姫様、お逃げください!!
観光兼視察は、マリイとサンリク王のちょっとしたバトルだった。
「グリーン君、この国営牧場は私が5年前から手がけている事業で、常時2000頭もの、」
「グリーン、喫茶室がある!
アイス、食べましょう!」
3人で仲良く行動すればよいものを、常にどちらかがグリーンを連れ出す2対1の構図ができあがっていた。
「グリーンは温泉まんじゅう、何個食べる?
父様は甘い物、お嫌いよね?」
「そう言えば、グリーン君には矢傷があるそうじゃないか。
ここの温泉は良く効くぞ。
早速入ろう!
マリイは女湯だから、あっちに行きなさい」
「ひどい……!」
マリイのフラストレーションはたまる一方で、これが6日間も続いた。
「信じられない!
1週間もグリーンと居たのに、ちっともそんな気がしない!」
城に戻って思い返すと、むしろ、父親と旅行した感の方が強い。
「俺は楽しかったよ。
実に充実した1週間だった」
「私も楽しかった。
マリイとお出かけするのはしばらくぶりだった」
「……」
マリイはこの場(マリイの部屋)に、サンリク王が居ることも面白くない。
明日がグリーンの旅立つ日で、今が最後の夜だというのに、
なぜ、
父親が、
グリーンの隣に座って、
お茶を飲んでいるのか!!!
「グリーン、春に虹の谷に行く時は、あたし、マリイ隊長とお祖母様をお呼びするわ」
「え?」
「父様除けよ!
父様はこの2人が苦手だから、絶対、付いて来ない!」
「……」
この2人はグリーンも苦手なのだが……。
サンリク王が会話に口を挟んできた。
「春はダメだ。
グリーン君、君は雪解けと共に王都に戻るのだ」
「え?
雪解けから忙しくなるのに!?」
「父様!」
噛みつかんばかりのマリイを制して、サンリク王は話し始めた。
「サンリクとカイソクで、平和会議を開いてるのを知ってるか?」
「ああ。
カイソク王はどこに行くにも俺を同行させてたけど、平和会議にだけは置いて行かれた」
それは、会議という名の飲み会だから……。
「2年に1度、隔年で開催してたが、毎年開くことにした。
来年はカイソクの主催でマベツだ。
君を連れて行く」
「え――」
「バルロックに――、父親に会わせてやろう」
「――」
次の瞬間、マリイは目を疑った。
下を向いたグリーンが、両手で顔を覆ったからだ。
「グリーン!?」
「父さんには――、もう、会えないと思ってた――」
指の隙間から伝い落ちる。
グリーンは声を上げないが、ポタポタポタポタ流れ落ちた。
「――サンリクが気に入ったら……、危篤の報を受けても帰ってくるなって言われた――」
「バルロックは父親が危篤だと騙されて城に戻り、それがリルカ嬢との永遠の別れになった。
君に会いたくないと言った訳じゃない」
「分かってる――。
分かってるけど、俺はもう一度会って、無事を伝えたかったから――」
サンリク王は、グリーンの肩を抱いた。
「無事は私が伝えたよ。
来年、元気な姿を見せてやれ」
「ありがとう――。
ありがとう、サンリク王……」
声を殺すグリーンに、マリイはどうしたらいいか分からない。
父、サンリク王のように、震える肩に手を置くこともできなかった。
やがてグリーンはゆっくりと呼吸し、顏をぬぐい、落ち着きを取り戻した。
そして、
「――ごめん。
みっともないとこ見せた」
照れくさそうに顔を上げてくれた。
「いい……わよ。
あたしなんか、しょっちゅう泣いてるもの。
ずっと一緒に居たから、泣き虫がうつったんだわ」
「そうかもな」
少し、笑ってくれた。
「カイソクでのこと、今度、マリイに話してやるよ」
「ちょっとなら――、聞いてる。
グリーンがいっぱいケガした話でしょ?
