第99話 戦いの中で
ラスキアス・オーガは大地を蹴り、腹部に受けた傷の痛みなど微塵も感じさせない速度で、大剣の槍を横一線に振るう。
その額には、太い血管が浮かび上がり脈打ち、両の眼は、瞬きを忘れたかのように見開かれている。
トゥームが体内魔力操作によって、網膜にある視細胞の処理速度を活性化していなければ、ラスキアスの動きを捉えることなど到底かなわなかっただろう。
目に焼き付いた残影ばかりを追うこととなり、気付いた時には体を二分されてしまう。ラスキアスの動きは、それほどに速かった。
トゥームは、大剣の槍の動きに合わせて腰を深く落として素早く受けの構えをとる。
重力の自由落下などで屈んでいたのでは、ラスキアスの動きには到底間に合わない。その為、修道の槍の重さを使い、押し上げる勢いを利用して自身の体を素早く沈みこませた。
修道の槍を持ち上げざまに、勢いと破壊力の乗った大剣の槍と浅い角度でぶつかり合う様に調整する。
槍と槍とが接触した途端、トゥームの両腕から身体にかけて弾き飛ばされるのではないかというほどの衝撃が走った。
修道騎士専用に作られたグリーブのアイゼンが、硬い石畳へと食い込む。修道の槍の刀身を寝かせて、ほとんど水平に近い状態で受けたにもかかわらず、トゥームの骨にまで響くような衝撃だった。
トゥームは、予想以上の勢いに歯を強く噛みしめる。そして、全身を利用して両足の力を効率的に槍へと移動させ、変化させることが到底不可能だとしか思えない大剣の槍の勢いを、上方へとそらしてゆく。
修道の槍と大剣の槍がせめぎ合った時間など、ほんの一瞬であっただろう。大きな火花と金属の擦れ合う鈍い金属音が、二人の間で大きく炸裂する。
体内魔力の操作で保護しているはずの、関節や靭帯が軋む不快な感覚を覚えながらも、トゥームはラスキアスの槍の軌跡を上方へと向かわせることに成功していた。
トゥームの脳内では次の行動として、腕を振り上げ隙だらけとなったラスキアスの胴へ向け『攻撃する』という思考が走っている。
だがその刹那、ラスキアスと視線が交錯したトゥームは、咄嗟に行動を切りかえた。
伸ばしきっていなかった左足の余力を使い、ラスキアスへ向けて身体ごと一歩踏み込むことを選んだ。いや、トゥームには、それ以外の選択肢が残されていなかった。
ラスキアスは、自分の槍が軌道を変化させられることを前提に次の一手を本命と考え、既に予備動作へと移っていたのだ。その表情は、勝利を確信した笑いをうかべていた。
上段に構える形となった大剣の槍を、自身の体が浮き上がるほどの勢いでトゥームに向かって振り下ろす。
大剣の槍は、ラスキアスの目に映っているトゥームを確かに真っ二つに切り裂き、石畳をも粉砕し深々と食い込んだ。
だが、その手に伝わってきたのは、石を砕いた感触だけ。
斬ったと確信していたのは、ラスキアスの網膜に残されたトゥームの残像であり、トゥームの踏み込む速度がラスキアスの視認能力を一瞬上回ったのだ。
それでも尚、ラスキアスは脊髄反射のように大剣の槍から手を放すと、目では追えていないトゥームの気配に対して腕を振るった。魔装の鎧を装備している腕は、それだけでも十分に武器足りえる。
頭部に当たれば致命傷ともなりかねない一撃を、トゥームは右肩を犠牲にして防ぐので精一杯だった
トゥームは、槍の間合いの外まで突き飛ばされてしまい、攻撃へ転ずることもゆるされなかった。右肩からは重い鈍痛が響いて来るが、幸いにも骨は折れていないが楽観視できるほど軽症とはいえない。
時間にして、瞬きの間ほどの攻防。
それを制したのはラスキアスだ。少なくとも、トゥームはそう考えていた。
ラスキアスは、ゆっくりとした動作で大剣の槍を石畳から引き抜く。
「・・・他人から与えられた力なんぞに頼ってりゃ、こんなもんかもなぁ」
誰に言うでもなく、ラスキアスはそう呟くと大剣の槍を大きく振って構えなおした。
機巧槍兵は、投薬により体内魔力の循環を高められた兵士達だ。投与された物質は、天然のエネルギー結晶から抽出された魔含粒子を多く含んでおり、己の持つ魔力の上限を引き上げる効果をももたらす。
