異界オーバード⑥
長老から頼み事をされたリサでしたが、その返答は、
「ごめんなさい」
という、断りの言葉でした。
確かに、この老吸血鬼はかつて大罪を犯したのでしょう。ですが、リサには彼女を裁くことはできませんでした。
食材としての動物や害獣としての魔物を何度も殺めているのに、今更こんな事を言うのは身勝手なのかもしれませんが、人間とほとんど変わらないような生命を手にかけるのが怖かった、というのが最大の理由でした。
ですがそれ以前に、そもそもいくら勇者だからといって、誰かを断罪する権利が自分にあるなどとは思えなかったのです。
そして、魔王もまた、
「お断りします」
と、同じように告げました。
断罪する資格の有無で迷ったリサとは違い、魔族の長としての立場にある彼は、罪に対して罰を与える権利と義務をはっきりと有しています。法を破った者がいたならば、為政者にはその者を罰しなければならない義務があるのです。
だから実のところ、魔王はかなり真剣に迷ってから今回の結論を出しました。
これは魔王自身も無自覚ではあるのですが、彼はその存在の根底にあるモノによって「他者を助けずにはいられない」というルールに無意識下で縛られています。助けるのは見える範囲、気付いた範囲に限られますし、それが素の性分とも合っているので違和感を感じてはおらず、苦にも思っていませんが。
その魔王にとって長老を裁くこと、つまり殺すことが助けであるという今回の状況は、とても悩ましいものでした。
最終的な判断基準は、この村の人々の存在です。
彼らは、それが長老自身の望みだとはいえ、彼女が死ねばとても悲しむでしょう。だから、長老自身ではなく彼女を慕う他の人々のために、頼みを断ることを決めました。
勇者と魔王。
五百年越しに現れた、正しい裁きを与えてくれるかもしれない存在の両方から断られ、長老はさぞや落ち込んでしまったかと思われましたが、
「そう、じゃあ仕方ないわね」
意外にも、あっさりとその結果を受け止めていました。
まるで、最初からこの結果が分かっていたかのようです。数百年越しの願いを断られたというのに、二人を説得しようとも、一切恨もうともしませんでした。
「きっと、『まだこっちに来るな』ってあの人が言っているのね」
あるいはそれは、諦めることに慣れすぎたが故の、達観だったのかもしれません。
こうして数奇な運命を歩んだ老吸血鬼は、死んで楽になることをあっさりと諦め、いつ終わるとも知れない生を続けることを決めました。
◆◆◆
「ごめんなさい、すっかり雰囲気を暗くさせちゃったわね」
すっかり場の空気が暗くなってしまいましたが、その原因である長老は早々に気分を切り替えてしまいました。その変わり身の早さのお陰もあり、リサも魔王もなんだか気が抜けてしまいました。
「さ、あっちの広間に戻って食事の続きをしましょうか」
「……その前に、一つ聞いてもいいですか?」
「あら、なにかしら?」
長老の話は終わりましたが、リサには一つ、どうしても聞いておかねばならない質問がありました。さっきの昔話を聞いて、その事に気付いたのです。
「すいません、魔王さんは先に戻っていてもらえますか」
その質問は、“今はまだ”魔王に聞かれるわけにはいきません。
それとなく退室を促し、長老と二人きりになったところで、問いかけました。
「長老さん」
「はい、なにかしら、勇者のお嬢さん?」
これはリサにとっては大事な問いですが、それを聞くことで、もしかしたら長老の心を傷付けてしまうかもしれません。ですが、今回ばかりは、それを分かった上でなお、聞かなければなりませんでした。
リサは、一度目を閉じて覚悟を決め、それからゆっくりと口を開きました。
「貴女は……貴女とご主人は、幸せでしたか?」
魔王は、魔族の長ではありますが魔界の生まれではなく、どういう種族なのかは本人にすら不明です。
しかしリサが聞いた限りでは、魔王が魔王になってからのこの百年間、全く老いることはなかったということでした。少なくとも、通常の人間よりも遥かに長命なのは間違いがないでしょう。
仮に他の全ての問題が片付き、リサが彼と結ばれたとしても、ほぼ確実に百年もしないうちにリサは先に死ぬことになります。
生きている間にだって、配偶者の片方だけが若いままで、自分だけが年老いて衰えていくという問題があります。それは、きっととても辛く悲しいことでしょう。
それに、長老が抱えるのと同じ果てのない孤独と痛みを、もしかしたらリサの決断次第では魔王に背負わせてしまうかもしれないのです。
寿命が大きく違う者同士が共に歩もうとした事に後悔はなかったのか。
一時的な幸福と、その後の遥かに長い孤独。どちらを優先すべきなのか。
頭の中でいくら想像しても、決定的な答えは出ませんでした。
だからこそ、リサは礼を失する質問であることを承知の上で、既にその経験をしてきた「先輩」に聞かずにはいられなかったのです。
◆◆◆
リサの問いに対し、長老は笑いながら即答しました。
「でも、まさか、あれから一時間もご主人の惚気話を聞かされるとは……」
四百と数十年も前に亡くなった夫の魅力や、共に過ごした日々を饒舌に語る長老は、見た目相応の若々しさが戻ったかのようでした。
話の後半には、不用意に質問してしまったことを後悔するほどにうんざりした気分になりましたが、その甲斐あってリサは一つの確信を得るに至りました。
種族が違っても、生きる時間が違っても、それでも幸せを掴むことは出来るのだ、と。
この話はたぶん次で終わりです。





