第102話 乱れる呼吸、伝わる心
「そのような時間は、無いように思うが」
鎧を身にまとったセチュバーの若き王は、王城の廊下を足早に進みながら背後の者達へと言った。
威風堂々と歩く鎧の音が、城内の空気を律するかのように響く。
そのバドキンの背後には、諸王国会議の政務へと伴なってきた執政官達が続いている。誰もが鎧を身にまとい、政務についている時分とは別の顔をしていた。
諸王国会議に合わせ内乱を企てていたため、武におぼえのある幹部を選び連れて来ていたのも確かにある。だが、そもそも守衛国家であるセチュバーは、他国よりも軍事に関する教練に重きをおいている。殆どの者が剣の扱いに慣れているといって差し支えない国なのだ。
バドキンが執政官等に投げた言葉は、地下牢に捕えてある王族等を処分しておくべきであるとの進言に対しての答えだった。
「なれば、私めに数名の兵をお与えください。できる限りと申し添えますが、最悪でも、中央政府の者および勇者テルキの命は必ず」
一人の男が、バドキンの隣へ寄ると力強く言う。セチュバーの財務長官として、先王の代から長年勤めあげている者だ。
今はその身に鎧を着込み、諸王国会議の席でドートの王にのたりのたりと言葉をかわされた時とは、まったく異なった雰囲気を纏っている。
財政面に精通しているのは言うまでもなく、中央政府要人との面識も浅くない男だ。故に、政治的に誰を亡き者としておけばよいのかを、十分に理解していると言えよう。
バドキンは、財務長官であった男の顔に目をやる。その顔は、既にセチュバーの一兵士のものであり、覚悟を決めた表情がありありと浮かんでいた。
「待つ時間は無いぞ」
「なにもなにも、事を済ませたら、バドキン王が切り開かれた退路を、悠々と追いかけさせてもらいましょう」
男の言葉に、一同から静かな笑いがもれる。
牢までの距離は短くなく、加えて、捕えている者の数は多い。この場に居る誰もが、地下牢へと向かい事を成せば、撤退には間に合わなくなると理解していた。
既に、城に残っていた兵は一所に集められ、バドキンの到着をもって撤退を開始する手筈となっている。先刻、モルーがラスキアスからの言葉をバドキンへ伝えると、速やかに撤退準備が開始されたのだ。
「・・・任せる」
少し間をおいて、バドキンは男の覚悟を受け止めるように言葉を返した。
財務長官は、自責の念が晴れるかのような表情を一瞬だけ浮かべて頭を下げた。
今回の内乱は、セチュバーをないがしろにし続けた中央及び四つの諸国政府が原因であり、クレタス全体の財務政策もその大きな理由に入る。諸王国会議に幾度も出席し、セチュバーに対する財政面を好転させるよう立ちまわれなかった自分に、多分に責任があると考えていたのだろう。
バドキン等セチュバー幹部達を先導するように歩いていたモルーは、ちらと振り返りそのやり取りに目をやる。
ラスキアスも同様、劣勢にしても尚、先のことを考え動こうとする者達の姿を見て、バドキンをセチュバーまで生きて返さねばなるまいと心に深く刻み込むのだった。
教会とグレータエルートの軍勢が、城壁の前まで迫ると、開かれていた門は慌てたかのように閉ざされた。
だが、中央王都を取り囲む巨大な壁とは違い、迎撃用の魔法も仕込まれていない城壁は、グレータエルート達によってやすやすと越えられてゆく。
高さにして大人の身の丈の三倍程もある城壁だが、グレータエルートにとって十分な精霊の助力が得られる今、障害として役立つものとは言えなかった。
一度閉ざされた門は再び開かれ、三郎達もそこから城内へと突入する。
城門をくぐると、庭園を思わせる手入れの行き届いた開けた空間となっていた。
少しばかり遠目であったが、三郎にも城に施された数多の彫刻が見て取れた。深い青色の屋根が、美しい意匠を凝らした城の壁を際立たせている。
門から城にかけて、白い石畳の敷き詰められた幅広の道が、緩やかな曲線を描いて城の入口まで続いていた。
戦いの場として訪れたのでなければ、三郎はその優雅さと壮大さに感嘆の声をあげたに違いない。
しかし、芝や草花の植えられた場所も、白い石畳の美しい道の上も、至る所で戦いが繰り広げられていた。
セチュバー側としては、思った以上に速く敵の侵入を許したがために、虚を突かれた形となり混乱の様相を強めていた。
「トゥームさん、我々は地下牢へ急ぎましょう。敵兵は出撃の準備をほぼ整えていたようです。囚われている方々の身が心配です」
城壁を飛び越えて先行したグレータエルートの部隊からは、城内に残っていたと思しきセチュバー兵は、城の前に集結を開始していたとの報告が上がっている。
セチュバー側が、囚われた者達の事にまで手を回している時間は無いと判断してくれていれば良いのだが、シトスは最悪の状況を想定してトゥームに言ったのだ。
「城からの侵入は難しいわね。兵舎を抜けて行きましょう」
トゥームは、城門から入ってすぐ右側にある建物を指した。
その方向を確認した三郎の目には、威厳ある佇まいの大きな建物が映る。兵舎だと言われなければ分からないほど、城の一部相応の立派な建物に見えた。離れのように見えるが、地下で城と繋がっているとのことだ。
セチュバー兵が、撤退のため城の前に集結していたのが吉とでたのか、三郎達の行く手を遮るように現れる敵兵はおらず交戦することなく入り口までたどり着く。
トゥームは、兵舎の中へと突入する際、城から新手の一団が飛び出してくるのを目の端にとらえた。修道騎士モルーの姿もそこにあるのを見咎める。
離れてはいたが、セチュバー軍の中で修道騎士のいで立ちは異様に目立つようだった。
その瞬間、モルーの視線がこちらに向けられたのを、トゥームは感じ取る。
兵舎の中へ、三郎も含めた部隊全員が突入したのを確認すると、トゥームは先頭をきって足早に動き出した。
「モルー卿が、我々の動きに気付いていたみたい。今更、何か手をうてるとは思えないけど注意しておいたほうがいいわ。モルー卿も当然、城と兵舎が地下で繋がっているのを知っているから。外での戦闘を捨て、我々の方へ来ることも考えに入れておいた方がいいわ」
トゥームの後に続いていたグレータエルート達から、歯の隙間を鳴らすような音が返された。彼らと戦闘を共にしていて、トゥームは既にいくつかの合図を戦いの中で覚えていた。
了解の旨であると理解したトゥームは、振り返ることもなく兵舎廊下の突き当りにある地下への扉へと近づいてゆく。
扉の前で慎重に立ち止まったトゥームの横に、シトスが流れる様に追いつき扉に耳を当てると、中の様子を静かにうかがった。
「ま、魔法のトラップなどは~、無さそうですので~」
部隊の最後尾から、何となく空気を読んで押し殺したような声を作り、シャポーがトゥームとシトスに伝える。
そんなシャポーの隣で、同じく空気を読んだ三郎が、走りすぎて乱れに乱れた呼吸を必死に押し殺そうと苦心していた。グレータエルートの数人が、苦しそうな三郎へ憐れむような目を向けていた。
(運動不足なのもあるけどさ、これは、体内魔力の使い方ってやつなんだ。あれだけ走って、シャポーですら息が弾む程度ってのは、絶対そうなんだ。そんな目で見ないでぇ)
押し殺した荒い息の音と共に、そんな三郎の心の叫びが伝わってしまっていたのだから仕方ないことだった。
次回投稿は8月25日(日曜日)の夜に予定しています。




