第133話 平和のかたち
「はいぃ?」
三郎の素っ頓狂な声が、酒場『清流の盃』に響き渡っていた。
「ぱあぁ?」
テーブルの上で、野菜にかじりついていたほのかが、三郎の真似をして楽しそうに声を上げる。
奇声とともに思わず立ち上がっていたため、周囲の注目が三郎へと集まっていた。三郎は一つ咳ばらいをすると、胸元で教会の印をつくり、こちらへ注目してしまった人々に対し愛想笑いを浮かべて頭を下げ、再び席に着くのだった。
「で、高教位ギレイルさんとやらは、なんで教会評価理事に対談を申し込んできちゃったりしてんすかね」
三郎は、表面上は冷静を装いながら、微かに震えている動揺隠しきれない声でカムライエに質問する。
三郎が変な声を上げるきっかけとなったのは、高教位ギレイルが何者であるのかという説明を聞いた後、カムライエが発した言葉が原因だった。
カムライエの掴んだ情報によれば、高教位を名乗るギレイルという男は、数十年ほど前、キャスールの教会へと足しげく通い『教え』について熱心に学んでいた若者の一人だったという。
ギレイルは、教会の司祭になることを目標に、非常に勤勉な青年であった。
彼は、卒業した学校での成績も優秀であったため、周りからは中央王都の教会本部で学ぶようになるのではとも囁かれており、自身もそのつもりでいたのだった。
だが、当時のキャスール教会の統括司祭は、ギレイルが教会所属となることについて許可を出さなかった。
それは、ギレイルが『教会の平和を重んずる尊き教えに準ぜぬ者は、罰を受けて当然だ』との言葉を繰り返していたことに起因する。
キャスール統括司祭は、あくまで最初の勇者が残した『教え』から、平和とは何であるかを人々に伝え続ける役割を担う組織であり、その思想を強要するものではないのだと、ギレイルに何度となく諭してきかせていた。
ギレイルのような勤勉で真面目な若者が、司祭ともなってくれればという思いもあった。だがそれ以上に、ギレイルに『教え』を誤って理解させないことこそが、教会司祭の務めであると強く考えていたのだ。
ならばなぜ、教会には軍隊ともいえる修道騎士や修練兵がいるのかと、ギレイルが声を荒げている様子を、当時キャスールの教会で働いていた者の数人が目にしていたともいう。
教会のあり方に対し懐疑的ともとれる言葉を口にするようになると、ギレイルの足はおのずとキャスール教会から遠のいてゆき、姿を現すことが無くなっていった。
数十年の歳月を経て、セチュバーの内乱に呼応するかのように『正しき教え』という勢力を率い、ギレイルの名が再び出てきたのだということだ。
教会本部がギレイルの存在を把握できなかったのは、司祭でもなければ教会勤めの者でもなかったがために、教会関係者の名簿等にその名が記録として残されていなかったのが理由であった。
そして、高教位を名乗るギレイルという件の男が、教会評価理事を名ばかりも承っている三郎との対談を申し入れてきていると、カムライエが締めくくるように言ったのだった。
「ご存知の通り我々の査察は、教会から公としてテスニスの調査に派遣された一団、と言うことになっています。正しき教えが、その情報を入手し、いずれかの行動を起こすのではないかとの予想はしていたのですが」
カムライエが示唆しているのは、首都までの道のりにおける、正しき教えの武力的な行使だった。その考えに基づき、カムライエは機能しているテスニス諜報機関の者達を集め、教会一行の旅の安全を優先すべく多くの人員を動かしている。
明日国境を越えてから首都までの数日間の道のりにおいて、正しき教えの武装集団がいないという情報も、テスニスの威信にかけて確度の高い情報だと胸を張って言えるほどなのだ。
カムライエが言葉の中で『と言うことになっています』と言ったのは、カムライエ自身が単なる案内役の政府関係者を装ったうえで、諜報機関の人間として裏からも調査を進めていることを含んでいる。
「この場合、罠ということも考えられますが」
シトスが、神妙な面持ちで言うと、グラスに注がれた果実酒を口へと運ぶ。
