二月
「そんなオッサンが好きそうな音楽やってないで、ゆずとかコブクロみたいなのやったらいいんじゃねぇのぉ?」
「お前さぁ! それもオッサンだって! ハハハ!」
「はぁ? これこそロッケンロールだ!」
最初の男二人はチャラくてスケベそうな声、それに続いたのは喧嘩腰の女性の声。
駅前ではありきたりなそういう三つの声が、駅舎から道路に降りるエスカレータを下ってきた僕の耳に届いた。
ここは、僕が、学校へ向かうバスと自宅へ向かう乗り換えをする京王堀之内駅。
暦の上ではもう春だけれど、まだ寒い二月の終わり、コートの襟を立ててさぁ北風よ来いと覚悟を決めていた僕はちょっと拍子抜けする。
声の方に目をやれば……指板はメイプル、ボディは黄色いストラトキャスタータイプという、あまり見ることのないタイプとカラーの組み合わせのエレキギターを肩にかけた一人の眼鏡の女の子が……なんだあのポーズ。
「キェー!」
両手を上に上げ、片方の足を上げ、片目は吊り上がり、もう片目は引きつり、口は曲がって尖がり、耳も片方傾いてないかアレ。
とにかく個々のパーツは形容できるけども、全体としては形容できないようなものすごい顔をして、口論の相手であろう兄ちゃん二人を威嚇している。
後ろでひっつめにしてある髪が、怒りのオーラで放射状に広がってるように見えるぐらいの、表情と気迫だ。
ああ、お笑い芸人トリオのコントか。メンバーに若い女の子がいるのに、あんなにも熱心に路上でパフォーマンスをするなんて、努力家なんだなぁ。
僕は微笑ましい気持ちで、その女の子から意識を外そうとした。
違う、口論の内容はどう聞いてもお笑い芸人の路上パフォーマンスじゃない。
僕が生まれる遥か前、ネオプログレの時代……八十年代っぽいなと僕が思ったチャラそうな兄ちゃん達は、決していかつい感じではないから、まぁやれるだろうとパッと浮かんだ。
「はいはい、ごめんなさいよ」
浮かんでしまった以上しょうがないので、僕はその女の子と兄ちゃん達が口論している所に割って入る。
「なんだぁあんたはよぉ」
あ、これマンガで読んだことある……と思ったけど、僕らの世代には予想外の、兄ちゃん達の絡みだ。
「俺達はぁ、この子にぃ、もっと可愛らしい音楽やったらいいんじゃねぇ?ってアドバイスしてるんだよぉ」
一々変なアクセントをつけて喋る兄ちゃん。
その変なアクセントは、多分僕を威嚇するためにやってるんだろうけど、冷静に聞けば爆笑を誘う他に何の効果ももたらさないことは明白だ。
それがわからないほど脳みそがスケベに汚染されているに違いない。
「まぁまぁ、どういう音楽をやろうが、それはこの子の自由じゃないですか」
「でもそんなんじゃぁ男の子にはモテないよぉ」
僕が正論を言っても、今度はいやらしいアクセントで女の子に絡み返す。
ところが、女の子は今度はどなり返したりせず、
「持田君」
赤く細長い金属フレームの中の瞳を真ん丸にして、僕の名前を呟いたのだ。
「え?」
反射的に頭が回らない僕は、眉を顰めてそんな返事しかできなかった。
そんな怪訝そうな僕の顔を見てうつむいた女の子。直後にブチンという音が聞こえたような気がした。そしてスネに感じる激痛。
「うぎょ!」
声が漏れる。
「このぉ、クラスメイトの顔も覚えてないのかー!?」
女の子が僕のスネを蹴り上げたのだ。
思わず屈み込みそうな痛みの中でもう一度女の子の顔を見る。
涙で輪郭がぼやけてしまうが、それでも心当たりが見つかった。
「ああ……嘘、畑中か?」
「うそってなによ、うそって」
「いや本当なんだけど、出来れば嘘であってほしかった」
「あん?」
僕の感想を聞いて、その女の子、畑中はいかぶしげな顔になる。
「ちっ、なんだよ知り合いかよ」
兄ちゃん達は残念そうにつぶやき、後ろを向いて歩いていってしまう。
多分スネに入った蹴りを見て、この女の子にはスケベ根性が通じないと察したのだろう。
「ああ、おい、ちょっと、グワ」
一応呼び止めようとしたんだけど、またもやスネに痛みを感じてしまう。
「呼び戻さなくていい!」
やっぱり畑中が僕のスネを蹴り上げたのだ。
「ごめん、そんなに痛かったなんて」
二連撃でうずくまってしまった僕を見て慌てたのか、畑中は申し訳なさそうな顔になった。
さっきの様子からすると謝罪はどうせ口だけだろうと思ったけど、さっきのは恐怖からの勢いだったのか、今は結構本気でしょぼくれている。
そうなると僕の方もあまり痛がっているわけにはいかなくて、実際にはすごく痛いんだけど、僕は古き良き時代のロックスターを気取る。
