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第十節.敗北の残響

薄暗い檻の中、重い体を起こす。


「あ、やっと起きた。赤城くんだよねー?」


 檻の外、クスクスと微笑む女。紛うことなき、俺と御門を転送した張本人だ。前髪は重く、表情は上手く読み取れない。

 隣には、御門が倒れている。状況は最悪だ。どのくらい、気を失っていたか分からない。


 目覚めた檻の中は外界と遮断されており自分が今どこにいるか、時間すらも把握することができない。おまけに、カグヤG3も失っている。


「お前、誰だ。」


 一通り状況を整理し目の前にいる女に質問を投げかける。


「誰って、しがない研究者の冴えない助手だよ。」


「この街の、霊獣たちはお前らの仕業だな。目的は何だ、答えろ。」


 女は一瞬きょとんとした後、くすりと笑った。


「そうだけど、目的を言う必要性はないよね。君、立場わかってる?」


「……」


言葉が詰まる。

 女の言うことは事実だ、主導権は完全に向こうにある。

 だが――それでも。


「……関係ないな。」


 低く、吐き捨て言葉を続ける。


「立場がどうあれ、聞くべきことは聞く。」


 檻越しに女を見据える。相変わらず、目は合わない。


「この街で何をしている。目的は何だ。なんで霊獣を生み出している。」


「霊獣を作るのは、手段であって目的では無いよ。本当の目的はね――」



 虚ろな視界、身体は動かない。目の前のボヤけた現実を直視することができず微睡みの淵。

 意識を手放す刹那、聞き慣れた忘れるはずのない声が聴こえた気がした。


『楓、ごめん。先に行く。―――』


 意識は、暗い水底へと沈んでいく。落ちた先にあったのは、過去の遺恨だった。



 俺と小泉は、異質なライバル関係だった。最初の記憶は、小学五年の春。

 小泉は、転校生だった。


『小泉颯です。走るのが得意です。』


 それが、あいつの最初の言葉だった。第一印象は、つまらなそうな奴。感情の起伏が薄くて、何を考えているのか分からない。 正直、印象は最悪だった。


 一方の俺は、小学五年にして中学生相手でも走ることだけは負けることはなかった。

 校内で俺の名前を知らない奴はいない――なんて言えば少し盛ったことになるかもしれない。でも、それくらいには速かった。


 当然、自覚も自信もあった。

 クラスの中心にいたし、自分で言うのもなんだが、女子からもそこそこ人気はあったと思う。

 あの頃の俺は、本気で思っていた。

 自分は、特別なんだって。


 小泉が転校してきてすぐの、体育の授業。100メートル走で、あいつと同じレーンに並んだ時。

 胸の奥が、妙にざわついた。当時の俺に、その理由は分からなかった。


 ――On your marks.


 ――Set.


