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巡る春

 



 

 ランバルトはリサの目の前に立つと、掲げ持つ長剣を勢いよく振り下ろした。

 だが、その切っ先はリサの首横を滑り、すぐ脇の雪に突き刺ささった。

 柄を固く握り締め、何度も肩を上下させながらランバルトは目を閉じた。こめかみを汗が伝い、悟られぬために伸ばした髭にじっとりとしみ込んでいく。


『力が戻れば殺せ』


 言葉は覆せぬ命令だ。

 強力な忘却魔法が打ち破られるのはそれ以上の力と感情が膨らみあがって暴発するため。狂気の魔女が覚醒する前に手を打たねば、彼女の持つ全ての命の鍵の魂を吸い上げられてしまう。そうなればもう、自分に為す術は無い。

 急がねば。急――


『おまえ、どうしたの?』


 ハッとして、ランバルトはリサを見た。地に伏したまま見上げて笑う小さな姿が、出会った時の姿と重なる。


 幻聴は、魔女の罠だ。


 そう己に言い聞かせながらも、剣を持つランバルトの腕が細かく震えだす。


 ――出会いは十数年前。

 今と同じ、雪の降る森でだった。




 * * *



「おまえ、どうしたの?」


 地に伏した生き物を見下ろし、黒髪の少女が尋ねた。


 虚ろな瞳がぼんやりと彼女を見上げる。痩せこけた裸は垢まみれの傷まみれで、無数の折檻跡があった。この生き物はリンツァーバルトの森に捨てられ、動くことができずにいたのだ。


 奴隷だった母は、主人から犯されて子を産んだ。赤子を殺そうとした主人達に這いつくばって命乞いをした彼女は、やがて息子の代わりに受けた傷がもとで死んでしまった。残された子供は人以下の扱いを受け続けた。気晴らしに蹴りつけられ、煙管の灰を肌に落とされ、家畜と同じ食べ物しか恵まれず蔑まれながら生きていた。

 やがて飢饉が起こったこの年、ほとんど与えてもらえなかった食べ物ですらやるのが惜しいと、馬に引きずられてこの森まで連れてこられたのだった。


「魔女に命を吸ってもらえ」


 捨て台詞と共に唾を吐かれ置き去りにされたこの生き物は、最早動くことも叶わずにぐったりと最期の時を待っていた。


「命の火、きえかけている」


 真っ白な指先がシラミだらけの髪に触れる。そっと撫でながら、


「――生きたい?」


 と少女は問うた。


 死んで、楽になりたい。


 それしか願っていなかった。母が身を呈してくれたため、自ら死を選べなかっただけだ。生きていて楽しい思い出も、腹の膨れたことも、これまで何一つない人生だった。


 ――なのに、気付けば頷いていた。


 少女は屈みこむと、骨と皮だけになった生き物の前で両手を広げた。


「おいで」


 震える手足で這うようにして、生き物はおずおずとにじり寄る。その瞳に浮かぶのは、支配される怯えと僅かな期待。

 少女はその汚れた頬に掌をあてると、落ち窪んだ空色の瞳を間近で見つめながら鈴のような声で歌いだした。詠唱と共にじんわりとした温もりが生き物の身体を駆け巡り、力をみなぎらせていく。


「ああ、泣かなくていい……おまえ、名は?」


 頬を伝う生き物の涙を、小さな指がごしごしと拭う。


「そう、ないの。では、『ランバルト』だ」


 幼くも気高き魔女は、その生き物に名づけのまじないをかけてやる。


「この森の名を半分もらおう。強くてりっぱで、やさしい名だ。

 おいで、ランバルト。これからは、ずっといっしょだ」


 瞬間、生き物は少年ランバルトとなったのだ。




 * * *




 艶やかにうねるぬばたまの闇が、白い顔を飾るように宙を彩る。橘色の瞳は今や煌々と落陽の輝きに転じ、赤い唇がニタリと高く持ち上がった。


 我に返り、意を決してランバルトが振り下ろした刀身は、いともたやすく跳ね飛ばされる。


 魔女はふらふらと立ち上がると右手を掲げた。ゆっくりと二本の指を伸ばしながら、赤子の鳴き声が重なるのにも似た不気味で不明瞭な詠唱が始まる。地鳴りのような音を轟かせ、空にこれまでリサと長魔女が吸い上げてきた全ての魔法の鍵が一斉に出現する。音を立て放射状に連なりながらそれらは光輪で繋がりあい、回転しながら広がっていく。

 一列目の命の鍵の動きが早まりだす。ブブブブブ……。唸る音と共に輝きだした鍵は輪郭を保てぬほどに震えながら膨張を始めた。


(――これまでか)