「まぁ今後は気をつけてほしい」
「うん、気をつける」
素直に頷いてくれた。
となれば、たとえこの先本当に気をつけてくれないとしても、被害を被った人間としては、一応怒りも収まる。
「で、畑中は何やってたの?」
通行人の邪魔にならないように、僕も畑中が後ろにしていた花壇に腰かけて、話しかけてみた。
畑中もギターを抱いたまま花壇に腰かけて答えるのだが、
「ロック」
答えはごくシンプルだった。
そして脇のアンプから流れ出すエレキギターのアルペジオ。
畑中アキラ……日明と書くらしい格好いい名前を持つ、高校での僕のクラスメイトである。
決して美少女とは言えないが、高校を卒業してメガネを外しコンタクトレンズにして、化粧をするようになれば、結構いい線いくのかもしれない。
キーポイントはメガネのような気がした。
今は四角に近い赤のメタルフレームだけど、このメガネが楕円になれば、化粧をしなくてももっと柔らかい感じになるかもしれない。
今の服装は、黒のコーデュロイのスリムなジャケットにボーイフレンドジーンズという……地味ではあるけれど、ひっつめの髪と合わせた上半身がすっきりしていて、悪くはない。
僕の目には、『周りと、おしゃれの趣味から雑貨の趣味まで全く合わないけど、突っ張らずにまぁそこそこ合わせようとしてる』ぐらいに見えていた。
その畑中がギター、しかもエレキギターを抱えて、さらに駅前で僕の隣に座っている。
周囲と合わない感じは、メガネにひっつめ髪にセーラー服という学校での恰好も相まって、畑中が真面目だからなのか?と思っていたけど、エレキギターを弾いている恰好は、あまり真面目そうには見えない。
今も彼女の手は動いていて、多分充電式の小さなアンプから、弾き始めよりもちょっとクランチ気味になった音でアルペジオが流れている。
ルートではなく最高音だけを強調するタッチは、コード進行が分かりやすく、それだけで、僕みたいなロックの本をかじっただけの素人にも分かりやすく曲っぽい感じに聞こえてくる。
「ロックって……」
先ほどの彼女のシンプル過ぎる答えの内容を、僕は訊いてみる。
とは言っても訊きようがないから、単にオウム返しになってしまったのだけれど。
「ロックっていうか、路上ライブだね。ごめんごめん」
さすがに彼女も自分の答えがシンプル過ぎた事に気がついたんだろう。謝ってくれたけど、手は動いたままだ。
「なるほど、そうきたか」
僕はうなずいたものの、畑中が今奏でているアルペジオはJ-POPで頻繁に出てくる浮遊感のあるコード進行。それもきれいに揃った八分刻み。
ちょっとロックとは言い難い。
そのコード進行で路上ライブと言っているってことは、アコースティックギターを抱えた女の子のよくある絵面が思い浮かんだので、
「でもさ、そういう路上ライブってアコギの弾き語りなんじゃないの?」
感じた疑問を口にした。
そしたら、気持ちの良かったアルペジオがプツンと途切れる。
「持田君、君まで私をバカにする?」
眼鏡をかけているからなのか、それともただ単に僕がこれまでちゃんと顔を突き合わせたことがなかったからか。
今までは気がつかなかったが、こうやって話してみるとよくよく表情が動く子だ。
僕を睨みつけるその様子が、往年のロックスターたちのように、ダンディだった。
思わず吹き出してしまった。これはしょうがないと思う。
そしたら畑中は、ムッとしてしまった。
その表情の切り替わりが面白くてさらに吹き出してしまいそうになるのけれど、そこは何とか抑える。
「すまん。別にバカにしたわけじゃなくてさ。マイクがないからどうしたのかなって思って。路上ライブってほら……」
「だって、ギター一本だってロックは出来るよ」
半分スネたような声の畑中が、また手を動かし始めた。
「ん?」
これまで鳴らしていた2小節単位のアルペジオから変わり、ストロークでまず白玉を4小節……そしてスローテンポの8分音符でコードを刻み始めた。
J-POPの浮遊感のある和音ではなく、ストレートで端的なパワーコード、ロックのそれだ。
そしてコード進行が変わった。
浮遊感がなくなり、エレキギターの音が一気にパワーを持ったと感じる。
さっきは最高音だけを強調していたアルペジオだったけど、パワーコードになって弾き方が強くなったのだろうか、さっきのクランチよりもほんの少しだけ強く歪む。
それにほんの少しだけコーラスが効いた、まさにロックのエレキギターの音色に変わった。
