異界オーバード⑤
宴席の途中で内密の話がしたいと言われ、魔王とリサは長老と別室に移動しました。
日常生活の中で誤って日光を浴びることのないようにか、館の窓数は広さに比してかなり少なく、慣れないと少々圧迫感を感じそうです。この村には同じように窓の少ない家が多いのだとか。
長老は覚えている限りでももう八百歳は超えているそうですが、他の村人と違って純血の吸血鬼というだけあり、外見年齢は人間基準で二十歳になるかならないか程度。アンジェリカがもう数年もしたらこんな感じになるであろう、というような美しい容姿をしています。
しかし、若々しい容姿に反して物腰は落ち着いており、老婆のような雰囲気がありました。
魔界にも吸血鬼はいますし、八百歳程度の年齢の者もそれほど珍しいわけではありませんが、それらの者たちと比較しても精神的に老成しているような印象です。
単に長く生きたというだけでなく、身近な人々の生と死を数え切れないほど見続けたが故に、肉体ではなく心が疲れて老いてしまったような、そんな人物でした。
長老は、まず魔王とリサに話に付き合ってくれたことへの礼を述べ、それから一つのお願いを言いました。
「出会ったばかりでこんな事をお願いするのはおかしいでしょうけれど、どうかワタシを殺してはもらえないかしら?」
長老の望みは、魔王かリサのどちらかに殺されることでした。
「理由を聞いても?」
リサは突然の展開に絶句して言葉を紡げませんでしたが、彼女も疑問に思っているだろうことを魔王が尋ねました。
長老は、特に隠すことでもないのか、簡潔に答えます。
「昔のね、心残りを清算したいのよ」
むかしむかし、五百年も前のこと、一人の女吸血鬼が人間界に侵攻した当時の魔王軍の一員としてこの世界にやってきました。
魔族としても強力な部類である彼女には、並みの人間の兵など束になっても敵わず、順調に戦果を挙げ続けていました……ただし、途中までは。
幾つもの国を滅ぼし、数え切れないほどの都市を焼き払い……そのままであれば人間界全土の掌握も時間の問題だと感じ始めた頃、ソレが現れました。そう、勇者です。
リサの先代にあたるその勇者は、瞬く間に数多くの魔族を切り伏せ、劣勢にあった人間たちも息を吹き返しました。
あとの流れは歴史に語られた通り。
正義の勇者は悪い魔族たちをやっつけて、最後には親玉の魔王を倒し、人間界には平和が戻りました。めでたし、めでたし。
……そして、魔王が倒れたことで帰還の手段を失い、人間界に取り残された魔族たちは、それはそれは悲惨な目に遭いました。
「まあ、ワタシの場合はそれも自業自得なんだけれど」
かつての長老は、勇者がすぐ目前まで迫っている時に、一人だけ逃げ出してしまったのだそうです。散々人間を殺してきたというのに、命惜しさに仲間を見捨て、逃亡兵として人間からも魔族からも狙われる身になりました。
当時の魔王軍では逃亡兵は例外なく極刑です。
魔界に戻ることも出来ずに、人間界の山野でうろうろと身を隠している間に魔王が討たれて完全に帰還の術がなくなり、それからの数ヶ月は野の獣に等しい生活をしてどうにか命を繋いでいました。
敗残兵狩りを恐れて山奥を彷徨って泥水を啜り、木の皮や虫を食べて飢えをしのぎ、昼もロクに眠れないような日が何週間も続きました。
最終的には人間のフリをして昔のこの村に転がり込み、魔族であることを打ち明けても受け入れられたのですが、それはまさに奇跡だったのでしょう。
「それからは家族もできて幸せに暮らしてきたんだけど……やっぱり何百年経っても後悔っていうのは消えないものね」
勇者を恐れ、仲間を見捨てて逃げた罪。
そして、数え切れないほどの人間たちを殺した罪。
戦争中は人間の命など塵芥同然に思っていませんでしたが、この村で人間と共に暮らすうちに、自分がどれほど罪深い行いをしてきたのかも知るようになったのです。
まだ彼女の夫が存命の頃、贖罪を望んで自殺を考えたこともありました。
しかし、当時はまだ息子のブラムも幼く、年老いた夫と息子だけを残して死ぬことはどうしてもできませんでした。死ねば楽にはなりますが、大切な息子がこの世界の異物として一人ぼっちになってしまいます。
悩む彼女に、今は亡き夫は語りました。
自殺しても罪の上塗りをするだけだ。ならば、永い時を罪の痛みに苛まれながら生き、犯した罪以上の善行を積みなさい、と。
以来、悩みは尽きませんが、どれだけ苦しくとも自害だけはせずに生きてきました。
「でもね……もう疲れちゃったわ」
純血の吸血鬼は魔族の中でも特に長い寿命を持ちます。
いえ、正確には寿命というものが存在するのかどうかも定かではありません。吸血鬼とて外的要因によって死ぬことはありますが、長老には同族が老衰死した話など魔界にいた頃も聞いたことがありませんでした。
きっと、これからも彼女は若い姿のまま生きるのでしょう。
そして、自分の血を引く子供たちが年老いて、先に死んでいく姿を見続けなければならないのでしょう。それが、あと何百年、もしかしたら何千年と続くのかも分からないまま。
だからこそ長老は今回の魔王と勇者の来訪を、五百年越しに正しく裁かれる機会を得たと、天啓のように感じたのです。
だからこそ、魔王か勇者か、そのどちらかでなければいけなかったのです。五百年前の後悔を、正しく果たす為に。
「あの人の、夫のところに送ってくださらないかしら」
年老いた吸血鬼は、寂しそうな薄笑みを浮かべながら、再度魔王とリサに向けて願いを伝えました。
今回で二百話目です。
皆様の応援のお陰でここまでこれました。ありがとうございます
今後とも『迷宮レストラン』をよろしくお願いします。
本編が中途半端な状態なので、二百回記念の企画はキリがいいところまで進んでからやろうと思います。





