第12話 勇者っぽい行動
魔獣は、少ない脳みそを使って、今自分が何をすべきか考えていた。
目の前には、何とも美味そうな少女が立っている。今まで戦っていた人間の雌も、なかなかに美味そうではあったが、魔力の匂いに少々癖があるのを感じていた。
魔力が強くなり、嗅覚も鋭くなった自分には、あの匂いはどうにも鼻につくのだ。
だが見てみろ、目の前の少女は、噛めば骨まで柔らかそうで、食べてくださいと言わんばかりの香りを放っているではないか。自分の食欲を、今までに無いほど満たしてくれるだろう。
すぐにでも後ろを振り返り、あの面倒な雌の背中を引き裂かなければならない。その後、ゆっくりこの少女を食らえばいいか。
いやいやまてまて、仲間が入ってきて、この美味そうな獲物を横取りされたら、たまったものではない。
そうだ、さっさと食らってしまえばいいのだ。簡単な事だ。自分の大きな口で咥えてしまえば、誰にも取られる事は無い。
少女が胸に抱えているアレは、人間の使う硬い棒だ。口の中に刺さったら、折角の味わいが半減してしまう。
前足で押さえつけてアレを取り除けば、最高のご馳走になる。そうしよう。
立ち尽くす少女に、魔獣は襲いかからんと姿勢を低くする。口からは、涎が溢れて地面にしたたり落ちた。
ラルカは、自分の体がなぜ動かないのか、理解できていなかった。
トゥームの後を追って、ラルカは教会を出てから必死に走ってきた。何度か立ち止まりそうになったが、戦いに赴いたトゥームを手伝いたいという一心が、ラルカを前進させたのだ。
戦いの音がラルカの耳にも聞こえ始め、遠目ではあったが、西門でトゥームらしき人影と魔獣の戦っている様子が見えるまでに迫った矢先、ラルカの目の前に大きな魔獣が現れた。
ラルカは見た事もない獣だったが、魔獣は魔獣である。人々に被害が出る前に倒すべきモノだ。
無意識にブロードソードを抱える腕に力が入り、大きな魔獣を見上げると、ラルカの動きは、そこでぴたりと止まってしまった。
(剣を抜かなきゃ。剣を抜いて、戦わなきゃ)
ラルカは、心の中で何度も自分に言い聞かせるが、腕は剣を抱きしめたまま動いてくれない。
全力で走ってきた為、荒い呼吸をついているはずなのだが、ラルカの呼吸はみるみる浅く速くなり、息苦しい物へと変わってゆく。
魔獣が身をかがめ、襲いかかって来ようとしているのが分かった途端に、ラルカは自分が恐怖のあまり動けないのだと理解した。
学校の剣術教練や、教会で剣の練習をトゥームに見てもらった時にも、ラルカは剣の筋が良いと褒められていた。だから、両親の命を魔獣に奪われた頃の、何も出来なかった自分ではないのだと、そう考えて教会を飛び出したはずだった。
「ひっ・・・ぃっ・・・」
魔獣の目が、ラルカの目線と同じ高さまで低くなった。数歩ほど距離は離れているが、魔獣の体躯からすれば、ひと蹴りするだけでラルカに爪が届くことは想像に難くない。
ラルカの目が、魔獣の踏み出す姿を捕らえたのと同時に、視界が真っ暗な闇に覆われた。そして、全身に大きな塊がぶつかる様な衝撃を受ける。
「ラル・・・っがぁぁぁ」
ここ数ヶ月で聞きなれた声と、何かが引き裂かれる様な、3年近く耳から離れなかった音が同時にラルカの耳に流れ込んできた。そして、ぶつかってきた塊といっしょに地面に叩き付けられた。
ラルカは、魔獣の爪によって自分は引き裂かれたのだろうかと思ったのだが、体に痛みを感じない。それに、強く優しく抱きしめられている感触が、全身に伝わってきた。
ラルカが瞑っていた目を開くと、見慣れた顔が苦しそうに歪んでいるのが目に飛び込んできた。その口から、痛みに耐えるような呻きが微かにもれている。
「サブ、ロー、さん」
ラルカは、その相手の名前を口にした途端、くしゃりと表情を崩した。
