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(34)彼のご両親と昼食と私

 間もなく、一義さんが出て行ってから十分が経つ。

 その間にどうにか私の顔から赤みは消えたのだが、今度は緊張で青ざめているかもしれない。

 意味もなくお客様用のスリッパを並べ替えてみたり、何度も何度も服装や髪形を確認したりと、とにかく落ちつかない。

 恋人の親に会うことを決めたのは自分だというのに、刻一刻と迫る対面を前にして、想像以上の緊張に苛まれていた。

 間もなく開かれる扉を見つめ、私はとにかく深呼吸を繰り返す。

 やがて足音が近づいてきて、同時に遠慮のない感じの会話も聞こえてくる。

 そしてカチャカチャと鍵が開けられる音がすると、視線の先でドアノブがゆっくりと動いた。


――い、いよいよね。


 私は小さく息を呑んだ。

「ただいま」

 まず、一義さんが入ってくる。

「お、おかえり、なさい」

 ガチガチに固まっている表情筋を動かして何とか玄関に入ってきた彼に声をかけ、一義さんに続いて入ってきたご両親に向かって頭を下げた。

「は、は、初めまして。い、いし、石野雅美と、も、申します」

 情けない。こんな短い挨拶でつかえてしまった。社会人になって何年も経つというのに、あまりに情けない。

 恥ずかしさで下げた頭を上げられずにいると、一義さんがポンと私の頭に手を置いた。

「雅美、緊張し過ぎだ。誰もお前のことを取って食ったりはしない」

 クスクス笑う彼は、私の左耳にそっと口を寄せ、

「雅美を食べるのは、俺だけだ」

 と、私にだけ聞こえる小さな声で艶っぽく囁いてきた。

 私はハッとなって顔を上げ、両手で左耳を押さえる。言い返すことなんて出来なくて、真っ赤な顔でパクパクと唇を開けたり閉めたり。

 全身を硬直させてアワアワしている私に、ご両親は楽しげに表情を和らげた。

「ずいぶんと仲が良いこと。安心したわ。ねぇ、お父さん」

「ああ、そうだな」

 そう言って、二人は穏やかに笑っている。

「そうだよ、俺と雅美は本当に仲が良いんだ。あとでたっぷり見せつけてやるよ」

 玄関に上がった一義さんは片腕で私を抱き寄せ、お二人に向かってニンマリと笑ってみせた。

 すると私は恥ずかし過ぎて感情が高ぶり、結果として緊張が吹っ飛んだ。何だかおかしな表現だが、感覚としてはそんなものだ。

 私は自分を抱き締めている腕をむんずと掴んで、強引に外す。

「何を言っているんですか!お二人の前で、そんなふざけたことを仰らないでください!」 

 つい勤務中のような口調になってしまう。いや、実際には上司に向かってこんなキツイい方はしたことはなかったけれど。

 背の高い彼をキッと見上げて言い放った瞬間、背筋を冷水が流れ落ちた。

「……あ」

 ご両親の前で、私、何を騒いでいるんだろうか。しかも、お二人の前で一義さんを怒るようなことをしてしまうなんて。


――もしかして、いや、もしかしなくても、気が強くて騒々しいと思われた?一義さんとのお付き合いを反対される?