そしてギターのフレーズは、さっき纏っていたJ-POP特有のスカした浮遊感を完全に振り払ってしまい、今度はストレートに前を向いている。
パワーとは言っても、騒音計に現れるような数値は、きっとそれまでと変わらないだろう。
でも、その質は全く違う。
反応した僕を確かめてか、畑中はそのコード進行のまま今度は、刻むのではなく、ストロークの後に少しのアルペジオ的に鳴らす音で構成された、特徴的なフレーズを演奏し始めた。
「お、このイントロは……」
僕は思わず口に出してしまう。
FacesのStay with me、僕が好きな六十年代後半から七十年代のロックの中でも、ギターがとても目立つ曲として有名な曲だ。
ミドルテンポでキャッチーで、ギターが目立つ他の曲に比べて難解じゃない、とてもいい曲。
「持田君の机にCDが載ってるの見たことあるから」
ノリのいいリフを刻みながら、ちょっと照れたようにいう畑中である。
夜の街の光に照らされたその顔は、魅力的だった。
ロンドンでずっと仕事をしていて、四年前に日本に帰ってきた僕の叔父は、帰ってくる時にお土産にどっさり向こうのCDを買ってきてくれた。
僕は、せっかくの本場物のお土産を無駄にするのもどうかと思い、その大量のCDを勉強のBGMとして使ってみることにした。
果たしてそんな勉強法で高校受験を突破した僕は、すっかり古典的ブリティッシュロックが好きになっていたのである。
自分では演奏しないけれど、批評などを読み漁った僕は、古典的ブリティッシュロック限定ではあるけれど音楽用語も一通り頭に入ってしまっている。
叔父さんの洗脳恐るべし。
「CDで聴く人なんて、今やほとんどいないもんね。それで覚えてた」
そう言いながら畑中の演奏は続く。
そしてそれに聞き惚れたのは僕だけではなかった。
周りで仕事帰りと思しきオジサンが二、三人、足を止めた。
畑中は、何度も繰り返したイントロの演奏を終えてボーカルがあるセクションに入る。
……驚いた。ボーカルのフレーズを、本来のギターのフレーズと一緒に演奏している。
しかもただボーカルのフレーズを入れているだけじゃない。
ボーカルが叫び気味なのを、そのボーカルの音だけ、ギターパートよりも強い歪みとしてちゃんと表現している。
どうやっているのか、全く想像がつかない。
ギター一本で奏でられる、でもJ-POPの浮遊感とはまるで違う、力強いコードと、揺れてうねるリズムのギター、そのうえで叫ぶボーカル。
前に進んでいくリズム……古くはロックンロール、つまり転がっていく石ころのように、路面のギャップに揺られながら、でも自分でその進みを止めることができない、前へ前へ転がっていくリズムだ。
僕の右足が自然に動き始める。そうだよ、この足が動いてしまうリズムが古典ロックなのだ。
僕の体も動いてくる。縦じゃない、横にゆらゆらと揺れる。
まるで畑中のギターの巨大な波を受けて規則的に揺れる木の葉のようだ。
本当にエレキギター一本だけで曲を弾き終わると、ふぅと息をつく畑中。
こりゃ驚いた。
たしかにギター一本でも、ちゃんと十分すぎる曲になっていた。
歌が入らなことが前提のギター一本のブルースの演奏とは全く違う、エレキギターとボーカルを組み合わせたフレーズに豊かな表情が表れていた。
おまけにトレモロアームまで使ってボーカルのフレーズをほんのちょっとを揺らしたりとかの工夫が細かく、歌入の曲と変わらないとてもいい演奏だった。
ちょっとばかり、いや、すごく感動した僕は、思わず拍手してしまった。
それに応じて、周りで立ち止まっていた数人のオッサン達も、ニコニコ顔で拍手をする。
「いやいや、どーも」
畑中は立ち上がり、ぴょこっと礼をした。
オッサン達は、懐かしい曲を聴けたからなんだろう、収まらない笑顔でまた歩き始めていた。
流れていく通行人を前に、また僕等は二人で取り残される。
横の畑中に、僕はもう一度軽く拍手をする。
「すごいな、畑中。格好良かった」
それは僕の素直な感想だ。
一度僕にニコッと笑った畑中は、流れていく人達の方に目をやる。
「どうやってボーカルを目立たせてるんだ?」
「え?」
「ギターのフレーズもしっかり弾いてるのに、それと違う音色で……本当にあの曲のボーカルみたいな叫びっぽい音がしてた」
本当に疑問だったんで、素直に訊いてみる。
「お、持田君、良いところに気が付くね!」
畑中が本当に嬉しそうな表情になった。
「これ見て」
と指を伸ばした右手の甲を見せてくる。
あれ? 人差し指と中指だけに、畑中の眼鏡の色と同じメタリックな赤のマニキュアが塗られていて……ちょっと大きい?
