第四話 牙を剥く
「…え?あ、アル、ス。アルスーーー!!」
地面に倒れ込み、崖から頭と片腕を出し、今にも谷底へ落ちそうなレベッカが叫び声を上げる。
彼女は自分の片腕に残されたアルスの両腕を見て、ふっと力が抜けたようだ。彼女の体がズルリと谷底へと向かう。
「死ぬ気か!力を抜くな!」
レベッカの元へようやく辿り着いた俺は、全身に力を込め、彼女を引っ張り上げる。そして、その場で彼女を立ち上がらせた。
谷底を見つめたままの彼女を俺の方へと振り向かせ、顔を覗き込んだ。
ああ、彼女も『引き裂きの地底』にやられてしまったか?向き合っているのに視線が合わない気がした。
人よりも責任感が強い彼女だ、自分の身を守るため、他人を切り捨てることはできなかったんだ。立ち直って貰わねば困るのだがな。コイツも役に立たないか?
俺とエルシアには躊躇いがない。冒険者として活動するなら、そうしなければ自分も死ぬだけだと理解しているからだ。だが、レベッカは違う。彼女は頭では理解していても、行動には移せないのだろう。
俺がレベッカの両肩を抑えて顔を覗き込んでると、エルシアもようやく駆けつけた。
エルシアと視線を交わした俺は、静かに首を横へ振る。
「…取り敢えず最奥へ向かう前に、一旦先程の岩棚へと戻ろう。エルシア、レベッカを補助してくれるか?」
「任せてくれ」
エルシアが了承し、俺とレベッカの元へ足を踏み出した。そのとき、俺とレベッカはバランスを崩し、谷底へと一気に体が傾く。
レベッカとアルスが掴み合い、そして、レベッカが崖にぶら下がるアルスを掴んでいた足場。
そこへ俺は駆けつけ、力を込めてレベッカを引っ張り上げた。崖際の地面には過剰な負担がかかり、俺とレベッカの足元が崩れたのだ。
「ギュリア!!」
「っ来るな!」
必死の形相でエルシアは手を伸ばし、俺たちを掴もうとしていた。だが俺は、エルシアの助けを拒んだ。
「エルシア!必ず最奥で会おう!」
内臓が浮遊感を覚える。谷底へと頭から落下する俺は、レベッカを抱き寄せ、彼女の頭を片手で包み込む。
この谷へは滝が流れ落ちていた。谷底は見えないが、そこそこの水深の水場があるはずだ。
風が俺の皮膚を波立てる。俺はレベッカの腰へと回していた腕へと魔力を込め、先の見えない谷底を睨んだ。
周囲を照らす心許ない光苔と、岩肌の鉱物の輝きだけでは落下先が一切見えない。焦る気持ちを抑え込み、俺は静かに睨み続けた。全身で風を切る音が、短くも永遠の様に耳元を通り抜ける。
……見えた!水場がある!落下する谷の両壁を光苔と鉱物が照らすように。谷底も薄らと光り、次第に姿を表す。
俺は魔力を込めていた腕を振り、風魔法で落下位置を調節した。そしてレベッカの腰を強く抱き寄せると、もう一方の手で彼女の頭を守った。
「レベッカ!息を止めろ!飛び込むぞ!」
俺は息を止め、目を強く閉じた。
俺とレベッカは、谷底の水へ真っ直ぐ突っ込んだ。それなのにも関わらず全身に激しい衝撃が伝わる。
長い時間を経て濾過され、冷やされた地下水が数千の針の様になり俺の体を突き刺す。
上下左右もあやふやな水中。俺の口からは大量の空気が漏れ出す。空気の向かう先、水面が光っている。俺は光と空気を目印に泳いだ。
「っはー!はー!はー!レベッカ!無事か!?」
「ッガハ、ゲホッゲホ。だ、大丈夫です」
大きな滝壺が作り出した湖のような場所。そこからは小さな川が形成されている。滝壺から岸へと向かい俺たちは泳いだ。
浅瀬にたどり着くと水底へと足が届いた。小石が敷き詰められた緩やかな傾斜を歩き、岸へと上がる。俺たちは息を整えつつ辺りを見渡していた。
上と何ら変わらない。自然の形が織りなす岩肌と地面。そして空間一帯を照らす光苔と鉱物。
一つ違う点があるとしたらコレだろう。
荷車に轢かれたトマトのような死体が三つある。二つの死体は、上で大量のヴァンパイアバットに襲われていたクランメンバーの一部だろう。俺たちが駆けつける前に、ここに落ちたんだろうな。
そして砕け散った弓矢の側にある死体は、アルスだと思う。…多分、だがな。
岸でへたり込むレベッカを一瞬確認し、俺は死体の元へ向かった。彼女に手伝わせるのは酷だろう。
水に叩きつけられ、全身が痛む。水を吸った衣服がより一層、鈍くなった俺の動きを制限している。寒さのせいもあるだろう。俺は全てに堪えつつ、ゆっくりと死体に近づいた。
