4話
翌朝、目を覚した葉花は、身体の中のリムがいつもと違うような、変な感覚だった。
暴力的な空腹はいつも通りで、朝から大量の食事を摂る。
「どうした、ヨーカ。浮かない顔だな」
「うん、なんかリムが変な感じなんだよね」
「変とはどんな感じなのだ?」
「なんか、こう、いつもより重いっていうか、胃もたれみたいな……」
「よくわからんな」
「だよね。でも、そんなに酷いわけじゃないから大丈夫」
「そうか。無理するなよ。なんなら仕事を休め」
「四葉ってさ、お母さんみたいだよね」
「意味がよくわからん」
「ケンタロウさんが、口うるさい嫁って言ったのがわかる気がする」
「それもよく意味は分からなかったが、悪口なのは分かった」
「悪口じゃないわよ。なんていうか、うーん、惚気?」
「人間の言葉は、膨大すぎて、分からないものが次々出てくるな。ケンタロウといる時にだいぶ覚えたつもりだが、まだ知らない言葉がある」
「まあ、分からなくていい言葉もあるからね」
「そうなのか」
「さあね」
「ヨーカはなかなか手強いな」
褒められた気がして、葉花はにやつきながら、仕事に出た。
仕事はいつも通りこなし、客が少なかった事もあり、定時には帰ることが出来た。
職場を出て、歩いていると、仕事中はあまり気にならなかった、リムの胃もたれのような感覚が酷くなっている気がした。幸い明日は仕事が休みだ。
電車にのり、最寄り駅に付いた頃には、葉花は冷汗をかきはじめていた。身体の中で、リムがぐるぐる膨らんで、暴れているような感覚がした。
駅から、マンションまでは歩いて十分もかからない距離だが、葉花はたまらず、途中の公園のベンチに腰掛けた。
気分の悪さに、頭を膝につけて、かがむと、目の前が、ちかちかとして、そのまま倒れるようにベンチに横になった。
そういえば、昔同じような感じになった事があるなと、ふと思い出した。
それは真冬に温泉に行ったとき、露天風呂が気持ちよくて、長湯しすぎてしまい、湯あたりしたのだ。その時も、風呂からでて、脱衣所についたくらいに、目の前がちかちかして、ベンチに倒れ込み、近くのおばさんが介抱してくれたなと思い返す。あの時は水を飲んで、しばらく横になっていたら、治ったはずだ。
(意識が飛びそうだ……)
葉花はそう思った。気がつくと、葉花は温泉に入っていた。ふわりふわりと白い湯気が立ち上る露天風呂。目の前には、なぜか四葉が頭にタオルを乗せて、湯につかっている。
(混浴だったかな?いや、豹に混浴とか関係ないか。とういか雄なのか?あの話し方は雄だよね)
くすりと笑おうとして、自分が気を失って夢を見ていたのだと気づいた。ゆっくりと意識か戻ってくると、目の前に自分の手が見えた。公園の街頭に照らされているその手からは、ゆらゆらと白い湯気が出ていた。
(まだ夢を見ているのかな?)
じっと自分の手から立ち上る湯気をみていると、突然それがリムだと気がついた。意識が急激にはっきりしてくる。
ベンチからゆっくりと身体を起こすと、ぐらりと目眩がした。よくよく見ると、手だけではなく、体中からリムが白い湯気のように放出している。
「なにこれ……」
思わず呟くと、目の前にゆらりと人影がみえた。ぱっと顔をあげると、見知らぬ男が目の前に立っていた。
男は無表情でじっと葉花を見る。そして、男は口が裂けているのではないかと思うほどに、にやりと笑うと、葉花に掴みかかってきた。
「え!?なっ!」
ふらつく身体で、なんとか男の両腕を掴んでふせぐと、男は、焦点の合ってないような目で、耳の近くまで裂けた口から、嬉しそうな声を出す。
「こんなにリムを持っている人間に会えるなんて、なんて幸運なんだ」
葉花は、やっと気がついた。目の前にいる男はリムルなのだと。そして、葉花を食おうとしていると。
「あ、あなた、リムルなの!?」
「そうだ。話が早いじゃないか。大人しく食われろ」
男は、葉花の首に食らいつこうと、口を開いて、顔をぐっと近づけた。
葉花は無我夢中で、男を蹴り飛ばすと、這いつくばるように、逃げ出した。
足がもつれて、全然走れなかった。それでも、逃げようと這って前に進む。
背中にドンと衝撃が走って、地面に潰れた。首を後ろに向けると、男が馬乗りになっている。あまり重さが感じないのに、がっちりと抑え込まれて動けない。男は葉花の髪を掴むと、思い切り後ろに引っ張った。
「大丈夫だ。残さず食ってやるからな」
葉花の目に涙が滲んだ。もう恐ろしさで声も出なかった。さらに髪を引っ張られ、男が葉花の首めがけて口を開いたのを見て、葉花はぎゅっと目を瞑った。
これから来る痛みと、死への恐怖と、怖さに動けない自分への悔しさが、ごちゃごちゃに入り乱れて、馬鹿みたいに涙が溢れた。
