第111話 追いつかぬ思考の先
王城の廊下は、六人ほどの大人が悠々と並んで歩けるだけの幅があり、天井も十分な高さをもっている。
設計された当時は、城内での戦いを想定して、ポールウェポン(棹状武器)の類を扱えるようにと考えられた空間だった。中央王都にそびえる王城は、凱旋王ヴィーヴィアスと最初の勇者によって、魔人族から中央王都を取り戻した際、攻め込まれた教訓を活かすかたちで再建されたものだ。
だが、当初の思惑など知らぬかのように、廊下の壁には調度品の数々が並び、床は足触りのいい敷物で敷き詰められている。クレタス内の各地各国で制作された美術品をはじめ、商業王国ドートとの交易が行われているクレタ山脈を越えた東の国々からもたらされる品も見受けられた。
種族間会議で王城を訪れる他種族の者やクレタス諸国の者達へ、中央王都の繁栄と威光を示すために必要な物なのだと言えば聞こえはいい。
しかし、セチュバーの内乱という現実や、中央王都の外に増え続けている貧民街の実情を鑑みても、無駄で華美な飾りであることは良識ある者の目には明らかに映ることだろう。
その様な王城の廊下だが、現在、辛くも当初の目的に沿った使われ方をしていた。皮肉なことに、反乱を起こしたセチュバー側が、奪還するために攻め入るグレータエルート軍を防衛して、との形ではあったが。
グレータエルートとセチュバーの戦線が過ぎ去った後には、踏み荒らされた敷物と調度品であったモノが、無残な姿となって残されるのみであった。
グレータエルートの指揮官であるケータソシアは、軍の前線にほど近い位置で指揮をとっていた。セチュバー軍の動向を、より詳しく知るためだ。
秀でた聴力をもつ彼らは、激しい戦いの中でも敵陣内で交わされる言葉を聞き取ることが可能だ。その情報が、どれだけ戦いの行方を左右する物であるかは、想像するまでもない。
当然のごとく、王政広場で戦う警備隊の状況や、勇者テルキ含め捕虜であった人族の動きも、指揮官であるケータソシアへともたらされていた。
「できれば、兵舎側から脱出してもらいたい所でしたが」
ケータソシアは、集まる情報を頭の中で整理しつつ、何が最善の行動であるのかを思案する。
警備隊によって城門に施された『大錠前』の行使は、セチュバーの軍全体に情報が行き渡っていると考えるべきだ。なぜなら、王政広場には、セチュバー第一兵団と魔装兵団が、壊滅的な状況ながら残っているからだ。
その者達は、程なく到着するであろう第二兵団と合流し、城壁を越えるための行動へと移るだろう。
確度の低い情報ではあったが、王都正門側に展開していたセチュバー軍には、第二兵団と共に魔導師部隊の姿が見られたとも、スビルバナンより報告が上げられていた。王都正門の再構築が行われたことと合わせ、魔導師の部隊が存在しているのは間違いないと考えられた。
兵士に『壁越え』をさせるにしろ、魔導師が城門に施された文言の解除魔術を行うにせよ、相応の時間がかかるのは確かなことだ。
壁越えとは、古典的とも呼べる梯子を使ったりフックを装着したロープを使ったりするものから、軽装の兵士が他の兵士を足場とすることで高く跳躍して壁を越える行為など、全般を総称して言われる。含めるなら、グレータエルート達が風や大気の精霊魔法を使って、城壁を越えた行為も『壁越え』と称されるかもしれない。
警備隊の兵力は、城門や城壁を守るのに十分とはいえなくなっている。教会の戦力で残っている者達も、警備隊の援護に回ってもらってはいるが、グレータエルートの精霊魔法の支援なくしては、新たな敵への対応は難しいだろう。
「警備隊に付けている同胞の数を増やしましょう。そして、サブロー殿がセチュバー兵との戦闘に入るより前に、首魁たるセチュバー王の捕縛へ全力をそそぎます」
ケータソシアの指示と合図を受け、グレータエルート軍の後方にいた部隊が、警備隊を補うべく城門へと向けて行動を開始した。
反乱の首謀者であるセチュバー王の身柄さえおさえることができれば、この戦いに終止符が打てると考えられる。生きて捕らえることこそが、重要な分水嶺なのだ。
だが、ケータソシアは、言うほど容易くはないと理解していた。
セチュバーの王を捕らえたとしても、敵兵が剣を引かない可能性も残っている。文字通りセチュバー全軍が『決死』の覚悟を持っていれば、尚更といえよう。
それ以前に、王城の門扉が閉ざされたと知れば、目の前にいるセチュバー軍の防御陣形は、更に強固なものとなる。増援の到着に時間がかかるなら、それだけ彼らは長く防衛し続け、時間を稼がねばならないのだ。
依然として、セチュバー軍の守りは堅い。
盾と長槍を前面に構え、一人倒されれば、即座に後続の者がその穴を埋めに動く。視力も体内魔力によって補正し、姿を隠したグレータエルートの動きへも対応している。
高い天井までの空間を使い、グレータエルート達が敵陣の中へ突入することも想定されており、威嚇するかのように槍の穂先がセチュバー兵の頭上に幾つも掲げられていた。
(王を護る兵士として、よく訓練されています。でも、個の速さで我々が勝っていますから、切り崩せるのも時間の問題でしょう。しかし、陣形が崩壊しかけるたびに、守護魔法が使われているようですね。彼の修道騎士、モルーと言いましたか、私が彼に与えた傷は、決して浅いものではないのに。しかし・・・)
ケータソシアは、微かな変化に気付いていた。
モルーの行使する守護魔法の、規模や持続力が、徐々に低下しつつあることを。
