令和女流歌人・花村美咲の和歌日記 第三巻『三十二歳、美咲の人生大改造計画』 ~夫婦の夢と現実、そして新しい自分~
序章 三十二歳の朝、人生はまだ工事中
一月一日。
花村美咲、三十二歳。
夫の佐藤悠人と結婚して一年。
朝、目が覚めると、隣で悠人が寝ていた。
結婚前は、恋人の寝顔を見て「幸せだなあ」と思った。
結婚後は、寝顔を見て「そろそろ起きてゴミを出して」と思うようになった。
愛情とは、なかなか現実的なものである。
美咲は日記を開いた。
「三十二歳の目標。自分の人生を大改造する。ただし、無理はしない。夫も改造する。特に家事能力」
一月一日の歌
初日の出
夫はまだまだ
夢の中
今年の目標
まずはゴミ出し
「悠人、起きて!」
「あと五分……」
「その五分、去年から何回聞いたと思ってるの!」
三十二歳の新年は、いつも通りに始まった。
第一章 夫の家事能力向上プロジェクト
一月 洗濯機は文明の利器である
美咲は決意した。
今年こそ、悠人に家事を覚えてもらう。
まずは洗濯。
洗濯物の分類、洗剤の量、干し方、取り込み方。
説明書を作り、冷蔵庫に貼った。
悠人は真剣な表情で読んだ。
「なるほど。洗濯って奥が深いんだね」
「今まで何だと思ってたの?」
「ボタンを押すイベント」
美咲は頭を抱えた。
洗濯機の歌
白い服
色物分けて
洗うのに
夫の靴下
なぜ赤くなる
翌週、悠人は洗濯に成功した。
しかし、洗濯物と一緒にティッシュまで洗ってしまった。
洗濯槽の中は、雪景色だった。
「悠人!」
「ごめん!ポケット確認を忘れた!」
「洗濯機で雪を降らせないで!」
冬の雪の歌
降る雪は
空からだけに
してほしい
洗濯物には
降らせないでね
それでも、悠人は少しずつ上達した。
美咲は、夫の成長を見守ることにした。
ただし、ティッシュ事件のことは、しばらく忘れないつもりだった。
二月 料理男子への道
次の課題は料理。
悠人は休日にカレーを作ることになった。
材料を切り、鍋に入れ、煮込む。
順調だった。
ところが、味見をした悠人が言った。
「ちょっと薄いかな?」
カレールーを追加した。
さらに追加した。
もう一度追加した。
完成したカレーは、スプーンが立ちそうなほど濃厚だった。
カレーの歌
愛情を
入れすぎたのか
鍋の中
塩分濃度も
夫の自信も
美咲は水を足して、なんとか食べられる味にした。
「おいしいよ」
「本当?」
「うん。明日はカレーうどんにしよう」
「どうして?」
「量が多いからです」
二人は笑った。
料理は失敗しても、二人で食べれば思い出になる。
第二章 マイホームという大きな夢
三月 住宅展示場の誘惑
春。
美咲と悠人は住宅展示場を訪れた。
広いリビング。
大きな窓。
おしゃれなキッチン。
収納たっぷりのクローゼット。
美咲の目が輝いた。
「こんな家に住みたい!」
悠人も興奮していた。
「庭に小さなテーブルを置いて、休日にコーヒーを飲もう」
「いいね!」
しかし、担当者から住宅ローンの説明を聞いた瞬間、二人の笑顔は静かになった。
住宅展示場の歌
広い家
夢はふくらむ
春の午後
返済表見て
夢が縮まる
「三十五年ローンか……」
「私たち、何歳まで返済するの?」
「元気に働こう」
「その前に、元気に貯金しよう」
四月 理想と現実の間取り
二人は理想の家について話し合った。
美咲の希望は、明るいリビングと大きなキッチン。
悠人の希望は、書斎と広い浴室。
そして、二人とも譲れなかったのが収納だった。
「服が多いんだよね」
「本も多いんだよね」
「じゃあ収納を増やそう」
「その分、部屋が小さくなるね」