辛い話なら、教えてくれなくても、」
王妃に狙われたことや、ひどいケガを負わされたこと。
どう考えても楽しい話とは思えない。
でも、
「辛い話じゃない」
グリーンは言った。
「カイソク王には俺の母親を含めて妻が6人、こどもが8人もいるんだけど、3年間だけ、俺が独占したって話」
「あら。
人気者を独り占めしたの?」
「父親のいなかった14歳までの分を一気に取り戻した。
そりゃあ過保護に愛されたんだ。
サンリク王なんか、カイソク王の比じゃない」
「父様よりもひどいなんて、うっとうしいだけだと思うけど」
サンリク王がグスッと鼻をすする。
「ううっ……」
泣いている。
「父様!?
あたし、そんなにひどいこと言った!?」
「マリイがひどいのは間違いないが……」
そこは否定しない。
「バルロックは幸せ者だ……!」
彼は、いつも自分は誰一人幸せにできないと嘆いていた。
良かったなあ、バルロック……!
おまえの息子はちゃんと自分で幸せになる力を持っている。
誰のことも恨まない。
おまえに、よく似ている――。
グスングスンと鼻をすするダンギ。
「—―大丈夫よ、父様!」
マリイは元気に励ます。
「そんなに羨ましがらなくたって、父様もちゃんと幸せになれるわ!」
「おまえ、」
「まだ30代じゃない!
サンリクの力を持ってすれば、奥さんの6人くらい集まるわよ!
こども8人は難しいかも知れないけど、王子の1人ぐらいなら授かるかも知れない!」
「違う!
父様が羨ましいのは、そこじゃない……!」
グリーンが立ち上がる。
「俺、明日が早いからもう寝る。
マリイ、おやすみ」
「え?」
先ほど泣いたのが恥ずかしいのか、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
「うそ……、今日が最後の夜なのに?」
おやすみのキスもしないで、部屋に戻られちゃった。
「ああ、父様も眠くなってきたな」
サンリク王も、あくびをしながら立ち上がる。
眠いのなら、もっと早くに出て行けばよいものを……!
きいいと、マリイは睨み付ける。
「――父様、今夜は我慢するわ。
明日の朝は絶対、邪魔しないでね……!」
「あれ、何か怒っているのかい?」
「怒ってないわよ!
明日のお見送りは絶対来ないで!
父様は昼まで寝ててちょうだい!」
ダンギは部屋から追い出された。
翌朝である。
マリイがおはようの挨拶をしに部屋を訪ねたら、グリーンはいない。
「え……?」
青ざめるマリイ。
「噴水広場に行くとおっしゃってました」
扉前の衛兵は、誰もいない部屋を守っていたのか。
「こんな朝早く?」
「朝食前には戻るとおっしゃってましたが……、もう朝食のお時間ですよね」
「あたし……、朝ご飯を一緒に食べようと……」
ダーッと涙が溢れた。
まさか、こんな不意打ちみたいに置いて行かれると思わなかった。
「ひどい……」
「なんだよ、俺、なにかした?」
「!」
振り向くと、グリーンである。
「グリーン!」
マリイは飛びついた。
「なに?
何があったの?」
「あの、どうやら、朝食に遅れたことをお怒りのようで……」
衛兵は、失礼な勘違いをしている……。
「泣くほど腹が減ったのか。
ほら、これやるよ」
グリーンはマリイに紙袋を渡して、部屋に入った。
「なに? いい匂い」
「ゴマパン。
腹が減ったから、途中で買った」
「呆れた!
買い食いしに行ってたのね!」
「おまえと一緒にするな!
馬を売ってきたんだ」
「馬?
城の馬、売っちゃったの?」
「俺の馬を売ったの!
