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気の変動

翠明は、維心の居間へと急いでいた。

昨夜、何やら宮が騒がしく、結界がどうのと軍神達がひそひそと話しているのを聞いたからだ。自分は気を全く感じることが出来ないので、今は龍王の結界も感じ取ることが出来ないが、何かあったのかもしれない。

前までなら、維月に聞けば済んだことだった。しかし、維月は、侍女の姿などしていたので今の翠明には全く分からなかったが、龍王の正妃だった。

それはハキハキと、おおよそ神の女には居ないタイプの女神であったが、それはそれで、翠明は好感を持っていた。あのように分かりやすく、全てに置いて頭の回転の速い女は見たことがない。どうやら奥宮でじっとしているのは嫌うらしく、特別に宮の中を自由にしているらしいが、それでも、今度のことは維心も知らないところで勝手に翠明の心配をし、勝手に翠明の世話をしていたらしく、維月はかなり維心に叱られたらしい。

気の毒に思ったが、自分に何が出来るといって何もなかった。なので、なるべくその事は口にしないようにして、維心の意識の端に上らないようにと気を遣っていたのだった。


維月は、維心にガッツリと肩を抱かれて王の居間に座っていた。あれからすぐに維心に捕まえられ、こっぴどく説教され、翠明他預かりものの軍神達がここを去るまで、奥宮から出る事を固く禁じられたのだ。

そして、維心自身も維明に代行させてほとんどを奥宮で過ごしていた。つまりは維月をじっと見張っているわけで、維月は、あれから全く奥宮を出ていなかったのだ。

ふいに侍女の声が、言った。

「王。翠明様のお越しでございます。」

維心は、頷いた。

「通せ。」

維月が、奥へ入れといわれることはもう分かっているのでスッと席を立つと、維心に頭を下げて奥の間へと入って行く。維心はそれを見送ってから、入って来る翠明を待った。

「寛いでおるところ申し訳ない、維心殿。」

維心は、首を振った。

「良い。我も話しておかねばならぬことがあるからの。前の主なら口が裂けても言わぬだろうが、今なら言える。事は切迫してきておるしな。」

翠明は、何事かと目を丸くした。

「ほう…話を聞こうぞ。」

そうして、維心の前の椅子へと座った。最近では、よくこうして維心に話に来ることがあるので、もう慣れて来ていたのだ。今の翠明には、維心の大きな気を感じることもないし、不必要に恐れることもなかった。維心は、話してみると、案外に話しの分かる神で、取り付く島もないような神ではなかった。ただ、妃はたった一人で、その妃があれほどに変わった女であることを知った時には、仰天した…まさか、妃が奥宮を出てうろうろと侍女のふりをしているなど、思ってもみなかったからだ。それでも、世話好きの利口な女で、確かに珍しく見たこともない女だったので、そんなものかな、と翠明は勝手に納得していたのだった。

維心は、無表情に言った。

「主は気を失っておるゆえに感じ取れぬやもしれぬが、ここ最近、地の磁場が乱れておって、神達の気に変動が起こっている。日によっては一日、全く飛べぬ神まで出て来ておる始末。どうやら事は西の地も西の果てにも及んでおるらしく、原因を調べるために月の宮の方では陽の地の碧黎が地へ戻っておるのだ。」

翠明は、陽の地のことも、維明から聞いて知っていた。月の親に当たる神で、この維心より大きな力を持っている。だが、神世に干渉して来ることはなく、ただ地の平和だけのために動くのだとか。月の宮に居ることが多いのは、そこに子が居るからだときいていた。では、昨日の騒ぎは、それに関係することか。

「地の磁場が乱れておるのに、地は己でその原因が分からぬか?」

維心は、頷いた。

「我らが己の体の中で起こっておることを全て把握しておらぬのと同じこと。それに、少し前には人のせいで磁場が激しく乱れておった時もあったしな。覚えておらぬか?空から変わった気がが降り注いで、皆がそれに備えておった時はなかったか。あの頃我らは交流がなかったが、我は西の地に公青の結界が大きく張られてあったのを感じておった。それを見て、そこそこの力の神が居るのだと、我も認識したものよ。」

翠明は、その時のことを思い出した。確か、あれは公青が、空から古代に降ったのと同じ、全てを焼き尽くす気が降って来ると気取り、自分の領地だけでなく、あの島全体を守る結界を、己の力の全てを使って張って備えたのだ。古代には、それで多くの民が消えたのだと聞いていた。もちろんのこと、翠明や定佳、安芸や甲斐の力で張る結界には限界があって、それでは全てを守れない可能性があった。なので、公青が大きく結界を張った中に、自分達の結界を領地を包むように張って、公青の結界に隠れるようにして、ただその瞬間を待っていた。

…思えば、公青に敵うはずなどないものを。

翠明は、その時のことを思い出して、苦笑した。なぜに、あの宮へ侵攻しようとしたのだろう。公青が追放されたと聞いた時、他の誰にもあの宮を渡したくないと思った。自分が取るのだと。考えれば、公青以外の誰にも従うつもりなどなかったのだ。中央の宮へ行きたいからではなかった。ただ、公青に対する憧憬の心が、あの宮の王になりたいという気持ちになっていたのだろう…確かに、子供だ。