歯を食いしばって、衝撃を待ち構えていると、ぶわっと風圧を感じ、引っ張られていた髪がふわりと肩に落ちた。
恐る恐る目を開くと、すぐ目の前に、金色の毛並みが見えた。
「名を呼べと言っただろう!」
怒った声すら、嬉しくて、さらに壊れたように目から涙があふれ出る。
「よ、よずばー!」
「呼ぶのが遅いのだ!まったく……。おい、そこの!こいつは私のだ。手を出すなら消すぞ」
四葉が男を睨みつけると、男はすっと無表情になる。
「なんだお前。こんな大量のリムを独り占めするつもりか?よし、いいだろう。半分くれてやる。それでどうだ?これだけのリムだ。半分でも食えばだいぶ持つだろう?」
「ふん、馬鹿を言うな。さっきも言っただろう?こいつは私のものだ。お前にはやれん。だが、お前がこいつを諦めて、元の世界に戻りたいと言うなら手を貸してやる」
「お前は何を言っている?元の世界に戻れるわけがないだろう。まさか来た世界がこんなリムのない場所だったとは、お互い不運だったな。だが、私もまだ消えたくはないのでね。その人間は私がもらう」
「私と、この人間ならお前を帰してやれる」
「本当なのか?」
「ああ、なら帰してやるから、こいつに手を出すな」
「分かった……」
四葉は、へたり込む葉花の所へ来ると、少し心配そうな声を出す。
「ヨーカ。すまないが、リムを少しくれ。あいつを帰すには、大量のリムがいる」
葉花は袖で涙を拭うと、鼻水をすすり上げながら頷き、返事をしようとして目を見開く。
「分かっ……、四葉!後ろ!」
さっきの男が、四葉が後ろを向いた隙に、飛びかかって来た。
四葉は舌打ちをすると、男を受け流して、そのまま押し倒す。
「私は、約束を守らないものは嫌いだ」
そう言って、男の頭めがけて、前足を振り下ろした。
葉花は、人間の頭がぐちゃぐちゃに潰れる光景を想像して、さっと目をそらし、それでも、やはり気になって男を見ると、男の頭部は白いモヤのように霧散して、身体だけが起き上がってきた。
「ひっ!」
まるでホラー映画ような光景に、葉花は思わず短い悲鳴を上げる。
四葉は、前足の鋭い爪で、男の身体を切り裂いていく。切り裂かれていくそばから、リムらしきモヤが立ち上って消えていき、男の心臓のあたりに、モヤが濃く固まった、白いリムの塊が見えた。
「ここが核か」
四葉はそう言うと、その核を前足でおもいきり地面に叩き付け、踏みつぶして砕いた。
すると、男の身体は一気にモヤと化して宙に消えてしまった。
四葉はふうっと息を吐くと、葉花へと近づいてきた。へたり込んでいる葉花に、四葉は金色の目を向ける。
「ヨーカ。リムルが怖くなったか」
四葉は真っ直ぐ葉花を見て尋ねた。
怖かった、怖くて怖くて、たまらなかったと、葉花は叫びたかった。それを言わない代わりに、再び涙がボロボロこぼれた。
「私が怖くて嫌になったのなら、契約を解除しよう。前は契約しないなら食ってやると言ったが、あれは嘘だ。本当は生きる程度のリムを分けて貰えそうな当てがある。だから嫌なら嫌と言えばいい」
葉花は四葉が放った言葉に、変に胸が苦しくなった。
確かに怖かったが、それでもこんなに優しいではないかと、葉花は手をぎゅっと強く握りしめる。
「怖いよっ、怖かった。でもそれは、さっきのリムルで、四葉が怖いんじゃない」
四葉は、じっと葉花を見て、黙ったままだ。
「なんとか言いなさいよ」
「よく理解できない」
「何が」
「怖くないというなら、私はどうすればいいのだ?」
「どうもしなくていいじゃない!今まで通り、私の所にいたらいいじゃない!」
「そうか……では帰るか」
「うん」
「それにしても、そのだだ漏れのリムは勿体無いな。垂れ流すなら、私が貰うぞ」
四葉はそう言って、頭を葉花のみぞおちのあたりにすり付けた。まるで、猛獣に懐かれた飼育員みたいだなと、葉花は鼻をすすり、四葉の頭を羽交い締めにした。
マンションに帰ると、葉花はどっと疲れて、ベッドに倒れ込んだ。
「ヨーカ大丈夫か?」
「うん、なんかすごく疲れた」
「リム漏れはおさまったみたいだな」
「なんかその言い方、嫌だ」
葉花はベッドに顔をうずめながら、文句を言う。
「そういえば、なんであの公園にいるってわかったの?」
「今朝リムの調子が悪いと言っていたろう。気になって、迎えに行こうとしたら、たまたま見つけた」
「たまたまでも見つけて貰えて良かったよ」
「だから、名を呼べと言っただろう」
「うん、なんか必死で忘れてた。次からは呼ぶよ」
「絶対だぞ」
「うん」
「人間のリムルがいるとは思わなかった」