「親指にサムピックって……まぁ指で挟まなくても使えるピックを使って、ボーカルの部分はこの付け爪で強めに弾いてるんだ」
付け爪?
「そうすると上手く歪みがのって、ああいうボーカルっぽくなるの」
「へぇ……?」
サムピックというのは聞いたことがあるような気がする。フォークギターなんかでアルペジオを弾くために使うものだ。
「でも付け爪って? フォークギターの人達って指で弾いてない?」
「ん-と……ギターの弦って金属だからさ、フォークの人達は柔らかく弾くからいいんだろうけど、エレキギターで歪みを効かせたい場合には、生の爪だと削れちゃうんだ」
畑中は、はにかんで続ける。
「だからおしゃれ用の……ネイル用の付け爪を加工してつけてる。せっかくだからここはネイルもしてね。もちろん弦に引っ掛からない色だけのネイルだけど」
「なるほど、実用と、ギタリストとしてのおしゃれを両立してるんだ。とてもロックだね」
と僕が感じたことを、そのまま言ったら、
「いやいやいやいや、そんな私なんて……」
と、畑中はしきりに照れた。
でも、ひとしきり照れた後、
「でもさ、私だって本当は分かってるんだよ」
と、畑中は寂しい顔になった。
「街中の普通の人達を相手に音楽をするなら、ゆずとかコブクロとか、ああいう受けの良いのをアコギで弾き語りするのが一番なんだよね」
ため息をついて続ける。
「ロックって、流行んないよね……」
僕は頷く。
「分かりやすいJ-POPじゃなければ、ジャズっぽい、オシャレだけどメロディーが分かりづらいのが、みんな好きだから」
寂しいけどしょうがないかなぁ、といった表情だ。
「ま、それには僕も同意だ。しょうがないよ」
それは納得するしかない。
畑中の演奏を立ち止まって聴いていた人はオッサンたちだけだった。
つまり今のこの演奏は、女性や若い男性にはまったく魅力が無かったということである。
畑中の演奏が悪かったわけじゃないことは、すぐ側で聴いていた僕が一番わかる。これでも耳は肥えているから。
単に曲が、今の若い人達には知られていなかっただけだ。
「だからさ、こうやって街に出て布教活動してるんだ……街って言っても都内から遠く離れた八王子の、しかも南の端の、おまけに駅から十分も歩けば広大な農地が広がる田舎、だけどね」
苦笑まじりの畑中の声。
「そのせいか、布教活動に引っかかるのは、既にロック信者のオッサンばっかりだなぁ。まぁ持田君もだけど」
また、畑中の指はギターの上を動き、アルペジオを弾き始めた。
弾きながら訊いてくる。
「持田君もこっちなんだ?」
僕は頷く。
「ここから一つ西」
「ふーん、知らなかった。私はこの駅」
僕らが通う都立高校は、この駅からバスに乗って山を越えて、川を渡って、さらにちょっとだけ登った、中央線沿線にある。
僕がそうであるように、畑中も山を越えるバスで通っているんだろう。
時間的には大してかからないし、座れることも多いから、通学はそんなに大変ではないけれど、でも、高校がある中央線沿線と、僕らの地元のこの京王相模原線沿線とは、全然空気が違う感じがある。
「中央線側って、通ってみるとすぐ近くなのに、越境入学してる感じがあるよね」
僕がそう言うと、畑中はニカっと笑いながら、同意してくれた。
畑中が手を止めて、ストラップをフロントから外しギターを肩から下ろすと、脇に置いていた樹脂製のハードケースにしまい入れた。
アンプの片付けを始める。
「オッサン達が笑顔で聴いてくれるのは嬉しくないわけじゃないけど、新規の人が興味持ってくれないと布教になんないよ」
そういえばよく路上で弾き語りをやっている連中のように、お金を入れてもらうためにケースを開けていたりはしなかった。
ということは、なるほど、本当に純粋な布教活動なのか。
そんなことを思ってる間に手早く撤収を終えた畑中は、
「じゃ、持田君」
「うん」
「今日は、助けてくれたり、聴いてくれたりして、ありがと」
「気にしないで」
「気にするよ」
畑中はそう言って微笑むと、鼻歌を歌いながら歩き出してしまった。
ギターケースを背中に背負い、小さなギターアンプをキャリーカートに載せて転がしながら。
僕は取り残されたわけだけど、不思議に悪い気はしない。
むしろ畑中の演奏の心地よい余韻を楽しめるという意味では、そっちの方がうれしかったのだ。




