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龍になったので会社辞めました ~ヒト化したら美少女で、今は巫女やってます~  作者:


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第3話 鏡の前の瑞月

 冬の境内に落ちた静寂が、妙に重く張り詰めていた。

 さっきまでそこに存在していたはずの白龍は消え、その代わりに、銀髪の少女が本殿裏に立ち尽くしている。

 何より、その事実を誰よりも処理できていないのが当人だった。

 視界が違う。高すぎもしない。低すぎもしない。けれど、世界の見え方が明らかに変わっている。重心が違う。風の感じ方が違う。肩口へ落ちる髪の重みが、やけにくすぐったい。


 龍司は、再び自分の手を見た。

 白い。細い。

 骨ばった感じがなく、指先まで妙に整っている。爪も小さく、丸く、綺麗だ。

 とっさに握る。開く。もう一度、握る。ちゃんと自分の意志で動くのに、まだ自分のものになりきっていない違和感が消えない。

 髪が頬に触れた。びくりと肩を揺らす。


『落ち着きなさい。見ているほうも落ち着かないわ』

 玉藻の声だけが、平然としていた。

 龍司は反射的に胸元へ視線を落としかけ、すぐ逸らした。逸らしてから、また戻す。白い衣に包まれてはいるが、その下の輪郭が、自分の知っている男の身体とはあまりにも違う。肩幅は狭く、胸元にははっきりと丸みがあり、腰の位置は高く、身体の線そのものが細くしなやかだった。

(…無理だろ、これ)


 宗佑もまだ放心から抜けきれていない顔で、何度か口を開きかけ、結局閉じた。神社の宮司として、白龍がヒトになった現場に立ち会うことなど、人生の想定に入っているはずもない。

「…その」

 ようやく宗佑が言った。

「と、とりあえず、鏡、見るか?」

 龍司は顔を上げる。

「見てみたいのですが、少し怖いです」

 反射的に出た敬語に、自分でひるむ。

 宗佑も同じだったらしい。眉を上げた。

「お前、そんな喋り方だったか?」

「え?」

『理想像が勝手に出てるのよ』

 玉藻がくすりと笑う。

『所作だけじゃなく、口調まで一緒にまとまってるじゃない』

 龍司はそれを無視した。無視したかった。


     ◇


 社務所の姿見に映った自分は、想像以上だった。鏡の中に立っていたのは、見知らぬ少女だった。

 銀の髪が腰近くまで流れている。窓から冬の弱い光を受けて、白く、淡く、雪よりも静かに光っていた。顔立ちは整いすぎていて、むしろ現実感が薄い。目元はやわらかいのに、瞳の色が翡翠だからか、どこか冷ややかな神秘を滲ませている。唇は薄すぎず厚すぎず、頬から顎へ落ちる線は、少女らしいやわらかさを残しながらも幼すぎない。

 見た目の年頃は十八くらいだろうか、と龍司は思った。背丈も、女としてはやや高めだが、不自然ではない。華奢だ。だが頼りなくは見えない。白い衣の上からでも、胸元と腰の線がはっきりと女のものであることがわかる。


 龍司は、しばらく呼吸を忘れていた。

(……美少女だ)

 認めるしかなかった。

(正真正銘の、美少女だ)

 しかも、そこにいるのは、ただ漠然と"美少女"なのではない。顔立ちも、髪も、瞳も、纏っている空気も、ひどく自分の趣味に寄っている。


(いや待て)

(これ、寄ってるってレベルじゃないだろ)

(ほとんどそのままじゃねえか…)

