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エピローグ

 サーリフの訃報に続き、ファクルッディーンの死、そして十字軍敗退の報せを受け取って、フリードリヒは、深い深い溜息を()いた。

 結果としてエルサレムに戦火は及ばなかったが、はたしてこれで良かったのか。(まど)う心を抑えて、彼は新たなスルタンとなるサーリフの息子(トゥーラーン=シャー)宛てに手紙を書いた。捕虜となった仏王ルイ達の解放を()うものだ。偽善も甚だしいな、と内心で自嘲しながら――。


 だが、その手紙をトゥーラーン=シャーが読むことはなかった。自らの権力確立のために(シャジャル・)(アッ=ドゥッル)やバフリーヤを排斥しようとした彼は反撃に()い、敵王を捕らえたわずか一月あまりの後、クーデターにより命を落とす。場所はまさに、ルイを捕らえたファーリスクールの地。祝勝の宴でのことであった。

 バフリーヤ達が忠誠を誓った対象は、あくまでも(あるじ)たるサーリフであって、たとえその嫡子相手でも、忠誠を尽くす義理は持ち合わせていなかった。少なくとも、敵視されてまで尽くすような義理は。



 フリードリヒの手紙を(たずさ)えた使者は、状況の目まぐるしい変化に途方に暮れることとなったが、結局、新たなスルタンがその手紙を受け取った。

 権力の真空状態の中、廷臣やバフリーヤたちが思案の末スルタンに擁立した人物とは、サーリフの愛妻・真珠(シャジャル・)の木(アッ=ドゥッル)その人である。


 真珠(シャジャル・)の木(アッ=ドゥッル)は、神聖ローマ皇帝からの手紙に目を通しても、何事も口には出さなかったが、捕虜解放の交渉には前向きに取り組んだ。

 十字軍側で交渉の最前線に立ったのは、ルイの妻マルグリット=ド=プロヴァンス。

 ダミエッタまで夫に同行し、この4月に王子を出産したばかりの彼女は、金策に奔走。総額40万リーブルという巨額の身代金と引き換えに、夫ルイをはじめとする十字軍の捕虜達の――この時点では一部の、ではあるが――解放に漕ぎつけた。

 参考までに、この当時1リーブルで乳牛1頭、豚なら2頭が(あがな)えたという。


 なお、マンスーラで戦死したロベールの妻マティルドも、この年の9月に、夫の忘れ形見となる男児を産む。エジプト王になりそこねたこの男児は、アルトワ伯を継ぎ、ロベール二世と名乗ることとなる。



 どうにか十字軍騒動の後始末を付けた真珠(シャジャル・)の木(アッ=ドゥッル)

 しかし、やはり女性スルタンに対しては国内外から強い反発があり、彼女の治世は三ヶ月足らずで終わりを告げる。サーリフのマムルーク内の最古参であるアイバクを新たな夫に迎え、彼にスルタン位を譲ったのだ。


 こうして、アイユーブ朝は事実上簒奪(さんだつ)されてしまったのだが、今度はサーリフのマムルーク達の中での、バフリーヤと非バフリーヤの抗争が起きる。そして非バフリーヤであるアイバク一派が勝利を収め、バイバルスたちバフリーヤはシリア・パレスチナ方面へ逃亡する。


 かの地に割拠するアイユーブ一門らを頼りながら、各地を転々とする中で、バイバルスは地中海東岸の一地域に逼塞(ひっそく)していたファーリズミーヤと出会い、族長アリー改めバラカ=ハーンの娘を妻に迎えて彼らを味方に付けることとなる。


 権力闘争の果てに、真珠(シャジャル・)の木(アッ=ドゥッル)はアイバクと刺し違えるようにして共に死亡。新たなスルタンとなったのは、アイバクのマムルークにしてホラズムの末裔でもあるクトゥズであった。



 そのような状況の中、東方からはモンゴル帝国の脅威が迫る。

 この当時バイバルスが身を寄せていたサラディンの三男の孫アン=ナースィル=ユースフ(ムアッザルの子アン=ナースィル=ダウドとは別人)は、モンゴルに降伏しようとし、バイバルスは彼と決別。

 別のアイユーブ一族、ムギースという人物の元に身を寄せるも、これとも仲違(なかたが)いしたバイバルスは、過去の行き掛かりを捨て、スルタン・クトゥズと和解する。

 そして両者は、アイン=ジャールートの地にて、モンゴル軍を撃退するという大殊勲を挙げる。


 その後、クーデターを起こしクトゥズを討ったバイバルスはスルタンとなり、モンゴル(イル(ハン)国)と干戈(かんか)を交える一方、パレスチナの地にしがみつく十字軍国家群(ウトラメール)を一掃すべく、キリスト教徒勢力とも戦いを繰り広げる。

 彼の右腕としてその覇業を支えたのが、カラーウーン。しかし、晩年に至ってその関係性にも次第にひびが入る。バイバルスの死後、自身の娘婿でもあった彼の息子を廃して、カラーウーンは自らスルタンとなり、その覇業を引き継ぐこととなる。



