秘策は愚策
無難に終わり早々と立ち去る筈だったこの『阿呆の娘の間』には穏健には到底済まされないであろう雰囲気が充満している。
本来俺が座るべき椅子で佇むミカは滴る長い睫毛を下げ、顔を俯かせている。それは集中力を高めているのか怒りを静めているのかは分からないが。
一方のアイニィはというと溢れ出す自身を顔に滲み出しながら鼻息を一つ立てる。一体何処からその自身が湧き出てくるのかは分からないが。
「……おいどーすんだ。お前じゃ絶対ミカに勝てないだろ。今からでも遅くないから謝った方がいいんじゃない? ほら、俺も一緒に謝ってやるからさ」
「だからなんでさっきからママの真似すんのよっ! ……もう、心配しなくても大丈夫よ。私には秘策があるんだから」
俺の耳打ちにアイニィはうざったそうな態度を見せながらも最後にはキラリと八重歯を見せた。大体彼女が考えている『秘策』とは一般的に『愚策』と言うのだが本当に大丈夫なのかよ。
俺の心配を他所に彼女はパイプ椅子の下に置いていたカラフルな水玉模様のリュックを膝に置いて中身を漁っていく。中から出てくるのは将棋、チェス、囲碁等といった定番の物からいかにも欧米風な色とりどりの知育玩具まで多種多様な玩具が某猫型ロボットの便利ポケットのように次々と出てくる。
「あれ? おかしいわね確かに入れてきたはずなんだけど……」
しかしどれも彼女のお目当ての物ではないらしくアイニィは両腕をさらに奥へと突っ込む。無造作に積み上げられた玩具の山にはハンドスピナー、『階段で転がす虹色のバネ』、そして飴玉の包み紙など勝負の品とは関係性が薄れていく品々が蓄積されていった。先程某猫型ロボットと例えたがこれはあれだ。焦ってガラクタばかり出す映画版のアホな方の猫型ロボットだ。
「ふごっ! ふごごっふごっ!」
そんなアホはどうやら深追いしすぎて頭ごと突込み抜けなくなった様子。どうやら俺の例えは間違っていたようで猫型ロボではなくエスパーな伊東さんだったようだ。
俺は仕方がなく伊東さん改めアイニィを救出してやることにした。幼稚な柄のリュックを引っ張りあげると稚拙な脳みそのアイニィが顔を出す。その顔はもう既に何処か勝ち誇っていた。
「待たせたわねクソ天使。これで勝負よっ!」
『ババーンっ!』という効果音が付きそうな勢いで冷淡な表情を浮かべているミカに掲げるアイニィ。持っている長方形のケースを見たミカは少しだけ関心を示したようで僅かながら唇を開けてから。
「……トランプですか」
「そうトランプよ。やっぱり頭脳戦の定番といったらこれよね……ほんとは多田の為に取っておきたかったけどあんたを倒さなきゃいけないし」
『多田の為に取っておいた』という言葉から初めからオセロ勝負だけでは決着をつけさせないつもりだったのが推測されるが敢えてツッコミは入れないでおく。代わりに。
「おい、トランプってちょっとまずいんじゃないか?」
俺は再度耳打ちして忠告を入れてやることにした。
アイニィと発想が被るのが忍びないが確かにトランプは頭脳戦、心理戦のイメージがある。だからこそ彼女には分が悪いのだ。
俺にはアイニィがミカにそれらの要素で勝てる想像が全くこれっぽっちも思いつかないからだ。まず頭の良し悪しでは天と地、月とスッポン程の違いがある。唯一勝てるとするのなら運なのだが周知の通り彼女はそれすらも持ち合わせていない。この世を造った神は話を聞いた限りクソ野郎だがせめてアイニィに何か一物くらい与えてあげてもいいんじゃあないですかね……。
「だから大丈夫だって言ってるじゃない。私の『秘策』はもう既に進行中よ。まぁ首を洗って待ってなさいって」
俺の心配とは裏腹に彼女は以前堂々と自信たっぷりな表情でカードケースからトランプを取り出しそれを半分づつに分けテーブルに置いた。
どうやら余程『秘策』に自信があるようだ。だから俺は怖い。
例えばマスターがこの状況で秘策という言葉を使ったとしよう。十中八九禄でもないことが起こり俺が災難に巻き込まれるのだが結果的には成功するのではないだろうかという多少の安心感はある。
しかし今この言葉を使っているのはアイニィだ。言動、行動全てが裏目に出る全身フラグ女だ。
「あっ」
俺の不安が的中する前兆の前触れなの格好つけてパーフェクトシャッフルをしようとしたアイニィが盛大にトランプをぶちまけた。……もう本当帰っていいか俺?
