勇者と魔王とこれからの事
わたしの前にほかほかと温かい湯気を立てる、美味しそうな朝食が並んでいます。
メインはアジの干物、脂が乗っていて美味しそうです。
お新香はキュウリとナス、鮮やかな色彩が美しい。
お味噌汁の実はジャガイモ。ちゃんと火が通って柔らかいのに煮崩れしておらず、作り手の熟練の技が窺えます。味噌とダシの良い香りがたまりません。
卵焼きは出汁巻きではなく砂糖を使った甘い卵焼き。ふっくら焼き上げられたこれは大事にとっておいて、最後にデザート的に頂くことにしましょう。
そして何といっても忘れちゃいけない白いご飯。
ふっくらツヤツヤと炊き上げられたお米が、まるでわたしに食べられるのを今か今かと待っているように見えます。
他にも納豆や生卵やふりかけや海苔の用意もバッチリ。
これは朝からご飯のお代わりをせずにはいられませんね。
そんな完全無欠の和朝食がわたしの前に並んでいました。
全員が席に着くのを待ち、両手を合わせていただきます。
その後はただ全身全霊を集中して食べるだけです。
箸先がアジの干物の、その適度に締まった身に触れると心地よい弾力を返してきました。そこで一口分の身を摘まんで、まずは一口。次いで、アジの余韻が消えないうちに白米をすかさず一口。
アジの塩気と干物特有の濃厚な旨味、白米の甘味。
それらが渾然一体となって、えもいわれぬ満足感があります。
アジの脂が残る口にキュウリのお新香を放り込むと、サクっという小気味良い歯応えがまず感じられ、酸味によって口内の脂が洗い流されます。干物と交互に食べたらそれだけでご飯がいくらでも進みそうです。
この辺りで目先を変えて、お味噌汁を一口。
出汁は煮干でしょうか。味噌もどうやら複数の種類をブレンドして使っているようで、発酵食品特有の複雑な旨味、程よい塩気、わずかに渋みや甘味も感じられます。具のジャガイモも、ホクホクとした食感と素朴な甘さで良い仕事をしていました。
白いご飯をまずはアジで半分。
お新香と味噌汁でもう半分。
ここで一度ご飯のお代わりをして、納豆やふりかけに選手交代です。醤油とカラシを少量入れてよく混ぜた納豆をご飯に乗せて、まずはそのまま。
次に焼き海苔でご飯と納豆を巻いて納豆巻き風にして。そこまで食べてから茶碗の底の方に残ったご飯にふりかけをかけて二杯目をぺろりと完食。
その後でちょっと迷ったものの、まだ生卵には手を付けていないのを思い出し三杯目に突入しました。盛られたご飯の中央に箸で小さく窪みを作って、そこに卵を割り入れて、更に醤油をちょっぴり垂らしてよく混ぜてから頂きます。
こちらも途中で海苔で巻いたり、お新香で舌をさっぱりさせたりしながら、ご飯粒一つ残すことなく三杯目も完食しました。
最後は大事にとっておいた甘い卵焼きでシメ。優しい甘さと、ふっくらとしてそれでいてとろける様な絶妙の食感をゆっくりと堪能します。
食後には熱い緑茶を。
お茶の爽やかな渋みが舌と胃を引き締めてくれるかのようです。
流石に朝から食べ過ぎてちょっとばかりお腹が苦しいですが、質も量も最高の朝食でした。心も身体も満ち足りてとても幸せな気分です。
毎日これだけ食べていると体重が怖いことになりそうですが、この世界に来てから日々の勇者業や旅暮らしのせいでやや痩せ気味だったので当分は問題ない……はず。一応、覚悟はしておきましょう。
◆◆◆
さて、昨日魔王さん達と出会ってから一晩が経ちました。
現在わたしと仲間の皆さんは、迷宮地下のレストランでこうして朝ご飯をご馳走になっています。
わたし以外は不慣れな和食に若干戸惑いもあった様子ですが、騎士の皆さんは元々訓練などで粗食に慣れていますし、一年間の旅暮らしで各国各地の様々な食文化にも触れてきました。
そうした食の経験値をもってすれば、正統派の和朝食は大した抵抗もなくすぐ受け入れられるモノだったようです。なんと、わたしが美味しそうに食べるのを見て納豆や生卵にもチャレンジしていたほどですから、大した適応力だと思います。
仲間達には魔王さんとの話し合いに同席してもらう為に一緒に来てもらいました。
これからわたしは魔王さんに協力してもらって元の世界に帰る方法を探すつもりでいますが、まずはこの世界の人々に魔王が見つかったこと、しかしこの世界に危害を加えるつもりがないことを伝えて安心させなければなりません。
その為には各国の偉い人達の協力が不可欠なのですが、その辺りの事には政治とか外交やらの事情も関係してくるのでしょう。わたしは自分の説得や交渉の能力に、それほど自信があるわけでもありません。普通の女子高生にそこまで期待されても困るというのが本音です。
わたしの仲間のほとんどは、わたしを召喚した国から派遣された騎士さん達。
つまりはれっきとした国家公務員なわけで、わたしと違って人生経験豊かな大人です。わたしでは判断に困ることについては、彼らの意見が大いに参考になることでしょう。
さて、お腹も膨れたところで話し合いに移ります。
最初に出てきた議題は、「そもそも本当にこの店主さんが魔王なのか?」ということでした。なるほど、確かにごもっとも。
言われてみれば、彼が魔王だという根拠は今のところ本人の自己申告しかありません。わたしはすでに彼が本物の魔王だと信じ切っていましたが、事前情報のない第三者に彼が魔王だと信じてもらうには一体どうすればいいのでしょうか?
