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第三節.原点

On your marks


Set


 澄み渡る青空の下、響き渡る空砲が勝負の合図。


――しかし、勝敗は既に決している。


 俺は常に二位で、前を走る大きな背中の男が一位。恵まれた体格に、天性の才能。そして、圧倒的、狂気的なまでの執念により磨かれたセンス。

 教師やクラスメイト、彼を知る人物は口を揃えてこ言う。


――天才、と。


 決定的な性能差。埋められないタイム。離される距離。一言で言い表すのなら、不快だ。


『楓もすごいよ、■■に食らいついてる。』

『言うてもタイムは誤差なんだ』

『いつか勝てる。』

『■■の永遠のライバル。』


 ふざけるな。二位なんて求めていない。欲しいのは完膚無きまでの一位だ。練習で自己ベストを出してもそれは既に■■が出したタイムの一歩下。小学生五年から高校二年までの約五年間、ずっとこれだ。


 勝てないと分かっていた。

 それでも、走るのをやめなかった。あの背中に、追いつけるかもしれないと。そんな幻想に、縋っていた。

 ある日の部活。いつも通り、当然のように俺の前を走っていた男が、


 『楓、俺陸上辞めるわ。』


 驚きで、言葉が出なかった。その後のことはよく覚えていない。言葉通り、一ヶ月後の県大会目前に■■は陸上部を辞めた。

 走る理由が消えた。それだけで、全てが崩れた。ずっと追い続けた目標が消えた事によるモチベーションの喪失。走る理由を無くし部内でのタイムはみるみる落ちていく。かろうじて、暫くは部内で一位を保っていた。


―――それも長くは続かない。


 十一月に入るころには俺の性能は再び型落ちになっていた。


『センパイって、意外と遅いんですね。』


あーもう、死のうかな



「……また、この夢か。」

 気付けばもう高校三年、卒業も目前だ。

 教室に行くことは以前よりも少なくなった。用がある時だけ顔を出しあとは適当に時間を潰す。たまに部活に顔を出して後輩の練習を眺めるくらいだ。


 進路希望の紙は、とっくに「就職」で出した。


 両親はいない。子供の頃、事故で死んだ。

 中学までは父方の叔父の下で暮らしていたが、高校からは両親の遺産を切り崩し、安いアパートで一人暮らしをしている。


 生活音のない部屋には、未だに慣れない。重い体を無理やり起こし身支度を整える。

 朝の日差しが差し込む部屋。無機質なテレビからは最近霞坂市を騒がせいるニュースが流れている。


『連続少年少女失踪事件』


 約半年以上前から毎日のように報道されているニュースだ。正直、最初の頃は気にしていた。しかし、今はただの日常の一音に過ぎない。

 画面の中で被害者の写真が淡々と切り替わっていく。性別はバラバラだが年齢は俺と同じ、十代中心だ。

 テレビの電源を落とす。時計の針は午前十時を指している。そろそろ家を出る時間だ。ジャージに着替え、マフラーを巻き家を出る。


 今日も、部活の手伝いへと向かう。学校までの道のりはそれほど長くは無い。坂を下っていった先を曲がればすぐだ。見慣れた道を辿って行き、校舎へと辿り着く。

 校舎を抜け、グラウンドへと出る。どうやら今日は陸上部しか居ないらしい。しばらく歩くと、顧問と見慣れた大きな背中が見えた。


 一瞬、足が止まる。


 反射的に踵を返そうとしたが、顧問がその足を止めた。


「お、東雲一週間ちょっと振りか?来てくれてありがとな、小泉と一緒に後輩を見てやってくれ。」


「久しぶりだな、楓。」


 小泉と呼ばれた大男は、どこか気まずそうに視線を逸らしながらそう言った。



 大男と共に、後輩たちが走っている様子を眺める。会話は無い。風と、スパイクが地面を叩く音だけが響いている。気まずさを拭おうと口を開いたのは、俺からだった。


「……なんで、陸上やめたんだよ。」


 俺から会話を振られたのがそんなに驚いたのか、目を見開き俺の方を向きながら固まっていた。


「あ、え……あぁ、そんなことか。びっくりしたよ、いきなりなにか言い出すかと思ったら。」


 一息ついた後、大男は話を続けた。


「端的に言うと、俺の才能は確実に枯れていた。タイムには出ていなかったが、トップスピードに入るまでが遅くなっていた。それに、あの頃はずっと足が痛かったんだ。だから、壊れる前に辞めたんだ。」