トゥームはラルカの名を叫んで、すぐにも助けに行こうとした。だが、トゥームの意識がラルカへ向くと同時に、門の外にいた魔獣が攻撃に加わり、3匹からの猛攻を凌ぐので手一杯となってしまった。
「くぅっ」
何とか魔獣の攻撃の合間を縫い、ラルカの様子を確認したトゥームだったが、その目には更に信じられない光景が飛び込んできた。
ラルカに襲い掛かる魔獣の後姿と、足をもつれさせながらも、そこへ割って入ろうとする三郎の姿が見えたのだ。
その刹那、トゥームは無意識の内に体内魔力を操作し、自分の脳へ魔力を流し込んでいた。脳へのリスクなど考える暇も無く、ラルカと三郎の危機に対応しようと全てが動き出す。
トゥームへ向けて前足を振り下ろした魔獣が、唐突に突き飛ばされ、もう1匹の魔獣を巻き込みながら西門の外へ押し出された。
残された魔獣は、危険を察知し、トゥームから大きく飛び退く。
できた隙をついて、トゥームはラルカと三郎に襲い掛かった魔獣の背中へ向けて、猛然と駆けた。その場にいた全ての者の目に、トゥームの姿が一瞬消えたかのように映った事だろう。
次の瞬間、魔獣の上げた断末魔の叫びと、3つに分断された魔獣であった物がそこにあった。その横で、片膝をつき全身で荒い呼吸をするトゥームが、ラルカと三郎の様子を確認しようと、2人に視線を向けていた。
三郎は、魔獣とラルカの間に割って入り、左肩を魔獣の爪で深く傷つけられていた。その痛みに耐えながらも、ラルカを魔獣に傷つけさせまいと、必死に三郎の体の下になるよう抱きかかえていた。
しかし、突然その魔獣の方向から凄まじい音がしたため、片目を必死に開いてそちらを確認した。首を動かすと左肩の痛みが増し、全身から脂汗が噴出すかのようだった。
三郎の痛みに霞む視線の先に、必死な表情をしたトゥームが、こちらの様子を窺っている姿が映った。トゥームが見えた事で、三郎は自分達の安全が確保されたのだと安心する事ができた。
三郎は、トゥームに無事である事を知らせないといけない気がして、右手の親指を立てて見せようと、弱々しくも右腕を持ち上げた。声を出すには、痛みが勝ちすぎていた。
トゥームは、もぞもぞと動いている三郎の様子に、幾分かほっとした表情を浮かべると、2人に近づくために立ち上がる。三郎とラルカが動ける状態ならば、安全な場所へ移動させねばならないと考えたからだ。
今までに経験した事もない痛みの為、見れた顔をしてないだろうなと、三郎は頭の片隅で考えながら、トゥームへ向けて親指を立てようとした。だが、トゥームの姿の更に向こう側の光景が、三郎の目に映った。
いかにもへっぴり腰な警備兵達に、魔獣が襲いかかろうとしている光景だ。警備兵の中には、恐怖のあまり尻もちをついてしまっている者さえいる。
三郎は咄嗟に、人差し指でその方向を指し示すと、力の限り叫んだ。
「トゥーム、護れぇ!」
教会で、スルクロークがトゥームに言った『護る事を許す』というフレーズが、三郎の頭に残っていたため咄嗟に出た言葉だった。
その言葉に反応するかのように、トゥームは反転すると、警備兵へ襲い掛かろうと身構えている魔獣へ向けて駆け出した。
叫んだ事で、痛みが我慢の限界をこえてしまったのか、三郎の頭に霧がかかったようになってゆく。
三郎は、消え入りそうな思考の中、ふと思いついた事があった。自分は今、何だか勇者っぽい行動をとったのではないだろうか、と。
そして、こちらの世界に来てから、たまに出している高熱の前兆を感じながら、意識が遠のいていった。
三郎の体の下から、ラルカのか細くも心配する声が聞こえた気がした。
トゥームは魔獣へ向かいながら、三郎の言葉に即応した自分に少なからず驚いていた。だが、納得のいく答えはすぐに出てきた。
三郎は『迷い人』と書き記されていた人物であり、トゥームが幼少から学んで来た『教え』の中にでてくる、勇者と出所を同じくする人物だ。