「……それでアイニィさん。どんなゲームで勝負するんですか? 無難にポーカーでしょうか?」
俺が手のひらから滲み出る嫌な汗を拭っている中。中々勝負が始まらないことに痺れを切らしたミカがそう言った。
アイニィは拾い集めたトランプを机にトントンと置いて整理する。そしてその質問待ってましたと言わんばかりのニヤケ顔を浮かべる。
「いやぁ、ポーカーもいいけど私の気分的には『ババ抜き』がしたいのよねぇ……」
ここで彼女は意図的に言葉を切った。そしてそのニヤついた顔でチラリと一瞬俺の方を見たとき、彼女が言っていた『秘策』について分かったしまった。
分かってしまった以上、止めに入るしかなく今すぐ手で彼女の口を塞ごうと俺は動いた。しかし時既に遅し、込み上げてくる勝利の笑いで頬をパンパンにしたアイニィはとうとう堪えることが出来ず間抜けな音と笑い声を上げ始めた。
そして。
「でもでもぉこれだと勝負にならないしぃ、『ババ抜き』だから。分かる? ババは抜きなのよっ」
遂に言い放ってしまったアイニィは瓶とコルクから開放されたシャンパン、いや、振りまくったコーラのようにゲラゲラと笑い転げる。
ミカの容姿は俺や笑い転げているクソ馬鹿よりもずっと幼い。しかし実年齢は俺らよりもっと高いことが推測されている。断言出来ないのは上手く誤魔化されたり軽く脅迫されたりするのでいつしか禁句になってしまったから。
それを敢えて触れ弄るのが今回のアイニィの秘策だったというわけだ。全くこのクソ馬鹿はっ! もんともう馬鹿っ!
事務所内にはアイニィの馬鹿笑いだけが木霊し、俺は大変愉快そうな彼女を視界に捉えることしか出来なかった。沈黙を続けているミカが怖すぎて全身が動けないのだ。
そんな時だ。
「えー、こほんっ」
ミカがワザとらしく咳払いをして沈黙を破った。アイニィは笑うのを止め、喉の調子を確かめてから。
「何々? もう降参するのかしら? あーんなに啖呵切っておいてあっさり負けを認めちゃうの? まぁ相手がこの私だったし当然といえばとうぜ――」
アイニィが胸を張って誇らしげに語るのをぶつ切りにするようにミカが机の上に何かを置いた。黒い小型のそれは音を拾う為のスピーカーらしき物が付いていて……。
「私は先程も言ったように案内役を務めています。この企画が円滑に進むように実はこっそり姉さんと連絡を取り合って進行状況をお伝えしているんですよ」
「……ふぇ? え?」
ニヤケ顔から一変、顔を青ざめ笑いの代わりに冷や汗を流すアイニィ。
「もう聡明な貴方ならお分かりですよね? 何でしたらこの機材お貸ししましょうか? 貴方が尊敬している姉さんと何時でも何処でも会話が出来ますが」
そう言ってミカはアイニィの前に機材、それからイヤホンを差し出した。その機材からは禍々しいオーラが醸し出されておりとても直視出来る物ではない。
アイニィが尊敬してやまないお師匠ことマスターはミカの姉でもある。つまりミカをババア扱いするということは間接的にマスターにもババアだと言っているようなものだ。
そしてマスターはミカ以上に歳の話題を嫌い、ミカ以上に怒ると怖い。
「う、うぇ……どうしよぉ、馬鹿多田ぁ……」
翡翠色の瞳に涙を溜め口を震わせながら俺に泣き付いて来るアイニィ。俺はもう関わりたくないし何もしたくないので泣きつくアホを他所に天井を眺め、今日の昼飯について考えることにした。
今日はカフェでランチでもしようかなぁ……生きて帰られたらの話だけど。




