第二話 見定められる体力測定 前編
カーテンの隙間から差し込んだ朝日に直樹はくぐもった声を漏らす。枕元に置かれたスマートフォンがアラームを鳴らせば、微睡む意識を覚醒させようと彼は上体を起こした。スマートフォンを手に取りアラームを止める。通知に表示される新着メッセージをタップすれば秋から昨日の逃亡をあざ笑う文面が画面に表示され、ため息交じりに直樹は学校へ行く支度を始めるのだった。
直樹が暮らすのはこの学園の寮である。全寮制ではないが、全国から生徒が集う人気校であるため幾つかの学生寮が校内に置かれていた。入寮希望者は入試の成績によって設置された各寮に振り分けられる。その中で直樹の住むのは最もグレードの高い寮であった。
そうは言っても部屋自体は各寮とも大差はない。違いが出てくるのは一階に設置された共有スペースだけである。寮生間のコミュニケーションを図るために用意されたこの場にはテレビやオーディオ、ドリンクサーバーなどが置かれており、それらの設備によって各寮に差が付けられているのである。最もグレードの高い寮ともなれば、四六時中寮生が共有スペースに常駐するほどには快適な空間となっていた。
けれど、直樹は共有スペースを滅多に利用しない。自室の冷蔵庫から牛乳とヨーグルトを取り出せば部屋の中央に置かれたテーブルで一人朝食を取る。階下に行けば寮が用意した朝食を取ることもできるのだが彼はそうしない。その理由はこの寮が男子寮でも女子寮でもなく、男女共用の寮であるからであった。
もちろん、居住スペースは男女で別れているが、一階の施設は男女とも使用することができるので、実質彼にとっては使用禁止のようなものなのである。大浴場やトレーニングジムなども完備されているが、どちらも男女の更衣室からの出入り口が隣接しているため不意打ちで女子に出会ってしまえば見せたくない失態を見せてしまう危険性がある。
それ故に直樹は自室で生活の大部分を完結させている。食堂も利用しなければ風呂も自室のシャワー室で済ます。そうすることで彼は生活の安寧を保っていたのだ。
「行くか」
始業ギリギリの時間に直樹は立ち上がる。自室から廊下へ出るとさすがに他の生徒は登校しているのだろう、階下からの姦しい声が彼の耳を震わすことはなかった。それに安堵し、階段を下りて行く。
共有スペースの方に視線を向ける。点けっぱなしのテレビがどこかで起こった爆発テロのニュースを誰に聞かせるでもなく垂れ流している。誰もいないことを確認し油断していると、慌てた様子の足音が女子の部屋へと繋がる階段の方から聞こえてきた。
「うわあ、遅刻です! 遅刻しちゃいますよ、これはぁ!」
そうして姿を見せたのは、シャツの袖に腕を通しながら階段を駆け下りてきた冬華であった。捲れたキャミソールから小さなおへそを覗かせ寝ぐせの付いた髪をさらに乱しながら、彼女は突然の登場に体を強張らせる直樹の前に躍り出た。
その無防備に晒された異性の肌に直樹は後退る。冬華がそんな彼の姿を認めると、どこか嬉しそうに表情を明るくした。
「あ、師匠!」
「弟子にした覚えはない」
冬華の嬉しそうな声とは対照的に直樹は恐怖を押し殺したような小さな声であった。
「低血圧ですか?」
「……そう認識すればいい」
「えへへ、一緒ですね。私も朝はちょっぴり弱いんです」
照れ笑いで頭を掻くような仕草をすれば、再び彼女の白く健康的な肌が覗き、直樹は頭を抱えるように俯いた。
「師匠、大丈夫ですか? 頭痛いんですか? 私、優しさが半分の薬持ってますよ」
「そっちが主成分みたいな言い方はやめろ。良いからお前はちゃんと服を着ろ」
「へ?」
直樹に言われて冬華は自分が着替えながら部屋を出たことを思い出す。乱れたシャツに目を落とすと、慌てた様子を見せる。
「わわっ」
いそいそと格好を整える。布の擦れる音に直樹は心拍数を上げる。
「はい、もう大丈夫です。お見苦しいものをお見せしました」
そう言って冬華は頭を下げる。
「……なぜここに居る」
それは直樹の素朴な疑問であった。ここは成績上位者に割り振られる寮である。にも関わらず、彼女はあたかもここに住んでいるかのように向こうの階段から降りてきたではないか。それが彼には不思議でならないのだった。
「もちろん、この寮に住んでるからですよ」
