第106話 命尽きるその時まで
城門から城へと続く幅広の道が、主たる戦場となっていた。
剪定された草木のある土の上は、植物の精霊と親交の深いグレータエルート達によって支配されていた。
自然の森の中ほどの勢いは無いが、うねる植物がセチュバー兵の足を鈍らせ、グレータエルート等に優位性を与えている。セチュバーの兵も、足鎧に魔力を循環させ精霊魔法へ対処して戦うことも可能ではある。しかし、中長期戦の考えられる今、セチュバー側にとって体力の消耗が多くなる分の悪い戦い方だといえた。
必然的に、セチュバーの軍勢は、白い石畳の上での戦いを選択することとなる。
敷地内の石畳は、十分な広さを有しているため、セチュバー軍が即座に劣勢となる理由にはならない。まして、セチュバーの兵は、侵略者の洞窟を守る立場であるがゆえ、狭い地形での戦闘訓練を受けている。
セチュバーの王バドキンの側近を中心に、統制の取れた動きでグレータエルートらに応戦していた。
セチュバー軍を先導し、道を切り開いていたのは、高司祭でありながらに修道騎士でもあったモルーだ。そのモルーが、グレータエルートの指揮官ケータソシアによって足止めされたことで、セチュバーの軍勢は、あと少しという城門までの距離を詰められずにいた。
城門の外では、中央王都の警備隊とセチュバー第一兵団や魔装兵の生き残りが戦い続けている。
城外の残存した兵力を拾い、メドアズ率いる第二兵団と合流する事。これが、セチュバーの軍にとって唯一残された勝機であった。
何十合と打ち合いを繰り広げるモルーとケータソシアの戦いに、加勢する者はいない。いや、足を引っ張ってしまう可能性を考えると、加わることが出来ずにいるのだ。
セチュバー兵とグレータエルート双方ともに、二人の戦いの行方を肌で感じ取りながら、互いに互いの邪魔をさせまいと剣をかわしていた。
両者の戦いが、この場の戦いの流れを決めるのだと感じさせるほどに、モルーとケータソシアの戦闘は皆の意識を引き付けるものがあった。
無数の大気の刃が、モルーの上に降り注ぐ。
かいくぐる様に、一気にケータソシアとの距離を詰め、モルーの修道の槍が一直線にケータソシアの胸元へと迫る。
槍に押し出された風圧に動かされたかのように、ケータソシアの体がふわりと切っ先をかわす。
ケータソシアの美しい白銀の髪が、修道の槍の刺突によって数本切断され、きらきらと大気中を舞い踊った。
ケータソシアは、修道の槍を横目にやりすごすと同時に、精霊魔法によって不可視となったメーシュッタスの剣をモルーの頭部目掛けて振り下ろす。
モルーは、槍のヴァンプレート部でケータソシアの体を押し、相対的な速度を上げることで回避し、すれすれのところで斬撃を逸らすことに成功する。モルーの背後で、石畳を叩きつける金属音が響いた。
数歩の距離に離れると、二人は剣と槍を素早く構えなおした。その互いの表情は、戦いがこれから始まるのかと思えるほど平静で、呼吸の一つも乱れを見せていなかった。
モルーは、ケータソシアから警戒の視線を外すことなく、目の端で石畳に残された斬撃の痕を確認する。斬撃は、最初に目にしていた剣の長さでは届かないほど、遠い石畳の上に傷を残していた。
(身体を引いて逃れていたら、致命傷を受けていたやも知れん)
恐らくは、ケータソシアの得意とする大気か風の精霊魔法によって、斬撃に長さを持たせたのでは無いかと、モルーは推測した。
しかし、同時に違和感を覚えてもいた。
精霊魔法とて魔導師の使う魔法と同様に、精霊への語り掛けを行い、発動までに微かなエネルギーの集束や高まりの時間がある。
体内魔力の操作により五感を研ぎ澄まし、修練を重ねた者だからこそ感じ取れる微かな時間のラグだ。対魔法戦闘において、その微かな時間を感じ取ると言うことが、騎士にとって勝利へとつながる重要な要素なのだ。
例にもれず、ケータソシアも精霊魔法を唱え、魔法が発動するまでの僅かな時間が存在していた。一般の兵士では感じることも無い間だが、モルーは確かに見切っていた。
それでなければ、ケータソシアの精霊魔法によって正確に襲い来る大気の刃など、この近距離で避けきれるものではないのだ。
だが、今の剣による斬撃はどうであっただろうか。
大気の精霊魔法をケータソシアが唱えていたならば、モルーは完全にそれを見逃してしまっていたのだろう。だが、今まで再三にわたり対処してきた精霊魔法のエネルギーを、先ほどの斬撃からは感じなかったのだ。
「終わりにいたしましょう」
ケータソシアが不意に声を発したため、モルーの集中がケータソシアの次の動作を見定めようと一気に高まる。
その時、ケータソシアの足元に落ちていた白銀の髪が、風の力によってふわりと宙に舞った。常人では見落とすような微かな変化を、モルーの眼は見逃さなかった。
正面から、精霊魔法とともに距離を詰めて来る。
そう感じ取った刹那、修道騎士モルーの動きは早かった。ケータソシアの構えが沈むよりも先んじて、両足に体内魔力を集中し力を込める。
精霊魔法をかいくぐり、ケータソシアへと詰め寄ることの出来るタイミングだった。
