第118話 シャポーの小さな決意
三郎とトゥームは、教会から出発した馬車に揺られている。
戦勝の宴に出席するため、その馬車には四名の者が乗り合わせていた。
大きな箱型の馬車で、外装には教会が基調色とする白塗りが施されており、内部は六名ほどの大人が乗ってもゆったりとくつろげるだけの空間を有している。
彼らが乗っているのは、高司祭といった教会の重役が、公式な場へ赴く際に使用する儀礼用の馬車だ。三郎は、用意された馬車を目の前にした時、あまりにも品格の高いそのたたずまいに、乗り込んで良いものか一瞬躊躇してしまった。
通常であれば四頭の馬が馬車を牽引するのだが、現在輓獣として前を進むのは、三郎を仲間と見なしてくれている友獣ワロワのクウィンスだった。その歩みは、旅で見せていた俊足とは違い、ゆったりと進めており気品漂う馬車を引くのも堂に入っている。
友獣の中でもワロワ種は、その高い知性から『役に立つ』と自らが判断した場合以外、運搬や移動を手伝ってはくれないのだと言う。単に儀礼用として出される馬車の牽引を、率先するかたちで引き受けたクウィンスの行動に、御者の男が驚いていたほどだった。
教会本部から王城まで、王政広場を横切るだけの長くはない道のりなのだが、関係各所から招待された公人の礼儀として馬車を使用して向かっているのだ。
その窓の外には、戦場としての記憶に新しい、王政広場が広がっている。凄惨な戦いが行われたのは、つい三日前のことだ。
傷つき汚れた石畳や広場の隅に集積された武防具などが、物言わぬ残滓となって戦いの空気を思い起こさせるようだった。
人が争い命を奪い合うのを間近で目にしたのは、当然ながら、三郎にとって初めてのことだ。あの時は、成すべき役割を果たすために必死だった。
だが、一日二日と考える時間が増えれば増えるほどに、忘れ難い光景となって心の深くに積み重ねられてゆくのを、三郎は徐々に感じはじめていた。
三郎は、窓外の景色から目を背ける様に車内へ視線をもどす。その向かいには、修道騎士の正装に身を包んだトゥームが座っていた。
三郎の想像する軍人の正装とは違い、勲章や装飾といった類の物はほとんど無い。
白を基調とした上下の正装は、トゥームの着こなしの為か、目が覚めるほどにきりっと引き締まった印象を与える。銀色の刺繍糸で、胸元に教会のシンボルが施されており、トゥームが修道騎士の代表代行として出席する者であることは、誰の目にも明らかなことだろう。
正装の一部として、修道騎士には式典時に帯刀が許されており、トゥームは細かな装飾のされた細身の剣を腰に帯びていた。形式上、抜刀できないようにと、飾り紐で封印が施されているが、いざともなれば実戦闘にも耐えうる名工の業物だ。
三郎が『修道服姿も良いけど、これはこれで眼福だなぁ』などと考えていると、視線に気づいたその当人から声をかけられてしまった。
「サブロー、ぼうっとしてるみたいけど、大丈夫」
「ん、ああ、座る時に、腰の剣ってそういう方向に向けるんだな~と思ってさ」
三郎は、頭の片隅で浮かんでいた、当たり障りのない疑問を口にした。
以前、警備隊長官の宴に向かう馬車で、不用意にトゥームのドレス姿を褒めたが為に、気まずい雰囲気となった車中を三郎は覚えている。おっさんは、学べる男なのだ。
主に考えていた、正装姿がかっこいいなだとか、美人は凛として見えていいなとか、口を滑らせることはしない。
「正装で剣を腰から外すのは、この紐でされた封を切るのと近い意味を持ってしまうの。手に持っていれば、何時でも抜刀できてしまうからね」
「へぇ、正装時に帯刀する際の、礼儀作法みたいなのがあるのか」
抜刀を禁じる飾り紐を指でさしながらトゥームが答えると、三郎は感心したような声を上げた。
「それに、向かい合って座ってる相手が、サブローみたいに信頼した相手なら、私が剣を抜くことは無いわよね?騎士が正装や礼装をして座る時、帯刀を許されていたらなら、こんな風に鞘先を前に柄を背中側に向けて、剣を抜く意思がないと暗に伝えるっていう場合にも使われたりするのよ」
微笑みながら返すトゥームの言葉に、深い意味が含まれていないことは、付き合いもだいぶ長くなってきた三郎なら理解できるところだ。
だが、深い意味がないとは知っていても「信頼している」などと面と向かって言われれば、少しばかり照れてしまっても仕方ない。
「お、おお、そういう騎士の風習みたいのもあるんだな」
微かな動揺を隠すように、三郎は髪を手で無造作にかき上げた。
そんな二人の会話を聴いていた、三郎のはす向かいに座っている人物から、微かな笑い声が「ふふ」ともれる。
「どうかしたの、ケータソシアさん。突然笑いだして」
トゥームが左隣に座るケータソシアに、今の会話で何も面白い所など無いだろうと言いたげな表情で聞いた。
ケータソシアも、グレータエルート軍の指揮官として『戦勝の宴』に出席を求められていた。三郎やトゥームに出された『要請』とは違い、あくまで『求め』だったため出席を断ることも出来たのだが、二人が出るならばと来てくれたのだ。
ケータソシアは、戦闘時と同様であるグレータエルートの指揮官服ではあったが、宴の席であることを配慮してか、全て新しい物を身に着けていた。