当然のことだと言わんばかりに言い放つ冬華であったが、それが理解できないのだ。お世辞にも彼には目の前の少女がこの寮に住めるほど理知的な人間のようには見えなかった。そうなれば考えられるのは一つである。
「金持ちの娘か」
「え?」
しかしそれも彼を納得させるものではなかった。昨日、出会ったばかりではあるが、彼は彼女から金持ち特有の“品”というものを感じ取れなかったのだ。
「違うか」
「どうしたんですか、師匠」
彼女が不思議そうに首を傾げるも、彼の考えは止まらなかった。金持ちでもないとすれば、残る可能性は一つしかない。
「権力者の娘か」
「え、私のおじいちゃんって権力者だったんですか⁉」
けれど、それはそれで疑問が残るのだ。大事な娘を騎士科に入れるだろうか、という疑問であった。騎士に守ってもらうためであれば普通科に入れるべきであり、わざわざ怪我をするかもしれない騎士科に入れる意味はないのだ。
「……」
「師匠?」
直樹は沈黙する。
「まさかお前、実は頭が良いのか」
「実はって何ですか⁉」
否定しない辺りを見て、直樹は腑に落ちないながらもそれが事実なのだろうと認める。そして、この先の面倒を想像してげんなりとするのであった。
「つまりは俺はこれから一年、お前と同じ寮で過ごすのか」
「そうですね。私、嬉しいです。まさか師匠と同じ寮で過ごせるなんて」
「師匠じゃないと言っているだろう」
「そんなぁ!」
心底残念そうな顔をする冬華を尻目にようやく動けるようになった直樹は寮の玄関へと歩き始めた。
「あ、待ってくださいよぉ」
そう言うと冬華もようやく登校を始める。遅刻だ遅刻だと焦っていたことはどうやら忘れているようで、のんびり歩く直樹と歩幅を合わせるように寮から歩き出した。
「どうしたら弟子にしてくれるんですか、師匠」
「弟子は取らないと言ってるだろう」
「そこを何とか。私、どうしても強くなりたいんです!」
その言葉に直樹は嘆息する。少女の訴えを聞けば、その言葉が本気だということは理解できていた。故に、自分がどれだけ断ろうとも今後も冬華からの嘆願は続くだろう。
「仕方ない」
「師匠!」
けれど、それがどこまでの覚悟の下で発せられているのかは測れない。中途半端な奴に付き合うほど、彼はお人好しではない。
「今日、新入生は体力測定があるだろう」
「え、あ、はい。ああ、遅刻!」
「それはもういい。俺から担任に連絡しておいてやる」
「あ、ありがとうございます」
思い出したように騒ぎ出した冬華を直樹は忙しい奴だと眺める。
「そこで女子の中で上位十位以内に入れ」
「十位……」
「そうしたら弟子にしてやる。できなければ諦めろ」
提示された条件を冬華は復唱する。騎士科の定員は六十名。その半数が女子であるので、彼女は三十人の中の十人になればよいのだ。それが彼女にとってどれ程の難易度なのか、直樹には分からない。けれど、それが簡単であろうと難しかろうと、女性恐怖症の彼が弟子を取るならそれ位の素質がなければ割に合わないと思ったのだ。
「どうだ」
「分かりました。私、頑張って十位以内になります!」
冬華は見開いた瞳をキラキラと輝かせながら嬉しそうに笑みを浮かべた。
「いえ、もう一位になって師匠をあっと言わせますからね!」
「そうか」
そのどこまでも自信に満ち溢れた声色がどこか頼もしくて、直樹は思わず口元に笑みを浮かべる。
「じー」
そんな直樹の顔を冬華が見つめていることに気が付き、彼はハッとして表情を戻す。彼女に隙を見せてしまったことが何となく恥ずかしくて、彼は彼女を睨みつけた。
「何を見ている」
「あ、いえ。師匠も寝坊したのかなって思いまして」
「寝坊だと?」
けれど、彼女の視線はどうやら彼の顔ではなく少し上の方に向けられていることに気が付く。そこには直樹のくせ毛に乱れた頭があった。
「これは寝ぐせではない」
「えへへ、おそろいですね」
「お前と一緒にするな」
「低血圧は朝辛いですもんね」
「頭を見て話すな!」
そうして二人は並んで校舎へと向かう。途中、直樹のスマートフォンが震える。どうせ秋だろうと手に取り通知を見れば、そこには案の定秋から新着メッセージが表示される。
「まじか」
「師匠?」
表示されたメッセージに今度は直樹が震える。それを不思議そうに冬華が眺めていれば、二人は始業の鐘が鳴り響く校舎へと辿り着いていたのだった。