セルクニルバ地方では、葡萄の栽培が盛んにおこなわれており、甘みと酸味の程よく調和した上等な果実酒が比較的安価で提供されていた。
シトスやムリューは、森の恵みに香りが近いと感想をもらし、かなり気に入った様子であった。
「我々もそのように考え、裏を取るのと並行して、正式な親書を高教位ギレイルに送りました。査察を受け入れると理解してよいのかといった内容と、教会は囚われた修道騎士の安否確認もする旨であると伝える内容のものです。早々に回答があり『あくまで、教会評価理事殿であるならば歓迎する』と、直筆とおぼしき親書が返ってきました。護衛の者達も同道して構わないと」
そう言うと、カムライエもグラスに注がれていた飲み物で一度喉を潤した。
カムライエは、アルコールの入っていない飲み物を注文しており、食事の後も諜報機関の人間としての職務を遂行するであろうことがうかがえる。
「教会評価理事であるなら・・・と書いてあったのであれば、本当に査察を受け入れる気があるのかも。いえ、実際の目的は『対談』にあると思うわ」
話を聴き黙っていたトゥームが、顎に手を当てながら考えるようにして口を開いた。
「どういうことでしょう」
カムライエは、その根拠を尋ねる。
「ギレイルという男が『教え』を熱心に深く学んでいたのなら、教会評価理事の役目についても理解しているんじゃないかしら」
「えっと、確か中位司祭のミュレさんが、教会の根幹たる『教え』を十二分に理解し、教会の運営や行動など全てに対し適切な指摘と修正を行い、時には教会に対し苦言を呈するような役まわり、と言っていたアレなのですか」
トゥームの言葉に、シャポーが記憶を手繰るように続けると、トゥームは無言で頷いた。
話の当事者である三郎は、シャポーの記憶力を大したものだなと感心するだけで、当事者意識が完全に薄すぎる心持ちでいた。いや、正確に言い表すならば『他人事であってほしい』というのが本音なのである。
新興勢力を立ち上げた、それも少々過激なにおいのする勢力の代表者との対談なんぞ『したいですか』と聞かれれば、三郎は即答で『否』と答えたいところなのだ。
(まぁ、多分、この流れは俺の意思に関係なく進むな。預言者じゃないけど断言できる。はぁ、胃が痛くなりそう)
三郎の諦めを含んだため息に、シトスとムリューが顔を見合わせ一つ頷き合う。諦めの響きを聴いて『腹をくくった』のだと理解・・・誤認したのだった。
「高教位を名乗るギレイルという男は、教会の在り方に問題があると言って新興勢力を起こした。そこに、教会に物申せる肩書を持った人物が、査察で来るとなった場合、自分だったらどうするかしら」
トゥームは、全員の顔を確認しながら言う。
「シャポーだったらですね、話を聴いてくれそうな立場ある人に、自分の考えをぶつけたいと考えると思うのです」
シャポーは逡巡した後「んー」と唸りながら言った。
「確かに一理あると思います。護衛を容認してまでもということは、我々エルート族が共にいるのを知っているかは定かではありませんが、少なくとも修道騎士であるトゥームさんが一緒でも構わないと言っていることに他なりません。護衛の数も、制限するような文言は無かったのでは」
「ええ。ということは、そこまで譲歩してでも対談がしたいと」
シトスの考えに、カムライエは『罠』の可能性がぬぐい切れないといった口調で言葉をかえした。
「罠の可能性を考えるなら、話し合いが決裂した時だと思うな。その時こそ、三郎を連れて脱出しなきゃいけなくなるんじゃない」
ムリューが、ブドウの一粒を皿からもぎ取ると、美味しそうに口へ運んで言った。エルート族の世界ピアラタの物までとはいかないが、鮮度の高い野菜や果実は美味しいものである。
「そう、ですね」
カムライエは、額を人差し指の腹で何度も叩きながら、作戦を組み立てるように独り言を呟きはじめた。
