第131話 セチュバーの異変
守衛国家セチュバーの宰相メドアズは、不可解な状況を整理するため、思考をめぐらせ窓の外へと視線を向ける。
中央王都より撤退したセチュバー軍は、第一門要塞と呼ばれるセチュバー領内の砦に集結していた。
セチュバーやテスニスの国境付近にまで、中央王都やグレータエルート族の斥候が偵察に来ているとの報告は入っていたが、いまだセチュバーへの進軍が開始されたという情報は、メドアズには入ってきていなかった。
恐らく、トリア要塞国の増援を待つつもりなのだろうと、メドアズはその動向を読んでいた。
メドアズの執務室は、有事の際に司令官が使用するためにと、平時から常に準備のされている最上階の部屋だ。
メドアズは、眼下に広がる要塞の中広場で、きたる戦いに備えて訓練を行っている自軍の動きを、どこに注目するでもなく目で追っていた。
この険しい峡谷を利用してつくられた巨大な要塞は、門であり壁であり城でもある。
国境からセチュバー本国まで、険しい地形を利用してつくられた要塞は、実に十一を数える。
侵略者の洞窟から魔人族がクレタスへと攻めてきた際には、進行を阻止する役割を十分に果たすよう設計されており、強大な魔力を持つ魔人族であっても、セチュバー領内から出ることすら容易ではないだろう。
言い換えれば、クレタス内部からもセチュバー本国は攻め難い国であると言える。
十一の拠点は、洞窟を利用したものや、谷あいにかかる橋としての機能を有する要塞など、地形によって多種多様な特徴をもっているのだ。
第一門要塞は、その中でも一般的な城壁や城門に近い造りをしている。クレタス内部への侵略を食い止めるセチュバー最後の砦であるため、セチュバー以外の諸国兵士でも防衛できるようにと考えられたのが理由だった。
例えば、洞窟内の砦に諸国の兵士達が配備された場合、統制のとれた指揮と防衛が行えるかと問われれば、答えは「否」である。
日ごろの訓練があって初めて、建築物は要害としての機能を十分に果たすことができるのだ。
その点を考慮すれば、第一門要塞は、クレタス諸国の軍から『攻めやすい』とも言えなくはない。一般的な城攻めと大差なく、戦略も立てやすいことだろう。
メドアズは、この門要塞での長期的な防衛を考えてはいない。戦闘が始まり、外門が打ち破られれば、即座に第二の要塞へと撤退することを、全軍に通達していた。
中央王都と諸国の軍が合流すれば、その数は残っているセチュバー軍の何倍にもなる。メドアズは十一の要所を使い、戦う戦略を既に頭の中でたてていた。
第一の門要塞において、下手に籠城して戦力を減らすのは好ましくないと考えている。
だが、メドアズが『不可解』だと考えていたのは全く別のところにあった。
それは、セチュバー本国との連絡がつかない、という決して公言できない重要事項であった。
大地の情報網が、魔力によって遮断されているといったものではなく、単純に『応答がない』のだ。
本国の家族と連絡がつかなくなったという兵士も出てきており、調査するため待つようにと厳命してはいるものの、不安の空気は徐々に広がりをみせている。
(情報網の遮断魔法を改編した物だと考えた場合、魔力干渉のないゲージの反応から可能性は低い。それに、あの男が遮断の魔法を開発したとはいえ、行使するのはセチュバーの魔導師だ。誠実であるセチュバーの民が、なにも応答しないとは思えない。では、魔人族の侵攻か。それこそ、私に報告が上げられるだろうし、十一番の要塞は無事であるとの確認がとれている。本国で何が起こっているのか)
腕を組み微動だにしないまま、メドアズは常人の倍以上の速度で、起こりうる可能性を模索していた。
「メドアズさま、さっきからずーっと考え事ばかりしてて、なんだかつまんなーい」
