八月・盆明け
「で、一個ずつ録っていくわけだけど」
「なんで一発録りじゃないの?」
お盆が明けた部室で説明を始めた渉君に、畑中が不満気だ。
渉君が、何言ってんの?という感じで説明する。
「そもそも、テンポ合わせて録音して、パラで出して、さらに細かくセクションごとに分けて部長のAbleton Liveに突っ込むのに、一発録りの意味ないでしょ」
「ちょっと……分かるように説明してほしいんだけど」
畑中の不満は募る。
「今回録音するのは、部長の練習のためだから、部長が本番で使う形式に沿うデータにしなきゃいけないって話」
「よく分かんないけど、杉宮君のためなら」
と、納得しかけた畑中だったけど、
「いやちょっと待ってよ、どうして持田君はもう録音しちゃってるの!?」
と大声を出した。
「生ドラム必要だったから盆の間に。個人練習の枠で」
気色ばむ畑中に、渉君はあっさり言う。
実は、盆の間に渉君に呼ばれて、畑中のスタジオで三曲分のドラムを録音し終わっていた。
『持田先輩は一応初心者なので、考えない方がいいと思って。今すぐここで叩いちゃってください』とは、当日の渉君の弁。
実際、最初のマイクチェックを除けば、三曲ともほぼ一回しか叩いてない。
全部クリックと渉君が作った打ち込みのバックを聴きながら、何も考えずに叩いた。
「すぐ裏にいたのに、なんで呼んでくれなかったの?」
つまり、畑中の家のスタジオで録音したのに、そのスタジオの裏に住んでいるはずの畑中を立ち会わせなかったことに、畑中はむくれている。
「こっちは緊張してたから、全然そんな頭無くてさ」
僕は言い訳するも、畑中の不機嫌は収まらない。
「この時期、吹奏楽の人達で埋まってるかと思って朝見たら、たまたま空いてたから」
実際、渉君から連絡がきたのは当日の朝だった。
「二時間だし、アキラさんいると絶対まぜっかえして時間足りなくなっただろうから。わざと呼ばなかった」
クールである。ちゃんと必要なことをやって、そのためなら畑中のことも無視する。
「持田君のレコーディング処女が散らされちゃったよう……」
さめざめと泣き真似をする畑中。
そういうの好きだなこいつ。
「アキラさん、アンシミュは?」
渉君が、そんな畑中にかまわず訊く。
ライン録音と言って、ギターとベースはアンプで鳴らさずに、ケーブルでつなぐだけでパソコンに演奏を録音する、今回はその形式で。
そのための、アンプっぽい効果を出すためのエフェクタを『アンプシミュレータ』略してアンシミュと呼ぶらしい。
畑中が、通用しない泣きまねを止めて、ベースのギグバッグのポケットに手を突っ込む。
「これ」
わけのわからないノブとスイッチがたくさんついている、黒地に黄色い文字が書いてある小さな箱を、取り出した。
「SansAmp Classic? 古すぎ……」
「貰ったの小学校の時だよ。私ギターの場合でも基本マーシャル直結だし、ジャズコ割り当てられた時に使ってるだけだからね」
「デジタル化しないの?」
「古典ロックにそんなもの必要ない!」
畑中は断言する。
「あの、私が借りてるエフェクタ」
おずおずと京子ちゃんが言い出した。
ギターボーカルには十分という小さいエフェクタを、京子ちゃんは畑中から借りて使っている。
「あー、あれは私には必要ないことに気づいたから、使ってなかったんだよ。ホントにね。だから京子ちゃんに使ってもらおうと思って」
あっさりと畑中は言った。
「でも高いものなんじゃ……それ処分したりとかして、そのデジタルの? 買えるんじゃないですか?」
「あれネットフリマで三千円で買ったものだから、売ってもお金にならないよ」
知識がない僕には、安い部類なのか高い部類なのか、さっぱりわからなかった。
「美土里さんが使ってるMG-50G? 中古高騰してるけどね」
作業しながら、渉君がボソッと言った。
「え、なんで?」
畑中が声を上げる。
「ネットで、安くて使える機材って話題になったから」
「全然知らなかった……」
根本的に、畑中も僕もネットに疎い。
「生産終了の旧機種が定価近くまで高騰してるんだから、もうただの投機対象だと思う」
渉君が、畑中のベースを抱えて、アンシミュをパソコンに繋いでチェックしながら、ボソボソと言う。
畑中は、ギター本体もピックアップだけしか拘ってないらしく、それも自分で弾きこなせなきゃ意味がないってタイプなので、機材談義に喜ぶわけじゃなさそうだ。