春に、噴水広場でおまえに会う前に預けてたんだ。
それを忘れて旅に出たもんだから、超過料金がすごいことになってて。
金が足りなかったから、そのまま売ってきた。
北に行くのに、城の馬、使っていいだろ?」
「そりゃいいけど――」
「なんだ、その馬屋はカイソク王子から馬を取り上げたのか」
「!」
「父様……」
また、サンリク王が現れた……。
「寝ててって言ったのに……」
マリイは怒りを通り越して、もう悲しい……。
「変装もしないで町に出て、大丈夫だったのか?」
「俺の経験からいくと、変装した方がすぐにバレる。
普通にしてたら、まず人違いで切り抜けられるんだ。
なんでだろうな?」
「それは、グリーンが、」
マリイは教えてあげようかと思ったが、やめた。
グリーンは本性を隠していた方が品良く、ちゃんと王子様に見える。
それは、普段のグリーンが口の悪いガサツな男だと言っているようなものだ。
「――なんででしょうね?」
ごまかした。
「それはそうと、父様、何の用?」
「そんな邪険に扱わないでくれ。
旅程の話だよ。
グリーン君、当座の資金を侍従に預けた。
あらかたのものは馬車に積ませたが、他に何か必要なものがあったら――」
「え? 俺、馬で行くよ?」
「え?」
「ダメよ、グリーン!」
それにはマリイも反対だ。
「馬は傷跡に響くんでしょ?
馬車で行ってよ」
「何日も走り続けるような強行軍でなければ、平気だよ。
侍従もいらないから、金は俺にくれ」
「まさか、1人で行く気か!?」
「いや、2人だ。
市場で知り合いに会って、サヒロの劇場まで護衛することになったんだ。
通り道だし、宿代出してくれるって言うから、一石二鳥」
「護衛が必要なのは、君だろう……!」
サンリク王は頭を抱える。
バルロックは、どうやってこの王子を大人しく城に閉じ込めていたのだろう?
「ところで、俺にちゃんと給料出るの?」
「ああ。それはもちろん。
毎月使者を送るから、報告書と引き替えに金を渡そう」
「えー……」
グリーンは、いかにも面倒くさそうな顔をした。
「ガルドに任せずに、ちゃんと君が確認しろよ。
あと、計画を実行する前は必ず概算を出して私に許可を求めること。
そして――」
サンリク王の指示がまだまだ続きそうだったので、グリーンはそっと動きだし、麻袋に荷物を詰め込みだした。
「グリーン君、ちゃんと聞いてくれ!」
「聞いてるよ!
時間が無いから、支度しながら聞いてる!」
グリーンは、『サンリクの歴史』も袋に入れた。
「あら。グリーンもその本を読み終えてないのね」
「とっくに読み終わってる。
おまえと一緒にするな」
「じゃあ、なんで持って行くのよ?
そんな大きくて重い本」
「え?」
意外。
こんなところでグリーンが赤くなった。
「あたし、『サンリクの歴史年表』って小冊子持ってるけど、貸す?」
「いや――、いい」
この本の表表紙の裏には、婚約者の姿絵が挟まれている。
グリーンはマリイと違って、大切なものを折りたたみたくない。
道中は本屋を回って、この大きさでもっと薄い本を探そう。
「サンリク王、俺の給料、こっちで貯めといてくれない?」
「そりゃ、構わんが」
「結婚申し込む時って、指輪がいるんだろ?」
「指輪?」
「未来の女王がする指輪だから、気合い入れて貯める。
カイソク王は、王様のくせにすっごい安物の指輪をしてるんだ。
多分、母さんと結婚した時は貧乏だったからだと思う」
「バルロックのあの指輪は、さすがに私もどうかと思う」
「あたしはもらえるなら、どんなでも嬉しいけど?」
「俺はイヤだよ。
2年で宝石の目利きになって、最高の指輪を買ってやる」
バルロックの宝物は、マリイにしか理解してもらえない……。
「あの、朝食をお持ちしたのですが……」
マリイが命じていた食事が届いた。
使用人は、2人分しかないのに3人に増えてて困っている。
「陛下もこちらでお召し上がりでしょうか?
すぐに運ばせ、」
「いいえ!
父様はご自分の部屋でお食べになるわ。
2人分だけ、すぐに並べてちょうだい」
「そんな!