「……物を減らそう」
美咲はクローゼットを開けた。
着ていない服。
買ったままのバッグ。
いつか使うと思っている雑貨。
悠人の部屋にも、読んでいない本が積まれていた。
片付けの歌
いつか着る
いつか読む本
いつか使う
その「いつか」は
いつ来るのだろう
二人は休日を使って断捨離を始めた。
古い服を整理し、本を売り、使わない家具を手放した。
部屋が広くなった。
「新しい家を買わなくても、少し快適になったね」
美咲は、そんなことを思った。
五月 住宅ローンの現実
不動産会社から、気になる物件を紹介された。
駅から近く、日当たりもよい。
予算は少し高め。
二人は何度も話し合った。
「買えるかどうかじゃなくて、買ったあとも楽しく暮らせるかどうかだね」
美咲が言うと、悠人はうなずいた。
結局、その物件は見送った。
少し残念だった。
けれど、無理をしない選択ができたことは、二人の成長でもあった。
家探しの歌
夢の家
手を伸ばしたら
遠かった
焦らず歩こう
我らの歩幅で
第三章 仕事も人生も、私のペースで
六月 突然の昇進話
美咲の職場で、人事異動の話が持ち上がった。
上司から呼ばれた。
「花村さん、次のチームリーダーをお願いしたい」
美咲は驚いた。
新しい職場に転職して半年。
仕事を覚えることに精いっぱいだった。
「私に務まるでしょうか」
「あなたの調整力と丁寧さを評価しています」
うれしかった。
同時に不安もあった。
家に帰り、悠人に相談した。
「昇進の話があったの」
「すごいじゃないか!」
「でも責任も増えるし、残業も増えるかもしれない」
悠人は少し考えてから言った。
「美咲がやってみたいなら応援する。家のことは二人で調整しよう」
その言葉が、背中を押してくれた。
昇進の歌
認められ
うれしさ半分
不安半分
私の未来に
小さな一歩
七月 会議という名の長い旅
リーダーになった美咲。
会議が増えた。
資料作成が増えた。
相談されることも増えた。
そして、会議の最後には必ずこう言われる。
「では、持ち帰って検討しましょう」
持ち帰った資料は、翌週も検討される。
会議の歌
会議では
結論出ずに
時が過ぎ
持ち帰る資料
また増えてゆく
美咲は、仕事の進め方を変えた。
会議の目的を明確にする。
必要な人だけを集める。
議題と結論を記録する。
少しずつ、チームの仕事が効率的になっていった。
ある日、後輩が言った。
「花村さんのチームになってから、仕事が進めやすくなりました」
美咲はうれしかった。
八月 夏休みの小さな贅沢
忙しかった夏。
美咲と悠人は、二泊三日の温泉旅行に出かけた。
観光地を巡り、名物料理を食べ、露天風呂に入った。
宿の部屋で、二人は窓の外の山を眺めた。
「最近、忙しかったね」
「うん。でも、こういう時間があると頑張れる」
夏旅の歌
蝉しぐれ
湯けむり越しに
見る山よ
何もしない日
これも贅沢
悠人が言った。
「また来年も来よう」
「うん。今度は少し長くね」
第四章 友人たち、それぞれの人生
九月 久しぶりの女子会
美咲は大学時代の友人たちと久しぶりに集まった。
集まったのは、真理、彩香、そして美咲。
真理は仕事で大きなプロジェクトを任されていた。
彩香は地方への移住を考えていた。
美咲は結婚生活と仕事の両立に奮闘中。
三人とも、昔とは違う悩みを抱えていた。
「三十二歳って、もっと落ち着いていると思ってた」
真理が言った。
「わかる。私なんて、いまだに冷蔵庫のプリンで夫と争ってる」
美咲が答えると、彩香が笑った。
女子会の歌
三十路過ぎ
悩みの種類
変わったが
笑う顔だけ
学生のまま