 ランバルトは覚悟を決めた。外套を脱ぎ捨て帯刀していた短剣を両の手に持ち走り出す。唸る鍵の大群の下を可能な限り身を低くして素早くかいくぐると、詠唱に夢中な魔女に飛びかかった。全体重をかけながら雪上に押し倒し、短剣を左右の耳横に渾身の力で差し込んだ。次いで装身具に差し入れていた呪術用の杭を次々に抜きながら女の頭部の周りに打ち込むと、暴れようとする唇を伸し掛かりながら自身の口で塞いだ。忌々しげに頭を動かそうとしたものの、女は杭で頭部に封印を施されたため動けない。荒い吐息と共に絡まり合う舌の動きに愛など無い。もがく両腕を押さえつけると、ランバルトは一気に莫大な魔力の吸い上げを始めた。



 覆い被さるようにして襲いかかっていた狂気が、少しずつ威力を弱めていく。淀みの奥で頭をねじり切られるような感覚に悲鳴を上げ続けていたリサは、うっすらと意識を取り戻した。

 背中は凍えそうに冷たいのに、伸し掛られた重みと覚えのある熱い舌の感触に応えるように絡めてしまう。

 ……やがて、リサは悟った。

 これはただの口付けではなく、相手に魔力を流し込む行為であると。


「ランバ……ト」


 動かぬ頭を無理矢理動かそうとしながら、リサは呻いた。


「やめ……」


 言葉を押し込むように再び深く口を塞がれ、リサは喘いだ。顔を動かし合い、ひと呼吸する間に、少しずつ魔に汚染されていた身体が楽になっていく。だがそれは逆の現象が相手に起こっているということだ。


「いや……はやく、ころ、し……」


 涙に濡れる橙の瞳はもはや狂った魔女のそれではなく、意思ある一人の女性のものだった。

 ようやくランバルトが力を緩め、唇を離した。ホッとして身じろぎしたリサの両頬を手で包むと、彼は茜色に光る瞳で微笑んだ。


「出会ったあの日より……お慕いしておりました」


 もう一度、今度はゆっくりと唇が重なる。これまでと違い甘い動きに変わりつつも、けれどそれでもやはり恋人のものではなく、自ら破滅へと進む口づけ。


 (嫌……嫌……!)


 身動きが取れぬまま、リサは涙を流し続けた。


 想いが通じる日を夢見ていた。

 けれど、望んだのはこんな残酷な形ではない。



 ランバルトは器が耐え切れなくなっても尚、リサの魔力を吸い続けた。やがて、自身の瞳がぐらぐらと煮え滾るほどの熱を持ち、意識が朦朧とし始めた頃、ついに己の心が壊れだしたのだと悟った。

 ランバルトは最後の力を振り絞ると、リサの髪を押さえていた短剣を抜き取った。そうして、自身が狂いきるその前に、喉を突いて自害した。



 その筈だった。




 気付けば、意識が戻っていた。

 目を開けば、倒れた時と同じ場所に横たわっている。身をよじり、頭と身体の痛みに顔をしかめながら辺りを確認してみれば、自分が流した血の跡も確かにその場に残っている。


 死んで、魂が抜け出たのか。


 そう思いかけたものの、身体を冷やす雪の冷たさがこれは現実だと教えてくる。

 ランバルトはどこにもリサの姿が無いことに気付き、よろめきながら立ち上がった。

 引きずったような跡が雪上に続いている。おぼつかない足取りで、彼はそれを追跡しだした。





 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もっていた。

 一面の白に反射した光が長い黒髪を照らしている。

 音すらも包み込む静かな雪の中、茜色の瞳を持つ男は近づくと、その脇に屈み込んだ。装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。



 リサが、自分を助けてくれたのだ。



 魔法の鍵は命の技。

 死者をも蘇らせる大魔法は、愛する人に自身の命と力を捧げる技。



 おそらくは自分に見つからない場所で最期を迎えようとしたのだろう、身体を引きずるようにして移動してきた跡がここまで残っている。

 そうして、ここで力尽きた。


 ランバルトは手袋を取ると、リサの脈を取り、瞼を開き瞳孔を確認した。青白い頬に血の気はない。だが、まだかろうじて生きている。急いで身体を温めてやれれば、息を吹き返すかもしれない。