 お会いして五分も経っていないというのに、ここで「嫁として失格」と言い下されてしまうのだろうか。

ギクリと顔を強張らせて、玄関に立つご両親を恐る恐る見遣った。

 すると、お二人はお互いに視線を合わせた後、声を上げて笑い出す。しかも、肩を震わせるほど笑っている。

 その反応に、私は戸惑いが隠せない。

 激高されたり冷たくあしらわれるならば分かるけれど、この反応はどういったものだろうか。

「え、あの……」

 オロオロとお二人と一義さんを交互に見遣れば、彼は苦笑しながらヒョイっと肩を竦めて見せるだけ。

 しばらく盛大に笑い続けたお二人は、やっと笑いを治めた。

「これはいい。このぐらいしっかりした女性じゃないと、一義の手綱は握れないだろうな」

「ええ、私もそう思うわ。この子は自分勝手なところがあるから、きちんと叱ってくれるお嬢さんなら安心よ」

 お二人の言葉を聞いてもう一度彼を見上げれば、小さな微笑みが返ってくる。

「というわけだ。良かったな、雅美」

 どうやら私の言動に対して、本当に怒っていないらしい。お二人の心の広さに感謝だ。心の中で、盛大に安堵の息を漏らす。

 やがてお二人が私に向き直った。

「挨拶のタイミングがずれてしまったが、まぁ、それもいいか。初めまして、一義の父です」

「母です。お会いできて嬉しいわ」

 愛想笑いではない優しい笑顔を向けてくれた。

 ちょっとドタバタしたけれど程よく緊張が解けたおかげで、私も自然と笑うことが出来る。

 再び頭を下げて、口を開く。

「私もお会いできて嬉しいです。お昼ご飯の支度が出来ていますので、よろしければ召し上がってください。さぁ、どうぞ」

 こうして、私たちはリビングへと向かった。


 用意したお昼ご飯は、細かく刻んだゴボウやニンジン、コンニャクと油揚げにひじきを加えた炊き込みご飯だ。うっすら醤油味で、いい感じにおこげも出来ている。

 それにお豆腐とかき玉子のお吸い物も用意して、上には三つ葉を散らした。

 焼きなすの煮びたしを添えれば、それなりに格好のつく代物となっている。

 あとは一義さんのために鶏肉の竜田揚げも並べた。生姜と醤油で下味をつけたこの料理は、彼の大好物。

「お口に合うといいのですが」

 謙遜ではなく本気で告げると、お二人は目を輝かせて私を見ている。

「これは美味そうだ。どれも良い匂いがする」

「一義から聞いていたけれど、雅美さんは本当にお料理が上手ね」

 ご馳走を前にした子供のような表情をみせてくれるお二人に、私は気恥ずかしさで居たたまれない。

 遠慮がちにお茶を注いだ湯呑を差し出し、何とか小さく笑ってみせた。

「冷めないうちに食べてくれよ。食べると、その美味さにもっと感動するぞ」

 彼の言葉にいっそう気恥ずかしさが増す。

「そんな期待させるようなことを言わないでください。食べてがっかりされたらどうするんですか?」

 一義さんの前に湯呑を置くと、その手を取られた。

 右手で掴んだ私の左手に重ねように、彼の左手がやんわりと覆ってくる。 

「そんなはずはないだろうが。これまでに雅美の作った料理を何度も食べている俺が言うんだからな」

 ポンポンと私の手の甲を叩いてくる彼に、私はやや間を取ってからコクリと頷きを返した。

 すると、反対側の席に座っているお二人から忍び笑いが。

「どうしましょう。まだ一口もいただいていないのに、お腹がいっぱいだわ」

「はっはっは。二人の仲睦まじい様子が、なによりのご馳走かもしれんな」

 その言葉に我に返る私。

「す、すみません」

 慌てて手を引き抜こうとするが、一義さんは逆にギュッと握り込んできた。

「雅美も座れって。お前が座ってくれないと、父さんたちも落ちついて箸をつけられないだろ」

 そう言って掴んでいる手を引き、彼は隣の席に私を座らせる。

「じゃ、食べようか」

 一義さんの言葉で、お二人は箸を手に取った。

「そうだな、いただこう」

「ええ、いただきます」

「ど、ど、どうぞ……」

 私一人が落ち着きのない昼食ではあるが、時間が経つにつれ、少しずつ心が落ち着いてゆく。

 お二人はお仕事で忙しいけれど充実した日々を送っているおかげか、その様子はとても若々しい。

 来年に揃って還暦を迎えるということだが、お父様は一義さんと同じくらいに背が高く、肩幅もがっしりしていて、見るからに頼もしい。

 お母様は表情が豊かで、とても朗らかなお人柄。同じ女性の私から見ても、すごくチャーミングな人だ。

 そしてお二人とも話題が豊富で、聞いているだけでとても楽しい時間が過ごせた。

 食事の後に頂いたお団子を食べながら、なおも会話を続けていると、お父様がチラリと腕時計に視線を落とした。

「ずいぶんと長居をしてしまったな。そろそろお暇するか」

「そうね。あまり遅くなると、電車が込み合う時間にぶつかるわ」

「じゃ、駅まで送るから」

 三人の後について、私も玄関へと向かう。

 見送りのために私も靴を履いて玄関を出ると、お二人が私に軽く頭を下げてくれた。

「雅美さん。今日は美味しい昼飯を用意してくれてありがとう」

「すごく美味しかったわ」

「いえ、そんな。私の料理では、まだまだ至らないところが多くて」

 とんでもないと手をパタパタ振れば、お二人がニッコリと笑う。

「本当に美味かった。それに何というか、温かみのある料理だったな」

「そうね。お腹も心も満足したわ」

「そう仰っていただけてホッとしました」 

 私が胸を撫で下ろすと、お母様がことさらニコッと笑う。

「一義なんかにはもったいないわ。私の嫁にしたいくらいよ」

 お母様の冗談に、一義さんがムッとなる。

「馬鹿言うな、雅美は俺の嫁になるんだ」

 そんな彼の様子に、お二人はクスッと笑う。

「ずいぶんと狭量なんだな。そんな調子じゃ、雅美さんに呆れられるぞ」

「そうそう。男はもっと、広い心でドンと構えてなさいよ」

「うるさい。そんなこと言ってると、二度と雅美の飯は食わせないからな」

 会社や私の前だと、一義さんはいつでも落ち着いていて穏やかなのだが、実の親の前では幾分態度が子供っぽい。

 そんな彼の言動に、胸の奥がちょっとくすぐったくなる。


――これからも、いろんな一義さんが見られたらいいな。


 三人の和やかな様子を、私は微笑ましい気持ちで見守ったのだった。


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