51.ある日の冒険者ギルド ギルドの受付嬢視点
冒険者ギルドの受付嬢視点のルーファスとユキ。
夕刻の鐘が鳴る頃は、冒険者ギルドも混雑します。
クエストの達成報告にきたり、その後、2階で報酬の分配をしながら食事をする冒険者で、ギルド内はとても賑わうのです。
それでもまだ夕刻ならば、酔っ払いが少ないので騒々しさも少しはマシでしょうか?
次の鐘が鳴る頃には、酔って大騒ぎする冒険者がたくさんいます。
ギルドに勤め始めた頃は、酔っ払いの声を騒々しく感じていましたが、5年も経てばかなり慣れてきました。
受付はギルドの顔、大抵の事は笑顔で受け流せるようになりました。
荒くれ者も多い冒険者達のからかい混じりの口説き文句や、報酬が少ないとごねる声に一々反応していたら身がもちません。
中には紳士的で素敵な人もいるのですが、大抵、そういった冒険者は女性の冒険者に狙われています。
下手に親しくすると、女性の冒険者の恨みを買うので、相手が誰であっても正しい距離を保つことが、受付嬢として必要なスキルだと思います。
冒険者と職員を区切るカウンターは、乗り越えさせても乗り越えても良い事はないというのが私の持論です。
そんな私でも、気に掛かって仕方のない冒険者がいます。
業務用ではない、素の笑顔で接したくなる可愛らしい方です。
達成報告にくる冒険者の相手をしながらも、今日の業務が終わるまでに帰ってくるのか、気になってしまいます。
彼女がギルドにやってくると、姿が見えなくてもすぐにわかります。
彼女がギルドに入ってきた瞬間、騒々しい冒険者達が静かになるからです。
ちょうどほら、今みたいに。
2階から入り口は見え辛いのですが、彼女と彼女の連れである白銀のルーファス様がギルドに入ってくると、1階が静かになるので、2階にいてもわかるようです。
静かになるといっても、シーンと静まり返るというわけではなく、会話が聞こえる程度に静かになるといった感じです。
みんな英雄と名高いルーファス様と、そのパーティメンバーであり、まだ成人前の少女であるユキ様のやり取りに注目しているのです。
白銀のルーファス様といえば、王都では知らぬものはいません。
王都どころか近隣諸国でも、凶悪な竜を退治したルーファス様の名は知れ渡っています。
王都から出た事のない私は話に聞いただけですが、竜にはいろいろな種類があるそうです。
12年前、私がまだ8歳だった頃に王都の近くに現れた竜は、特に凶暴で人を好んで食べるレッドドラゴンでした。
竜の中には、温厚で果物しか食べないフルーツドラゴンという名の竜もいます。
他にも花しか食べないフラワードラゴンという種類の竜もいると聞いたことがあります。
そういった竜は大人しく、決して人を襲うことはありません。
小さな頃におとぎ話で、フルーツドラゴンと友達になった少年の話を読んだこともあります。
竜の背に乗り、世界中を旅する少年の冒険譚は、とても面白いものでした。
王都の近くに現れたのが、そういった優しい竜ならよかったのですが、最悪な事に最も凶暴と言われているレッドドラゴンでした。
王都から避難するにしても、その最中に襲われる可能性もあり、王都の人々が家に閉じこもる事しかできない中、騎士団や冒険者の集団が力を合わせて竜を退治することになりました。
その冒険者の中に、当時まだ16歳の少年だったルーファス様がいたのです。
当時のルーファス様はCランクで若かった事もあり、然程重要視されていなかったそうです。
騎士団の団長が全体の指揮を取り、冒険者側はSランクで周囲の冒険者達に信頼されていたアゼルさんが取り纏めました。
竜との決戦は、王都のすぐそばの草原で行われました。
参加者は騎士団と冒険者を合わせても、500人いなかったと聞いています。
長い間平和だったこともあり、災害級の魔物に立ち向かえるだけの訓練を積んだ騎士は少なく、冒険者も報酬よりも命が大事だからと、逃げ出した人が多かったのです。
特に冒険者は身軽ですから、王都でなくてもどこでも生きていけます。
結局は、王都に守りたい家族がいる冒険者達が、決死の覚悟で参加したそうです。
竜との戦いは一昼夜続きました。
傷を負い、疲れ果てて、何人もの人が戦線離脱する中、騎士団の一部と冒険者達が竜のブレスで薙ぎ払われようとした時、竜の頭に飛び乗ったルーファス様が、頭に強い衝撃を与えることでブレスの軌道を変えて、危機から救ったのだそうです。