「対談をするならばキャスール地方の太守の館か。いや、新興勢力の拠点とも考えられるか。こちらから条件を出し、対談場所を確定し、脱出経路まで考えておく必要が・・・協力者にも動いてもらう要請を、極力避けたいところではあるが・・・ふむ」
自分の思考から戻ったカムライエは、皆の顔を見回してから口を開いた。
「対談について、早々に承諾した意向を伝えれば、テスニス領内での旅が非常に安全なものになると考えられます。少なくとも、テスニス首都までの安全は高くなるでしょう。キャスールの町の詳細な地図、主要な館の間取り図など、要と思われる情報を集めねばならなくなりましたので、私はこれにて席を外そうかと思います。何か他に、聞いておかなければならない事などありますか」
一人一人と目を合わせ、カムライエは「では」と言って席を立った。三郎の顔が妙に無表情だったのを見て(三郎殿はこれからの対談に向けて、すでに色々と考えを巡らせているのだろう。流石です)と思いながら、カムライエは店を後にするのだった。
(聞いておかなければいけないこと・・・ありますよね、本人の意思確認という重要事項。俺、変な声上げて恥ずかしい思いしただけなんですけど)
三郎の心の叫びは、空しく胸の奥でこだまするのみであった。
***
お腹の満たされたシャポーが、眠たそうにしはじめたのを見て、シトスとムリューは、シャポーを連れて先に宿に戻っておくと言い残して店を出ていた。
ほのかは、何時もの特等席であるシャポーのフードの中ですやすやと眠りに落ちていたので、そのまま一緒に連れていかれたのだった。
シトスとムリューも、人族の酒場の喧騒を聞き続けて疲れてしまったのかもしれないなと、三郎はなんとはなしに考えていた。
酒に酔った人族は、大きな声であることないことを口にする。大した嘘ではないにせよ、エルート族の耳には偽りの不快な響きとして届いていたはずだ。
「よく、シトスとムリューも付き合ってくれるよな。頭が下がるよ」
グラスの酒に口を着けながら、三郎は独り言のように呟く。
「そうね。エルート族にとって人族の酒場は、あまり居心地のいい場所ではないかもしれないわね」
三郎の呟きの意図をくみ、答えをかえしたのはトゥームだった。
トゥームは、三郎の向かいに座って店の中の様子に目を向けていた。その眼は、言葉の内容とは違い、やさし気に細められている様に見える。
「トゥームは、こういった酒場の雰囲気は、嫌いじゃないのか」
トゥームの横顔を見ながら、三郎は意外だとでも言いたげな口調でいった。
「酒場が好き・・・とは言わないけれど、一時の平和の形なんだなって考えると、ずっと続けば良いとは感じるわね」
トゥームの答えに、三郎は「ふーん」と鼻を鳴らして、窓の外へと目を向けた。
外は既に暗く、巡回の兵士であろう者の姿が遠くを歩いているのが見えた。
「セチュバーはさ、本気で中央王都を奪って、クレタス全土を統治するつもりだったんだなって思うんだよな」
「突然、どうしたのよ」
三郎の唐突な言葉に、トゥームは真意を測りかねて首を傾ける。
「平和の形ってさっき言ってたろ。中央王都からセルクニルバまで、何か所も宿場町を通って来たけど、どこも略奪されたり破壊された様子が無かったなと思ってな。いや、兵士だって尊い命に変わりないんだから、奪って良い道理なんてないんだけどさ・・・」
「正直、大きな戦争なんて初めてだから分からないけど、五百年前の戦争では、人々は無意味に奪い殺され、家や土地は荒らされたと教えられたわね」
「人や土地が無事なら、元気に元に戻るのもはやいからな。できることなら、テスニスでは血を流さずにすめばいいなと思ってさ」
そう言って、三郎は残っていた酒を喉の奥に流し込むと「俺達もそろそろもどりますか」と言って席を立った。
「人や土地が無事なら・・・」
三郎の言葉を小さく繰り返し、トゥームは三郎の背中を見つめていた。
三郎という人物は、どんな世界でどんな考え方をして生きてきたのだろう。ふと、そんな思いが心の中でわくのを、トゥームは感じていたのだった。
次回投稿は3月29日(日曜日)の夜に予定しています。