三人は昔話に花を咲かせた。
そして、誰かと比べるのではなく、自分の人生を大切にしようと話し合った。
十月 友人の転機
彩香から連絡が来た。
「私、地方に引っ越すことにした!」
美咲は驚いた。
「本当に?」
「うん。自然の多い場所で暮らしたいの」
彩香は長い間、自分の働き方や暮らし方に悩んでいた。
そして、ようやく決断したのだ。
美咲は思った。
人生には、決まった正解などないのかもしれない。
結婚する人もいる。
仕事を変える人もいる。
都会を離れる人もいる。
一人で暮らすことを選ぶ人もいる。
どの道にも、それぞれの幸せがある。
人生の道の歌
それぞれの
道に咲く花
違う色
比べず歩こう
私の歩幅で
第五章 夫婦で考える未来
十一月 子どもについて話す夜
ある夜、美咲と悠人は、これからの人生について話し合った。
子どもを持つこと。
持たないこと。
仕事を続けること。
暮らす場所を決めること。
周りの友人たちにも、いろいろな変化があった。
美咲は、時々焦りを感じていた。
「私たちも、そろそろ考えた方がいいのかな」
悠人は静かに答えた。
「周りに合わせなくてもいいと思う。二人でちゃんと話して、二人が納得できる答えを探そう」
「もし、すぐに答えが出なかったら?」
「その時は、また話そう」
美咲は少し安心した。
人生の大きな決断は、急いで決める必要はない。
二人で考える時間そのものも、大切なのだ。
未来を語る歌
答えなど
すぐには出ない
夜もある
あなたと話せば
明日が見える
十二月 小さな幸せの積み重ね
年末。
美咲は一年を振り返った。
夫の家事能力は、少し向上した。
洗濯物のティッシュ事件は減った。
カレーは普通の濃さになった。
マイホームはまだ買っていない。
けれど、貯金は少し増えた。
仕事ではリーダーとして成長できた。
友人たちとも、変わらぬ友情を確かめられた。
そして、悠人との暮らしは続いている。
完璧ではない。
でも、悪くない。
大掃除の歌
一年の
ほこりを払う
年の瀬に
夫の部屋から
謎の箱出る
「悠人、この箱は何?」
「大切なもの」
「中身は?」
「昔の携帯電話」
「大切なのは思い出であって、携帯の箱ではありません!」
二人は笑いながら片付けを続けた。
終章 三十二歳、私は私を好きになる
大晦日。
美咲は日記を開いた。
三十二歳の一年は、人生を大改造するつもりで始まった。
けれど、実際に変わったのは、家や仕事だけではなかった。
夫に家事を教えた。
自分の働き方を見直した。
友人の生き方を認めた。
将来について、焦らず考えるようになった。
そして何より、自分自身を少し好きになれた。
以前の美咲は、誰かと比べて落ち込むことが多かった。
友人の結婚。
同僚の昇進。
誰かの新居。
SNSに並ぶ華やかな日常。
でも、今は思う。
自分には自分の暮らしがある。
自分には自分の速度がある。
幸せは、他人の人生の中にあるのではない。
こたつの向こうでは、悠人がみかんを食べていた。
「美咲、来年は何をしたい?」
「そうだなあ。もっと旅行したい。料理も上手になりたい。あと、あなたには食器洗いを完璧にしてほしい」
「それは難しい目標だなあ」
「人生大改造計画、第四弾です」
「まだ続くの?」
「もちろん!」
三十二歳、最後の歌
昨日より
少し自分を
好きになり
明日の私に
花を贈ろう
美咲は日記を閉じた。
窓の外では、冬の夜空に星が輝いていた。
人生は、完成された家ではない。
毎日少しずつ手を入れながら、暮らしやすくしていくものだ。
三十二歳。
まだまだ途中。
それでも、美咲は笑っていた。