私も腹が減ってきた! 一緒に、」
「グリーンのおみやげ、1個あげる。
さあ、忙しいから出て行って!」
マリイはゴマパンを押しつけ、国王を部屋から追い出した。
扉を閉める前に、
「次に父様がいらっしゃったら、追い返してちょうだい」
と衛兵に命じる。
「容赦ないな、マリイ……」
ここまですると、さすがにかわいそうになってくる。
「—―あたし、グリーンみたいに出ていけないから」
「え?」
マリイは言う。
「グリーンはつかの間だと思うから、優しく出来るのよ。
毎日、一緒にいるしかないとなったら、きっとあたしみたいにうっとうしく思う。
――――朝ご飯、冷めないうちにいただきましょう」
「――」
2人はテーブルに着いた。
今日の朝食はサラダとオムレツにチキンのハーブ焼き。
おみやげのゴマパンも一緒に食べる。
マリイは痛いところを突くな……。
グリーンには、心当たりがあった。
確かに、グリーンはつかの間だと思ってサンリク王に接している。
旅人の性だろうか。
多分、相手が誰でもそうだ。
短い間なのだから、構ってもらえるのは嬉しいし、できるだけ楽しく過ごしたい。
誰とでもあたりさわりなく付き合っているのかもしれない……。
自分の放った矢がグリーンに刺さっていることに気づかないマリイは、オムレツを半分に割り、断面の美しさを喜んでいる。
ふと、思い出した。
あれはいつのことだったろう。
何もかもが嫌になり、カイソク王やフウレンに当たり散らした。
「――去年か!」
思ったより最近のことで驚いた。
なので、うっかり口に出た。
「去年がどうしたの?」
「いや――。
去年の今頃、俺、家出したんだ」
「あら、グリーンも家出?
その話、聞きたいわ!」
「大した話じゃない。
ちょっと城を出たら、町中に手配書がバラまかれてて、1週間で連れ戻された」
前に、近衛兵団長が言っていた事件である。
「あたしは半年、逃げおおせたわよ!」
得意げなマリイ。
「それは俺がいたからだろ!」
「まあ……、そうね」
否定できない。
「あの時、俺はひどい目に遭ったんだ。
変装はバレるわ、賊に襲われるわ、川に飛び込んで溺れるわ」
「……」
聞かなければ良かったと、マリイは後悔した。
グリーンに出会わなかったら、自分もそうなっていたに違いない。
「目覚めたら城にいて、もうここから出られないと思った時は、ひどく絶望した。
――うん。
確かにあの時、父さんがやたらと鬱陶しかった」
「—―それ、どうやったら平気になった?」
「どうだったかなあ。
回復したら、また出て行くことを考えるようになって、父さんとの時間を大切にしようって思えるようになった。
前みたいに素直ぶりっこには戻れなかったけどな」
「ふうん……。
じゃあ――、あたしには、無理だわ」
マリイは、朝食を取る手を止めた。
「あたしは――、次に城を出ることなんて考えられない。
だって、怖いもの。
道中、楽しかったけど、怖い目にも遭ったし、辛い思いもいっぱいした。
半年前みたいに、何も考えないで家出するなんて、もう無理だわ。
グリーンなしで旅に出たら、すぐに賊に襲われて、川で溺れる――」
マリイの目から、涙が流れた。
「……あたしはもう、無茶できない。
夏はきっと、父様と馬車で谷に行くわ。
あとは、ここでグリーンを待つだけ――」
「マリイ」
うっうっと、マリイは泣き出した。
「つまんない……。
あたし、もう待つだけだわ」
「俺は、待っててもらえるの、嬉しいけど?」
「うん……。
あたしは、待つ……」
「城で大人しくしてるのもいいし、サンリク王と一緒に遊びに来るのだっていいと思うよ?
みんな心配せずに済むし、俺もその方が安心だ」
「うん……」
外の世界を知った分、前より臆病になった。
そして、やりたいことと、やっていいことの区別が付くくらいは大人になった。
けど、つまらないだろう人生を受け入れる覚悟は、まだ出来ていない――。
「――なあ、マリイ、」
グリーンは立ち上がり、ベッドまで行くと、上に置いた荷物から革袋を取り出した。
「財布隠してるんだろ?
出せよ」
「イヤ。」
スンスン泣いてるマリイだが、これはきっぱりと断った。
「姿絵を取り上げる気でしょ?