路上ライブで畑中が弾いていた黄色のストラトキャスターは、中古の一万円のギターに、やっぱり中古のちょっと良いピックアップを載せただけのものらしい。
「あの、やっぱりお返しして売却するとか」
「くどい!」
恐縮する京子ちゃんに、畑中が男らしく断言する。
「だいたい、京子ちゃんからあのエフェクタ取り上げたら、このバンドの音が崩れちゃうよ?」
それは畑中の言う通りだ。
京子ちゃんが使っているエフェクタの音は、渉君が曲に合わせて作り込んでいるし、それが変われば、僕や畑中が練習してきたことも無駄になってしまうかもしれない。
「だから、今は使っておいてよ」
畑中が言うと、京子ちゃんは、こくんと頷いた。
「セッティングの希望は?」
渉君は、そんな二人には全然構わずマイペースで、畑中に訊いた。
畑中のベースのセッティングのことだろう。
「渉君にお任せで」
畑中が放り投げた。
「なんで?」
「それに入ってるのFenderのBassmanでしょ? Ampeg以外分かんないから」
「了解」
なんかよく分からない会話がなされたけど、音色は円満に決まった、と言うことなのだろう。
しばらく、ヘッドフォンで音を聴きながら渉君がつまみやスイッチをいじっていたけど、
「こんなもんか。じゃあどうぞ」
と、何でもないことのように、ベースを畑中に返して、訊く。
「とりあえず、一テイクずつでいい?」
畑中は頷く。
「オケは何が欲しい?」
「持田君のドラムだけでいい」
「一応歌メロのガイドメロディもうっすら載せる」
渉君から渡されたヘッドフォンを被り、畑中がベースを構えた。
「いくよ」
僕のドラムとガイドメロディだけが入った音がヘッドフォンから流れだしたのが、ほんの少しの音漏れで分かる。
つまり曲は始まった……なのに、畑中が指を動かさない。
「アキラさん、どうしたの?」
と渉君が一度止める。
「持田君が私の中に入ってくる……」
と、ニヘラとだらしなく笑う畑中。
「ヘッドフォンだと生よりおっきい……」
渉君は完全に呆れてしまったようで、
「アキラさん、ちょっと真面目にして」
と、険しい声を作った。
「はい……」
一瞬、しゅんとした畑中だったけど、すぐに目に力が戻って。
「どうぞ」
畑中の方から、きりっとした声で、合図が出た。
一度真面目になってしまえば、畑中の録音はサクサク進んだ。リテイクなし。
しかも、揺れがない。タイトに刻んでいる。
畑中もそれなりに意識して練習していたのか、僕の演奏に、しっかり合わせている。
クリックのほんの少し前に音が鳴っている、僕のドラムとドンピシャ。
僕も畑中のベースを聴きながら、自分の頭の中でドラムを鳴らしていたから、それがはっきり分かった。
ただ、サビに入る前の僕のフィルがちょっと揺れた時には、畑中もしっかり揺らしていた。
これは前に僕が『畑中の匂い』と呼んだもので、それは二人で『ここだけはこれでいいよね』という合意が取れている。
三曲目が終わって、指が止まった後、畑中は、ふぅと一息ついた。
「これでいいよね? とりあえず聴いてみて課題見つけるのが、私たち側の目的でしょ?」
で、あっさりと、畑中の録音は終わってしまった。
「じゃ、次、美土里さんのギター」
「ひゃ、ひゃい!」
京子ちゃんが、完全に緊張している声を上げた。
「ダイジョブ、京子ちゃん、しっかり練習してきたから」
渉君が、畑中のアンシミュを抜いて、京子ちゃんが使っている件のエフェクタを繋ぐ。
「空間系もかけ録り?」
「もちろんそう。今そこ拘っても意味ないから」
畑中と渉君が確認をしていた。
「じゃ、京子ちゃん。ぶちかましちゃって」
畑中が、ファイトと言わんばかりに、渉君から受け取ったセッティング済みの京子ちゃんのギターを渡した。
京子ちゃんが、ごくりと喉を一度鳴らしてから、それを受け取る。
京子ちゃんは、椅子に座って、ヘッドフォンを被って。
「どうぞ」
と真剣な声で宣言した。
完全に集中した顔のままストロークを繰り返している京子ちゃんの、生音だけを聴いて、
「京子ちゃんのギターパート変えたの?」
畑中が渉君に訊いていた。
それは僕にもわかった。パワーコード中心で、腕の振りもそんなに忙しくない、シンプルなリズムギターになっている。
渉君が、畑中の方を向いて、説明する。
「歌に集中させたくて。でも、テレ弾きながら歌う女子高生ギタボは見た目として強いので、その折衷案」
