魔女のいざない
[そんなに警戒しなくても事を構える気はない。どうしても遊んでほしいというならやぶさかではないけれど]
魔女がコチニールレッドの豪奢なドレスのスカートをつまみ、ふわふわひらひら動かすとその場に黒いテーブルセットが現れた。
[さあお嬢さんがた、席におつきなさい。私と楽しくおしゃべりしましょう?]
赫い月の魔女は幻想乙女工房のタイトル画面にも描かれていて現時点でラスボスであろうと言われているキャラクターだ。
何故かチュートリアルに出てきて、強くなったらまた遊んであげると強者っぽいセリフを残して消えてしまった後は会うことはないけれど。
その魔女が猫みたいなアメジストの目を細め、プラチナブロンドのツインテールを指先でくるくるといじっている。
敵意のようなものは感じないけれどどうしても身構えてしまう。
具体的な強さはわからないけれど少なくとも今の私たちで倒せるとは思えないし。
[ハッピーエンドはお好き?]
「ええ」
[じゃあバッドエンドは?]
「それほどは」
バッドエンドに至る納得の理由があるならまだしも意味のないバッドエンドは好きじゃない。
世の中にはメリーバッドエンドってものもあるけれど、あれも結局は砂糖をまぶしたバッドエンドだよね。
[私はハッピーエンドなんて嫌いよ。バッドエンドが好き]
「どうして?」
[幸福は不平等で不幸は平等だもの]
それはなんとなくわかる気がする。
物語でも全ての登場人物が幸せになったりはしない。
幸福をつかみ取った主人公の裏には幸福に手が届かなかった脇役たちがいる。
[ここは不幸のワンダーランド。誰もが平等で仲良く不幸になれる平和の国。私の大事な箱庭よ]
魔女の眼差しは柔らかくこれは本心からの言葉なのだと思えた。
[覚えておいてね。お嬢さんたちもこの箱庭の不幸を支える歯車よ]
確かにプレイヤーは敵を倒す以外選択肢がないわけで世界どころかヒロインを救ったりはできないんだよな。
この辺りMMOだと世界を救ってみせるとか啖呵を切るところなのかもしれないが。
「基本的にプレイヤーって素材の追剥ぎだしねえ」
「身も蓋もない」
「何度もやってくる追剥ぎって悪夢だよね。だからといってやめないけど」
「エンドレス羅生門かな?」
空気を壊すような会話をしていても魔女はゆったり笑ったままだ。
設定された会話パターンにない反応だったのかもしれない。
「歯車かもしれないけれど、この世界をそこそこ楽しんでる私たちは不幸ではないよね」
「そうだね」
[……今、不幸でないと言った?]
その一言で魔女の表情は変わっていないのに空気が急に重くなった。
背中にひやりと冷たいものを感じる。
「私たちは不幸じゃないよ」
そんな重圧に全く怯むことなくトキちゃんはきっぱり言い切る。
やってて不幸になるようなゲームはやらないよね。
[そう……それなら新しい本をあげましょう。お嬢さんたちが楽しい不幸に染まったら、また呼んであげる]
「結局こういうイベントだったのかな?」
強制的に戻ってきた工房の本棚にタイトルが空白の本はもう無い。
魔女からの誘いはもうしばらく無いのだろう。
代わりにあるのは「太陽と月とターリア」と背表紙に書かれた本だ。
聞いたことがないタイトルに戸惑う。考えてみても思い当たる話がない。
「トキちゃんはこれ知ってる?」
「知らない。これ童話なの?」
だよね。
ひとつだけわかるのは表示難易度がラプンツェルよりはるかに高いということだ。
現時点で開いても死ぬしかないやつなのでは?
新しい本はこれしかないわけだから開くほかないのだけれど。
なんの情報もなしに本を開くのは憚られて、一度ログアウトして調べてからやってみることにした。
こういうの詳しそうなのはチャットの面々かな?
誰かしら知ってるといいのだけど。
初めて飲んだときのカンパリはコチニール使ってたみたいですけど、最近はコチニール使ってないみたいですね。
レモンハートのコチニール使うエピソードが好きなのでちょっとさみしい。