『だから言ったでしょう』

 玉藻が後ろから覗き込むように言う。

『あなたの念話は甘いの。見た目だけじゃなく、理想の所作までだいぶ流れてきていたわ』

『なるほどね。思った以上に聖女寄り。露出で押すんじゃなく、清らかさと気高さでまとめる方向』

「分析しないでください!」


 鏡の中の少女が、うっすら眉を寄せる。それすら絵になってしまうのが腹立たしい。

 龍司は恐る恐る髪へ触れた。指のあいだを、絹糸みたいに銀髪がすり抜けていく。次に頬。次に喉。喉仏の主張がないことに妙な違和感があった。

 視線を少し下げる。そこでまた一度、息が止まる。見ていいのか、という気持ちが先に立った。自分の身体なのに、自分のものではないみたいな禁忌感がある。けれど視線を逸らしたままでは、この姿でどう立つのかもわからない。


 龍司は、意を決してもう一度見た。

 白い簡易和装の下、身体の線は思った以上に均整が取れていた。肌は白く、胸元から腰へ落ちる輪郭も、不自然なくらい綺麗だった。まず浮かんだ感想はひとつだけだった。

(……綺麗だな)

 その認識に、自分で戸惑う。もっと気まずくなるかと思った。あるいは、男の頃の感覚が残っていて、別種の欲に呑まれるかもしれないと身構えていた。だが実際に訪れたのは羞恥と戸惑い、それから、妙に冷静な自己観察だった。

(ああ……そうか、もう"男が女の身体を見てる"って感じじゃないのか)

