き出された。


「ええ、戦いが終わって早々、我々がドート軍よりかり受けていた軍馬の件について『ケータソシア指揮官と直接話を』と連絡がありました。ドートの王自らが訪れる程の内容とは思えなかったので、別件ありと考えたケータソシアさんが私や部隊長を数名同席させ、その話を王の口から直接聞いたのですよ」


 シトスは、穏やかな表情で三郎に返した。


「魔人族との戦いで負傷してて、遠征には来てなくて会えなかったのは、カルモラさんも残念だったろうな」


 三郎は、ピアラタでシトス達と再会した日のことを思い出しながら言う。捕らえた魔人族の他に、負傷した多くのエルート族も運び込まれていたのを目にしていた。


 その中に、そのグルミュリアという人もいたのだろうなと、三郎は思うのだった。


「グルミュリアのことを『女神』だなんて言ってたって、シトスから後で聞かされた時には、その王様には悪いんだけど、ちょっと吹き出しちゃった」


 ムリューが、さも可笑しいことのように歯をみせて付け加えた。


「グルミュリアって人は、そんなに面白い感じの人なの?」


 三郎が方眉を上げて、ムリューに聞き返す。


 人族の判断基準で言えば、エルート族は容姿端麗な女性と眉目秀麗な男性の集まりのような種族だ。人族であるカルモラが、エルート族の女性を指して『女神』と呼んだとて特に変だとは感じない。


 そんな中にあって、ムリューが吹き出してしまうほど、グルミュリアという人物は女神と呼ばれるには程遠い存在なのだろうか、と三郎は不思議に思ったのだ。


「言うならば・・・常日頃から眠たそうな目をしていますね。剣や精霊魔法の実力は十分にあるのですが、表情と同様に『やる気があまり感じられない』人物なのですよ。根は真面目な人なのですがね」


 ムリューの代わりに、シトスが苦笑交じりに答えを返し「ですので」と続ける。


「魔人族が深き大森林に炎を放った時も、偵察隊の隊長の任を与えられて『責任が重すぎる。できれば、隊長はやりたくないのに』と、彼女は素直に口にしてしまうタイプなので、正直言って人族の命を助けて『女神』と思われていたとは、私も驚きを隠せないところではありましたね」


 シトスと三郎の雑談は、商業王国ドートの王カルモラについての話題であった。


 何故、カルモラ王の話になったのかと言うと、エルート族に相対する時のカルモラの態度が激変するのを、ずっと三郎が疑問に感じていたのが大きな理由だ。


 緩やかだが長い上り坂を頑張ってくれているクウィンスの話から始まり、馬車を引く輓獣の話題へと移り、軍馬の事が言葉の端にのぼると、三郎が「そういえばさ」と切り出したのだ。


 シトスやムリューも、最近になって知った話題であったので、馬車での時間を潰す良いさかなとなったのだった。


 シトスの話によれば、まだ無駄な肉も身体に付いていなかった若かりし頃のカルモラは、純利益を更に稼ぐため雇う傭兵の数を減らしてしまったのがそもそものきっかけだったのではないかと言う。


 カルモラ率いる商隊は、宿場町と宿場町の中間、深き大森林の程近くの街道をドートの首都へ向けて進んでいた。ちょうど昼も過ぎた時間帯であり、警備兵のいる前後の宿場町から一番遠くなる地点であった。


 傭兵の数を減らしたことで目を着けられていたのか、草陰に伏せていた十数名の野盗の襲撃にあい、カルモラ以外の者達は瞬く間にやられてしまった。


 カルモラは『こんな野盗に殺されてたまるか』と、ドートの法律で侵入を禁止されている深き大森林へと必死の思いで逃げ出した。どうせ殺されるなら、誇り高いと言われるエルート族のほうがましだとの思いもあったし、そもそもエルート族なんぞを目にしたことが無かったので『現れないのではないか』との考えも頭に浮かんでいたのだ。


 顔を見られた野盗達は、カルモラの後を追って深き大森林に足を踏み入れた。


 彼らは、各宿場町で堅気かたぎの生活に身を隠しつつ、獲物となる商人の品定めをしては、計画的に集まって野盗を働いている者達だったのだ。顔を見られた者に生きていられては困る。そのため、深き大森林だと分かっていてもカルモラを追いかけざるをえなかったのだ。


 木の根に足を取られたカルモラは、草の生い茂る地面に倒れ込んでしまった。手折られた草の香りが、土の匂いとともにカルモラの鼻孔に届く。


 野盗たちの上げる怒声は、カルモラの倒れている場所へと迷いなく近づいて来る様子だった。


(私の踏み倒した草の跡を追って・・・もう、おしまいだ)


