第9話 一撃の下に
ヤッカは、漁師の若い衆ばかり六人で組んだ見回り班の一人として、夕方遅くから西門の警備に向かうことになった。
教会に行っていた漁師組合の組合長が、鬼の形相で帰って来るなり西門の警備について文句を言い始めた為、急遽編成された班だった。
西門に到着すると、警備隊の下っ端ばかり数人が警備に就いていて、予想に反してヤッカ達の合流を大歓迎した。警備隊と漁師達は、普段から仲の良い関係とは言えなかったため、ヤッカ達は少しばかり拍子抜けしてしまった。
警備隊の隊舎から比較的遠い西門は、穀物などの倉庫が建ち並ぶ界隈で地味な役回りの印象が強い。その為、身分の高い家柄出身の隊員達は倦厭して、自分達ばかりに西門の警備を押し付けてくるのだと、下っ端警備兵は漁師達に愚痴をこぼした。
警備に詳しくないヤッカの目から見ても、西門を警備するには明らかに人数が足りてないと感じるほどだった。
北門や東門は、人や商人の出入りが多く商家や飲食店も集中している為、ソルジでは華やかな地区となっている。隊長以下、良い家柄出身の者達は、北門や東門を重点的に警備したがるのだ。金回りの良い商人と顔見知りになれる上、中央王都との繋がりも強く感じていられるからだ。
西門を警備していた者達の安心した表情に、漁師達は気を良くすると、自分達は目が良いからと見張り台の監視役まで買ってでた。若い衆と言えども、危険な海で鍛えている漁師の目は、日が落ちて暗くなったソルジの平野をも十分に見渡せる。
警備隊と漁師達が、和気藹々と西門の警備についている珍しい空気の中、見張り台に立っていた者から警戒の声が発せられた。
西の遠方、森との境に蠢く何かを発見したと言うのだ。
警備隊と漁師達に緊張がはしり、漁師見回り班の班長から見張り役へ確認を取るようにと指示が飛ぶ。一瞬の間の後、見張り役をしていた漁師二人から同時に声が飛ぶ。
「西西遠方!獣影十体!進行当方!」
海上で魔獣を発見した際に使っている、明瞭で端的な警告の声が響き渡る。警告を聞いた班長は、閉門するよう警備隊員に指示を出した。
ソルジは日ごろから平和なうえ、平野にあるという土地柄から見通しが良く、警備隊は普段から門を閉じない。
門の開閉には、エネルギー結晶をそれなりに消費する事もあって、警備隊は『有事にあたり閉鎖する事』と組織内規定まで定めて開閉にかかる結晶の経費を浮かせていた。書類上で浮いたはずの経費は、門の開閉費として中央王都の本部へ確かに報告されているのだが、本当の行き先は不透明となったまま黙認されてしまっている。
「門が閉じれないだ!?どう言う事だ!」
班長の怒号が、その場にいた全員の耳に届く。ヤッカもとんでもない事を聞いたと思い、班長と警備隊のやり取りへ目を向ける。
班長に胸ぐらを掴まれた警備兵は、目に涙をうかべながら門の開閉は隊長クラスしか行えず、今居るのは下っ端ばかりなので開閉の鍵となる『文言』を扱える者が居ないのだと訴えた。
「警戒残一!!抜刀!!」
若いながらも漁師である班長の判断は素早かった。漁師達は班長の声に素早く反応し、見張り台に警戒役を一人残し五人が武器を構え、互いが助け合える距離を保ちながら門を前に展開する。
班長は指示を出すと、腰袋からゲージを取り出し、漁師仲間へ魔獣の襲来を伝えるために操作した。
身分証を表示したり、情報を映し出す時とは違い、ゲージの半透明な空間に方陣が連続で浮かび上がる。通常なら、その方陣の組み合わせが成立すると、目的の相手へ自分の意思を送る事ができるのだが、まるでかき消すかのように操作が中断される。
「くそっ、どういうことだ、ゲージが働かない」
班長が何度試みても、ゲージは通常の動作をせずに停止してしまう。
「わ・・・私のゲージも、働きません」
警備兵も連絡を入れようとしたのだろう、班長に自分のゲージを向けて見せてきた。班長のゲージと違い、その警備兵のゲージは暗くなってしまい反応すらしていない様子だった。
火山の噴火など、大地の異変がある時は、ゲージで情報が受け取れなくなるとは言われているが、操作が出来ないのは初めての事だった。
班長は、動揺する警備兵を押し退け、周囲を見渡し一人の漁師へ指示を出した。
「ヤッカ!お前は足が速い!ゲージが働かない、助けを呼んで来い!」
