第109話 祭り上げられた頑なさ
「ぅあぁ!はぁ・・・はぁ・・・」
トゥームが、痛みに耐える苦しそうな声を上げた後、左肩をおさえて荒い息をつく。
外れた肩関節を、シトスが元の位置に戻したのだ。
部屋の外にいた敵は、グレータエルート達が防衛に加わったことで、劣勢だと判断するや否や姿を消していた。トゥームの目にした敵の姿は、守衛国家セチュバーの王直属の近衛兵で間違いなかったという。
グレータエルート達は、撤退した敵を深追いすることはしなかった。いまだ追いついて来ていない地下牢からの人族を待つため、部屋の安全確保を優先しつつ、接近する者がいないか警戒を強めていた。
「肩関節まわりの大きな損傷は、無い様に見受けられます。しかし、戦いを無事に乗り越えたら、治療院などできちんと診てもらった方が良いでしょう」
シトスは、両目を青白く発光させながら、トゥームの肩の様子を確認して言う。
「ですねですね。肩回りの魔力の流れからも、一応正常な状態に戻ってると思われるのです。でもです、左肩に負担がかからないようにしっかり腕を固定しておいて、教会の治療院に行くのがいいと思うのです」
両目から、淡い緑色の光を発っしているシャポーが、シトスの言葉を肯定するように頷いた。
何事においても説明好きのシャポーだが、トゥームの応急手当をする間、黙々と処置だけに専念していた。包帯や薬の効果を高めるため、補助となる方陣や数列を組み込みながら、必死に手を動かしていたのだった。
ムリューとシャポーによる粗方の傷の応急手当が終わった後、トゥームの肩関節をシトスが戻し、今に至っている。
(なに、この二人。目にMRIとかCTとか実装されてんの?万能なの?万能精霊使いと万能魔導師なの?ってか、俺の仲間ってどーなってんの?まず、目が光ってる所から突っ込めばいいのか?)
三郎が、二人の様子に恐れおののいている間に、ムリューとシャポーが手際よくトゥームの左腕を布で固定してゆく。
シトスとシャポーの使った魔法は、三郎の考えとは程遠いものだった。
シトスは、生命を司る精霊に力をかりることで、相手の命の状態をはじめ、病気や怪我の有無を大まかに知ることが出来る精霊魔法を使っていた。シトスと三郎が、初めて出会った時、ムリューの『命の灯』が消えていないのを確認した精霊魔法と同種のものだ。
エルート族は、言葉を理解しない動植物の衰弱している原因を知るためにこの精霊魔法を使う。森の番人であるエルート族にとって、存外にポピュラーな精霊魔法と呼べる。しかし、生命を司る精霊の行使は、それなりの実力を要する上、肩の状態というピンポイントでの状況把握は難易度の高い精霊魔法だとも言える。
転じて、シャポーの使った魔法は、魔力の流れを見る一般的な魔法だった。三郎が、ゲージに身分証を表示する特訓をした際に、体内魔力の流れを見るために使っていた魔法と同系統のものだ。
一応、細かく詳細な魔力の流れをシャポーのように『読み解く』には、相応の技量が必要ではあるのだが。
「ありがとう。これなら、あと少しは、戦いの役に立てそうね」
そう言って、修道の槍を手繰り寄せて立ち上がろうとしたトゥームが、体勢を崩してよろけた。目の前に居た三郎が、すぐさまトゥームを支える。
「いや、これ以上の無理はさせられない」
三郎は、真剣そのものといった表情をして、首を振って言った。
「私は、修道騎士なの。体が動く限り、敵を前に剣を引くことは許されないわ」
その表情を正面から受け止め、トゥームも真剣な面持ちで答える。
「分かってる。いや、俺は分かってないかもしれない。けど・・・」
「・・・けど?」
言い淀んだ三郎が、苦々しい表情を見せたため、トゥームが不安そうに聞き返した。
三郎が、階段を駆け上がりトゥームの姿を見て最初に抱いたのは、強い後悔の念だった。自分が咄嗟に発した言葉が、トゥームを危険にさらしたのだとの思いだ。
一歩間違えていれば、トゥームとは二度と会えなくなっていた可能性すらあったという恐ろしさを、三郎は初めて『実感』していた。
支えた腕から伝わってくる重みが、無事で良かったと思う感情を、三郎の心に深く刻みこませる。
「無事に戻る。それを、優先してくれないか」
「命令として、その言葉を受ければいいのかしら」
「・・・俺個人が、トゥームにお願いしたいんだ。だめか?」