 空砲と共に走り出す二つの影。燦然と輝く太陽と、群青色に染まる大空の下に地面を打ち付ける運動靴の音が響いている。乾いた砂が跳ね、流れる汗は舞う。

 一歩、踏み出す事に加速していく鼓動と荒い呼吸音。眼前に迫るゴール。視界の端に映るのは、並走する小泉の影。

 それでも、圧倒的なトップスピードを以て突き放す。

 感じたざわつきとは裏腹に、勝負に勝ったのは俺だった。


『あんた、思ったより遅いね。』


 何故か勝手に口に出していたその言葉。それからは、特に何も無くただただ時間が過ぎていく。俺は相変わらずクラスの中心で、小泉はクラスの端にいるつまらないヤツだった。


 そんなクラスの、学校での力関係が大きく変わるきっかけは同じ年の九月。体育祭の日だ。

 うちの小学校の恒例行事。学年対抗の100メートル走。四年生以上の学年の中から2名選抜し、6年までの計六名で一位を競い合う、体育祭の大トリを飾るイベントだ。


 俺たち5年の中からは、事前に測ったタイムの上位二位以内が選ばれた。

 メンバーは俺と、


 ――小泉だった。


 クラス、学校の話題は決まって


『東雲くんが勝つでしょ!』

『やっぱ、楓だな!』

『楓くん以外ありえない!』


 俺自身も、それは納得だった。俺の人生において、俺以上に足が速いやつなんていた事がなかった。


『体育祭、最後の大トリは学年対抗100メートル走です!今年の王者は、去年と同じく東雲楓か!それとも王を喰らう新たな韋駄天が現れるのか!選手の皆さん、レーンにどうぞ!』


 実況の合図で、レーンへ入っていく。緊張はない。今年も勝つのは俺だ。


――On your marks.


 頭は下げるが、視界は地平線の先。勝者の栄光は要らないし興味ない。いつもと同じ、勝つべくして勝つ。


――set.


 鼓膜以外の全感覚をシャットアウトする。思考も、雑念も、何も要らない。


 太陽の光すら届かない、曇天の下戦いの狼煙が上がる。合図の元、6人が同時に走り出した。

 最初にトップに躍り出たのは当然俺だった。加速は止まらない。王者は変わらず俺、それは揺るぎない事実なのは明白だった。

 加速していく体、置き去りにしていくライバル。

 思わず、笑みがこぼれる。


 ゴールまで残り50メートル


 油断した。だからこそ後ろから迫り来るその足音を聞き逃した。乾いたグラウンドを打つ音が、ひとつ、またひとつ。

 一定のリズムで、狂いなく。

 まるで最初からそこにいたみたいに、自然に。俺の意識を侵食していく。


 視界の端。俺の世界に割り込むように、一つの影が並んだ。

 歩幅、足音、呼吸の音、腕を振るタイミング、一挙手一投足その全てが、俺に重なる。


『おっと!王者、東雲楓に食らいつくのは空前絶後の転校生、小泉颯だ!』


 歯を食いしばり、前を向く。人生で初めて、負けるかもしれないと思った。


 その瞬間だった。


 全身が、見えない何かに絡め取られたみたいに重くなる。呼吸は乱れ、リズムは崩れ、さっきまで軽かったはずの足が、急に鉛みたいに重くなった。


 嫌だ。

 負けたくない。

 絶対に、負けたくない!!