「うん、イイと思う。賛成」
畑中が頷いた。
「その代わり、エフェクトと俺のギターの方でカバーするように変えた」
渉君はすごい。詞先の作曲をしながら、これまでの曲も色々変えている。
しかも、初心者である京子ちゃんや僕の方に難しくなる変更を要求するのではなく、目指すもの……京子ちゃんの歌を鳴らすという目的を明確にした上で、自分で難しくなる部分を担当している。
やっぱり渉君も、京子ちゃんの詞でポジティブな影響を受けたのだろう、と思った。
「……こんな感じでどうですか?」
最後の曲のエンディングが終わって、京子ちゃんがヘッドフォンを外した。
京子ちゃんの録音は、簡単になる方ではあるけど最近変更されたということもあって、セクションごとに分けながらになった。
でも、さほど時間もかからず、終わった。
「京子ちゃんすごい」
畑中が拍手した。
「四月から、たった四か月だよ。こんなに成長するなんて」
渉君は声を出さずに頷きながら、次の準備のために立ち上がる。
「歌は、普通にマイクスタンドに向かって歌えばいいから」
さっさと、京子ちゃんのマイクを、スタンドに立ててセッティングしている渉君。
京子ちゃんが頷き、もう一度歌詞カードに目を走らせた。
「歌詞カード持ったままでいいから」
「うん」
渉君の指示に京子ちゃんが頷く。
「良くなる方向に少しずつ変わってるから、まだ覚えきれてないんでしょ?」
畑中が、京子ちゃんを励ますように言った。
「はい、恥ずかしいですけど、昨日変えた場所、多分まだ覚えきれてなくて不安なので」
「昨日も変えたの?」
僕が訊くと、
「はい、なんか……最近どんどん、言葉とか母音とか……そういう違い、分かってきました」
と真面目な顔で言う。
畑中が、
「京子ちゃん、楽しいね?」
とニヤリとすると、京子ちゃんもはにかんだように笑った。
廊下からの音が無くなったタイミングを見計らって、京子ちゃんは、三曲分、一気に歌い終えた。
ちゃんと曲が身体の中に入って、声がそこから出ている……そんな感じの歌い方になっていた。
「さて、とりあえず聴きましょう」
渉君のパソコンから、部室の古いオーディオにケーブルが延ばされ、そして再生された。
古いスピーカでも音がこもるという事はなかった。
はっきりと輪郭を持った僕らの曲が流れる。
全員黙ったまま、三曲分しっかり聴いた。
でも、畑中と渉君は何も言わなかった。
だから僕が口火を切る。
「うん、いい感じだと思ったけど?」
「自分で言うのもなんですけど、かっこいいですね」
京子ちゃんも乗ってきてくれた。
でも、畑中と渉君は、同じ顔をして黙り続けていた。
全然似ていない二人なのに、その時だけ、同じものを見誤って、そして同時にそれに気づいた顔だった。
「あの……何か悪かったですか?」
恐る恐る京子ちゃんが訊くと、
「歌が上手すぎる……」
畑中が呟いた。
「ごめんなさい!」
京子ちゃんが謝ってから、
「……え?」
と驚いた。
「えーとね……京子ちゃんが上手すぎて、だから私たちが雑すぎになっちゃったんだよね」
「うん、美土里さんの歌の表情の変化についていけてない」
畑中と渉君が、説明する。
「……え?」
京子ちゃんは、その説明が何を意味しているのか、まだ掴めていないような顔になった。
僕にも分からない。
「アン直のアキラさんのギターだったら、全然違ったんだろうけど」
渉君が、やっぱりポツポツと話す。
「現代的に音圧稼ぎすぎた。あとオケの強弱がなさ過ぎた。シンセのプログラミングやり直して、自分のギターだけでもアレンジし直す」
そう決意したように、言った。
「やっぱさー、いくら歪ギターでも、コンプかけっぱで音色固定、ダメなんだよ」
畑中が言ったことに、渉君が強くうなずいた。
「どういうこと?」
こちらにもわかるように説明してほしい。
「つまりさ、京子ちゃんが、すごく静かに、でも密度をすごく高くして歌っている部分で、私たちがうるさすぎる」
そういう説明なら、分かる。
「最初からそう言って欲しい」
「最初から言ってるよ?」
「そう?」
畑中は頷く。
「京子ちゃんが上手すぎるって、そういうことだよ」
つまり、京子ちゃんの息を詰めるような歌に、そぐわない音を出してしまっている、ということだ。
「私、上手いんですか?」
京子ちゃんがおずおずと訊くけど、
「正直、夏休み入るまで、こんなんじゃなかった」