 カルモラは、息も絶え絶えに強く目をつぶるしか出来なかった。立ち上がる力も出ないほど、疲労はピークを過ぎていたのだ。


「そこの若い人族、武器も持たずに追われているようですが」


 その時、静かな女性の声が耳の傍で聞こえた。


 突然のことに、カルモラは声のする方へと顔を上げる。


 長く美しい紫色の髪をした女性が、ちらりとカルモラを振り返って立っていた。薄っすらと開かれた輝く瞳に小さな鼻、唇は白い肌の上に咲く小さな花のように見えた。そして、髪からのぞく耳は人のそれよりもはるかに長かった。


「あ、うぁ・・・はっ、ぜはぁ!」


 カルモラは、乱れた呼吸と張り裂けそうなほど脈打つ心臓のせいで、上手く言葉を返すことができないでいた。


(エルート族。なんと・・・美しい)


 カルモラの目には、自分が野盗に追われていることすら一瞬忘れさせてしまう程、美しい容姿をしたエルート族の女性が映っていた。


 カルモラを追う野盗の声が「商人さんよぉ、観念して出てこいよぉ」と、下卑た笑いとともにだいぶ近くまできてしまっていた。


「あちらの口ぎたない声からは、酷く汚れた殺意のある響きがいたします。若い商人、貴方の声からは恐怖と生きたいという願い、そして我々エルートに対する敬意にも似た畏怖の響きが聴き取れます」


 そう言ったエルート族の女性は、すらりと剣を抜くと、野盗へむかって音もなく走り出した。


「そんな、一人でなんて!相手は何人もいるのですよ!」


 カルモラは、たまらずに悲鳴にも似た声を上げていた。カルモラの心配も虚しく、戦いの音が森の中を木霊して響く。


「なんということを、私はなんということを・・・」


 カルモラの口からは、その言葉だけが繰り返し呟かれていた。


(ああ、逃げ込まなければ良かった。あんな美しいエルート族が、私のせいで無残に斬られるなんて)


 カルモラは、立ち上がれぬまま、ただただ後悔の念にさいなまれてうずくまっていた。


「商人の若者よ、ドートとエルート族との約定、知らないわけでは無いでしょう」


 先ほどのエルート族の女性の声が、不意にカルモラへとかけられる。


 近づく気配すら感じていなかったため、カルモラは呆けた顔をして声の主を見上げた。そこには、先ほどと変わらぬいで立ちでこちらを見つめる女性の姿があった。


「ああ、よかった。ほんとうに、ほんとうに。約定は重々承知しています。本当に申し訳ないことを・・・」


 涙でぐしゃぐしゃになりながら、カルモラは女性の無事を心の底から喜んでいた。カルモラの人生において、純粋に祈るような思いをしたのは、おそらく後にも先にもこの一度きりだったのではないだろうか。


 エルート族の女性は、カルモラの声の響きから、約定を承知で賊達から逃げてきた商人なのだと理解していた。


「商人の若者、このまま森を立ち去るなら、命だけは奪わずにおきましょう。但し、二度と森へと踏み込まぬよう」


 エルートの女性は、若者が自分の無事を心の底から嬉しいと思っている響きを、その優れた聴力で聴きとってしまっていたのだった。


 商業王国ドートとエルート族の交わした不可侵の約定を破ったとはいえ、已むに已まれぬ状況であったのは言わずとも明らかだ。その上、純粋な感謝と敬意の響きのこもった言葉を口にする若者を、どうしても悪く扱えなかったのだ。