あたし、もう財布は出さない」
「出さないって、それじゃあ、持ち歩いてる意味ないだろ!」
「買い物の時は出すけど、グリーンの前でなんか出さない!」
「いいから、出せ!」
「イヤ!」
思った以上に強情だ。
グリーンは諦めた。
革袋から何かを取り出すと、ツカツカ歩み寄ってイスに座ったままのマリイの手を引きり、
「ほら」
何かを握らせた。
マリイが手を開くと、
「これ、ゾフィの――」
「おまえに返す」
「……」
ピカピカのサンリク金貨。
最初は5枚あった。
1枚はラオ爺とラオ婆に。
2枚はホダン商店のシュウとビビに。
もう1枚はウバクロで軍資金にかわり、最後に、1枚、残った。
「両替屋のことは教えたよな?
これでもう、宿にも飯にも困らない。
馬車を買ってもいいし、護衛を雇ってもいい。
そうだ、マリイはハンカチが作れるから、それを売りながら来るのもいい」
「……」
マリイはグリーンを見る。
グリーンは言った。
「何かあったら、俺の所に逃げて来い」
「……」
「俺はウバクロか虹の谷かのどっちかにいる。
まあ、ウバクロで聞けば、誰かが案内してくれるだろ」
「あたし――」
「ここからウバクロなんて、もう何度か往復してるから大丈夫だろ?
懸賞金は撤回されてるし、前回の行軍でマリイの顔も周知された。
困ってたら、誰かが助けてくれるさ」
マリイはもう一度、サンリク金貨を見る。
「あたし……、行けるかしら……?」
「行ける」
「グリーン、心配しない?」
「心配する」
「……」
「仕方ないだろ?
おまえみたいな危なっかしいヤツが一人旅なんて、めっちゃくちゃ心配するに決まってる!」
「だったら――」
「それでも、何かあったら、俺のとこまで逃げて来い。
じっと我慢して待っていられるのは、一人旅で心配させられるより辛い。
正直、俺には絶対できないことだから」
「……」
「マリイはいつだって逃げ出せる。
だから、ここにはマリイの意志でいて欲しい」
「……………………。
そう、ね」
マリイはうなづいた。
「あたしは――、やることがあって、ここにいるんだわ。
春にはグリーンが戻ってくるんだから、頑張って――!」
「頑張れ、マリイ」
グリーンはマリイの額にチュッとキスした。
「おでこ……?」
おでこでも赤くなることに変わりはない。
「さてと、」
グリーンは革袋をしまい、荷物を背負う。
「サンリク王が来ないうちに出る。
護衛10人とか付けられそうだ」
「本当に一人で平気?
10人もいらないけど、1人くらい――」
「マリイは俺がカイソクから来る途中、どうやって襲われたか聞いてない?
カイソク兵とサンリク兵に守られながら、国王の馬車で来たのに、馬車ごと崖から落とされたんだ。
護衛が100人いたって、ダメな時はダメだ。
だったら、気楽に行く」
「う……」
恐ろしいことをサラリと言う。
本当に安心させるつもりがあるのだろうか?
「俺は、俺のするべきことをする。
マリイはここで、やるべきことをやれ」
「うん……」
マリイは返事をする。
「そうね」
覚悟を決めたら、だんだんとやる気が湧いてきた。
「あたし――、頑張る!
逃げ出す時のために、ハンカチ、いっぱい作る!
城には端切れがいっぱいあるから、ベッドカバーとか、クッションとかも作って、」
「マリイ」
調子に乗りすぎた。
グリーンの声が低い。
「おまえ、自分のやるべきこと、本当に分かってる?
なんで俺と一緒に行けなくて、城に残ることになったか、ちゃんと覚えてる?」
「それは……、ですね、」
グリーンから湯気のよう出ている怒りが恐い……。
「それは、あたしのお勉強が遅れてて、とても外には出せないって父様が……」
「あー、もうホントに信じられない!」
グリーンは軽くぶちキレた。
「家庭教師付いてて、ずっと城に閉じこもってたっていうのに、なんで中等教育が終わってないかな!?
もう15だろ!
何、やってたんだよ!」
「お、お勉強は苦手なのよ!