 そうして、もしかしたら。

 魂が今にも離れようとしている、今この瞬間なら。


 自分に残ったリサの魔力の全てを使い、もう一度だけ、新たに記憶を上書きすることが可能だ。

 魔女は全ての力を手放した。ならば今度こそ全てを忘れてしまえば、もう何かに怯えることも苦しむことなく、彼女が望んでいた本当に平穏な日々を送ることができる。


 そう。集落のことも、忌まわしき魔法のことも、リサエラとの戦いも、それから、自分とのことも全て。


 ――急がなければ。


 冷たい身体を抱き抱えると、力強く雪を踏みしめ、ランバルトは足早に来た道を戻っていった。

  







 リサ。




 もう一度、やり直そう。




 :

 ・

 *

 ・

 :


 *





 風に運ばれてきた花びらがシーツの上でくるりと舞った。そのまま滑るように通り過ぎていく様を、リサは洗濯籠を抱えたまま見とれた。

 今日も一日いい天気だった。おかげで取り込んだ洗濯物はお日様の匂いでいっぱいだ。

 日中は春の日差しがあまりに眩しかったものだから、自分が経営する店などもう必要ないのではとすら思ってしまう。

 けれど、こうしてお日様が沈む頃になれば思い出す。闇は必ず訪れるし、明かりを必要とする人はいくらでもいることを。


「あ、こんにちは、夜警さーん」


 ほら、ああして火の無いカンテラを手にやってきた彼もその一人だ。

 この春赴任してきたばかりだという夜間警備隊員のこの男性は、毎日見回りの最初と最後にリサに挨拶をして去っていく。


「こんにちは、リサさん。何かご不便事などありませんか?」


 赤い警帽を持ち上げると、夜警はリサに尋ねてきた。

 少しくすんだ空色の瞳に見つめられ、リサの胸がことりと動く。

 最初に会った時からそうだった。彼の瞳を見ていると、不思議と懐かしさのようなものを感じてしまう。


「いつもと同じ、いたって平和です!」


 そんな感傷的な気分を吹き飛ばすべく、リサは敬礼の真似事をしておどけてみせた。


「それはよかった、では私はこれで」


 笑いながら敬礼を返した夜警に、「あの」とリサは呼び止める。


「わたし、今からごはんなんです」


 言った後で、それがどうしたと返ってくる前に、急いで付け加える。


「その、あんまりお料理って得意じゃないんです。でも、今日は何も焦げなかったし、ちょっと作りすぎちゃって。だから、できれば誰かと一緒に食べれたらなあ、って……」


 だんだんと声が尻すぼみになっていき、頬が熱くなっていく。


「……もし、お食事、まだでしたら……一緒に、どう、です……か?」


 最後は蚊の鳴くような声になってしまった。


 いかにもぎこちない誘い方になってしまい、恥ずかしさに腰まで垂れ下がる長いおさげの先を弄ってしまう。昔からこうしていないと心が落ち着かない。


 けれど、出会ったばかりの男の人を誘うなんて、リサ自身初めてのことだったのだ。


 一人暮らしは慣れている筈なのに、毎日挨拶をした彼が去っていくその背中を見ていると、ふいに涙が滲むことがある。

 どうしてそうなってしまうのかは、リサにも分からない。

 だから、彼ともっと話をして、その理由を知りたいと思ったのだ。


「……お誘いどうもありがとう。それではご馳走になろうかな。

 リサさんの作るものなら、きっとなんだって美味しいのに違いない」


 ホッとして、リサは握り締めていた毛先から手を離した。

 自分の作る料理は本当にたいしたことはない。けれど目の前にいるこの人なら喜んで食べてくれそうな、そんな気がする。

 夜警はリサから洗濯物の入った籠を受け取ると、「そういえば」と、胸ポケットに挿していた一輪の白い花を差し出した。


「さっき摘んだばかりです。――少し、あなたに似ていたから」

「わあ、ありがとう、さっそくテーブルに飾りますね」


 嬉しそうに両手で花を受け取るリサを、夜警は優しい瞳で見つめた。


「それではお嬢さん、私をお店に案内していただけますか?」

「はーい、どうぞごゆっくり!」


 和やかなやり取りを交わして灯り屋に向かうリサ達の頭に、ひらひらと小さな花びらが舞い落ちてきた。夜警は手袋を外してから、そっとリサの髪から花びらを摘み、微笑んだ。





 胸の奥で、ぽっ、と暖かな灯がともる。




 リサがこの灯りの名に気づく日は、もうすぐだ。







<リサと夜警と魔法の鍵:おわり>



「リサと夜警と魔法の鍵」、お付き合いいただきありがとうございました。

主催者のナツ様、素敵なプロローグをありがとうございます。

読んでいただいた方に少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

(※1/6活動報告、後日談について)

(※※1/15後日談完結)

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