そんな三郎に護れと言われれば、体が反応するのは当然なのだと理解できた。そして、嫌な気分がしていない事にも気がついていた。
ここまで無理を押し通して戦ってきたトゥームの体は、反応が鈍ってきてはいるものの、三郎に『護れ』と言われたことで気力だけは甦っていた。
数歩の距離まで魔獣に迫る。魔獣は、簡単に狩れそうな、転んでしまっている警備兵に意識が集中しており、トゥームの接近に反応していなかった。
10匹も居た仲間が、たった1人の人間の雌に良い様に狩られて、怒りが溜まっていたのだろう。その魔獣は、憂さ晴らしに良さそうな弱い人間を見つけた喜びに、トゥームの存在を、ほんの一瞬だけ失念してしまったのだ。
その一瞬が、命取りとなった。
警備兵に襲い掛ろうとした魔獣の首元に、修道の槍が深々と突き刺さった。十分な助走の乗った槍は、勢いに任せて魔獣の首を、ねじり斬る様に跳ね飛ばした。トゥームは棒高跳びの要領で槍を操ると、魔獣の体を飛び越えて着地する。
ねじ切られた魔獣の頭部が、腰を抜かしている警備兵の前に、重たい音を立てて落下した。警備兵は「ひっ」と引きつった声を上げ、斬られた部分から飛び散る鮮血を全身に浴びてしまうのだった。
トゥームはそんな様子を尻目に、門の外へ突き飛ばされた2匹が戻って来ている方へ、時間を惜しむかのように意識を向ける。
早々に、残りの魔獣を処理しなければならなくなったのだ。三郎の怪我を診なければならないし、ラルカだって怪我をしていないとは限らない。
トゥームに突き飛ばされた魔獣だろうか、前足を痛めた様に門の中へ入ってきた。もう1匹は、特にどこかを痛めた様子もない。
そしてトゥームは、視界の隅で、漁師達が手負いの魔獣に止めを刺し終わった事も把握していた。漁師達は、再度侵入してきた2匹を迎え撃たんとして、トゥームと同じように門へ向かっている。
トゥームは迷わず、体を痛めていない魔獣へ狙いを定め、攻撃を仕掛けた。トゥームの動きを察知した班長のラオは、足を引きずっている魔獣を引き付けるよう、漁師達へ指示を飛ばす。
1対1の状況となり、トゥームが魔獣を追い詰めるのは速かった。
魔獣の飛び退いた先、動く先へとトゥームは攻撃を仕掛ける。戦況を支配し、主導権を握るのが大切だと、頭で理解していない魔獣は徐々に後手に回り、苛立ちばかりが募ってゆく。
そして、我慢しきれなくなった魔獣は、遮二無二トゥームへ大口を開けて飛び掛った。
トゥームは、修道の槍の長い柄を脇に挟み、一歩踏み出すと大地に両足を踏ん張り、魔獣の顔に向けて槍を横一線に振り切った。修道の槍へ自分の魔力をのせて、破壊力を高くした斬撃だ。
魔獣の体が、斬撃の勢いによって空中で一度停止する。上顎と下顎が首元まで分断された魔獣は、すでに絶命しており、そのまま垂直に地面に落ちた。
返り血を浴びる間もなく、トゥームは漁師達が引き付けている魔獣へ向かって走り出していた。
2人の漁師が、魔獣の攻撃を受けてしまい傷を負っているようだが、ラオが上手く指揮をとり死者は出ていなかった。
トゥームは、ラオが注意を引きつけた隙をついて、魔獣の後ろ足へと斬撃をあびせかけた。
突然走った痛みに、魔獣が大きく後ろを振り返ると、ラオが自分の持ている曲刀を魔獣へ向けて真っ直ぐに投げた。
漁師達の愛用する、切れ味に特化した曲刀は、魔獣の硬い体毛を縫うように滑り込み、耳の裏へ突き刺さる。
魔獣は堪らずに、前足を使って剣を払い落とそうとした。だが、その行動が大きな隙を作ってしまい、トゥームの槍が魔獣の心臓へ深々と突き立てられた。
トゥームは、突きの手ごたえから魔獣の絶命を確信し槍を手放すと、三郎とラルカの元へと急ぐ。
魔力が枯渇しかけているのか、体は重く、節々に鈍い痛みが生じていた。
次回投降は、11月19日(日曜日)の夜に予定しております。




