表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/88

誘惑

維心が言った通り、それは突然にやって来た。

翠明が自室へ戻って書をしたためていると、突然に回りが騒がしくなった…と思ったのは気のせいで、翠明に神の聴覚が戻り、遠くの音を締め出していないため、全て聴こえているためだった。思えば、昨夜もやけに騒がしいと思ったものだが、これだったのかもしれない…何しろ、遠く庭の上空を飛ぶ軍神達の話し声が聞こえていた。神にしたら普通のことなので気にも留めていなかったが、気を失っている今は聞こえないはずだった。それが、聞こえていたのだ。

翠明は、突然のことに立ち上がって、慌てて音を締め出すと自分の手を見た。手のひらを上に向けて翳すと、ポッと自分の気が炎のように現れた。気が戻っている…では、月は?龍の宮の結界は?

急いで駆け出そうとすると、突然に声が聞こえた。その声は、聞き覚えのある声だった。

《翠明。》

翠明は、足を止めた。遠く、かなりの距離から話し掛けているようだ。

《…定佳か?》

その声は、続けた。

《やはり主にも気が戻っておるの。己だけ逃げた、我を憎んでおるか。》

翠明は、見えないのを承知で首を振った。

《そのようなこと。我は主が無事でよかったと思うておる。我はいろいろと忘れておったのだ…己のこと、公青のこと、それに、主らとのこともの。ここへ来て、己を見つめ直し、いろいろと後悔しておることよ。》

定佳の声が、ためらいがちに言った。

《ならば、我の助けは不要か?だがしかし、今しかない。安芸には、甲斐が話し掛けておる。翠明、我ら公青に抑えられて来たであろう?この上、再び龍王にまで押さえつけられることになる。龍王は、いろいろな法を作っておる。公青は、あまり法など作ってはおらなんだが、龍王は細かい取り決めをしておって、それに従わねば宮ごと滅しられるのだという。公青は、己が龍を正妃に娶ったせいか、これからは龍の法に従うのだとか言い出しおった。》

翠明は、眉を寄せた。確かに、そうなるだろう。だが、こちらの地と交流を始め、こちらの神と共に生きるのなら、その法に従わねばならぬのは、道理だろう。

《それは、共存のためには仕方がないのではないのか。》

定佳の声は、しかし納得していなかった。

《龍の法であるぞ?我らは龍とは古来から交流などなかった。それを、今になって突然にそのようなこと。甲斐も、納得がいかぬと言うておる。あの穏やかな甲斐がであるぞ?此度、この気の変動のお陰で、公青も龍王も、月ですら気を失っておる。なのに我らはこうして気を使うことが出来る。あの強大な気の龍王を討つには、月も気を失っておる今しかない。》

翠明は、それを聞いて下を向いた。確かにその通りだ。地の気の変動は、いつまで続くか分からない。その間自分達は他の種族まで守り、そうしているにも関わらず、やはり気が戻ればその守っている相手の作った法の下に押さえられ、不自由に生きねばならない。定佳が言う事も、分かった。

翠明が黙ったので、定佳の声は続けた。

《主は今、その宮で唯一力を持っておるだろう。公青が言っておったが、そこは龍が(おも)で龍以外の少ない神は、さほど強くないのだと。なので龍王は、主に頼るはずだとの。そうではないか?》

そうだった。維心は、自分に力を貸せと言った。なので、尽力しようと…。

《…ここでは、我を信じてくれておるのだ。罪人にまで頼らねばならぬのだから、事が切迫しておるのは分かっておる。》

定佳は言った。

《罪人などと、誰が決めた。戦で負けただけではないか。勝っておったら、主は西の王だった。翠明、龍王と、それに続く皇子を討て。我と甲斐は公青を討つ。安芸には、鷹の王を討つように甲斐が打診している。公青の軍もそちらの軍も、軒並み力を失っておるが、我らの軍は健在ぞ。白虎も力を失っておるから、軍神達に討たせる。月の宮は、地の守りもあるゆえ入れぬが、元より月も地も、神にはあまり口を出さぬのだと聞いた。神世がこうと決まれば何もして来ぬ。とにかくは、力のある神を軒並み消すのだ。》