それまでの戦闘で竜も疲れていたのでしょう。
渾身のブレスを防がれ、大きな両手剣で首を切られて、勢いが弱まりました。
ルーファス様は、首に傷があればブレスが吐き辛いのではないかと思い、首を狙って攻撃したそうです。
最後の足掻きとばかり暴れる竜の注意を引くように、四方八方から騎士団や冒険者が攻撃を仕掛け、その間にルーファス様が竜の首を切り落としました。
ルーファス様は、竜の鱗に弾かれる事もなく、硬い鱗ごと肉を断てる素晴らしい剣をお持ちだったのです。
私も直接見たわけではないので、ルーファス様の活躍はすべて、人づてに聞いた話なのですけれど。
吟遊詩人の歌う冒険譚や劇団の演目でも、ルーファス様の竜退治は人気が高いので、私は何度も見聞きしたことがあります。
私のような王都の住民は珍しくないので、王都にはルーファス様に憧れる冒険者が山ほどいます。
特に私と同じ世代は、ルーファス様に憧れて冒険者になったという人も多いのです。
自由気侭に旅をしているルーファス様は、滅多に王都にはいらっしゃいませんので、2年ぶりに姿を現したルーファス様を一目見ようと、普段は近隣の街を拠点にしている冒険者まで王都に来ているようです。
「ユキ、これも持っていけ」
冒険者達が様子を伺う中、ルーファス様の声がよく聞こえます。
ユキ様を呼ぶルーファス様の声はとても優しく、ユキ様に向ける眼差しはとても温かいものです。
「ありがとう、ルーファスさん」
澄んだ可愛らしい声でお礼を言いながら、ユキ様は依頼書を受け取って、私の受け持つカウンターへまっすぐ来てくださいます。
ユキ様はいつも私のところへ達成報告に来るので、他の受付嬢には羨ましがられています。
「マーガレットさん、これをお願いします」
小さな手でギルドカードと一緒に依頼書を差し出されて、笑顔でそれを受け取りました。
ユキ様は小さいので、カウンターから頭だけ何とか出ているといった様子が、とても可愛らしいです。
2回目に達成報告に来てくださったときに、名前を尋ねられて、それがとても嬉しくて舞い上がってしまいました。
私の名前と同じ白い可憐な花があるそうで、ユキ様は私の名を、とても良く似合っていると褒めてくださいました。
よくある自分の名前を誇らしく感じたのは、あの時が初めてです。
両親が花のことを知っていたのかどうかはわかりませんが、これからは名乗るたびにユキ様を思い出して、誇らしく感じる事ができそうです。
「承ります。下の籠に素材を入れてください」
私の背後には、既に素材買い取り担当のアンディが待機しています。
ユキ様の持ち込む素材は、どれもこれ以上ないというほどに品質がいいので、査定が楽しいのだそうです。
最近は、アンディとユキ様のことを話す機会が増えました。
私もアンディも、可愛らしくて仕事の丁寧なユキ様のファンなのです。
「ルーファス! ねぇ、たまには家に遊びに来て。今日はまだそんなに遅くないし、父さんだって家にいるからいいでしょう?」
ユキ様が達成報告で離れるのを見計らったようなタイミングで、仕事を放棄したグロリアがルーファス様にしな垂れかかります。
媚びるような甘い声が、はっきりいって耳障りです。
彼女がまだ仕事中だということを抜きにしても、癇に障ります。
以前からグロリアは、父親が元Sランクの冒険者であることや、英雄のルーファス様と親しい事を鼻にかけて、周囲を見下していました。
父親のアゼルさんはとても厳しい人なので、アゼルさんに見つかるような場所ではそれなりに大人しくしているのですが、女子職員だけしか入れない場所になると、態度がかなり違うので、受付嬢の中では浮いています。
美人なので冒険者達には人気がありますが、ギルドの男性職員にはあまり好かれていません。
アゼルさんの娘なので特別視されていて、現場を取り纏める上司も、ルーファス様がギルドに来るたびにグロリアが職務放棄していても、注意すらしません。
「今日は用事がある。アゼルとは別の約束があるから、今日会う必要はない」
いつも通り、ルーファス様は素っ気無くグロリアをあしらいます。
身を寄せられるのが不愉快なのか、ルーファス様の表情が険しくなっているのに、グロリアはどうして気づかないんでしょう。