大気の精霊に語り掛けると、ケータソシアは両耳へ意識を集中する。戦いの喧騒の中、聴こえてきたのは、死の覚悟を響かせたモルーの荒い息遣いだ。
「・・・敵陣形を破壊しましょう。兵に敬意を。この一点に全力を」
細められた視線を、セチュバーの兵士へと向け、ケータソシアがグレータエルート軍の一歩前に出る。
そこに並び出でたのは、五百年前の戦争を共に乗り越えた、グレータエルートの古兵達だった。
向かう先から、戦いの音が微かに聞こえはじめると、勇者テルキは全力で駆けだしそうになる気持ちをギリギリのところで我慢していた。
テルキに剣術の指導をしてくれた者や、魔獣や野盗の討伐に一緒に行った時の兵士等は、テルキの身体能力と大して差がなかったように記憶している。どちらかと言えば、テルキのほうが劣っていたと言っても良いくらいだ。
テルキは今、少しばかり息が弾む程度の速度で廊下を走っている。
だが、テルキの後ろに続く者達は、必死に追いついてきていると表現するにふさわしい状態だった。中には息の上がっていない者もいるが、それも数えて数人しかいない。
少なくとも、武器を手に取ったのは、軍に所属した経験のある者達のはずだった。
(何でこんなに遅いんだよ。階段だって少ししかなかったじゃないか。その廊下を曲がれば、すぐにでも戦ってる人がいるっていうのに)
テルキ達の進んでいる廊下は、既に、牢番の部屋付近の殺風景な廊下ではなくなっていた。足元には、上品な模様の織り込まれた絨毯が敷かれ、テルキの見慣れた城内の様子へと変わっている。
テルキの記憶に間違いが無ければ、この通路は、城の別棟へと向かう幅広の廊下の脇に繋がっているはずだ。
テルキは、後続の者への苛立ちを込めた鼻息をつくと、並走するグレータエルートの戦士へちらりと視線を向けた。
グレータエルートは、たしなめるような表情で、テルキの心を見透かしたかのように首を横に振る。
(このグレータエルートの人だって、全然平気そうに走ってるのに。やっぱり、正規の兵士とか騎士は、後ろの人達とは体力が違うのか。いや、でも、グレータエルートって、すごい戦士なんだって教わったな。それに、今の俺は力がみなぎってる感じがするから、比べても可哀想だよな)
勇者テルキが、自己完結的な答えに行きついたところで、廊下の角を曲がった。その先に、見覚えのあるセチュバー近衛兵の姿を確認すると、いよいよテルキは抑えが効かなくなった。
守衛国家セチュバーと言われて、テルキが真っ先に思い出すものがある。
諸王国会議の前日、剣の手合せで手も足も出せずに軽く自分をあしらって見せた、セチュバーの若き国王の顔だ。
諸王国会議の開催初日は、王政広場において民衆に向けた、勇者テルキの存在を大々的に公表するという式典が予定されていた。
体内魔力の操作も身につけ始め、自分が主役となる式典を目前に控え、少しばかり浮かれていたテルキの鼻っ柱を折ったのがセチュバーの国王バドキンだったのだ。
中央政府や軍の関係者らは、口々に『剣豪でも知られるセチュバーの王と、何合も剣を交わすなど、素晴らしい成長だ』と誉めそやした。
だが、無残にも剣が手から離れ、格好悪くも地面に尻を着いてしまったテルキの脳裏に残っているのは、一瞬だけ見せた、嘲るような笑いを口元に浮かべたバドキン王の顔だった。
その表情が『この程度か』と言っている気がしたのは、間違いないとテルキは思っている。
式典まで、気分良くいられたはずの時間を、テルキは鬱々とした気持ちで過ごすことになったのだ。
(今の俺は、違うぞ!)
すらりと剣を抜き放ち、盾を前に構えたテルキは、グレータエルートの制止の声も振り切って加速した。
慌てて追って来るグレータエルートと、他数人の気配を背後に感じながら、テルキの視線は真っ直ぐセチュバーの兵士達へ向けられている。
セチュバーの軍勢は、グレータエルート軍と混然一体となって、戦闘を繰り広げている最中だった。
その中に、テルキは、見覚えのある顔を見つけた。
グレータエルート達を相手に、剣豪と呼ばれるにふさわしい威風堂々たる姿で大剣を振るう、セチュバーの若き王バドキンだ。
(反乱を起こしたセチュバーの王。お前を倒せば!)
思ったが先か、思う以前であったか、勇者テルキは体内魔力の循環を無意識に高めると、駆ける速度をぐんと上げる。
そして、両手に握りなおした剣へ、刀身が僅かに発光するほどの魔力を流し込み、バドキンの装備する鎧にも構わず突進した。
図らずも、グレータエルート達がバドキンを孤立させ、その背がテルキへと向いた瞬間であった。
鎧ごと、テルキの剣がバドキンの身体を貫く。
ぶつかり合う鈍い音を響かせ、有り余った勢いのまま、ふたりの身体は王城の廊下の壁へと衝突した。
テルキの剣は、王城の壁をも深々と突き刺し、バドキンへ致命傷となる一撃を与えていた。
「きさ・・・ま、勇者・・・っ」
見開かれたバドキンの眼が、勇者テルキの姿をとらえる。言葉を絞り出すと同時に、ごぼりとこみ上げた血液が、バドキンの口からあふれ出した。
飛んだ血の一滴が、テルキの頬に赤い筋を作って流れる。
「・・・あ」
この時、自分の身体の動きに、テルキの思考は追いついていなかった。苦悶の表情を浮かべるバドキンを見上げ、テルキは小さく声を漏らす。
その表情は、自分が何をしたのかも理解できていないものだった。
次回投稿は10月27日(日曜日)の夜に予定しています。