「早々に立ち去ることです」


 そう短く言い残すと、カルモラの横をすり抜け、女性は森の奥へと歩き出した。


「お名前を、どうかお名前だけでもお教えください。崇高なる森の民よ」


 女性が姿を消した森から、カルモラにだけ届く不思議な声が耳の近くで響いた。


『グルミュリア』


 カルモラは、祈りのように感謝の言葉を何度も森に向かって繰り返すのだった。


***


「まぁ、見目麗しいヒトに命を救われたら、女神に見えちゃうってのも、分からなくもない話しだよなぁ」


 三郎が、何かを誤魔化すように空中へ視線を漂わせながら、頭の後ろで手を組み合わせて言った。


 シトスは、ちらとトゥームへ視線を向けると「そうですか」と、三郎に優しい笑顔で返した。


「めが、女神なのですか。シャポーは、サブローさまの命をお守りしたみたいだったようなのですが、その時は、めが、めが、女神に見えちゃったりしたのでしょうか」


 いつの間にか本から顔を上げていたシャポーが、唐突にかみかみな口調で声を上げた。


 シャポーは、王政広場の戦闘で機巧槍兵から三郎の身を護った時、自分が女神に見えたのかどうかを聞きたかったのだ。


「お、おう。すっごく感謝してる。でも、何と言うか、女神と言うか・・・まぁ、神懸かみがかっていたとは思うよ」


「神!」


 シャポーは、目を爛々と輝かせて握り拳をつくる。


「女神まで、あと一歩ということなのですね。あと一歩、頑張るのです」


(うん、前向きで何よりだぁ。シャポーの奇声が怖かったのは言わずにおこう。本当、この旅は平和だなぁ)


 鼻息も荒く気合を入れるシャポーを、三郎はそっと見守ろうと決めるのだった。


 その時、シトスとムリューの表情が一変する。


「静かに!周囲を・・・二十?」


「・・・いえ、三十と少しと言ったところでしょうか」


 耳に意識を集中した二人が、小さな声で確認し合う。


 トゥームも気配を感じ取った様子で、椅子から腰を浮かせて剣をいつでも抜けるような体勢をとっていた。


 気付けば、馬車を牽引しているクウィンスが徐々に歩く速度を落としているのが、三郎の体に伝わってきていた。


「お?クウィンス、どうした」


「登りばかりで疲れちまったかな。少し休憩でもとるか」


 御者二人の交わす会話が、馬車の外から聞こえるだけで別段三郎には感じ取れる変化は無い。


 向かう道の先からは、商隊とおぼしき一団が近付いてきているだけだった。クウィンスとは違う種族の友獣ダグラが牽引している、よく見かける商人の馬車と馬に跨った護衛の傭兵からなる一団だ。


 友獣ダグラは、別名『腐肉食らい』とも呼ばれ、四つ足で歩く巨大なトカゲに体毛が生えたような姿をしている。頭部は硬い外骨格に覆われて丸みを帯び、その一撃は岩も砕くと言われている。


 友獣ワロワと同様に、知能の比較的高い獣なのだが、その食癖から古くは魔獣と考えられていた種だ。単に腐った肉を好むだけであることが解り、上等な腐肉さえ食べさせてもらえるのならば、友獣として人に対し友好的な種族だとされている。


 ダグラは牽引する力が強く、十分な腐肉さえ食べられれば満足して従ってくれるため、ドートの商人などが使用していることが多い友獣だ。ワロワよりも協力関係が単純明快なので、扱いが楽なのだろう。


 普段であれば、颯爽と横を通り過ぎるクウィンスが、商人の一団を観察するように見据えながら歩みを緩めて行く。


 その時、遠方から放たれた矢が鋭い風切り音とともに飛来し、馬車の幌に当たって「バインッ」という音を響かせた。


 三郎には、石か何かが当たったのだろうと勘違いするような音に聞こえたのだが、実際は馬車に向けて放たれた一本の矢が弾かれる音だった。


 矢が合図だったのか、商隊の一団から傭兵姿の男が一人歩み出る。


「そこの馬車、大人しくしろ!俺達は『正しき教え』の兵士だ!積み荷と金を置いて行ってもらおう!」


 クウィンスの歩みがほぼ止まりかけるかという時、男からがなるような大声が言い放たれた。


 そして、風や日差しよけ用の外套を投げ捨てた男の鎧には、教会のシンボルを上下逆さに画いた印が、左胸の部分に赤く描かれている。


 商隊を装っていた大きな馬車は、既に道を遮るかのように横向きに停められていた。


 三郎達を乗せた馬車が止まったのを確認し、遠巻きに潜んでいた者達が次々と姿を現す様子が、馬車の窓から三郎の目にも豆粒ほどの大きさで見えていた。


 恐らく、逃走されるのを防止するため広範囲に潜み取り囲んでいたのだろう。


 近付いて来る者達は、クロスボウや長槍といった武器を手に、徐々にその距離を縮めてきていた。


(え~っと、首都までは『正しき教え』の武装集団はいないはずじゃなかったっけ。というか、さっきまでのカルモラさんの話しと何だか重なるような気がしてるのは、俺だけかなぁ)


 宿場町と宿場町のほぼ中間、昼を少し過ぎた時間帯、突然降ってわいたような出来事であった。


 おっさんは、何気ない会話がフラグを立ててしまうという恐ろしさを、身をもって体験したのだった。

次回投稿は4月5日(日曜日)の夜に予定しています。

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