「らー!」
ヤッカは、班長の命令に大声で漁師特有の返事を返し、手に持った武器を投げ捨て踵を返すと全力で走り出した。一緒に戦いたい気持ちを抑え、今のリーダーである班長の判断を遂行する事が漁師としての務めであり、命を繋ぐ行動なのだと教え込まれているからだ。
この判断の速さと、統制の取れた行動から他の地域に住む者達から、ソルジの漁師は『漁師兵』と呼ばれている。
ヤッカは全力で走りながら、助けを求める先を考えていた。走り始めてから数分も経っていないはずなのに、見慣れた街並みが長く遠く感じる。
(仲間の漁師達は、船蔵の建っている南門付近に居るはずだけど、魔獣が西門に到達するまでに往復できるのか。警備兵の隊長クラスを呼び、閉門してもらうにしても、北門まで行き連れて行くのは時間がかかりすぎるんじゃないか)
ヤッカは苦しさと流れ込む汗に目を強く瞑るが、足を止める訳には行かなかった。仲間が今まさに、魔獣と戦いだしているのかもしれないのだから。
苦しさをのみ込んで目を開けると、街灯や家明かりの中、町とは別空間の様に感じられる宵闇に沈んだ公園が目に飛び込んだ。
「教っ・・・会っ・・・」
ヤッカは頭の中で、その空間の中心にある教会を思い出す。町の者達が信頼を置いている、スルクローク司祭なら助けてくれるのではないか、と。
力を振り絞り、ヤッカは教会へ必死の思いで走りこむ。仲間の命が、この一歩に懸かっているのだから。
教会のダイニング、ヤッカはまだ荒い息をつきながらも、スルクロークとトゥームに事の次第を伝えた。
「スルクローク様、守護戦闘の許可を」
話を聞き終わったトゥームが、スルクロークに戦闘許可を申し出る。そして、即座にスルクロークに向かって片膝をつき頭を垂れた。
教会に所属する兵は、所属している施設の司祭に許可を受け、はじめて戦闘行為が許される。
修道騎士ともなれば、司祭クラスの権限を持つに至るので自分の責任のもとで戦闘行為が行えるのだが、修練兵であるトゥームは、司祭であるスルクロークの許しが必要となる。
「わかりました。ソルジ教会司祭バ・スルクローク・アベントイルの名において、剣となり護る事を許します」
空中で何度か印を結び、スルクロークはトゥームに戦闘の許可を言い渡す。三郎は、光が沸いたりするのかと少しばかり期待して見ていたのだが、特に奇跡の様な現象が起こるわけでもなく終わってしまった。
トゥームは、立ち上がってスルクロークに頭を下げると、風のように部屋を出て行った。その行動は素早く、三郎が『気をつけて』と声を掛ける間も無かった。
「さて、ゲージが働かないとなると困りますね」
スルクロークは、自分のゲージを取り出し、何事か確認しながらふむふむと頷いた。
「スルクローク司祭のゲージは、使えるんで?」
呼吸の落ち着いてきたヤッカが、期待を込めて質問する。ゲージが使えるなら、警備隊と漁師へ連絡も取れるかもしれない。
「いえ、単体では操作できますが、大地の情報網が使えないようですね」
そう言って、スルクロークは自分のゲージをしまうと、ヤッカに向き直る。スルクロークは、ソルジ全体に何らかの人為的な力が働いていて、ゲージが使えないのではないかと言う考えが浮かんでいたのだが、不安を煽るだけだろうとあえて黙っておく事にした。
「ヤッカ君、落ち着いてきたところ悪いのですが、漁師達の元へもう一走りして助けを呼んでもらいたいのです」
「任せてください」
スルクロークの言葉に、ヤッカは即答する。
三郎はそんなやり取りを見ていて、自分も何か手伝える事は無いかと周囲を見回すと、不安そうにしているティエニとリケ、そして険しい表情で押し黙って立っているラルカが目に入った。西門へ向かったトゥームの代わりに、自分は子供達をしっかり見ておこうと三郎は心に決める。
突然、黙っていたラルカが、リビングから出て自分の部屋へと走って行った。
三郎の胸にいやな予感がこみ上げてくる。スルクロークへ視線を向けると、スルクロークもラルカの様子にいやな予感がしているのか、眉根を寄せて三郎に頷いてきた。
リビングへ向かって来る足音とともに、真剣な表情のラルカが扉の前に現れた。その胸には、練習で使っていた小振りのブロードソードが抱きしめられている。
「私、トゥームお姉ちゃんを手伝いに行ってくる」