ケータソシアの持つ剣も、しっかりとモルーの両目は捉えている。その刀身に、風の精霊魔法がまとわりつくような変化は無い。修道の槍の長さの分、モルーの攻撃が先手を取るのは必定だった。
勝利を確信し踏み出した瞬間、足元に絡みつくような何かの感触が襲った。
植物が無理に引抜かれるような、蔦が引き裂かれるような、ぶちぶちという音をともなった感触。
咄嗟にモルーは、足元に目を向ける。
モルーの足を引き留める手の様に、植物が足鎧やグリーブにまとわりついており、モルーの踏み出す力に負けて引きちぎられていた。
ケータソシアと距離をとった際、横に跳んだがために、石畳の道の端へと近づいてしまっていたのだ。
土に近づいたモルーに、ケータソシアが意表を突くために植物の精霊魔法を使ったのだと理解する。
精霊魔法も魔導師の使う魔法と同様で、二重詠唱は高度な技術と高い集中を必要とするのを、モルーは訓練で教えられていた。
(浅はか。この程度で体勢など崩せんぞ。風の刃が来ないのなら、修道の槍の長さ分こちらが有利)
モルーは、足に循環させていた魔力の力に任せて、絡みつく蔦や草を引き裂いて踏み込む。
既にケータソシアへ戻された視線は、迫る剣と修道の槍との間合いを見抜き、突きを繰り出す動作へと移っていた。
相手に届いたのは、ケータソシアの剣だった。
修道の槍の長さを超え、長く伸びた細いメーシュッタスの剣は、モルーの胸を深々と貫いていた。
「かはっ!」
左の肺を貫かれ、モルーの口から咳き込むような声と共に鮮血が溢れる。
一瞬、モルーの眼が驚愕に見開かれた。だが、再び細められ鋭い光を取り戻すと、胸につきたてられた剣もそのままに、一歩踏み込み修道の槍をケータソシアへと振るう。
勢いを削がれ、腕の力のみで振るった槍は、ケータソシアが剣を引き一歩退いた動作だけで空を切った。
モルーは、胸の痛みに耐えながらも、道の端から逃れる様に動き、ケータソシアへ修道の槍を向けた。
傷を押さえた左手の隙間から、鮮血がゆっくりと流れ出る。背中にまで到達した傷口からは、心臓の動きに合わせて血液がじわりじわりとあふれ出していた。
「その剣、精霊魔法など・・・ごふ・・・」
感じなかった、と続けようとしたモルーの言葉を、こみ上げた血液が途切れさせる。
「大気の精霊魔法は、既に貴方に見切られていると分かりましたので、樹木の精霊魔法を使いました」
モルーの疑問の響きを聴き取ったケータソシアが、静かに答えを返した。
「私が親交を深くもっているのは、樹木の精霊です。そして、このメーシュッタスの樹液から成る剣には、多くの精霊達に宿ってもらっています」
そう言ったケータソシアの手にある剣は、最初に対峙した時の形状に戻っており、人を貫いたとは思えないほどの透き通るような輝きを放っている。
(精霊を内包した剣であったとは。気付けぬ我が身の未熟さを、ただ思うのみか)
モルーの手から修道の槍が離れ、石畳の上に大きな音を立てて落ちた。
それを見届けたケータソシアは、ゆっくりと左手をモルーへ向けて大気の精霊魔法を発動する動作へと移る。
肺を貫き背中まで達した傷には、精霊力が影響を与えており、人族の魔法や治療では回復不可能な致命傷となっていた。
せめて、苦しむ時間を短くすることが、エルート族として人族の騎士に対する礼節であった。
『自由なる大気の精霊よ、彼の者の命を絶つ刃となり疾く駆けよ』
『我が魔力は盾となり、護るべき力をここに与えん』
ケータソシアが、精霊への語り掛けを行ったと同時に、モルーも右手で印を描くと、教会の守護魔法を発動した。
「なっ!?」
咄嗟に、ケータソシアは正面に出現した壁から距離をとるため、後方へ大きく跳躍する。
ケータソシアの放った大気の刃は、モルーが正面に出現させた光る壁にぶつかり、精霊力と魔力の反発する大きな衝撃を生みだす。
教会の守護魔法は、中位以上の司祭しか扱う事の出来ない高度な魔法だ。高司祭であったモルーが、使えて当然とも言える。
だが、魔力の少ない人族にとって、体内の魔力を消費して使う魔法は、戦闘で乱発するには不向きだと言われている。とりわけ、教会魔法の類は、魔導師の使う魔法とは違う系譜をたどっている。自身の体内魔力を消費し、効力を発揮する守護魔法がその主たる物だ。
モルーが、ケータソシアとの戦闘で使用しなかったのも、長期戦を考えて体内魔力を温存したためだ。そして、司祭がこの戦争に同行していないのも、それが理由だった。
(王城内へ後退し、メドアズの到着まで時間を稼ぐ)
衝突で生み出された衝撃波は、守護魔法に護られたモルーには届くことはなかった。
モルーは、即座に踵を返すと、足早に歩き出す。左肺への血流を、体内魔力の操作によって止めたため、片肺を失った体では全力で走ることはもうできない。
血流を操作しても尚、傷口からは鮮血がじわりじわりとあふれ出していた。
(我が命で、わずかな時間でも作れるならば、最後の時まで使うのみ)
衝撃波の静まったそこに、モルーの姿は無くなっていた。
次回投稿は9月22日(日曜日)の夜に予定しています。