もしアゼルさんがここにいたら、急いで引き離していると思います。
「姉さん、みっともないからやめろよ。それに、仕事中だろ?」
見かねたように金髪の少年が割って入りました。
グロリアと姉弟と思えないほどに常識的なセドリックさんが嗜めるのを見て、他の受付嬢達の間から安堵の息が漏れました。
成人したてのセドリックさんは、現在Dランクで、めきめきと力をつけています。
いいパーティメンバーにも恵まれ、慢心する事もなくクエストをこなしている有望株なので、ギルド職員の間でも人気が高いです。
「みっともないって、何よ。セドリックには関係ないでしょ?」
公の場で窘められて、グロリアが頬を紅潮させて怒っています。
そういった態度に慣れているのか、セドリックさんの方は呆れ顔のままです。
「お前、セドリックか。見違えたな、随分大きくなった」
ルーファス様が表情を和らげて、セドリックさんの頭を軽く撫でました。
英雄に突然頭を撫でられて、セドリックさんが真っ赤になってうろたえます。
「そういった顔をしてると、幼い頃の面影があるな。お前も冒険者になったのか?」
真っ赤になったセドリックさんを見て、ルーファス様が笑ったので、セドリックさんは真っ赤な顔のまま硬直しました。
アゼルさんを通して付き合いのあるセドリックさんでも、ルーファス様の笑顔には驚くようです。
私はユキ様といるときのルーファス様が、何とも言えない優しい顔で微笑むのを何度も見ているので、かなり免疫が出来ましたが、最初の頃は驚きすぎて息が止まるかと思いました。
無表情、無関心と言われているルーファス様の笑顔は、それだけの威力があります。
ユキ様のおかげで雰囲気が優しくなったので、今まではルーファス様を怖いといっていた人達まで、ルーファス様とお近づきになりたいと考えているようです。
「今はDランクです。いつかきっとあなたのような冒険者になります!」
硬直からとけたセドリックさんが熱の篭った声で宣言すると、ルーファス様は不思議そうに首を傾げました。
「俺よりももっといい目標が、身近にいるじゃないか。アゼルは強いだけじゃなく、優しく協調性もある。面倒見が良くて頼りになる、素晴らしい冒険者だった。Sランクは強いだけじゃなれないんだぞ? お前は親父の事を、もっと誇りに思っていい」
ルーファス様は心からそう思っているから、不思議そうにしていたのだとわかりました。
確かにルーファス様の仰るとおり、強いだけではSランクにはなれません。
Sランクともなれば特権や影響力も大きいので、人格も重視されるのです。
ちなみにルーファス様がSランクでないのは、本人が嫌がってAランクで止めているからです。
ルーファス様がSランクの昇格試験を受けていたら、史上最年少のSランク冒険者が誕生していたと、アゼルさんは今も悔しがっています。
「マーガレット、査定が終わったよ」
アンディに報酬を渡されて、添えられていた明細書に目を通します。
ユキ様は今日も、とても品質のいい素材を納品してくださったようで、買い取り査定に上乗せされています。
機械にカードを読み込ませ、手早く処理を済ませました。
あまり査定処理を長引かせると、グロリアが直接ユキ様に突っかかっていくのではないかと心配なのです。
ユキ様に対する嫉妬から、グロリアは悪し様にユキ様の話をすることもあるので、あんな悪意に満ちた言葉を、まだ幼いユキ様に聞かせたくはありません。
「ユキ様、お待たせしました。こちらが今回の報酬になります。詳しくは明細をご覧ください」
ユキ様は一度にたくさんのクエストを達成するので、2回目の時から、報酬の明細書を一緒に渡すようになりました。
口頭で説明しても、種類が多いので覚えるのは大変だと思いますし、元々、希望があれば明細書を渡すようになっているので、何の問題もありません。
ギルドで保管する明細書を、もう一枚用意すればいいだけなので、手間もたいして掛からないと、アンディが毎回用意してくれています。
「ありがとうございました、マーガレットさん」
小さな布の袋にカードと報酬をしまいこんで、ユキ様はいつものように笑顔でお礼を言いました。
ユキ様は些細な事でもお礼の言葉を欠かしません。