翠明は、ごくりと唾を飲み込んだ。我が、龍王を。気を失っている龍王を、討てと言うのか。

《…時をくれ。まだ考えがまとまらぬ。》

定佳の声は、頷いたようだった。

《分かった。だが急ぐのだぞ。地がこの変動の源を見つけ、それを絶たぬとも限らぬ。次の変動まで待とうぞ。恐らく、これはしばらく続く。そして元に戻り、また起こる。おおよそ、半日から一日の間のことぞ。昨夜は一晩中であったしな。我と甲斐は、その間にこうして公青に聞かれることなく念で話し合ったのだ。次の変動ぞ。分かったの。》

そう言うと、定佳の念は途切れた。翠明は、静かになった部屋で、一人沈んだ。龍王と皇子を殺せと言うか。しかし、維明も維斗も今では自分に、無愛想ながら親身になって接してくれている。何度も気を使わぬ立ち合いに付き合ってくれていたし、維明も自分の質問に辛抱強く答えてくれた。そして維心は、自分の間違ったところを丁寧に説明して正してくれたのだ。その妃の維月は、維心に知られて大変なことになる危険を冒してまで、自分を案じて敵の中孤独な自分の話を聞いてくれた。

しかし、定佳と甲斐は言った通りに公青を討つだろう。そして、白虎を討つのだろう。安芸も、恐らく鷹を討つ。そうして、もしも自分が維心を討たなかった場合、残った維心は激昂して気が戻った時皆を一瞬にして消してしまうはずだ。維心には、それが簡単に出来るのだから。

翠明は、頭を抱えた。古く幼い頃から切磋琢磨して来たあの地の三人を、そんな形で殺してしまいたくはない。だが、自分はここへ来て己の過ちを知ってしまったのだ。もはや、己の分を弁えずに世を制圧したいなどとは考えられない…。

翠明は、そのまま侍女が呼びに来るまで、ずっとその場にうずくまっていた。


一方、安芸は同じ状況になって、回廊の只中で立ち止まっていた。あの穏やかだった甲斐が、龍王の法の下に治められるのを、激しく嫌っていた。そうして、定佳と共に公青を討つので、翠明には龍王を、そして自分には箔翔を討つようにと言って来た。

安芸も、箔翔の居間へ行って事の次第を聞かされ、気の変動が来ることを知ったばかりだった。確かに、昨夜一時気が戻り、驚いて起き上がって月に向かって話し掛けたが、月からは何も返って来なかった。そのまままんじりともせずに朝を向かえ、そうしてまた気が抑えられたのを感じた安芸は、朝一番に箔翔の下へと走って、理由を問いただしたのだ。

自分は、気の変動の影響を受けないのだ。

安芸は、それを知って恐らく翠明も、定佳も甲斐もそうだろうと思っていた。皆、元を辿れば同じ神であるからだ。そんなことを考えながら黙って聞いている安芸に、甲斐の声は言った。

《安芸、主は龍王に従うのが良いと思うのか。このままでは、全て龍の良いようにされてしまうのだぞ?時に気を失い、我らに守られねばばらぬような神に成り下がっておるのに。》

安芸は、息をついて答えた。

《甲斐、主ららしゅうない。我がそう言うのなら分かるが、主が何を申すのだ。最後まで公青に侵攻せなんだ主が、龍王の名ひとつで公青を討つ決心をしたか。主は、公青に従って我らを捕らえたのではないのか。》

甲斐の声は、戸惑ったように言った。

《すまぬ。我は間違っておった。我が従っていたのは、絶対の王である公青ぞ。だが今は、龍の下へと下って機嫌を取ってばかりおる王に成り下がってしもうた。我は、龍に従うつもりなどない。龍王が決めたとかいう法、主は納得出来るのか。》