俺は三つの死体から衣服を剥ぎ取り、近くにあった麻の背負い袋に詰め込んだ。血が染みているがずぶ濡れの俺の服よりはマシだな。
背負い袋を担ぐと、俺はへたり込むレベッカの元へ戻った。そして虚な表情をする彼女を立ち上がらせ、手を引いた。
「レベッカ、ここは危険だ。移動するぞ」
「…はい」
レベッカは気力のない返事を返した。彼女も俺と同様、全身が痛み、体が冷え切っているはずだ。それなのに、痛みに表情を歪めるわけでも、寒さに凍えているわけでもない。
俺は奥歯を軋ませ、彼女の手を引いた。
魔物も人間も、生き物は全て水がなくては生命活動を維持できない。魔物もしかり、水辺には生き物が集まってくるのだ。
なによりこの地形だ。水位の上昇があるのだろう。川の両側の岩肌がネズミ返しになっている。水に満ちれば、この辺りは川底になる。俺はレベッカの手を引き、安全地帯まで川下へと歩いた。
川から少し離れた傾斜のない地帯までと辿り着いた。そして俺は、目の前の切り立った岩肌に魔力を込めた剣で横穴を切り出した。
上での戦闘に、谷底への落下のダメ押し。そして今。
俺の魔力も打ち切りだな、疲れた。
疲労感にも襲われ始めた俺は、作った横穴へと二人で入った。そして剥ぎ取ってきた衣服を半分、麻の背負い袋から取り出し、血が滲む衣服を一箇所に山積みにした。
俺は寒さに震える手に力を入れた。そして抜刀し、衣服を纏めたそばの岩肌を刃で撫でる。
む?ダメか?火花は散ってるのだがな。もう一度だ。
一度目よりも力を込め、二度目の切り払いをした。すると鉱物を含んだ岩肌が火花を散らし、衣服に燃え移った。俺は燻る衣服に息を吹きかけ、血で滲む衣服を燃え上がらせる。
それから最後の魔力を振り絞り、横穴の上部を薄く切り落とした。出口が薄い板状の岩に塞がれ、岩肌に囲まれた密室を焚き火が照らす。
噛み合わせの悪い出口からは風が吹き込み、そして流れ出ていく様を、焚き火の煙が教えてくれた。
「よし、レベッカ、服を全部脱げ」
「…ん?え、えー!!!!な、な、何でですか!?」
慌てふためく彼女を気にも求めず、俺は一矢纏わぬ姿になる。
そんな俺を焚き火と光苔、キラキラと輝く岩肌が映し出す。体を伝う水滴が輝き、一糸纏わぬ俺を神々しく飾った。
「ギュ、ギュリアさん!全部!全部見えちゃってますって!え?なんで!?って、近寄らないで下さいよ!」
俺と同じように焚き火で照らされたレベッカは顔を両手で覆っている。だが時折り、指の隙間から新緑の瞳が俺を見ていた。
俺は焚き火の側に二本の剣を立て掛け、ずぶ濡れの服をかけた。ひんやりとした洞窟内の気温と、隙間風が体を冷やす。
「低体温で死ぬぞ。助かった命を無駄にするな」
俺は彼女にそう告げ、焚き火の前に胡座をかき座りこむ。少し遅い気もするが、大事な場所をウェストポーチで隠し、彼女を見上げた。
耳まで真っ赤にしてた彼女は、俯き、そして俺に背を向け服を脱ぎ出した。
お尻が丸見えの彼女は、俺と同じくウェストポーチで大事な部分を隠し、剣を立て掛け服を乾かし始めた。そして、焚き火を挟み俺と向かい合うように座り込んだ。
「レベッカ。これを食え、崩れているがサンドウィッチだ」
「…ありがとうございます」
片手で胸を隠し、彼女は俺のサンドウィッチを半分受け取った。そして一口かじり、太ももへ涙をこぼし始める。
「…ゥ、ウウ。皆んな、死んじゃった」
啜り泣く彼女にかける言葉を俺は持ち合わせていない。俺は焚き火を見つめ、水浸しのサンドウィッチを無言で平らげた。
焚き火が爆ぜる音もなく、衣服は燃え、彼女の鼻を啜る音だけが場を支配する。
冒険者なら仲間の生死とは常に向き合わなければいけない。彼女なら平気だと思っていたが、失敗したか?立ち直って貰わなければ困るのだが…面倒な。
「…アルスのことは、すまなかった。ああするしか、レベッカを助ける方法はなかったんだ」
俺の謝罪に反応をするわけでもなく、彼女は泣き続けた。しばらくして彼女は、膝を抱え込むように座り直すと、焚き火を見つめた。
新緑の瞳が涙で潤み、揺れる火を映し出している。そんな彼女がポツリ、ポツリと言葉を発した。
「…わたし、アルスの手を掴んでたんです。けど、力も限界で、魔物の血で手は滑るし、あのとき、どうしたら…」