 一方、捕虜の身から解放された仏王ルイは、そのままおめおめと本国へ引き揚げるわけにもいかず、シリア・パレスチナの地に留まって、残りの捕虜の解放交渉に奔走。

 そしてそんな中、エルサレムの土を踏む機会を得るのだが、ルイ本人としては、決して臨んだ形での聖地訪問ではなかったろう。

 シャンパーニュ伯の若き家宰(セネシャル)・ジャン=ド=ジョワンヴィルは、陪臣(ばいしん)の立場ながら、失意の王から信頼を受け、王が母の死の報せを受けて帰国するまでの4年あまりの間、王を支え続けた。



 それぞれの信仰を抱く者たちに、それぞれの運命が降りかかる。

 しかし、それらの出来事をフリードリヒが見聞きすることはなかった。

 彼は第七回十字軍が敗退したその年、1250年の12月に、イタリア南部フォッジャのカステル・フィオレンティーノ城砦でこの世を去る。享年55歳。彼の死を看取(みと)ったのは、生涯彼に寄り添い続けた忠臣にして莫逆ばくぎゃくの友、パレルモ大司教ベラルドであった。


 フリードリヒの死によって、徐々に形勢不利な状況に追い込まれていた教皇・インノケンティウス四世は息を吹き返す。そして、フリードリヒの子や孫たちは、教皇と手を結んだルイの末弟・アンジュー伯シャルル(シャルル=ダンジュー)の手で滅ぼされることとなる。



 母の死を契機に一旦フランスへ戻ったルイだったが、十字軍に対する執念はやみがたく、1270年に第八回の十字軍を(もよお)しチュニジアに進攻。しかし、その地で病を得て客死(かくし)する。

 その最期の言葉は、「エルサレム」であったという。



 第七回十字軍による戦火を免れたエルサレムは、その後ずっとイスラム教勢力の支配下に置かれ続けた。その状況は、マムルーク朝がオスマン帝国に滅ぼされた後も変わらない。


 状況が変わったのは、第一次世界大戦におけるオスマン帝国の敗北が契機である。

 それ以前から、欧州の地で興ったシオニズム運動により、ユダヤ人の入植が増加していたのだが、敗戦処理としてイギリス委任統治領パレスチナとなり、高等弁務官にシオニストのハーバート=サミュエル卿が着任することで、事実上ユダヤ人の支配下に置かれることとなったのだ。


 第二次世界大戦後、1948年にイスラエルが独立宣言、そしてそれに対するアラブ諸国の反発から起きた第一次中東戦争と、その後の休戦協定により、エルサレムは西をイスラエル領、東をヨルダン領に分割される。


 しかし、1967年の第三次中東戦争を経て、東エルサレムもイスラエルの実効支配下に入り、パレスチナ人に苦難の日々が訪れることとなる。


 フリードリヒが望んだエルサレムの真の平和は、今なお遠い。




主要参考文献(敬称略)


・塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』

・エルンスト・H・カントローヴィチ著 小林公訳『皇帝フリードリヒ二世』

・藤澤房俊『フリードリヒ2世-シチリア王にして神聖ローマ皇帝』

・牟田口義郎『物語 中東の歴史』

・アミン=マアルーフ著 牟田口義郎・新川雅子訳『アラブが見た十字軍』

・佐藤次高『マムルーク―異教の世界からきたイスラムの支配者たち』

・伊藤敏樹『モンゴルVS西欧VSイスラム―13世紀の世界大戦』

・ジャン・ド・ジョワンヴィル著 伊藤敏樹訳『聖王ルイ―西欧十字軍とモンゴル帝国』

・Wikipedia各項目

and more.

 以上をもちまして、「フリードリヒ二世の手紙」完☆結☆です!!!

 初めての小説執筆、途中で心が折れそうになったりもしましたが、どうにか最後まで書き切ることができました。

 お読みくださいました皆様、本当にありがとうございます!

 併せまして、参考文献として挙げさせていただきました各著作にも大変お世話になりました。この場を借りまして(あつ)く御礼申し上げます。

 ジョワンヴィル氏には作中にも御出演いただきました(笑)。


 いやまあ、至らぬ点だらけなのは自覚してはいるのですよ。

 地の文での状況説明が多すぎるとか。群像劇とはいえ、一応は主人公であるフリードリヒの掘り下げが全然足りてないとか。その一方で、エルサレムが再びイスラム教徒の手に渡るお膳立てをして退場するだけの道化に、(りき)入れすぎとか。バイバルス君ももっとじっくり描きたかったなあとか。

 反省点は尽きませんが、今後に()かしていきたいと思います。と言っても、次はもう少し気軽に書けるジャンルにしようかな^^:

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時代背景について詳しくお知りになりたい方はこちらのエッセイをどうぞ。 『捉えられ奴隷にされた俺以下略(略称ときもあ)』
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[良い点] あの人物が手を結び、そしてこの人物が台頭したのか! と思えば、倒され。 永遠の絆のように思われた主従関係が、そうではなくなったり。 最後までなんてドラマティックなのでしょうか。 異文化、…
[良い点]  拝読しました!  とても面白かったです! この時代、この地域の歴史については全く詳しくなくて……でも「物語」として紹介していただくと、史上の人物たちがすごく活き活きとしていて、時代の流れ…
[良い点] フリードリヒとカーミルの敵同士でありながらの親交がやはり印象深かったです。 味方側にも敵を抱えながらフリードリヒがイスラムとの和平を諦めなかったのは、 亡きカーミルとの友情のようなものに報…
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