わたしの持つ勇者にしか使えない聖剣のように、彼が魔王であることを都合よく証明できる物はないのでしょうか?
残念ながら、魔王さんによると特にそういう物はないそうです。
一応、魔界で発行された住民票はあるそうですが、それは人間界での身分証明書としては機能しないでしょうし。
ううむ、まさかこんなに早い段階でつまずくとは……。
とはいえ、事の重大性を考えるとここで引き下がるわけにもいきません。
あれこれと知恵を出し合い、最終的にアリスちゃんの提案を採用。なるべく危険のない範囲で魔王さんの実力を見せてもらうのが、手っ取り早いということになりました。
実力を見せると言っても、あまり物騒な見せ方をするわけにはいきません。
なるべく穏便に、平和的に、モノやヒトを壊さないように実力を見せつける……というと、なんだか随分な無理難題を言っているように思えてきますが。
そういうワケで全員でゾロゾロ店の外に出て、魔王さんに普段は抑えているという魔力をなるべく軽めに、1%に満たないくらいの量を解放してもらいました。
結果、わたし以外の全員が泡を吹いて卒倒しました。
正直わたしも結構ギリギリです。
慣れているのかアリスちゃんは無事ですが、よく見たらスカートの上から指で太ももをつねって意識が飛ばないよう気付けのための工夫をしていました。
つまりは、現役と元の勇者と魔王以外は残らず全滅。
全員かなり鍛えていて、旅の間にそれなりに修羅場もくぐっているはずなのですけど、魔力の抑えをちょっと緩めただけでこの有り様です。
幸い、十分ほどで全員が意識を取り戻したのですが、もはや魔王さんが魔王であることを疑う者は一人もいませんでした。
これで話し合いがスムーズに進みます。良かった良かった。
皆の表情が引き攣っている風なのはきっと気のせいでしょう。
◆◆◆
それでは次の議題に移ります。
それは「魔王さんは本当に人間界を害するつもりがないのか?」という点です。確かに単なる口約束では色々と不安になりそうなものです……が、それに関しては意外と皆あっさり納得してくれました。
先程その一端を見せた圧倒的な実力を持ってすれば、世界を支配するのも滅ぼすのも容易いこと。魔族の軍勢も、策を弄する必要すらもありません。
薄々感じていましたが、さっきの魔力を見て確信しました。
たとえ世界中の軍隊が全部集まって魔王さん一人と勝負しても軽く蹴散らせるでしょうし、勇者が戦っても間違いなく勝てません。
ちなみに参考までに、アリスちゃんも元魔王だとかで相当強いっぽいです。勘ですが、今のわたしだと彼女相手でも相当厳しそうな気が。更には魔界にいるという魔王軍の戦力もあるわけで。
なので魔王さんにその気が、つまり人間界に対する害意があったのならば、搦め手も戦略も必要なく単なる力押しだけで今頃とっくに世界はどうにかなっているはず。つまり逆説的に現在そうなっていない時点で、魔王さんにその手の意欲が無いことの証明になるのです。
なんだか思考放棄というか、ある種の諦観のようですが、考えてもどうしようもないことはそれ以上考えない方が精神衛生上良いのです。
◆◆◆
そして話題は移ります。
魔王さんに人間界への悪意が無いとして、ならば「魔族と人間は今後どのように関わるべきか?」ということを考えなければなりません。
敵対しないというのなら、協調か、あるいは不干渉を貫くか。
安定して往来ができるのなら、積極的に貿易をしたり観光や留学など人が行き来するというのもアリかもしれません。個人的にも魔界にはちょっと興味があります。
しかし、この話題に関しては一旦保留という扱いになりました。
魔王さんは魔界の王様で最高責任者なのでいいとしても、わたしや仲間達が他の人の意見も聞かずにこの場で勝手に判断するのは流石に手に余ると考えたのです。
話し合った結果、一旦、本国に早馬を飛ばしてここまでの経緯を報告。
王様から大陸の主要各国へ依頼して魔族と交渉するための使節団を派遣してもらい、後日改めて会議の場を設ける……みたいな形になるのではないでしょうか。
なにしろ他の世界との和平条約、事によっては通商条約とか、そういった決定への賛否を問われることにもなるはずです。内容が内容だけに重要な決定権を持つ王族クラスか、同等の権限を持つ名代を立ててもらう必要があるので、各国からの使節団の選定と招集だけでも結構な時間がかかりそうです。
とりあえず、今ここで話せることは大体出尽くしました。
ここに至っては、もう勇者の出番はほとんどありません。
不本意ながら大きくなりすぎている名声を活用して、使節団の招集に後ろ向きな国の背中を押すために名義を貸すとか、精々そのくらいでしょうか。
あとはもう政治やら外交のプロに丸投げです。
一般女子高生の出る幕じゃありません。
会議が変な方向に拗れて二世界間の戦争とかって話になるようなら流石に口を出すかもしれませんけど、流石にそんな風にはならないはず。ならないといいなぁ。
とはいえ、然るべき対応が可能な人々が集まるまでは勇者も開店休業です。なるべく早く正式な会議の場を設けることだけ再確認して、この場はお開きとなりま――。
おっと、忘れてました!
一つ聞かねばならないことが残っていたんです。
本当は昨日の時点で聞いておかなければいけなかったのですけれど、色々あってすっかり忘れていました。うっかりで忘れるような内容じゃないと自分でも思いますけど、きっと気が動転していていたからだということにしておきましょう。
わたしは魔王さんに問いかけました。
「貴方はわたしと同じ世界から、つまり地球からこの世界に来た人なんですか?」