部屋のソファに寝そべっている少女が、首だけを動かしメドアズの背中へ言った。
だが、メドアズは窓外へ視線を向けたまま、少女の声に反応をすることはない。
「クスカ、だめだよ。メドアズさまの考え事の邪魔しちゃ。メドアズさまの一秒の思考が、わたし達の命を左右することだってあるんだから」
「えー、でもカカンだってつまらなそうな顔してるじゃん。せっかくカカンの入れた紅茶も冷めちゃうよ」
クスカと呼ばれた少女は、自分と寸分たがわぬ容姿をしたカカンに言うと、テーブルに置かれているクッキーを一枚手でつかんで口へ放った。
このクッキーも、カカンの作った手作りだ。クスカがこの世で好きなお菓子の一つである。
長い薄紫色の髪をツインにまとめた二人は、見慣れていない者からすれば鏡の様にそっくりな双子の姉妹だ。軍施設である堅実さの感じられる司令官の部屋で、双子の姉妹は迷い込んでしまった者のように浮いた存在に見える。
兵士や軍所属の事務官の着用する服装とは違い、所々にフリルのついたカラフルなドレスを着ているのも、浮いた存在たらしめている要因だった。
メドアズが、軍の所属であることが分かるよう身に着けておけと渡した腕章も、彼女たちはレース地などを付けて可愛らしくアレンジしてしまっている。
メドアズの性格から考えて、他の者が見たら二人の態度を許すとは到底考えつかないだろう。だが、それをメドアズに許させる・・・と言うより、放置させるだけの能力が、この二人にはあるのだ。
見た目からは想像できないが、双子の姉妹はセチュバー魔導師団の副団長を務めている二人なのである。
中央王都から多くのセチュバー兵が撤退に成功できたのも、両翼の軍を双子姉妹が魔法で援護しながら指揮をとった結果だとも言えた。
「冷めちゃったら、また入れればいいから。ほらクスカ、司令官室なんだから、きちんと座ってないとだめだよ。誰か来たら、メドアズさまの威厳に関わるよ」
「カカンってば、誰か用があるんならノックくらいするわよ。そしたら、座りなおせばいいでしょ。突然扉を開けるなんて、それこそメドアズさまに失礼って感じじゃない」
二人の会話を余所に、メドアズは、十一の砦での動きと本国との連絡が何時とれるのかを、反芻するかのように脳内でシミュレートするのだった。
「メノーツが居たら『めっ』て叱られちゃうよ」
「メノーツは、たれ目で優しそうだけど、怒ると鬼ババみたいに怖いもんね。軍の男の人達は、メノーツが怒ったところを見たことないから『理想の上官だ』とか言って鼻の下を、びよーんってのばしちゃうんだよ」
クスカが笑いながら、鼻の下を伸ばした表情をつくる。
「クスカったら、鬼ババなんて言ってるの聞かれたら、私まで一緒に怒られちゃう」
カカンが、困った表情をしてクスカを注意した瞬間、司令官室の扉がばたんと音を立てて開いた。
驚いたクスカが、ソファから飛び起きると姿勢をぴんとして座りなおした。
「は~い、おにばばなんて言ってるのは、どこの誰ちゃん達なのかなぁ?わたしのカワイイ部下の二人が、言う分けないとは思うんだけどなー」
満面の笑みを浮かべ、ノックもせずに両開きの扉を押し開けて入室してきた人物が言った。
セチュバーの軍服に身を固め、胸元には魔導師団の師団長である紋章が刺繍されている。
「「あ、メノーツだ。おかえりー」」
「ただいまー」
何事もなかったかのように挨拶を送る双子に、メノーツも何事もなかったかのように笑顔で返事を返す。
「メノーツ師団長。人選は終わったのか」
窓から振り返ったメドアズは、三人の態度を気にした様子もなくメノーツに進捗を確認した。
「はっ!魔導師団から二名と斥候隊より三名を選び、セチュバー本国の状況確認へと向かわせました。作戦人員及び、定時連絡などはこちらの通りとなっております」