翠明が、自嘲気味に笑っていると、維心が怪訝な表情で言った。

「翠明?」

翠明は、首を振った。

「いや。今気付いたことがあっての。確かに、あの時は大変であったわ。」

維心は、何のことか分からないままに、先を続けた。

「我らは地の上に生きておるのだから、地の影響を受けるのは仕方がないことよ。しかし、このままではせっかくに落ち着いておる神世が乱れる恐れがある。月も我も、その磁場の影響を受けるからぞ。」

翠明は、驚いて身を乗り出した。

「大きな力を持っておるのに?月までもというのか。」

維心は、頷いた。

「そう。地は大きな磁場の流れを構成していて、その流れの中に月も入っておるからの。主らの気の拘束も、外れる可能性がある。今朝、十六夜が知らせて来たのだがな。」

翠明は、咄嗟に自分の手を見た。しかし、気は戻っていなかった。

「いや…まだ戻っていないようぞ。だが、戻ったところで我は今更どうの思わぬし、主らの気には全く敵わぬ。主の軍神でも、我は敵わぬだろう。問題はないかと思う。」

維心は、首を振った。

「そのことではない。この磁場のせいで気を失うもの、残るものと分かれるのだ。磁場の影響を受けるものと、受けないものが居る…神世の力関係が変わるやもの。」

翠明は、維心を見て顔をしかめた。

「よう分からぬが。」

維心は、じっと翠明を見た。

「我や月は、磁場の影響を受けて力を失う時がある。だが、力を失わぬ王も居る。磁場の変動の原因が分からぬ以上、それがいつ起こるのか、いつ終わるのか、我らには判断する術がない。その時に襲われでもしたら、いくら我でもひとたまりもないの。その時は、今の主のように人のようなものであるからな。」

翠明は、それを聞いて愕然とした。ならば、それなりの力を持っていて気を残していた神が、龍王が気を失っている機に乗じて一気に攻め滅ぼしにかかるやもしれぬのだ。

「そんなことが…だがしかしありうるのか?」

維心は、険しい顔で頷いた。

「十分にの。我は力で押さえつけて参ったゆえ、恨んでおる輩も少なくはない。力を失ったと見るや、これを機と攻め入って来る可能性は限りなく高い。」

翠明は、戸惑うように維心を見た。

「それでは…呑気にしておる時間はあるまい。何か対策を練らねば。地が変動の原因を突き止めるまで、何とか持たさねば。」

維心は、頷いた。

「そうなのだ。だが、どうやらこの磁場には龍族は弱いらしく、皆軒並み力を失うのだ。主がここに居ってくれて幸いぞ。すまぬが他の、我が宮に仕える龍以外の神達と共に、宮を守る手伝いをしてはくれぬか。その功により、我が公青に主の免罪を申し出ても良い。」

翠明は、それを聞いて驚き過ぎてしばし呆然としていた。龍王が、我に頼みごとを?

「それは良いが…我とて、月が力を失って気の拘束が解けたところで、今度はその同じ磁気の影響で気を使えぬようになるやもしれぬ。」

維心は、首を振った。

「いいや。公青が知らせて来たところによると、西の神でも定佳や甲斐は、全く影響を受けておらぬらしい。しかし、公青も我と同じように気が乱れて一時使えぬようになったと言うておった。」

翠明は、それを聞いて悟った。ならば自分も影響を受けない。なぜなら、西の地では公青だけが違う筋からの神で、他翠明、定佳、甲斐、安芸は同じ流れの神から分かれた同じ種類の神なのだ。今までも、神世で病が流行っても、公青だけが罹らなかったり、翠明や定佳達四人の宮だけで罹らなかったりと、遠い祖先の繋がりを感じたものだった。今度も、恐らくそうだ。

「ならば恐らく我も影響を受けぬだろうの。公青は、それが言いたかったのだろう。」と、考え込む顔をした。「安芸とて同じ。安芸は鷹の宮へ行っておると聞いておるが、あちらはどうか?」

維心は、息をついて首を振った。

「あちらも似たようなもの。もっと悪いやもしれぬ。鷹以外があまり居らぬからの。果たして安芸が、箔翔の代わりにあの宮を守ってくれるような神になっておったら良いが、どうであろうの。我も安芸とは会うておらぬから。」

翠明は、考え込んだ。今までの安芸の性質では、この機に乗じて一人でも鷹の宮を抜け出し、己の宮へ戻って軍を率いて今度こそ公青を討とうとするだろう。だが、自分はここで悟ってしまった。公青を討つのは、自分の首を絞めるようなもの。あの地を治める力があるのは、公青なのだ。何よりまた、地の気が乱れて全てを焼く気が降って来たなら、誰が守るのだ。

翠明は、立ち上がった。

「安芸と話さねば。会えぬか?」

維心は、首をかしげた。

「どうかの。あちらも気の喪失に備えて騒いでおるだろうし、無理やもな。書でも送るか?」

翠明は、頷いた。

「では、部屋へ戻って書いて来る。それを送らせてもらいたい。」

維心は、満足げに頷いた。

「そうしようぞ。では、また気が乱れる兆候が出たなら、連絡する。」

翠明は、また何かを考えながらも頷き、そこを出て行った。

維心は、その背をじっと見送ったのだった。

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