 不安、焦燥、動揺、困惑。積み重なっていく足枷。


ゴールまで残り20メートル。


 たったそれだけの距離が、 限りなく遠く感じる。

 さっきまで俺とならんでいた影は少しずつ、俺を置き去りにしていく。


ゴールまで残り10メートル。


 研ぎ澄まされていたはずの感覚は、もう何も捉えられない。躍動していた肉体は、まるで別人のものみたいに動かなかった。

 生まれて始めた味わう、敗北の味。

 鮮明に見えていたはずのゴールは、小泉の大きな背中によって塞がれる。


 その背中を見た瞬間、勝ちたいだとか、負けたくないだとか、全部がどうでも良くなった。胸の熱が、すうっと引いていく。

 何も考えられないまま、最下位にだけはなりたくないというゴミみたいなプライドだけ残し、体を動かす。


 気付けば、勝負は決していた。


 歓声が、遠くで響いているのを感じる。


 一位は、小泉颯。

 二位は、俺だった。


――あぁ、俺は……負けたんだな。


『楓、勝ったぞ。』


……うるせえよ、■■(こいずみ)。そんなことは知ってんだよ。


 その日から、俺のいた場所は、少しずつ奪われていった。今まで目立たなかったはずの小泉は、気付けば、当たり前みたいに笑っていて。

 俺は、その輪の外から、その光景を眺める側になっていた。

 そして日を追うごとに、小泉の名前を呼ぶことも、顔をまともに見ることも、できなくなっていく。


 次の年の体育祭も、結果は同じだった。

 俺が二位で、小泉が一位。


 中学、高校に上がっても関係は、クラスの立ち位置は変わらなかった。相変わらず小泉は中心で、俺は目立たない存在。

 陸上大会、体育祭、全てにおいて小泉の一個下。どれだけ走っても、練習しても、それ以上の狂気的なまでの執念によって磨かれた小泉のセンスには敵わなかった。


 日の日に積み重なっていく劣等感。やがて劣等感は嫉妬へと変換され、その嫉妬は憎悪へと昇華する。

 追い付きたい。追い越したい、勝ちたい――そんな綺麗な、かっこつくような感情じゃない。


 ただ、一度だけでいいから、あいつの余裕ぶったその顔面を歪ませたい。俺の、圧倒的な実力でやつの選手としての価値を完膚無きまでにブチ壊してやりたい。

 俺から全部奪ったアイツに、「敗北」という烙印を押したいが為に、走り続けた 。

 誰よりも早く起き、誰よりも長く走り、誰よりも研究した。吐いても倒れてもすることは変わらない。足が、完全に動かなくなるまで走り続けた。


けれど、現実は残酷だった。


 俺が血反吐を吐いて積み上げたものを、あいつはまるで当然みたいな顔で追い越していく。俺が必死で掴もうとした景色を、あいつは最初から知っていたみたいに走る。

 どれだけ足掻いても、どれだけ踠いても俺はずっと――二番手だった。


 そして、高校二年の秋。小泉は、突然陸上を辞めた。


 理由は知らない。聞けるはずもなかった。

 けれど、胸の奥に最初に湧いた感情は、心配でも驚きでもなかった。


 ――安堵だった。


 自分でも最低だと思う。あいつがいなくなれば、ようやく俺が一番になれる。


 そんなことを、一瞬でも思ってしまった自分が、吐き気がするほど嫌だった。

 だから俺は、あいつの顔を完全に見られなくなったし名前も呼べなくなった。


 あいつに負け続けたからじゃない。

 負けた事実よりも、その事実に救われた自分を知ってしまったからだ。


 本当に憎んでいたのは、

 心の底からぶち壊したかったのは――



 沈んでいた意識が水面へと浮かび目を覚ます。

  目を覚ました空間はひんやりと冷えた薄暗い石造りの部屋。両手首には、冷たい鎖。

 壁に繋がれ、少し動くだけで金属音が耳障りに響く。


 隣には、三輪さんが、同じように拘束されていた。御門さんや赤城さんの姿はない。同じように捕まっているのか、それとも俺たちだけがここにいるのか。


 確かめる術はない。外界から切り離された、息苦しいほど閉ざされた空間だった。


「楓くん、起きた?ごめん、守れなかった……」


「いえ、大丈夫です……怪我も無さそうですし。」


「いや、そういうことじゃなくて……その……」


 三輪さんは、言葉を濁し気まずそうに目を逸らす。


『楓、ごめん。先に行く。―――』


 聞こえるはずのない声が、脳の奥で反響する。


――また、守れなかった。


「……小泉。」


 喉の奥から溢れたその名は、誰にも届かず、無機質な石壁に吸い込まれていく直後。


――カツン。


 暗闇の奥で、誰かの足音が響いた。

お久しぶりです、水月です。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。


第十話は、楓という人間の根っこにある感情を掘り下げる回になりました。

今まで表に出してこなかった劣等感や執着、そして自分自身への嫌悪。

そういったものが、今の楓を形作っています。


小泉という存在も、楓にとってはただのライバルではありません。

過去の象徴であり、心の奥底にずっと引っかかっていた“何か”でもあります。


今回の話を書きながら、改めて「人は何に縛られて生きるのか」を考えさせられました。

そして次回から、ようやく物語は大きく動き出します。


楓が過去を乗り越えられるのか。

小泉を、本当の意味で見つめ直せるのか。


ぜひ、次の話も見届けてもらえたら嬉しいです。

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