安芸は、眉を寄せた。確かに、凜の父親が病を治すことも出来ずに、神世に戻ることも出来ないのは龍王の作った法というものがあるからだ。龍王は絶対で、逆らうことは許されない。それが、こちらの地の理だった。だがしかし、それがあるからこそ、こちらの世はこれほどたくさんの神が居るにも関わらず、太平であることも今の安芸はもう知っていた。

《必要であるから法がある。こちらはそちらとは違い、大変な数の神が居る。確かに公青は、法などといわなかったやもしれぬが、それでも我ら、いろいろなことで口出しされておったではないか。龍王は細かいことは言わぬ。それぞれの宮の王に任されておるからだ。それゆえ、どうしてもということは、法という形で禁じておるのだ。主も少しこちらへ来て学ぶが良いぞ。世には様々な神が居るのだ。》

甲斐は、それでも頑なに言った。

《我は、納得出来ぬ。我と定佳は、もう公青を討つことを決めた。翠明にも、龍王を討つように今定佳が話しておる。翠明は最近ではうまく龍王に取り入っておったようであるから、恐らくやり遂げるであろう。白虎は、定佳の軍神が始末する。後は、主ぞ。主が出来ぬのなら、我が軍神達を率いて宮ごと滅っしようぞ。》

安芸は、慌てた。

《ならぬ!ここには軍神の他に侍女や侍従なども居る!罪もない者達まで、主は滅すると申すのか!》

甲斐は、珍しく声を荒げた。

《主がやらぬのならと申しておる!気を失った王と軍神を始末するだけぞ!そうでなくば、残った鷹の王は、気が戻った時我らを滅しに参るであろうぞ!力のある神は、気を失っておる隙に全て消さねばならぬのだ!》

確かに、そうだった。誰か一人でも残しては、その神が全てを消す。甲斐が消すと言った神達は、たった一人でもそれだけの力を持っているのだ。

《時をくれ。定佳とも話したい。甲斐、我はそれが正解だとは思っておらぬ。だがそうするしかないというのなら、考える。》

甲斐は、言った。

《ならば、次の変動までぞ。》甲斐は、唸るように言った。《この変動は、一度始まれば半日から一日続く。此度もそうであろう。次の変動が始まったら、我と定佳、それに翠明は動く。それまでに決めるが良い。ではの。》

安芸は、追うように念を飛ばした。

《甲斐!話を聞かぬか!それでは解決にならぬ!》

しかし、甲斐の念は、もはや感じられなかった。安芸は、歯を食いしばった。なぜに分からぬ。そんなことでは、太平の世など保てぬ。自分達が世を制したところで、それを維持することなどできぬ。恐らく戦国になる…そうなると民を常に危険に晒すことになる。己の民を守るため、他の宮の民を滅することになるだろう。その中には、罪もない民も大勢居るはず。そこには軍神も居て、その妻も子も居て、政務に何の関わりもない民も居る…。

自分は今まで、何も考えてこなかった。共に出陣する軍神達の身を案じたことすらなかった。だが、ここへ来て気を奪われ、嫌がおうでも回りを真剣に観察せざるを得なくなって、皆の関係を理解するようになり、何より凜と話すうちに、人や神がどのように感じるのか考えるようになった。粗野な自分が、どれほど考えなしであったのか、やっと知ったのだ。ここで箔翔を滅し、定佳や甲斐に組すれば、ここで学んだことが全て無駄になってしまう。王として、民の幸福を考えて、己の行動に責任を持つべきだと思ったばかりだったのに、そんな愚かなことに組することなど、今の自分には出来ない。だが、自分が動かねば、争いながらも共に来た定佳達三人は滅しられる。それを避けるため、甲斐がここを消しにやって来る。どうすればいい…しかし我には、あの三人を売ることも出来ぬ…!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