第128話 気になる前髪
王城の脈動を受け、全ての者の視線が、王座に座る中央王都国王クレタリムデ十二世へと集まっていた。
三郎も、周囲の視線の先を追うように、勇者テルキから王座の方へと目をうつす。
クレタリムデ十二世は、側近の者から、宴の間中央で起こっていたことの詳細について報告を受けている様子で、側近の者の言葉に何度も頷いていた。こころなしか、報告している側近や国王の表情に、緊張した空気がただよっている。
だが、三郎の注意を引いたのはそこでは無かった。
クレタリムデ十二世の横に、巨大な本が浮かび上がっていたのだ。
大きさは、座っている国王の上半身を優に超えている。分厚い背表紙や表紙には、大きな宝石を中心とした美しい装丁が施されていた。
魔術の心得の有る者には、高度な術式が施されているのが明らかに解るであろう。
魔力の流れを見ることのできない三郎ですら、強い力が宿っている物なのだと、肌で感じられるようだった。
しかし、その巨大で存在感のある物体は、この世のものではないかのように薄らいで見える。
「あれは、侵されざる王典と呼ばれる『タムリファント・ローテン』で間違いないと思うのです。所在については、国王以外誰も知らないといわれているのですよ。中央王都の王様がご即位される儀式で、その姿を表し、次代の国王を承認すると本で読んだことがありますけど、なんで今タムリファント・ローテンが顕現しているのでしょう」
三郎の背後に、ぴたりと張り付いていたシャポーが顔だけ出して確認すると、小さな声で説明した。
「どうしたんだろうね。王様の周りも、何だか慌ただしそうだし」
「ですですね」
シャポーは、三郎の疑問に何度も頷いて相槌をかえす。
そんなやり取りをしている二人の声を聴いて、勇者テルキへと意識を向けているトゥームも、一瞬だけ王座へとちらりと視線を向けた。
王典が顕現し、周囲がざわめきを強める中、トゥームは勇者テルキから注意をそらせずにいた。
なぜなら、勇者テルキは周りの変化にもかかわらず、口を真一文字に引き結んだ険しい表情で三郎とトゥームを見据えていたからだ。
「ひゃっ」
更に、王典についての補足をしようと口を開きかけたシャポーが、小さな悲鳴を上げて顔を引っ込めた。
三郎達の方向を向いている勇者テルキと、目が合ってしまったのだ。
「静粛に。静粛に」
内務省長官が、咳ばらいをした後、王座のすえられている台の上から会場に声を響かせた。
王座の両脇には、中央政府の高官が立ち並び、人々へ向かって一列に整列している。物々しい空気が、宴の間に流れた。
「これより、クレタリムデ十二世陛下より、王典タムリファント・ローテンの顕現について、御言葉を賜ります。静粛に」
その声に、勇者テルキは表情を変えることもなく、何なのだとでも言いたげな態度で王座へと振り返った。
「仔細については、この者達から聞いたところである」
クレタリムデ十二世は、立ち上がると両脇に並ぶ者達を手で指し示しながら言葉を発した。
三郎は、王の表情から、緊急の議会で見せていた弱々し気なものとは違った、少しばかり自信に満ちた雰囲気を感じ取る。
「王典タムリファント・ローテンの顕現は、王より与えられし名を持つヤカスの誓いを、その者の偽りなき言葉による正式な誓いであると承認したものである」
威厳と呼ぶには弱いながらも、クレタリムデ十二世の迷いのない言葉が告げられてゆく。
広間に居並ぶ者達から、大きなどよめきがわき起こったが、王は片手を上げて静めさせた。
クレタリムデ十二世は、一歩前に踏み出し、浮かんでいるタムリファント・ローテンに手を添える。
(あ、その半透明な本って、触れるんだ。幻影みたいなものじゃないのか。でも、やっぱり透けてるよな、不思議だ)
三郎が、ふとわいた疑問を考えている中、クレタリムデ十二世は言葉をつづけた。
「よって、中央王都において、何人たりとも修道騎士トゥーム・ヤカス・カスパードの誓いを侵害すること、ここに禁ずる」
クレタリムデ十二世の宣言を肯定するかのように、侵されざる王典『タムリファント・ローテン』は、音もなくその姿を消滅させるのだった。
国王は、自身の言葉に間違いがなかったと安堵するかのように、微かな満足の表情を浮かべて王座へと腰を戻した。
「どういうことだよ。俺が、理事さんと戦うなら、トゥームさんと戦わなきゃいけないってことなのか・・・」
「いえ、仮にあなたがトゥームさんに勝つことがあったとしても、トゥームさんがサブローさんへとたてた誓いを、誰も邪魔することはできない。という意味でしょう」
囁くように呟いたテルキの声に、ケータソシアが答えた。
