勇者、餌付けされる
店主さん、改め魔王さんがどうして人間の世界で料理屋なんてしているのか?
その理由はざっくり以下のようなものでした。
魔王として魔界を統治し、百年くらいかけて平和で豊かな世界にした。
しかし、王様としての立場やらしがらみやらで、今度は気軽に出歩けなくなってしまった。ならば顔の売れていない人間界でなら気軽に生きられるんじゃないか、と思いついた。
それで今から一年ほど前、ちょうどわたしが召喚された直前くらいから、半分バカンスみたいな感じで迷宮の奥で趣味の料理を存分にするための料理店を始めた……と。
大体、こんな流れだったそうです。
なんとも適当な理由に、怒ればいいのやら呆れればいいのやら……。
その気紛れのせいで散々苦労させられた身としては、何ともやるせない気分になってしまいます。とはいえ、そもそも悪意があってしたことではないですし、今現在わたしの目の前で申し訳なさそうにしている魔王さんを見ると怒るのも筋違いであるように思えます。
まあ侵略とか戦争とか、そういう物騒な理由で来るよりも平和的で良いのでしょうけれど……なんとも釈然としないモヤモヤ感が。
とりあえず、その辺りのことは一旦忘れます。
今は魔王が無事に見つかったことに注目しましょう。
それならそれで、また新たな問題が立ち上がってくるわけですが。
勇者を召喚するのに必要な条件が魔王が出現すること。
勇者が元の世界に帰る条件は、魔王を倒すこと。勇者が魔王に勝利した時点で自動的に元の世界へ送り返す術式が発動する……というのが、わたしが把握している仕組みです。
自由に召喚できず、そして用が済んだらすぐに送り返す。
一見不便なようにも思えますが、勇者という戦力が私利私欲や人間同士の戦争に使われることのないよう、召喚の術式自体が安全装置の役割を果たしているのだそうで。
元はこの世界を見守る女神様とやらが人間に授けた秘術だそうですが、なるほど、なかなか上手い仕組みになっているものです。
ただし今回のように魔王が平和主義者で、なおかつ侵略以外の目的で人間界に来ることまでは流石の神様も想定していなかったようですが。
恐らく、今わたしが聖剣を出して魔王さんを斬れば、それでわたしは日本に帰れるのでしょう。しかし、そもそも悪人ではなく、それどころか色々と親切にしてもらった相手を斬れるのか?
しばし心の中で自問自答しましたが……無理です。
日本に帰りたい気持ちに偽りはありませんが、罪の無い人、それも恩人を斬る、殺すような真似をしたならば、例えその後で日本に帰っても後悔と自責の念でわたしは潰れてしまうと思います。
ならば、正規の帰還方法ではない何か別の手段で帰れないか?
実際、魔王さん達は魔界という異世界から人間界にやって来ているわけで、何らかの世界間を渡る手段を持っているはずです。
そうして、わたしは魔王さんに元の世界に帰る協力を頼むことにしたのです。迷惑をかけた負い目も多少はあるのでしょうが、幸い、魔王さんは快く協力を約束してくれました。
ぐぅ……。
と、ここまで随分長い事話し込んでいたのですが突如この場にそんな異音が響き渡りました。まあ、わたしのお腹の音なんですが……。
恥ずかしさで顔が赤く、熱くなっていくのを感じます。
考えてみれば先程はお味噌汁を一口飲んだだけですし、それ以前に食事をしたのは半日近くも前のこと。まだほんの取っ掛かり程度とはいえ、元の世界に帰る手がかりが見つかったことで気が緩んだせいかもしれません。
空腹は一度意識するとどんどん強くなってきて、わたしはお腹に力を込めてそれ以上腹の虫が鳴かないよう努力します。その努力が功を奏したかといえば……ノーコメントで。
ちょうど話が一段落したところですし、魔王さんの提案で一旦休憩することになりました。アリスちゃんがお茶を淹れるために席を立ち、魔王さんが何か軽く食べられる夜食を作ってくると言って店の奥の厨房へと入って行きました。
どうやら気を遣わせてしまったようですね。
それとも、わたしのお腹の虫がそんなにも主張していたのか。
数分後、魔王さんが用意してくれたのはおにぎりとお味噌汁のセット。
おにぎりが一人三つずつ、中身は梅と鮭とおかかだそうです。
和食に餓えているわたしには非常にありがたいチョイスでした。
さっき散々泣いたので多分大丈夫だとは思いますけど、今度は食べても泣かないように気を付けないと。アリスちゃんが熱い緑茶の入った湯呑みを各自の前に置き、いただきますの声とともに食事が始まりました。
実を言うと、この一年の間にわたしはお米を見つけていました。
ですが、それは日本で一般的に食べられているジャポニカ米のような短粒種のお米ではなく、タイ米のような長粒種のお米。長粒種のお米はピラフやチャーハンなどに調理すると美味しく食べられるのですが、そのまま炊いて食べるには水分量が少なくてあまり向いていないのです。
一年ぶりに食べるおにぎりの味はまさに格別。
咀嚼するごとにお米の優しい甘さが口の中に広がり、具の味を引き立てています。梅干の酸味、鮭の塩気、おかかの旨味、それらがお米と、そしておにぎりを包む海苔と交わり最高のハーモニーを奏でていました。
続いて、お味噌汁をすかさず一口。
味噌の風味が具の豆腐とワカメと合わさり、流石にもう泣きはしないにしても感動で全身が震えそうになります。
お腹が空いていたせいもありますが、わたしはそれなりの大きさがあったおにぎりをあっという間に食べ終えて、味噌汁も一滴残さず飲み干しました。
食後の緑茶をゆっくりと飲みながら考えます。
わたしが和食に餓えていた事を差し引いても、このおにぎりやお味噌汁はかなりのハイレベルでした。日本の一流料亭の板前が作ったと言われたら、多分あっさり信じます。魔王さんはどうやら相当の料理の腕を持っているようです。
特にお味噌汁はダシのとり方といい、味噌の風味の引き出し方といい最高の出来でした。こんなお味噌汁が朝食に出てきたら、きっとその日一日元気に過ごせるに違いありません。そう思ったわたしはお腹が膨れて気が緩んでいたせいもあってか、ついこんな事を言ってしまったのです。
「毎朝、魔王さんのお味噌汁を飲みたいです」
その言葉を聞いた魔王さんとアリスちゃんが、まるで凍りついたかのように硬直しました。異様な空気を感じて、何か変な事を言ってしまったかとわたしは自分の台詞を頭の中で反芻します。
そして遅れること数秒。その言葉の意味するところに気付いたわたしは、顔を真っ赤にしながら他意は無い事を説明することになるのでした。