現在、グレータエルートの軍は、中央王都からほど近いクレタ平原に陣を置き、命を落とした同胞達をピアラタへ送る部隊と、陣に残る部隊に分ける部隊編制を進めている所だった。
日を置いて、ピアラタへと帰還する部隊と入れ替わりに、補給と増援を兼ねた部隊が到着する手筈となっており、グレータエルート達は、この戦いに終止符が打たれるまで三郎と共に戦ってくれるというのだ。
「いえ、お二人の会話から、温かい響きを感じましたので、何となく嬉しくなってしまったものですから」
ケータソシアが、トゥームの言葉に笑顔で答える。
「日常の会話なんてそんなものじゃないのかしら。逆に、今の会話から冷たい響きが聴こえてたら、それこそおかしいと思うけれどね」
トゥームは、ソルジ教会の子供達と交わす会話も思い返しながら、日常会話など温かい響きが入っていて当前だろうに、とでも言いたげな表情で言った。
「確かに、そうでうすね」
ケータソシアは、チラリと三郎の表情を確認するように視線を向けると、再び笑顔で答えを返した。
(あー、これは、もろに照れたのがバレたなぁ)
頭の後ろをぽりぽりとかきながら、ケータソシアから視線を逸らすように天井を見上げた。
だが、ケータソシアが嬉しそうに笑ったのは、三郎の照れ隠し以前の言葉までさかのぼる。三郎が、トゥームの正装姿に見惚れていたのを隠したことも含み、ケータソシアが嬉し気にしていたのだが、三郎がそれを知らされることはないだろう。
「しゃ、シャポーとの会話にも、温かい響きというのは聞こえるのでしょうか。シャポーは、自分の知ってる事ばかりを話してしまうので、何だか不安になるのです」
突然、三郎の隣に座る人物から声が上がる。
シャポーは、教会からかりた白色の魔導師服に身を包んで同行していた。その服は、教会が魔導師を魔術の講義や勉強会の講師として雇う際、雇用期間中に貸与することとされている服であった。
なぜシャポーが『教会魔導講師の服』と呼ばれる服を着ているのかというと、それには理由がある。
無論のことながら、シャポーに対して『戦勝の宴』への出席の求めや要請は来ていない。
だが、シャポー自らの強い要望により、教会所属の魔導師として教会評価理事に伴う形で出席できるよう、エンガナ高司祭が取り計らってくれたのだ。
警備隊の宴しかり、中央王都奪還についての会議しかり、先日の緊急議会しかり、三郎に『知識的に大いに助けられてる』と言ってもらいながらも、シャポーは大切な場面で傍に居られていないと感じてしまったのだ。
クレタス諸国の偉い人達が集まる『戦勝の宴』に行くと聞き、三郎やトゥームが、出席せざるを得ない状況になったとも聞いた。
旅をずっと共にしてきた二人の背中を、また「行ってらっしゃい」と見送るだけなのは、仲間として間違っていると思わずにはいられなかった。
知識があると認めてくれているのだ、その場に居れば何かの役に立てるかもしれない。シャポーは、勇気を振り絞って同行することを望み、この場に居合わせている。
「ふふふ、大丈夫ですよ。シャポーさんの言葉からは、常に役に立とうする響きが伝わってきますし、サブローさんやトゥームさんも、シャポーさんに心から助けられていると思ってくれています。それは、とても温かい響きをもって聴こえていますから」
「えぅ、ぞうでずか。ぞれなら、うれじいのですよぅ」
ケータソシアの静かで優しい声に、シャポーは嬉しさがこみあげて涙が出そうになった。
シャポーのほんの小さな決意だったかもしれないが、それが認められたような気持ちになる。
「ちょっと、シャポー。何で泣くのよ」
「えへへ、なんとなくでずよぅ」
トゥームの差し出した手拭いを受け取りながら、シャポーは鼻をすすって答えた。
「ぱぁ」
シャポーのフードから飛び出したほのかが、頭の上に乗っかると、身を乗り出してシャポーの顔を覗き込む。
三郎、トゥーム、シャポーが居れば、ほのかが一緒なのは当たり前なのだが、それは、仲間内の『当たり前』だ。諸王国の者達にとって『精霊』などは、珍しい存在であることに違いはない。
シャポーが同行すると決まってから、一同が頭を悩ませたのは「ほのかの存在を、どう上手く誤魔化すか」だった。
ケータソシアが親交を深くする精霊だと説明してはどうか、と三郎が提案したのだが、ケータソシアから『恐れ多いことだ』として丁重に断られてしまった。
結局、シャポーのフードによく潜り込んでいるので、シャポーの魔道的な友人だと説明することとして落ち着く。
その際に、三郎がシャポーの教会からかりた魔導師服姿を見て(白魔導師だ、これが本当の白魔導師だ)と心の中で繰り返すと同時に、何で魔導師の服には、オプションとしてフードが付いてくるのだろうかと、改めて疑問を感じるのだった。
そういう三郎も現在は、着慣れた茶色の司祭服姿ではなく、高司祭の身に着ける白の法衣に身を包んでいた。幾重にも白布を着重ねた、公式な場に出る際の司祭服であり、着心地は至ってよろしくない。
枚数のわりに重さを感じないのは、軽量の魔法が織り込まれているためだとシャポーから説明され、一応は納得した三郎だったが、馬車の座席に腰を下ろしてから、着心地の悪さゆえに何度も座り直す始末だった。
馬車は、そんな四人と一精霊を乗せて、王城の城門を通り過ぎようとしていた。
次回投稿は12月15日(日曜日)の夜に予定しています。