「…レベッカは出来る限りのことをしていた。自分を責めるな」
「違うんです!!わたし、あのとき怖くって、自分も落ちて死んじゃうって!だから、手を離そうとしてたんです!こんなにも、自分が浅ましい人間だなんて、思わなくって」
まるで赤子の様に大粒の涙を流し、彼女は俺を見つめていた。
なんと答えたらいいものか。彼女を追い詰めない、いい言葉はないか?ああ、本当に面倒な。
俺なら、分かった風に口を聞かれればイラつく。だから俺も、理解したように適当な綺麗事を並べるつもりはない。
「ギュリアさんがアルスの腕を切ったとき、わたし、安心したんです。助かったって。自分は死なないんだって。けど、同時に分かったんです。自分は醜いって」
「それは違う。君は醜くない。俺も、エルシアだって、自分たちが助かるためにクランメンバーを殺した」
上には五人の死体が転がっていた。谷底には三人の死体が。八人が死に、俺は生き残っている。
レベッカの葛藤は正しい。自分を、他者を助けるには相応の覚悟と代償が伴う。その考えを捨ててはダメだ。捨ててしまえば、人ではなくなってしまう。だが…
「…自分を責めてはいけない。責められるなら、アルスの腕を切り落とした俺だ」
「違う!ギュリアさんは悪くない!だってわたし、聞いてましたもん。ギュリアさんがエルシアさんのところに行ったとき、アルス、言ってました…」
彼女は両手を強く振り下ろし否定する。たち膝になり立ち上がった彼女の、真剣な眼差しが俺を見下ろす。
「毒牙にやられると理性を失うって。誰も解毒薬持ってないって。だから、僕が毒に侵されたら、斬ってくれって。エルシアさんも、クランメンバーを突き刺してるの見ました。皆んな、ああしなきゃいけなかったんです」
手の平に爪が食い込むほど握られた拳。彼女の手は微かに震えていた。
毒牙の危険性と、解毒薬がないことを知っていても、彼女はアルスを斬れなかった。掴み合い、止めようとしていた。
崖から落ちるアルスを助けようと、手を掴んでいた。あの場での対処法を理解していても、彼女は助ける行動を取っていたのだ。
「雷鳴が鳴り響く直前、眩しい光が飛び込んできて、わたし、目を瞑ったんです。そのとき、アルスは噛まれたんだと思います。わたし、今日のこと一生忘れません。気持ちに整理がつくのか分かりません。けど、わたし、生きたいんです」
「…ああ、そうだな。俺も、生きたいさ」
俺だって気持ちの整理がつかないことはたくさんあるんだ。皆んなそうだ。気の利いた言葉なんて俺は知らない。
だからレベッカ、早く持ち堪えてくれ。イライラしてしょうがない。
彼女の中では様々な感情が揺れ動いているのだろう。新緑のような瞳が、そう俺に語りかけている。
「…死にたいって言うやつだって、直前には怖くなるもんだ。誰だって生きたいんだよ。レベッカも、俺も、生きたいんだ。だから現状を生き抜くために、俺に協力してくれるか?」
涙を蓄えた瞳を擦り、彼女は頷いてくれた。責任感の強い彼女だ、しばらくは思い悩むだろう。だが、それではこの先生き残れない。
どんな形であれ、彼女は立ち直ってくれた。流石の俺でもこの先一人では厳しい。
「あー、それなら助かるんだか、取り敢えず座り直してくれるか?ウェストポーチもズレて、手も離されてる。その、レベッカの全部が、ずっと見えてるんだ」
焚き火のせいだろうか?耳を越え、淡い黄色の髪の毛まで赤く紅葉して見える。彼女は自分の姿を一度確認し、上司である俺に全力のビンタを喰らわせた。
余りにも激しいものを喰らわされた俺は、その勢いのまま後ろに倒れた。ウェストポーチがズレる感覚が俺の秘部で感じる。
凄まじい勢いで顔を覆ったのだろう。バチン!という音がレベッカの方から聞こえた。
俺はウェストポーチを直し、むくりと胡座の状態へ戻る。ジンジンと痛む頬を抑え、俺は起き上がった。頬を摩り視線を上げると、彼女の指の隙間からは新緑の瞳が見えた。
俺が悩んでいた小さい方の悩みは解決した。だがどうしよう?大きな問題が残ったままだ。暴れ狂いそうな俺の下半身を、どう鎮めたものか。
チートには目覚めませんでしたがギュリアの秘部が目覚めかけました。マジックポーチとか持ち歩いてたら、スキルで家が取り出せたら、数行で物事が進むんですけどね。一般冒険者は説明が増えて困りものです。