受付嬢として当然の事をしているだけですが、素敵な笑顔で感謝されると、とても嬉しくなります。
「それから、これ。見たことがないって言ってたから、マーガレットの花を刺繍してみたんです。よかったら使ってください」
ユキ様が淡いグリーンの布で作った袋をくださいました。
見てみると、白く可愛らしい花が刺繍されています。
真ん中が黄色くて、周囲を飾るような花びらが真っ白で、丸くて可愛い花です。
「ありがとうございます、ユキ様。こんなに可愛い花だとは知らなかったので、嬉しいです。大切にします」
ユキ様の心遣いが嬉しく、感激してしまいました。
私の名前と同じ花を、わざわざユキ様が刺繍してくださったのが嬉しくて、自然に笑みが浮かびます。
こんなに素敵なプレゼントをいただけるなんて、本当に嬉しいものです。
それに、はにかむように微笑むユキ様も可愛らしくて眼福です。
セドリックさんと話しながらもこちらに注意していたのか、ルーファス様はすぐにやってきて、いつものようにユキ様を抱き上げました。
最初に見たときには驚きましたが、今は自然に受け入れられます。
ユキ様を大事に思うルーファス様の気持ちが目に見えるようで、微笑ましい気持ちになってしまうのです。
ユキ様が可愛らしく手を振るので、私とアンディも揃って手を振り返しながら見送りました。
いつものことながら、ルーファス様が立ち去った瞬間、冒険者達の話し声が一気に大きくなります。
ルーファス様の二つ名には、『孤高』というものもあります。
人を寄せ付けず、常に一人でいることからつけられた二つ名だったのですが、ユキ様と一緒にいる姿を見ると、『孤高のルーファス』と呼ばれることはなくなるのではないかと思いました。
「アンタが邪魔するから、ルーファスを誘えなかったじゃないっ!」
グロリアがヒスを起こしてセドリックさんを怒鳴りつけます。
ここは職場だというのに、百年の恋も醒めてしまいそうな形相です。
「誘うも何も、相手にされてなかっただろ? もっと現実見ろよ」
血の繋がりがあるだけあって、セドリックさんは遠慮がありません。
けれどセドリックさんの言葉は、ここ最近、イライラしていた受付嬢達の気持ちを代弁してくれていたので、胸がすっとしました。
「全部アンタのせいよっ! 抱いた女の名前も覚えてないルーファスが、私の名前は覚えていて、呼んでくれるんだもの、ちゃんと話が出来れば一緒に過ごせたかもしれないのに、何で邪魔するのよっ!」
やけにグロリアが自信満々だと思えば、名前を覚えられていたからのようです。
アゼルさんの娘だからというのが、一番の理由だと思うのですが、グロリアはそれを都合のいいように捉えているみたいです。
グロリア以外の受付嬢はしっかり仕事を片付けているので、達成報告で並んでいた冒険者の列もほとんどなくなりました。
けれども人が減らないのは、ルーファス様に関わる喧嘩がどうなるのか、興味を引かれているからでしょう。
「名前なら俺だって覚えてもらってるし。全部親父のおかげだろ? 姉さんがこの忙しい時間帯に仕事をサボっても何も言われないのも、親父のおかげだ。もっと周りを良く見ろよ。これ以上親父に恥をかかすな。元Sランクの冒険者も、娘には甘くて育て方を失敗したって、親父が嘲笑されてもいいのか?」
声を荒げるでもなく、諭すように言い募るセドリックさんは、成人したてとは思えないほどに落ち着いていて大人びています。
彼を見て、アゼルさんが教育に失敗したなどと思う人はいないでしょう。
弟に諭されるのは屈辱的なのでしょう、グロリアは顔を真っ赤にして怒りの形相でセドリックさんを睨んでいます。
弟は自分よりも下の存在という認識なのでしょう。
グロリアは見下した相手には、とても態度が悪いのです。
「全部、あのユキって子供が悪いのよっ! ルーファスを独り占めして、Fランクの分際でクエストの手伝いまでさせてっ」
反論できないからか、今度はユキ様のことまで悪く言い始めました。
セドリックは顔を顰め、これ見よがしに溜息をつきます。
「パーティメンバーなんだから、手伝いは当然だ。お互いに助けあい、足りないところを補い合うのがパーティメンバーだ。ルーファスさんは冒険者として当然の事をしているだけで、あの女の子が批難されるのはおかしいだろ? 成人前の小さい子相手に、嫉妬はやめろよ。見苦しいぞ」