 視線は前、走る後輩を眺めている。


「……そんなことで、納得できるのかよ。」


 考えるより先に、言葉が出ていた。


「出来るわけないよ、ずっと陸上だけやってくたんだから。それでも、現実は変わらない。どこかで折り合いをつけなくちゃいけない。壊れる前提の未来よりも、ちゃんと選び続けられる未来を選びたかったんだ。」


 肩の力が抜けたのか表情が和らいだような気がした。


「それに、走る以外にも陸上に関わることはできるしね。今はトレーナーを目指してるよ。」


 返す言葉は何も見当たらない。気まずさは残ったままだった。


「楓、お前最近なんかあったか。」


 あるにはあるが、言えるわけが無かった。


「いや、なんでもない。忘れてくれ。ただ、なんかちょっとお前が変わったような気がして。」



 その後は、お互いに後輩と一緒に練習に混ざったり後輩へのアドバイスなどで時間を使った。


 練習もひと段落し、顧問が俺と大男の元にやってきた。


「二人とも、今日はありがとうな、日曜日なのに。明日からテスト期間で部活無いから二週間後にもっかい来てくれると助かる。」


 俺が返答をするよりも前に、大男が口を開ける。


「構いませんよ、な楓。どうせ暇だろ」


「ま、まあ……体動かすのは楽しいですし、俺も行きますよ。」


 大男は、午後から予定があるらしく今日はこれで解散となった。帰り際、


「じゃあな、楓。二週間後にまた会おう。」


「おう、またな。」


 男は去っていく。しかし、何かを思い出したかのように立ち止まった。


「その時、部活終わりにでも飯行かないか。」


 突然の誘いに、言葉が詰まる。


「……あぁ。いいな、行くか。」


「決まりだな。」


 それじゃあな、と言い残し男は足早に去っていった。後を追うように俺も家路に着いた。帰り道の坂道はいつもより、長く感じた。



 シャワーを浴び、ベッドに腰を下ろす。

 さっきまでの喧騒が嘘かのように、家は静まり返っている。


 自然と、昨日の夜の出来事を思い出していた。――魔力を全身に巡らせるあの感覚。もしかしたらと思い試してみるが予想とは裏腹に上手くできなかった。ただ、以前よりも自身の中にある"何か"は確かに感じることができるようになっていた。


 小一時間ほど没頭していたが、空腹に耐えきれずに腰を上げる。ポットの水を沸かし、カップ麺にお湯を注ぐ。静かな部屋には麺を啜る音だけが鳴っていた。


 気が付くと、時計は夜の八時を指している。どうやら、昼飯を食べた後に眠ってしまったらしい。昼寝したことに加え、机に突っ伏して寝てしまったこともあり体が重たい。このままでも、どうせ眠れないので少しランニングをすることにした。


 冷たい風が頬を刺す。軽くストレッチをした後にゆっくりと走り出した。今は昔みたいに速くなりたいと思ってはいない。ただ、体力の維持が目的だ。五分、十分と時間が過ぎる。心は空に、ただただ住宅街を走っている。


 ふと、頭の中でイメージが湧く。あの時と同じように、自身の意識を内側へ向けた。

 熱が全身を巡るイメージではなく、全身が熱で満たされるイメージ。徐々に熱を帯びる身体。心臓を起点に広がっていく。


 かくして、身体は熱で満たされた。その状態で、一歩踏み出してみるが、身体を満たした熱は霧散してしまった。ただ、今まで意識してできなかったことに対する喜びと達成感で心は満たされた。


「……帰るか。」


 胸に抱えた高鳴りはそのままに、足早にその場を後にする。

 家に着き、もう一度シャワーを浴びる。軽く飯を食べ、スマホを眺めて時間を潰した。夜も更けてきたため床に就く。


 いつもの日常は、沈んでいく意識とともに終わりを迎える。



 明日からは、いつもの非日常が始まる。

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― 新着の感想 ―
ずっと届かなかった背中、追う理由を失ったあとの空白、そして再会してもすぐには埋まらない気まずさ……この回、派手な展開ではないのに感情の揺れがすごく刺さりました。特に、小泉の言葉で「折り合いをつける強さ…
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