 龍になったからか、女になったからか、あるいはその両方か。

 少なくとも、自分の視線で自分が動けなくなるほどの生々しい昂りはない。それは奇妙な安堵だった。

『安心した?』

 玉藻が、いかにも全部お見通しという顔で言った。

「安心、というか……」

『でしょうね。そこまで一気にぐらつかれても面倒だもの』

 龍司はそこで、ふと鏡の中の瞳を見た。

 翡翠色の奥に、なにか金の粒子のようなものが沈んでいる。試しに、少しだけ気持ちを高ぶらせると、その金がふっと強く差した。

「うわ!?」

『感情が高ぶると、金が出るのね』

 玉藻が興味深そうに言う。

『龍の名残でしょう。綺麗だけれど、目立つわ』

 さらに、頭の奥へ意識を向ける。熱がひとすじ走った。次の瞬間、銀髪のあいだから、細い角が覗いた。白龍の時と同じ、金色だった。

 龍司は慌てて意識を引き、角を引っ込める。今度は腰のあたりに、尾の気配までかすかに走った。

「出せる……し、戻せる」

『完全に消えたわけじゃないもの』

 玉藻は肩を竦めた。

『あなたは人間になったんじゃない。白龍のまま、人の形へ収まっているだけ。忘れないことね』

 その言葉は、重かった。

 龍司は鏡の中の少女を見つめた。

 たしかに美しい。たしかに理想だ。だが、その奥にはまだ、人ではないものが潜んでいる。都合のいい夢そのままでは終わらせてくれない、ということだろう。


 ――と、その時だった。

 ヒト化した直後に覚えた小さな空腹は、消えたわけではなかった。鏡の前で自分の姿に気を取られているあいだ、腹の奥でじわじわ輪郭を増していたらしい。

 ぐう、とひどく人間じみた音が鳴った。


 龍司は固まる。

 宗佑が固まる。

 玉藻だけが、いかにも予想どおりとでも言いたげに目を細めた。

「……今の、私ですか?」

「たぶんお前だろうな」

 宗佑がなんとも言えない顔で答える。

「ヒトになった途端、だいぶ俗っぽいな」

「好きで俗になったわけじゃないんですが…」

 言い返してから、自分でまた少し驚いた。声も口調も、身体に引っぱられるように柔らかい。だが内心では、空腹の理由が気になって仕方ない。


『ヒト化した直後に少し腹が空くのは、もう説明したでしょう』

 玉藻が言った。

『人の形の器を組み直すぶん、最初に少しだけ余計な力を使うから』

「じゃあ、空腹感が増してるのは」

『今度は維持のほうね』


 玉藻は鏡越しの瑞月を見た。

『今のあなたは、まだ人の姿を保つたびに、自前の霊力を無駄に削ってるの』

『でも、この社は龍脈が濃い。ここで同じ姿を保って、眠って、起きて、暮らしていけば、いまほど燃費は悪くなくなるわ』

『龍脈から上手く力を汲み上げられるようになれば、その程度の空腹はもっと落ち着く。慣れれば人間とそう変わらないところまでいくわよ』


 龍司は小さく眉を寄せた。

「じゃあ、今の私は」

『まだ下手、ということ』

 玉藻はあっさり言い切った。

『ヒト化直後に少し小腹が空く。それ自体は自然。でも、そのあとまでじわじわ減っているのは、まだ維持に無駄が多いから』

『私はもうそのあたりで困らないだけ。いちいち食べないのは、そういうことよ』


 瑞月は思わずため息をつきかけ、そこでまた腹が鳴った。

「……人間並みまでは落ち着くんですよね?」

『修練次第ではね』

「“次第”が怖いんですが」

『精進しなさい、という意味よ』


 宗佑がそこで、少し気まずそうに咳払いをした。

「饅頭、まだあるぞ」

「……いただきます」


 鏡の前の銀髪美少女が、空腹に負けて素直に饅頭へ手を伸ばす。

 その図は、神々しいのか間抜けなのか、判断に困るものだった。


     ◇


 名前が要るな、と言い出したのは宗佑だった。

 社務所の机へ肘をつき、まだ半分は信じきれないような顔つきで、彼は名無しの少女を見ていた。

「その姿で表へ出るなら、さすがに"白龍"じゃ不便だろ」

「高岡龍司のままっていうのも違うでしょうし」

 龍司はそう返してから、またわずかに戸惑った。敬語が自然に出る。自分で意識して作っている面もあるが、それだけではない。この姿とこの声音が、そのまま外向きの応対を呼びおこしているような感覚があった。


 宗佑は顎へ手をやり、しばらく考えてから口を開いた。

「瑞月、なんてどうだ」

「瑞兆の"瑞"に、月の"月"。白龍らしいし、お前のその雰囲気にも合ってる気がする」


 “みづき”

 龍司は、その音を胸の内で転がしてみた。甘すぎない。軽すぎない。けれど硬すぎもしない。鏡の中の少女が、その名で立っているところを想像してみる。驚くほど、しっくり来た。

「……瑞月」

 口に出す。

 声にすると、その名は自然と胸に落ちた。


『いいんじゃない』

 玉藻が言う。

『高岡龍司を捨てる必要はないけれど、表へ出る顔としては悪くないわ』

 それから、ほんの少しだけ声を落とした。

『勘違いしないことね。成功したからって、もう全部落ち着いたわけじゃない』

『今のあなたは、白龍の本質を抱えたまま、人の形の器へ収まっているだけ。まだ少し不安定だし、維持だって無駄が多い』

『でも、この社でその姿のまま眠って、起きて、暮らして、名を持てば、器は少しずつ馴染んでいくわ』

『そのうち、"ヒト化している"というより、"その姿でいるのが自然"になっていく』


 瑞月は玉藻を見た。

 その言葉は、脅かしているようには聞こえなかった。むしろ、先の見えない今の状態に、ようやく道筋が示されたような気がした。

「似合う、かもしれません」

 龍司――いや、瑞月は小声で言った。


 宗佑が、ようやく少しだけ肩の力を抜く。

「決まりだな」

 その言い方に、不思議な重みがあった。名前ひとつで何が変わるわけでもない。龍司が龍司でなくなるわけでもない。だが、表へ出る自分に輪郭ができた瞬間、鏡の中の少女は、さっきより少しだけ現実の側へ寄った気がした。