またもや正論を返されて、グロリアが怒りのあまりぶるぶると震えています。
セドリックさんの言う通り、少し考えればわかることなのです。
そもそもユキ様がランクを上げたいだけならば、パーティでCランクのクエストを受けて、ルーファス様がそれを達成すればいいことです。
その方法を使えば、Dランクにはすぐになれるでしょう。
Cランクに上がるには、昇格試験を受けなければならないのですが、Dまでなら簡単に上がります。
けれど、ユキ様が楽な方法を選ばずに、パーティでなく個人で依頼を受けているのは、自分の力でやりたいという気持ちの表れで、冒険者達にもギルドの職員にも、好意的に受け取られています。
最初こそ、ルーファス様とパーティを組んだ幼い少女に、羨望や嫉妬の視線が向けられていましたが、ユキ様の一度のクエストの達成量や質を見ると、あれほどの能力があるからこそルーファス様のパーティメンバーになれたのだと、周囲も納得させられました。
アゼルさんの話では、ルーファス様は口頭で注意はしても、魔物の討伐にも薬草の採集にも、一切手を貸していないそうです。
冒険者として大事な事を、一から全部覚えたいと、Fランクのクエストから始めたのだと聞かされて、ユキ様に対する周囲の認識は大きく変わりました。
グロリアもその話を聞かされているはずなのに、頑なに信じようとしません。
子供が一人であんなにたくさんのクエストを一度に達成できるはずがないと、言い張っています。
冒険者達もいい人ばかりでもありません。
下心からか、グロリアに同調してユキ様を悪く言う人もいるので、グロリアは余計に自分の意見が正しいと信じ込んでしまったようです。
「あんな子供にみんな騙されてっ! 馬鹿なんじゃないの!?」
ヒステリックにグロリアが叫んだ瞬間、いつの間に近付いていたのか、アゼルさんがグロリアの背後から、大きな手でゲンコツを食らわせました。
「馬鹿はお前だ。仕事を放棄して何をやってる。その上、ルーファスにまで迷惑を掛けて、何を考えているんだ」
声は静かだけれど、周囲が静まるほどにアゼルさんの表情は恐ろしいものでした。
心底怒っているようで、グロリアだけではなくセドリックさんまで真っ青になっています。
もしかしたらセドリックさんは、アゼルさんに知られる前にグロリアを止めたかったのかもしれません。
「うちの馬鹿娘が迷惑を掛けて申し訳ない」
グロリアの頭を強引に下げさせながら、アゼルさんも深々と頭を下げました。
元Sランクで、今は新人冒険者の間では鬼教官と言われているアゼルさんの謝罪に、周囲の冒険者達だけでなく、ギルドの幹部職員たちも慌てています。
アゼルさんは、ギルドマスターが何とか口説き落として、ギルドの職員として働いてもらっているので、下手をするとギルドマスターよりも影響力のある人なのです。
「ルーファスが王都にいる間は自宅で謹慎させて、しっかり再教育しておくので、ご容赦願いたい。どうやら俺は、娘に甘過ぎたようだ」
アゼルさんがグロリアに向けた笑みが、底冷えしそうなほどに怒りに満ちていて、これから再教育されるグロリアに哀れみの視線が集まりました。
想像を絶するほどに厳しい教育を施されるのだろうと簡単に予測がついて、グロリアを気の毒に思う一方で、アゼルさんのやり方の巧妙さにも感心させられます。
これだけ同情されている状態ならば、グロリアに対する反感はかなり減るでしょう。
もちろん、再教育後のグロリア次第ではありますが、グロリアがまともになりさえすれば、何とか受け入れてもらえるのではないかと思います。
アゼルさんは自分も謝罪する事で、これだけの醜態を晒したグロリアに、もう一度やり直すチャンスを与えたように感じるのですが、穿った考え方でしょうか。
娘に対する深い愛情があるからこそ、できることのように思いました。
何にせよ、ルーファス様がギルドに来るたびに、苛々とさせられることがなくなるのなら、それはとてもいいことです。
ユキ様に危害を加えられることもないだろうと思えば、安心します。
アゼルさんが引き摺るようにグロリアを連れ去り、ギルドはいつもの喧騒を取り戻しました。
私は手元に残された可憐な花の刺繍を見て癒されながら、窓口にやってきた冒険者の対応をするのでした。




