プロローグ サクラサク
※拙作『洋館の記憶』最終話と同内容になります。
実家の縁側に座って、ぼんやりと庭を眺めていた。天気が良く、随分暖かくなってきた。春らしい陽気に、ついウトウトしていると、
「俊也。昼ごはん、出来たよ」
台所から母が声を掛けてくる。オレは返事もしないで、台所に料理を取りに行く。
「私の分も持って行ってよ」
やはり返事せず、言われた通りにテーブルまで運んだ。母が畳に正座をしてから手を合わせ、「いただきます」と小さな声で言った。オレも同じようにしてから、箸を手に取って食べ始めた。
終業式の日に、学校を退職して、一人暮らしをしていたアパートから実家に戻ってきた。深谷野薫という生徒と出会い、その人が昔恋人だった人の姪だと知った時は、本当に驚いた。道理で似ているわけだ。深谷野さんと交流する内に、恋人だった良子の気持ちを聞かされ、オレは素の自分に戻りたいと思うようになってきた。が、あの学校にいる限りは、道化のような桜内俊也でいなければならない。深谷野さんにもそう伝えた。それが、去年の四月のことだった。そして今、オレは自分に戻る為に学校をやめて、ここにいる。次の就職先どころか、自分がこの先どうしたいのかもわからない。
「俊也。庭の桜の花、もう少しで咲きそうだね」
オレが何も言わないのを知りながら、話し掛けてくる母。実家に戻ってから、オレはほとんど両親と口をきいていない。十年くらい、自分でない者になりきっていたから、疲れているのかもしれない。どうしても、話そうという気になれないでいた。
両親は、そんなオレを責めるでもなく、普通に接してくれている。それが、今はすごくありがたい。何故学校をやめたのか、それすら訊かれなかった。
「オレさ、仕事やめるから。悪いけど、そっちに帰るよ」
去年の年末、家に電話した時に伝えた。電話の向こうの母は一瞬沈黙したが、「そう」と言った後、
「俊也が帰ってきてくれるの、楽しみにしてる」
「ごめん」
「何で謝ってるの? お母ちゃんは、楽しみにしてるって言ったでしょ? 待ってるよ」
「うん」
何があったの? そんな言葉はいっさいなかった。そして、今もそれは同じだ。父もこの件に関しては何も言わない。夕食の時間に帰ってきていれば、今日は会社でこんなことがあった、とかそういうことを話すだけだ。
実家に戻ってから、ほとんど外に出なくなった。さっきみたいに、庭を眺めているとか、母が観ているテレビを何となく一緒に観ているとか、そんな日々を送っている。
これでいいとは思っていない。が、心が動かない。いつか、自分がどうしたいのか、わかる日が来るのだろうか。時々、そんな気持ちに支配されて、憂鬱になる。
きっともう、教師はしないだろうな、と思っている。が、それしかやってきていないオレに、何が残っているのだろう。
「俊也。帰って来てくれて、ありがとうね」
何の前触れもなく、そんなことを母が言った。言われてオレは、ドキッとした。
「俊也が、良い子でも悪い子でも変な子でも、お母ちゃんにとっては、大事な一人息子だから。お母ちゃんは、俊也の味方だよ」
食事の手が止まってしまった。涙が浮かんで泣き出しそうになったが、必死でこらえた。のどが苦しい。
母は、オレの様子に気が付いたのか気付いてないのか、いつもと同じのんびりした口調で、
「俊也。早く、桜咲くといいね」
サクラサク
オレの人生も、サクラサクだろうか。
不安な気持ちになりかけたが、すぐに思い直す。今年がダメでも、桜はまた来年も咲く。オレの人生だって、いつかは満開になるんじゃないか。
顔を上げて、庭の方に目をやる。涙がこぼれ落ちて頬を濡らしたが構わない。
いつかはきっと、サクラサク。
心の中で、そう呟いた。