ラスキアス・オーガは一人の騎士である前に、魔装兵団の団長であり、セチュバー軍の要ともよべる指揮官だ。
勝機が増すというのならば、何であろうが優先するのは、ラスキアスの中では正しく当然の判断だ。
薬だろうが装備であろうが、勝つためならば何でも取り込んでやろう、使いこなしてやろうと考えていた。今も、その考えに何ら変化があるわけではない。
だが、目の前にいる修道騎士は、投薬で高めたラスキアスの視界から完全に姿を消して見せたのだ。
反射的に腕が出ていたが、それが当たっていなければ致命傷を受けていたのは間違いないと確信できた。
(正々堂々、戦ってみてぇなんて思う相手が、こんなところで増えちまうなんざ、笑っちまう。しかも、与えられた力を使いこなせてねぇ自分ってのが、何とも気にくわねぇ)
自嘲気味な笑いを口元に浮かべ、ラスキアスは心の中で愚痴る。
そして、体内魔力を活性化させて、己の体から装備の隅々に至るまで循環させてゆく。
大剣の槍が自分の体の一部となり、腕の延長でもあるかのような感覚を持ちはじめる。
額に浮かんだ血管が、今までにないほど脈打ち、耳の穴から微かに血液がしたたり落ちた。
「かりてるとは言え、今は俺の物であることに変わりねぇ」
言い訳じみた言葉だと思いながらも呟き、ラスキアスは全神経をトゥームへと集中する。
左腹部の痛みは増しており、出血量も増えているのが確認せずとも明らかだ。致命傷ではないにせよ、深い傷であるのは受けた時から理解していた。
ラスキアスは、両足に力をためると一気にトゥームへと間合いを詰める。
今出せるであろう全力の刺突を、トゥームの身体の中心目掛けて解き放つ。
防ぐにせよ、避けるにせよ、大きな動作が必要とされる一点に向けてラスキアスは大剣の槍を突き出した。
***
トゥームは、右肩の痛みを感じながらも、ラスキアスに対して冷静に集中することが出来ていた。
攻防における優位は常にラスキアスにあったし、腹部に負わせた傷による動きの鈍りすらみられない。
通常ならば、焦りすら感じる場面だと自分でも分かっているのだが、トゥームは精神的な集中を高められている自分に気付く。
『シャポーが防御魔法を使った』その一言が伝えられてからだ。
護るべき対象の安全が保障された。それだけで、これほどまでに戦いに集中できるものなのかと思わされる。
同時に、魔導師としてのシャポーに対し、トゥームは自分が思った以上に信頼を寄せているのだとも分かり、何となく申し訳ない気持ちになったのは心の奥底にしまっておくことにした。
トゥームは、高めた魔力操作が、自身の脳の処理速度をも加速させていることに気付いてはいなかった。
ただ『普段以上に集中できている』と感じるだけだ。
四肢の動きや五感を、体内魔力によってどんなに研ぎ澄まそうとも、情報を処理し伝達できなければ意味がない。
緻密な魔力制御の先にある、脳の演算能力の底上げ。
修道騎士の至るとされる『翔底我』の基本がそれであった。
ラスキアスが何事か呟いた後、魔力を大きく発散させ、一気に踏み込んできた動きも、トゥームの両目は十分に反応し捉えていた。
大剣の槍の切っ先が、トゥームの胸の中央に向けて真っ直ぐに伸ばされてくるのが分かる。
(間に合う)
トゥームの判断が速かったのか、体が動き出すのか速かったのか、既にトゥームの体は大剣の槍の下へと滑り込むように沈み込んでいた。
大剣の槍が左頬と左肩をかすめ、新たな傷が生まれるのも気にせず、トゥームはラスキアスの『攻撃』に対して『攻撃』に出たのだ。
狙うは、左腹部へ与えた鎧の亀裂への一撃。
沈み込むと同時に引いていた修道の槍を、ラスキアスの胴へ向けて振り抜く。
その一閃は、狙い違わず鎧に空いた隙間へと滑り込む。
魔装共々ラスキアスの身体は中ほどまで切り裂かれ、修道の槍の勢いによって横薙ぎに飛ばされるのだった。
次回投稿は8月4日(日曜日)の夜に予定しています。