「人間のリムルは多いぞ。動物の形のリムルも多い。こちらの世界に来たときは、核にリムをまとっているだけの形だが、なんとなく、こちらの世界で見たもので、知能の高そうなものや、強そうなもの、気にいったものの形になる。一度その形に固定されると、リムの少ないこの世界では、他の形に変わるのは難しい」
「へえ、リムが大量にあれば形は変えられるの?」
「向こうの世界ではそれが普通だ。好きな形に変化して過ごす」
「ふうん。そっかあ。どうせなら四葉、イケメンの姿なら良かったのに」
「ケンタロウは美女が良かったと言っていたな」
葉花は、ふはっと笑って、ベッドの上でごろりと転がる。
「飯は食わないのか?」
「食べなきゃと思うんだけど、なんかもう、だるいし眠いし……」
「じゃあ寝てしまえ」
「うん、疲れて眠いんだけど、なんか変に頭が興奮してて、寝れない」
「よく分からないやつだな」
「なんで、リムが身体から出たんだと思う?」
「ヨーカの身体がリムに慣れて、代謝が活発になってしまったんだろう。それで、昨日は私に流れてくる量も多かったのだ。流した量以上のリムを身体がどんどん作ってしまって、おさまりきらずに出てしまったのではないか?」
「ふうん。ケンタロウさんもそんな事あった?」
「いや、ケンタロウはなかったから、想像に過ぎない。そんなに大量のリムを作れる人間を見た事がない。さっき漏れてたリムを吸い取っただけでも、かなりの量だった」
「ねえ、その漏れるってやめてくれない?なんかちょっと、おもらししちゃった的な、そんな感じに聞こえるんだけど」
「じゃあなんて言えばいいのだ?」
「えーと、出ちゃった……も変だし、溢れちゃった?とかかな」
「分かった」
「それで、そのリムを作り過ぎちゃうと、勝手に身体から溢れちゃうって事よね。どうしたらおさまるかしら?」
「リムのコントロールを出来るようにするしかないな。それまでは、多く作った分は、私が食ってやる。むしろ沢山食えて私は有り難い」
「四葉がお腹いっぱいになるのは、嬉しいけど、仕事中にまたなったら困るなぁ。まあ、明日は休みだからいいけど。そのコントロールってどうやるの」
「まず、溢れてない状態でも、身体からリムを出せるように練習する。それが出来たら、身体から出したリムで、何か形を作ってみろ」
「形!?」
「ケンタロウも、ヴィラの連中も、身体から出したリムを使って、自分の好きな武器の様なものを作って、リムルと戦っていたぞ。それが出来たら、コントロールが出来たと言う事だろう」
葉花は、健太郎がリムでできた剣のような物を構えている姿を想像してみた。
「なんかぴんとこないな」
「なんだ?」
「健太郎さんが、リムで作った武器を構えているところが想像つかない。なんか健太郎さんって、ドラマの役所、知的な感じが多かったから。アクションって感じがしないのよね」
「ケンタロウは、リムルと戦っていた時も、あまり動いていなかったぞ」
「え、じゃあ、どうやって倒していたの?あ、そうか、戦うんじゃなくて、帰すんだよね。それってどうやっていたの?」
「本を使っていた」
「本!?」
四葉は、部屋の本棚の前に行くと、分厚い辞書を爪で指した。
「こんな感じのやつだ」
「え、なに?それの角で引っぱたくとかじゃないよね!?」
「なるほど、そういう使い方もあるのか」
「ないない!健太郎さんはどうやっていたの?」
「健太郎の武器は文字、いや言葉だな。その本に書かれた文字を、ケンタロウがリムを込めて話すと、その通りになった。例えば、リムルに向かって、拘束といえば、動きは止まるし、消滅と言えば、そうなった。私がリムを使って空間にヒビを入れて、ケンタロウがリムル帰還と叫べば、リムルは元の世界に帰すことができた」
葉花は、ベッドから少し頭を起こすと、四葉を見る。
「それって、物凄いことなんじゃないの!?」
「そうだな。そんな事が出来たのはケンタロウくらいだ。ヴィラの連中は、リムで攻撃するための武器を作って、それを使ってリムルを消すっていうのが殆どだからな」
「そういうのはなんか想像できる」
「ケンタロウが特殊だったんだ。あいつは、武器が作れなかった。刀とか、バットとかいろいろ試したが、どうにも形にならなかった。人間がリムで形を作ろうとすると、自分に合った形のものしか作れないみたいだな。ケンタロウはいつもダイホンとやらを読んでいたから、そのせいかもな」
「なるほど……」
葉花はベッドから起き上がった。
「寝るのではなかったのか」
「なんか四葉と話していたら、すこし元気になってきた。ご飯食べようかな。胃もたれみたいなのもおさまったし」
「食えるなら食っておけ」
「そうする」
葉花はもそもそと起き上がると、冷蔵庫からビールを取り出して、結局いつも通り大量の夕飯を食べたのだった。




