第113話 怒る『迷い人』
勇者テルキが、剣の柄に手をかけたまま呆然としていると、背後から追いついてきた人族が姿を見せはじめた。
戦闘の爪痕を残す廊下には、捕らえられた数名を除き、多くのセチュバー兵の亡骸が横たわっている。戦闘は、グレータエルートらの手によって、既に収束した状況となっていた。
人族の者達は、セチュバーの王に剣を突き立てたまま立ち尽くしている勇者テルキの姿を目にすると、こぞってその周囲へと集まって行く。
「テルキ殿が、セチュバーの王を討ち取られたとは、まさしく勇者と言わざるを得ませんな」
「それを言うならば、英雄でしょう。今戦いの終止符をうった『英雄テルキ』として、国中に知らしめねばならんでしょう」
「すぐにでも発表の場を設けねばなりませんね。しかし、私の剣技をご披露できなかったのは残念至極。とは言え、これでセチュバーも終わりというもの」
「『我々』の召喚した勇者殿が、これほどの活躍をなさるとは、想像以上に頼もしい限りだ。言葉も無い」
勇者テルキは、称賛の言葉をあびせかけられながら両肩を揺さぶられると、力の抜けた人形の様にふらふらと後方へ倒れそうになった。
テルキの体が人々の手によって支えられる。テルキは、今まさに呼吸することを思い出したかのように、震えあがるほど大きく息を吸い込むと、セチュバー王バドキンだけを映し出していた視界が広がるのを感じた。
(あぁ・・・やっぱり、セチュバーの王を、俺が倒したので間違いないんだ。皆が言ってるんだ、間違いないよ)
人々から投げかけられる言葉によって、テルキの思考は、やっと確信を得るかのように考えがまとまり始める。
テルキの剣によって、壁に磔にされたバドキンの姿が目の前にあるのを、テルキは確認するかのように再び見上げた。
(そっか、勇者の俺が、悪い王を倒したんだ。漫画の主人公みたいに、凄いことをしたんだ。・・・あれ?でも)
セチュバーの王は、知り合いと呼ぶには接点の少なかった相手ではある。だが、テルキが見知っている者を手にかけたのは、初めてのことだった。
訓練で、騎士団と共に魔獣を倒しに行ったこともあるし、野盗討伐に同行した時も、悪者だと教えられた素性も知らぬ敵だと考えていたので、剣を振るうのにためらいなど抱かなかった。
しかし今、テルキの両手は、思考と無関係かのように小刻みに震えていた。取りまく人々が、口にしているような喜びの感情など湧き上がってこず、心の奥にある言い知れぬ恐怖によって震えているのだ。
テルキが駆けだした際に『倒そう』とは考えていた。それも、明確な殺意をもって『殺そう』としていたわけではなかった。
現実に起きたことへの実感の無さと、置いて行かれた思考との間に生じている微かな意識のズレが、小さな恐怖心となってテルキの心の底で巣くっているとは、年若いテルキに理解できるものではなかった。
仮に、テルキが覚悟をもってバドキンと剣を合わせ、命を奪う明確な意思を胸に抱いていたならば、現在の心境は別であったかもしれない。
(善いことをしたんだよ!良いことをしたはずなのに、なんで・・・皆みたいに、喜べないんだよ。敵のボスを、倒したんだぞ)
震える両手を強く握りしめて、勇者テルキは、周囲からかけられる言葉のとおり『勇者として望まれる事をしたのだ』と、自分自身を納得させるように何度も何度も心の中で繰り返していた。
人族の上げる称賛の声に、勇者へ取り入ろうとする下卑た響きを聞き取りながら、グレータエルート達はセチュバー兵の亡骸を壁際へと移していた。
劣勢の際にあっても尚、果敢に剣を向けてきた兵士達なのだ。戦いの終結した後、その亡骸が、踏み荒らされる様なことはあってはならない。
同時に、勇敢であった同胞の躯を丁寧に集めてゆく。
その肉体と魂を、故郷の地ピアラタへと連れ帰ってやらねばならないのだから。
「ケータソシア指揮官、彼の修道騎士を見つけました。既に息は無くなっています」
「そう、ですか。どちらに?」
グレータエルートの戦士に声をかけられ、ケータソシアは、目を落としていたゲージから顔を上げて返事を返した。
警備隊の支援へとまわっていた部隊から、セチュバーの第二兵団が、ヴィーヴィアス大道を駆け戻っているとの報告が入っていたのだ。それを、王国の剣騎士団団長スビルバナンへと伝えたところだった。当然、正面軍の総指揮を任されているドートの王カルモラへも、同様の情報を伝えていた。
「こちらです」と、案内された先には、壁に上体をもたれかけて息を引き取ったモルーの姿があった。バドキンの遺体から、さほど離れていない場所だ。
修道騎士の白色を基調とした戦装束のほとんどは、モルー自らの血で赤く染まってしまっている。苦し気な感情を滲ませた表情から、モルーが最後まで守護魔法を行使して戦い続けようとしていたのだと、ケータソシアに感じさせるのだった。
ケータソシアは、モルーの傍らに膝を落とすと、その頬にそっと手を添えた。
モルーの僅かに開かれた目がすっと閉じられ、苦しさから解放されるかのように、緊張を残していた表情が自然と穏やかなものへと変わる。
「貴方の魂の旅が、稔り多きものとなりますよう祈らさせてもらいます」