悲壮な表情をうかべた三郎を見て(一人の騎士の命を、戦場でそんなに重く考えてたら、胃に何十個も穴が開いちゃうわよ。バカね)と、トゥームは、諦めたような、それでいて嬉しいような微笑を浮かべる。
「だめじゃないわ。けれど、危ないと思ったら迷わず剣を抜くから」
トゥームはそう言って、三郎へ体を預ける様に力を抜いた。
「ああ、その時は俺も傍に居る」
三郎は、トゥームの右側へ肩をかすようにまわると、決意のこもった声で言う。
「じゃあ、修道の槍もお願いしてもいいかしら」
トゥームは、指先だけ動かせる左手で、床に落ちている修道の槍を指さした。その声色に、少しだけ意地悪な響きが含まれているのを、シトスやムリューは聞き取っていたのだが、あえて知らぬ風を装う。
トゥームの言葉から、それ以上の照れ隠しをしている響きが伝わっていたからだ。
「ん・・・あ、おう、修道騎士にとって大切な武器だもんな。任せておけって」
(とは言ったものの、すげぇ重たいんじゃなかったっけ・・・いやいや、俺はシトス達に遅れずに走れた男だぜ?今の俺なら・・・ねぇ)
トゥームを支えながら、三郎は床に転がる修道の槍へと手を伸ばし、ぐいっと掴む。
「ん・・・ふぬっ」
(え、持ち上りはしたけどさ、相当重たいって。いや、これは、腰にきちゃうやつだ。全然、かっこつかないわぁ~)
三郎は、悲しい叫びを心の中で上げる。持ち上がりはした、だが、そこまでだ。トゥームと修道の槍を両脇に抱えて、歩いて行ける気がしない。
結局、修道の槍は、グレータエルートの部隊にお願いすることになった。
***
「おお、勇者テルキ殿、あまりにも早すぎて、追いすがるのも一苦労でした。あまり一人で、突出されますと、いくら勇者殿とはいえども危険ですぞ」
体格のいい人族の男が、牢番の部屋に姿を見せたのは、三郎とトゥームのやり取りがあって少しした頃だった。その間に、シトスが外のグレータエルート軍の状況などについて、情報を収集し、今後の動きを検討していた。
汚れは目立つものの、貴族然とした姿のその男に続き、次々と牢に囚われていた人々が階段から上がって来る。
その誰もが、息を切らせている様子だった。もし、セチュバーの兵と彼らが会敵していたら、抵抗することもかなわずに命を奪われていたのは明らかだ。
自分たちの状況を理解できているのか、人族の者達は、勇者テルキの姿を目にすると『さすが勇者は、駆ける力量が違う』だの『我々の道を切り開く希望は、勇者殿で間違いない』だのと口々にしながら、テルキの周りに集まってゆく。
散乱した机や椅子の様子から、勇者テルキがセチュバーの兵と戦ったのだと、考える者も少なくはなかった。
当の本人であるテルキは、集まって来る人々によってトゥームの姿が視界から遮られるまで、事の成り行きを前に呆然と立ち尽くしていた。
グレータエルートの精霊魔法が、侵入しかけたセチュバーの兵士を押し返したのも分かっていたし、崩れ落ちる修道騎士に司祭が駆け寄ったのも目にしていた。グレータエルート達が部屋の安全を確保し、司祭が周囲の者に素早い指示を出し修道騎士の手当が行われたのも知っている。
だがなぜか、勇者であるはずの自分が、この場面で何もできなかったことが受け入れられずにいた。今もなお、湧き上がるエネルギーを感じている『勇者テルキ』が、だ。
「勇者テルキ殿、どうかされましたかな?」
テルキの顔を覗き込むようにして言われた一言で、テルキは我に返った。
「俺は、大丈夫です。ただ、そこの騎士の女の人に、聞きたいことがあります」
表情を引き締めたものに戻し、勇者テルキは三郎とトゥームの所に向かって歩き出す。
勇者テルキは、三郎とトゥームの前に立ち止まると、真っ直ぐな瞳をトゥームに向けた。
「なんで、キミは俺の行動を止めたんだ。あのまま飛び出してれば、敵を何人か倒せていたのに」
勇者テルキの言葉を、トゥームは瞬時に理解できなかった。あまりにも無茶な話を、曇りない澄んだ眼差しと共にぶつけられてしまったからだ。
トゥームが、テルキの体を引き戻していなければ、振り下ろされた敵の剣が確実に当たっているタイミングだった。仮に、運良く致命傷を免れたとしても、十数人の敵を相手に立ち回れたとは考え難い。