メノーツは、表情と態度を引き締めると、手に持った書類をメドアズに手渡して一歩下がる。
上質な魔獣の皮で造られた皮紙は、劣化しにくいことから大切な公文書に使われる。メドアズは、指なじみの良い獣皮紙をめくって、素早くすべての文章に目を通すと、メノーツに書類を戻した。
「問題ないだろう。仕事が早くて助かる。セチュバー本国の状況に応じて、作戦は変更してゆく。心しておいてくれ」
「はっ!」
書類をわきへと抱えなおし、メノーツは敬礼をかえした。
「メノーツってば、かったーい」
「報告の時だけ、ぴしっとしてかっこよくなるね」
クスカはクッキーを頬張りながら言い、カカンは憧れのような視線を向けて言った。
「で~?カカンとクスカのどっちが『おにばば』なんて言ったのかなー?それに、公と私を分けられるのは、いい女の秘訣なんだからねー」
笑顔で振り返ったメノーツの眉は、怒りの形をつくっていた。
「クスカだよ」
「あ、カカンの裏切りものー。カカンだって思ってるくせにー」
「思ってても、言ってないもん」
「そっかー。二人とも思ってるんだーふふふ」
「「あっ」」
笑顔で近付くメノーツに、カカンとクスカはしまったという表情で顔を見合わせた。
「じゃぁ、わたしにも紅茶を入れてくれたら、許してあげようかしら」
「いれるいれる。座って座って」
「ほら、カカンの焼いたクッキーもあるのよ。食べて食べて」
メドアズは、わいのわいのと騒いでいる三人に、諦めたような表情で首を振ると、執務用の椅子にどさりと腰を落とした。
セチュバーの若き王バドキンという柱を失い、中央王都の撤退からここまで、メドアズは慌ただしい時を過ごしてきたのだ。
新たに浮上した、本国との連絡がとれないという事実にも向き合わなければならない。
「すまないがお前達、休憩なら他でとってくれないか。私は、今後のことを考えておかねばならないからな」
立ち止まっている時間は無いのだ。心の中でそう言い聞かせる様にして、メドアズは上体をあずけていた背もたれから身体を起こす。
「メドアズ様」
メノーツが、そっとメドアズの名を呼んだ。
「どうした?」
手元の書類へ向けようとしていた視線を上げ、メドアズはメノーツを見る。
「一時の休憩も、正しき答えの導きとなる時がありますよ。思考の円環を一度断ち切るのも、大切なことでは?」
メノーツの言葉は、技研国カルバリにある魔導研究院で教えられる魔導師特有の言い回しだった。
悪い思考の循環はもとより、答えの出ない物事を考え続けてしまうのを一度停止することで、心身ともに落ち着いた状態を取り戻して、思考を好転させる機会をつくるという意味の言葉だ。
カカンとクスカの双子姉妹は、魔導研究院で戦闘用の魔法ばかりを好んで実験しては、怪我人を増やしていたために、研究院の講師から『そんなに戦闘が好きならセチュバーにでも行け』と言われたのが理由でセチュバー魔導師団に在籍している。
メノーツは、魔導研究院でも数年に一人の天才と言われていたメドアズに憧れて、セチュバーの地を踏んだ一人だ。
言うなれば、メノーツ含め双子姉妹の三人は、メドアズの魔道研究院でいうところの後輩に当たる者達なのだ。
心配そうな視線を向けてくるカカンと、無表情に見つめて来るクスカとも視線が合い、メドアズは自分が心配されているのだと気付かされた。
「そうだな、悪い思考に入っている可能性も考えられる・・・か。紅茶の香りで脳を休ませるような、リラックスする効果もあると聞くからな」
メドアズは、なんのかんのと理由をならべながらも、執務用の椅子から立ち上がるのだった。
次回投稿は3月15日(日曜日)の夜に予定しています。