モルーから手を離すと、ケータソシアは冥福を祈り呟いた。
その場へ向かい、近付いてくる数人の足音があるのを、ケータソシアは気づいていた。片膝を着いたまま、その者達が到着するのを待つ。
「モルーさんも、亡くなられたんですね」
言葉を選ぶようにして、最初に声をかけてきたのは、三郎だった。
セチュバー王の遺体を前にして、勇者を盛んに称賛している人々に加わることなく、シトス等と共に真っ直ぐケータソシアのもとへと向かってきたのだ。
「・・・少しですが、戦いの中で言葉を交わしました。信念ある尊き騎士でしたよ。戦いという誤った選択さえ無ければ、共に剣を並べるに相応しい人物だったかと思います」
ケータソシアは立ち上がり、静かな声で三郎に言う。
ケータソシアの一言で何事かを察したトゥームが、身を預けていた三郎からそっと離れると、略式の騎士の礼をモルーへ向けて送った。
クレタス内部の情勢から、セチュバーの苦境を知ったモルーが、その企てに手を貸したのも『騎士の信念』と呼べるだろう。今となっては、その口から確かめることなどできないが、最初から全てに加担していた可能性も考えられなくはない。
修道騎士という『護る立場』の者が、戦を起こすという『攻め手』となったのは、決して正しいとは言えないが・・・。
「セチュバー王の遺体も、おろさねばなりませんね。聞き苦しい賛辞の声に包まれているのは、いたたまれませんから」
ケータソシアは、険しい表情になると、モルーへ落としていた視線を人族の集団へ移した。
三郎も相槌を打ちながら、ケータソシアの視線の先へと顔を向ける。
勇者を中心に集まった集団が、勝利の声を声高に上げているところだった。勇者テルキは、その輪の中で笑顔を作って人々の賛辞に応えていた。
だがそこに、三郎がクレタスに迷い込んで初めて覚える、一つの感情を腹の底から湧き上がらせる光景があった。
「何をしている!」
三郎が、こみ上げた『怒り』と共に発した言葉は、廊下全体を震わせる。
あろうことか、数人の人族の者がセチュバー王の遺体に対し、手に持った武器をあてがっていたのだ。中には、罵声と共に王の鎧を鳴らすように、剣を打ち付けている者すらいた。
勇者の凄さを強調するためなのか、突き刺さっている剣に触れ、少しも動かせないことを確認している者もいる。
三郎の一声によって、勇者をはやし立てていた集団は言葉を失い静止すると、その全員が三郎へと向き直った。
グレータエルート達も、あまりにも重く威圧の込もった声だったため、手を止めて三郎を見る。
「わ・・・我々は、勇者の勝利を称えているのだ。叱責されるいわれなど・・・」
体の大きな男が、三郎の声に圧倒されながらも言葉を返した。他の者は、勇者テルキも含めて目を見開いている。
「死者への冒涜も含めてならば、恥を知れ!」
三郎から再び発せられた怒気を孕む声に、人族の誰もが口をつぐんで一歩後ずさった。
三郎は、怒りも露わにセチュバー王の遺体へ歩み寄ると、突き立てられたままになっている剣の柄へと手をかけた。
掴んだ右手に力を籠めると、左腕で王の体を支えるようにして、ゆっくりと剣を引き抜いてゆく。
廊下の壁に深々と穿たれていたと感じさせないほど、三郎の右腕は、剣の束縛からセチュバー王の体をすんなりと解放した。
死した人の体は重く、重厚な鎧をも装備していたがために、三郎一人では簡単に受け止められるものではなかった。まして、体内魔力の操作も十分できていない三郎では、この場の誰よりも困難だといえる。
それでも、精一杯の力で受け止めようとした三郎の背後から、見慣れた手がすっと助けに差し出された。
「トゥーム、すまない」
手の主へ、三郎は一言礼を言うと、セチュバー王の体を廊下の床にそっと横たえるのだった。
「同じクレタスの人族として、恥ずかしく思うわ」
伏し目がちに、トゥームが三郎へ言う。
「いや、俺の方こそ、突然大声を出して申し訳なかった。それに、トゥームが謝ることじゃないよ」
トゥームの謝罪に、三郎は首を振って答える。それに対しても、トゥームは首を振って返すのだった。
トゥームが、幼い頃から何度も読んだ、最初の勇者が残したとされる『教え』には、三郎の言った『死者への冒涜』を恥とする言葉が記されている。
例え、教会の者ほど『教え』に慣れ親しんでなくとも、クレタスに住む人族にとって、平和的な倫理の観念として根付いているはずの部分であった。
(為政者やその立場に近い者が、この有様なんだもの、サブローが怒って当たり前だわ。でも・・・)
トゥームは、件の光景を前に、三郎のような大きな怒りを覚えていなかった。
反乱の首謀者、敵の首魁であった者だ。そのように扱われても仕方が無いという考えも、トゥームの中に少なからずあったのだ。
グレータエルート等に至っては、人族など『そのような生き物』程度にしか感じていなかったことだろう。
三郎の見せた強い怒りの感情を目の当たりにして、トゥームは、サブローが最初の勇者と故郷を同じくする『迷い人』なのだとの思いを再認識していた。
そして『教え』に対し、自分が芯からの理解に及んでいなかったのではないかとも考えるのだった。
次回投稿は11月10日(日曜日)の夜に予定しています。