そう言うと、ラルカは誰の返事も待たずに教会を飛び出してしまった。反射的に三郎が、ラルカを追いかけるために走り出す。
「スルクロークさん、おれ、追いかけます」
「サブローさん!」
スルクロークが三郎の名を呼ぶ声を背に、三郎も教会を飛び出すのだった。
トゥームは、全力で走っていた。修練兵として鍛えられた体は、自然と体内魔力の循環を効率化して戦いの為に筋力を温存させている。呼吸が乱れている様子は微塵も無い。
魔力により研ぎ澄まされた感覚から、西門で戦いが始まっていないことは分かっていたが、そこへ向かっている人ではない者の気配も感じとっていた。
「間に合うけど、すぐ戦闘になるわね」
トゥームの右手には『修道の槍』と呼ばれる、ヴァンプレートの付いた三角錐状の槍が握られている。長さ二メートルほどのランスに見えるのだが、穂先から全長の三分の一ほどが両刃の剣となっており、刺突のみならず斬撃にも特化した特徴的な武器だ。
長さや重さから扱いは非常に難しく、修道騎士として訓練を受けた者だけが好んで使う事から『修道の槍』と呼ばれるようになった。通常ならば専用の籠手やグリーブとともに装備するのだが、急いでいたためトゥームは槍だけを持って駆けつけていた。
トゥームの接近に逸早く気がついたのは、漁師見回り班の班長だった。
「教会のトゥーム殿か。修練兵が来てくれるとは、ありがたい」
ソルジの住人で、トゥーム個人の実力を目にした事のある者など居ないのだが、クレタスの人間なら誰もが、修道騎士や修練兵の高い戦闘能力を知っている。
「状況はどうなっていますか?」
トゥームは、走ってきた事などまるで感じさせない声色で、班長の前へ速度を落として近づいた。
「一人見張りに立たせている。魔獣の数は十体、西の森から真っ直ぐソルジへ向かって来ている。戦力は、ここにいる者達が全てだな」
班長の言葉に、トゥームはそこに居る者達を見まわした。
漁師達は十分に戦力たりえる様に見えるが、見張りの者を入れても五人と、人数が足りないのは明らかだ。警備兵達は、武器こそ構えてはいるのだが、魔獣が接近している恐怖からか腰が引けてしまっており、戦力として数えないほうが良いだろうと判断する。
「私が前に出ましょう、抜けてしまった魔獣への対応をお願いしてもいいですか?」
トゥームは班長に言い終わる前に、西門の方へ歩き出す。魔獣の気配はだいぶ近くなっている為、時間の猶予が無いと感じたからだ。
そんなトゥームの背中に、班長が不服の意を唱えようと口を開いた瞬間、見張り台に立っていた漁師から叫ぶような警戒の声が発せられた。
「魔獣加速!目で追いきれません!」
その言葉が終わるか終わらないかの内に、西門の入り口に一匹の魔獣が突如として姿を現した。
犬を思わせる見た目こそしているが、その体躯は大人の男ほどもあり、白く長い体毛が全身を覆っている。鋭い牙がむき出しとなり、目は赤く鈍い光を放っていた。その全身から、恐ろしいほどの殺意を発しているかの様だった。
海の魔物との戦いを経験している漁師達ですら、戦慄を覚えるほどの姿であったのだが、その恐怖をかき消してしまう様な光景を目の当たりにしていた。
誰も反応する事が出来ない中、魔獣へ槍をもって刺突する一人の修道女の背中がそこにあった。
「シッッ」
歯の隙間から空気を抜く様な、気合の声と共に放たれた修道の槍は、魔獣の額を深く貫く。魔獣の意識の隙間をも突いた一撃は、その命をすでに刈り取っていた。
死んだ事にも気付いていない魔獣の体は、二歩三歩とふらつくと、その場に砂埃をあげて倒れこんだ。
トゥームは、槍についた魔獣の血を払うように、大きく武器を振って構え直すと、残り九匹の魔獣へ威圧を込めた冷たい視線を向ける。
唐突に失われた仲間の命を前に、走る足が止まった魔獣達だったが、殺意も新たに喉を鳴らす。そして、襲い掛かるタイミングを計るかのように、姿勢を低くして距離をゆっくりとつめて来る。
トゥームの背中からは、魔獣を一撃の下に倒したトゥームの姿に雄たけびを上げる漁師と警備兵の声が響いていた。
修練兵のあまりの強さに勝機を確信した鬨の声であったが、そのトゥームの額には冷たい汗が一筋流れていた。
次回更新は10月29日(日曜日)の夜に予定しています。