「俺は今、自分の体に、どんどん力が流れ込んできてるのを感じてる。あの程度の敵の数だったら、相手することだってできたはずなんだ」
「勇者殿は、扉の奥に敵が何人いるのか、把握されていたのですか?それでも、飛び込んで行こうとしていたと」
実際、トゥームは勇者テルキの実力を知っている分けではない。そう思い直したトゥームは、心を落ち着かせて質問を返した。
「それくらいのこと、考えてたに決まってる。地上で戦闘が続いてるって言っていたのは、キミ達だろ。最初の扉を壊した時だって、俺は敵がいるって考えていたから、思いっきり吹き飛ばしたんだ」
「考えていたって・・・」
トゥームは眉根を寄せて、反論しようとした。勇者テルキは、敵の気配を察知できていなかったと言ったに等しい言葉をはいたのだ。
だが、反論の言葉を、トゥームは途中で飲み込む。
勇者テルキの背後では、中央政府に関係した要人や貴族などが、探るような目をしてテルキとトゥームの会話に耳を傾けていたからだ。
(勇者が『できる』と言った言葉を、教会側の私が否定するのは、中央政府側の人間にとって看過できない問題でしょうね。中央政府の召喚した勇者だもの。その行動を妨害したと受け取られかねないわ)
トゥームは、冷静になって考えを巡らせる。
教会側が、中央政府に対し『勇者召喚は時期尚早だ』と主張した経緯も考えに入れなければならない。
修道騎士が、勇者の『活躍する場面を邪魔だてしたのか』と問われれば、責任問題だの何だのと言いかねない者が揃っているとも言える。
だが、トゥームの真横にもう一人、教会側でそれなりの肩書を持つ人間が二人の話を聴いていた。
「ふむふむ、そうでしたか。それは、大変に申し訳ないことをしました。こちらの騎士は、私が『勇者殿をお護りせよ』と言った言葉を受け、行動してくれたのです。勇者殿が無事で何よりだったと考えています」
三郎から、場違いなほどに落ち着いた声が発せられる。
「教会の理事さんでしたね。アナタが余計なことを言ったせいで、敵を一人も倒せませんでしたよ」
トゥームに向けられていた澄んだ眼差しが、あからさまに険しくなって三郎へ向けられた。
(おおぅ、勇者君、それはないぜ。そりゃー美人な騎士のお姉さんと、司祭の格好したおっさんに向ける視線が、同じようにキラキラしてても問題だけどさ)
と、考えつつも、三郎は表面にまじめさを装って答えを返す。テルキの言った『余計な事』という言葉も、ちくりと胸を刺したのだが表情には出さなかった。
「私は、教会のコムリットロアの末席に名を連ねております、教会評価理事のサブローと申します。我々は教会として、要人の方々を無事に救出することに重点を置き、ここにきております。故に、出過ぎた真似がありましたら、私の方から謝らせていただきたい」
そう言うと、サブローはテルキに対して目を伏せて頭を下げた。
教会の管理体制コムリットロアに籍を置いているとの言葉に、中央政府の者達からの探るような視線がなくなってゆく。
三郎の言葉の意味を深くとれば、高司祭にも並ぶ人物が最前線に赴いていると言ったことと同義になる。それほどまでに、教会側が中央政府に対し配慮しているのだと受け止められたのだ。
その上、修道騎士がコムリットロアからの要請を受け、勇者の身の安全を図ったことにもなり、為政者等にとって口を挟んだところで利するものが無い。
「分かってもらえたなら、それでいいです。でも、俺が勇者として、戦っている人たちの所に行かなきゃいけないってことも、理解してもらいたい」
勇者テルキの言葉に、三郎は諦めたような短いため息をついた。
勇者だと祭り上げられた少年の頑なさと、中央政府の者達の様子から、これ以上引き留めても反発を生むだけだと思えたからだ。
「分かりました。しかしながら、勇者殿におかれまして、他の者が共に戦うためにも、お一人で先行しないようくれぐれもお願いいたします」
「・・・頭には、入れておきますよ」
三郎の穏やかな申し入れに、テルキはぶっきらぼうな返事を返した。
トゥームが、テルキの態度に対し、何か言いたげな視線を三郎へ向ける。
「いいんだ。俺たちは、被害が最小限になるようにするしかないな」
腰へと回された三郎の腕に、少しばかり力がこもっているのを感じ取り、トゥームは黙ってうなづくのだった。
次回投稿は10月13日(日曜日)の夜に予定しています。