     ◇


 生活の話になったのは、そのあとすぐだった。

「で、寝る場所なんだが」

 宗佑が頭を掻く。

「まさか、その姿になれたからって裏の一戸建てに連れてくわけにもいかんしな」

「裏の一戸建て?」

「ああ、俺の家。神社の裏手のやつだよ。昔は家族で住んでたんだが、今はまあ……俺ひとりだ」

 言葉尻がわずかに窄んだ。


 瑞月はそれ以上、踏み込まなかった。踏み込まないほうがいい空気くらいは、もうわかる。

 宗佑は咳払いをひとつして、社務所の奥を親指で示した。

「こっちに小さい休憩室がある。狭いけど、今のその姿なら寝られるだろ」

「人の姿の時は、そこを使えってことですか?」

「そういうことだな」


 瑞月は社務所の奥へ案内された。

 畳二枚半か三枚ほどの小部屋だった。簡素な布団。小さな棚。古いがまだ使える姿見。窓は小さいが光もちゃんと入る。人が暮らすには狭い。だが、今の自分にとって、泣きたくなるほどちょうどいい広さだった。


「あと、これ」

 宗佑が紙袋を置いた。

「生活用品。とりあえず必要そうなものを適当に。足りん分は、また考えよう」

 中には未開封のタオルや歯ブラシ、インナー類のパック、櫛や細々した消耗品が入っていた。妙に無難で、妙に距離感が正しい。


 瑞月は少しだけ目を丸くした。

「ありがとうございます」

「別に。放っとくわけにもいかんしな」

 ぶっきらぼうだが、悪い人ではない。いや、かなり困った善人なのだろう、と瑞月は思った。


『ただし、ずっとその姿でいられると決まったわけじゃないわよ』

 玉藻が横から口を挟む。

『消耗した時や制御が鈍った時は、龍へ戻るでしょうし、その時は本殿裏へ戻ることになるわ』

「二重生活ですね……」

『あなたらしいじゃない』

 それが "らしい" のかどうかはわからなかったが、完全に否定もできないのが悔しかった。


     ◇


 夜は、思ったより静かだった。社務所の小部屋に敷かれた布団へ横になると、人の姿で寝るということ自体が久しぶりで、妙に落ち着かなかった。龍の時のように体を丸める場所も、尾を逃がすスペースもいらない代わりに、身体の軽さそのものがそわそわする。

 髪を横へ流す感覚にも、まだ慣れない。

 それに、空腹は思ったよりもしつこくはなかった。夕方に宗佑が買ってきた軽食を口へ入れてからは、龍だった時の技をつかった後みたいな切実さはなく、少し腹が減りやすい程度に落ち着いている。

 玉藻の言い方からすると、それすら未熟さの表れらしいが……


 窓の外では、冬の風が枝葉を鳴らしていた。遠くに、宗佑が裏手の一戸建てへ戻る足音が聞こえる。社務所の空気には、紙と木と、ほんの少しだけ古い神棚の匂いが混ざっている。

 瑞月は布団の中で、そっと自分の指を見た。

 細く白い、女の指。

 名前を口の中だけで転がす。

(瑞月)

 その音はまだどこか他人行儀だった。けれど、嫌ではなかった。むしろ、予想していたよりずっとやさしく馴染む。


 しかし、今の状況が完全に落ち着けるわけではない。

 静かになると、龍の気配が体の奥でまだ脈打っている。少し気を抜けば、角が戻るかもしれないし、力の揺れで本殿裏へ転がり込みたくなるかもしれない。ここが "完全な定住先" だと、胸を張って言えるほどではない。


 けれど、同時に思う。今日、この姿のまま過ごせた。鏡の前で崩れずに立てた。名前も受け取った。

 ここが龍脈の濃い土地だからなのか、それとも自分が順応し始めているのかは、まだわからない。

 それでも、龍よりは、この姿のほうが素直に嬉しい。


 狭いが、人の姿で横になれる場所がある。鏡がある。布団がある。明日、自分の名を呼ぶ者がいる。


 瑞月は目を閉じる直前、思う。

 今夜から、ここが私の寝床になるらしい。

 ただし、その “私” は、まだほんの少しだけ借り物めいていた。

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