「なんでだよ。勇者が必要だって言ってるんだぞ。王典だか何だかってのは、そんなに凄い物なのかよ」
振り向きざま、テルキの言った言葉に、中央政府の人間は口を出すことが出来なかった。
王典という順守すべきものと、勇者という存在との板挟みになってしまうからだ。
だが、そこに一人の騎士が姿を現した。
「王典タムリファント・ローテンとは、国の在り方や方針であり、我々の法とも言えるものだと教えられています。それに、例え王典の承認なくしても、騎士の誓いとは軽々しく曲げることのできるものではありません」
「スビルバナンさん」
テルキへと向かって歩いて来るのは、王国の剣騎士団の騎士団長スビルバナンだった。
勇者として召喚されてから、テルキに剣を教えていたのは王国の剣騎士団であり、スビルバナンは、テルキの剣の師匠といっても良いくらいの人物なのだ。
王都奪還の戦を越え、スビルバナンの表情は、騎士の持つ特有の威厳が増したように、三郎には感じられた。
スビルバナンは、三郎へ向けて敬意のこもった一礼を送ると、再びテルキへ向き直る。
「勇者テルキ殿、国にも守るべき規則があるのです。勇者殿といえど、そこはお守りいただかねばなりません」
テルキの前に片膝をつき、スビルバナンは見上げるようにしてテルキへ語る。
「王典とは、凱旋王ヴィーヴィアス様と最初の勇者様とが、クレタスが良き国であるようにとおつくりになった大切なものだと、我が父より聞かされております。テルキ殿におかれまして、王典を無下に言われますことは、どうかご容赦願いたい」
スビルバナンの言葉で、テルキは失礼な発言をしたことに気付かされ、冷静さを取り戻してゆく。
「あ、すみ、ません。言葉が、過ぎました」
「我が騎士団や関係機関より、優秀な者達をテルキ殿の従者として選び出すことをお約束します。なので、この場は私の顔を立ててくださいませんか」
そう言ってスビルバナンは、深く頭を下げた。
スビルバナンの後に付き従っていた数名の騎士も、ざっという音を立て、テルキに向かって片膝を着く。
「ス、スビルバナンさん、顔を、顔を上げてください。騎士として名誉なことだって聞いてたから、従者にと思ったまでで、俺が変にむきになりすぎてました。従者についてはお願いしますので、どうか立ちあがってください」
テルキの言葉を受け、一糸乱れぬ動きで王国の剣騎士団の者達は立ち上がった。
「勇者殿を前列へお送りし、国王陛下より閉会のお言葉を賜るよう、内務省長官へお伝えしろ」
スビルバナンが指示を飛ばすと、数名の騎士が「はっ」と声を上げ、勇者を誘って行く。
(何だか、スビルバナン騎士団長は、戦いを経験してすごみが増した感じがするなぁ)
その様子を見送っていた三郎のもとへ、スビルバナンが近づいてきた。
三郎は、チラリとこちらを振り返ったテルキの姿を見て、年相応の少年らしさを覚え、若いって勢いがあるからな、と納得することにした。
「いやぁ、一時は、どうなることかと冷や冷やしていました」
苦笑を浮かべ、スビルバナンは戦の前と変わらない親しみやすい口調で、三郎に声をかけてきた。
「良いタイミングで声をかけてもらったので、本当に助かりました。危うく、うちのトゥームと勇者殿が、戦う所でしたからね」
「そう、でしょうか。例え剣を交えたとしても、トゥーム殿が圧倒していたと思いますが」
三郎の言葉に、スビルバナンはトゥームへ視線を向けると、首を横に振って答えた。
三郎は、騎士団長ともなると見ただけで力量差とかが解るものなのかね、などと考えながら「いずれにしても助かりました」と返事をかえす。
「助けられたのは我々の方です。この宴の主賓としても、貴方が相応しい方だと思っています」
スビルバナンは小声ではあるが、はっきりとした口調で三郎に言う。
「私なんぞ、戦場では走って追いつくだけで必死なだけでしたから」
乾いた笑いを浮かべ、三郎は返事をかえした。
「・・・謙虚さ。騎士として見習いたい所です」
「事実ですよ、ははは」
スビルバナンは、どうやら三郎を過大に評価しているようで、何を言っても敬意を返してくるのだった。
王典の出現とスビルバナンの介入により、戦勝の宴は閉会へと向けての流れを取り戻してゆく。
だが、三郎の心の中には、一つだけ気になることがわいて出ていた。
それは、スビルバナンに付き従っている女性騎士の前髪が、立ち上がってしまう程に短く切りそろえられていることだ。
(・・・変、だよな。先駆け的な感じで、斬新な髪型なのか。あとで、トゥームとかシャポーに聞いてみよう)
三郎は、どうでもいい新たなる疑問を胸に、戦勝の宴を乗り越えるのだった。
次回投稿は2月23日(日曜日)の夜に予定しています。