足したり掛けたり、ワケ分かんなくなるし、長い文章読んでると眠たくなるしっ!」
「そんなんだから、お釣りの計算はしょっちゅう間違えるし、自国の歴史書すら読み終わらないんだ。
とっとと、やれ!
そして、終わらせろ!」
「ううう……、お別れの時なのに、グリーン、ひどい……」
「ひどいのは勉強サボって叱られてるのに、反省もしないで窓やタッセル数えてたおまえの性根だ」
「ぐうう……」
ぐうの音はでた……。
「じゃあ、俺、行くから!」
「門まで送るわよ!」
マリイは立ち上がる。
「別れが辛くなるから、ここでいい」
「うう……」
「いいか、何かあったら、逃げてこい。
でも、ちゃんと終わらせろ」
つまり、終わるまでは逃げられない。
サンリクコインを握りしめて軽く絶望するマリイに、グリーンは希望を見せる。
「全部終わらせたら、来年の夏は湖畔でデートだ。
サンリク王は連れてくるなよ」
「うん……!」
喜んで顔を上げたら、口を塞がれた。
グリーンは結構、キスが好き?
「……」
「――じゃあ」
そそくさと、グリーンは部屋を出て行く。
「夏に、グリーンとデート……」
マリイはぽおっとつぶやいた。
虹の谷の、あの湖畔のベンチでデート。
何を着ていこう?
どんな髪型で行こう?
今からもう楽しみだ。
さっさと勉強を終わらせて、父親を置いていく算段を企てないといけない。
どんな、理由を付けよう?
ノックと共に、部屋の扉が開く。
「あ、あの、陛下がいらっしゃいました」
マリイは追い返せと命じていたが、衛兵の分際で国王にそんなことができるわけない。
サンリク王はのんきに顔を出し、
「あれ、グリーン君は?
当座の資金を持ってきたんだが――」
と、部屋を見回す。
「とっくに行ったわ」
「ええっ、金も持たずに1人で!?」
「お金なら、グリーンは自分で何とかするわ。
馬を売ったって言ってたし」
「私に一言あってもいいじゃないか!
金も持たせず、1人で辺境に行かせたなんて、バルロックに何と思われるか!」
父、サンリク王はカイソク王にやたらと気をつかう。
そう言えば、親友だと言っていた。
だから、グリーンとカイソク王がどのような親子なのか知っていたのだろう。
「父様――」
マリイは一つ、決意した。
「あたし、父様を越える」
「なんだね、いきなり?
女王になる決意かい?」
「そんなんじゃないけど、絶対、越えてみせるわ」
サンリクコインを強く握る。
夕べ、グリーンが泣いた時、マリイはなにもできなかった。
父がグリーンの肩を抱き、優しい言葉で慰めるのを見ているだけだった。
あたしは、父様よりも大きな人間になる!
そして、次にグリーンが泣いた時は、あたしが肩を抱いて慰めるんだ!!
勉強は頑張ろう。
とっとと終わらせて、夏には1人で虹の谷に行こう。
王が視察に出た時が、城を抜け出すチャンスかもしれない。
大丈夫。
城下町の商店街には、シュウとビビの店がある。
彼らに聞いて、旅に必要なものを揃えればいい。
アシリではダイアナさんの宿に泊まろう。
彼女はマリイ王女の訃報に心を痛めてくれた。
マリイが王女本人だと伝えたら、どんな顔をするだろう。
サヒロではあの役人を訪ねて、そしてウバクロに着いたら、虹の谷はもう目前だ!
トノイ兄弟も他のみんなも、きっとマリイを喜んで迎えてくれる。
春にグリーンが帰ってきた時、この計画を話したら驚くだろうか?
喜んでくれるだろうか?
マリイは服の下に隠してある財布をたぐり寄せ、中にサンリクコインをしまった。
「なんだね、マリイ?
そんなところに財布なんか隠して」
「父様、あたし、午後の予習するから、邪魔しないでね」
財布を戻すと、マリイは自室に向かう。
頑張ろう。
夏に逃げ出すために、今、できることをやる!
了