「え?」
予想外の答えが返ってきた。
いや決して下手だったと言っているわけじゃないんだろうけど、それに近いように聴こえる。
「夏休みに入るまでの京子ちゃんは、曲に合わせて歌ってたんだよ」
畑中は、顔を上に向けて目をつむって、腕を組んで。考えながら、という感じで説明する。
「今は多分、京子ちゃんの中から出てきた歌詞の中の景色に合わせて、歌ってて」
つまり、夏休み前は、渉君の想定通りに歌っていた。それが徐々に京子ちゃんの世界になっていっている、という事なんだろう。
「だから、声の強弱が勝手に出てる。かわいく歌おうとしてるんじゃなくて、その言葉を本当に言おうとしてる」
その畑中に、渉君が続けた。
「言葉って、普通に喋るだけでも抑揚が出るから……美土里さんはそれを歌でできるようになった」
渉君は、京子ちゃんの方を見た。
「京子ちゃん自身が言ってた通り、歌詞の試行錯誤で、母音と子音の置き方も変わってて。語尾を伸ばすか切るかも、自分で選んでる」
そして、畑中は断言するように言った。
「多分京子ちゃん、あの詞先の曲の詞書いてから、変わったんだよ」
一拍置いてから、畑中は目を開いて、京子ちゃんをしっかり見つめる。
「つまり、京子ちゃんの中に、自分の歌の世界ができたってこと」
「私の、歌の世界、ですか?」
畑中と渉君が頷いた。
「問題は、私たちがそれを活かせない、悪く言えば一辺倒な演奏になってしまってた、ってことだよね」
「正確には、それはポップな曲調の中で問題になってなかったけど、美土里さんの歌が良すぎて、露呈した」
また畑中と渉君は、二人とも腕を組んで目を閉じて、考えるようにしてしまった。
「もちろんリズムは、打ち込みに合うタイトなやつでいいんだけど。音量……音量っていうか音色かな、もっと言葉とか感情に合わせて動かないとダメなんだよね」
「つまりどうすればいい?」
僕の訊きたいところはそこだ。
「持田君は、この京子ちゃんの歌聴きながら」
「この歌?」
「そ、これまでクリックとシンセオケだけの練習トラックだったじゃん。今度はちゃんと、今日の録音の京子ちゃんの歌入りのオケ」
「すぐ作ります」
渉君が座ったまま僕を見上げて言ってくる。
「で、それ聴きながら、ひたすら生ドラム叩くしかないよ。京子ちゃんの歌に合わせてピアニッシモからフォルテッシモまで、自在に出せるようにする」
「うーん……」
僕は唸ってしまった。それめちゃくちゃ難しいんじゃないか?
「持田君、ロックやってる時のこと思い出そうよ。ドラムで喋るように強弱付けて……もちろん揺れちゃダメなんだけど」
「なるほど、僕が畑中と演ってて出来ていることを、タイトなエイトビートに持ち込むってことだな?」
畑中が頷いた。
ちょうど、畑中と僕とで合意した『サビ前のフィルの時だけ揺れる』を、揺れずに、だけど歌に合うように、このバンド全体に持ち込む、ってことなんだろう。
「でも時間はかかるよね?」
そこが問題である。文化祭は九月半ば。あと一か月もない。
「どうせ、あと二週間は夏休みなんだから」
いいじゃん、と軽く言う感じの畑中だったけど、
「畑中と違って補習があるぞ」
明後日からはまた補習が始まる。僕は真面目な高校生なのだ。
「もう当日空いてたらの個人練習とか言ってないで、持田君の枠、一日一時間でいいから、今のうちにスタジオ押さえちゃおう」
僕の話を全く聞いていない。
「もちろん私も一緒に入るからさ」
畑中はニヤリとして、
「ベースはドラムの女房役だからね」
そう断言する。
「僕の予定は」
「物理と相談して」
「物理がまた敵になるのか」
「文化祭前の物理は、どう考えても敵だよ?」
そう断言してしまった畑中である。
京子ちゃんの歌が上手くなった。
それは、喜ばしいことだった。
喜ばしいことなのに、僕らのやることは増えた。
バンドというのは、誰かが一歩進むと、全員が置いていかれないように走るものらしい。
でも、その追いかけっこは、決して嫌なものではなく、むしろ望む所だった。
僕はもう完全に、演奏する側に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
京子ちゃんと渉君、そして畑中に、そっちへ追い込まれてしまった。
いや、違う。
追い立てられてしまった。
でも、その先に文化祭のステージがあるのなら、走るしかない。




