姫様、王子に逃げられる
「今日のお召し物は華やかな紅色ですので、髪には真珠をちりばめましょう」
真珠細工の付いた針金を折り曲げながら、ゾフィは鏡の中のマリイをのぞき込む。
鏡台の椅子に座ったマリイは、黒い瞳にたっぷりと涙を浮かべ、訴えた。
「あたし、会いたくない……」
「姫様—―」
ゾフィは答えず、作業を続けた。
肩のところで切りそろえてあるまっすぐな黒髪の頭頂部にクイクイと真珠細工をくくりつけ、ティアラのように形を整える。
「さあ、お立ちください」
まだ下着姿だったマリイに、桜模様の赤いドレスを着せる。
金色のリボンをウエストに結び、その真ん中にキュッと差し色である緑色のリボンを重ねた。
桜咲くこの季節にふさわしい。
「口紅は――」
ゾフィはマリイの全身を見て決めた。
「ピンクではなく、赤にしましょう」
まずはおしろいを塗って頬紅をさし、赤い口紅で仕上げようとしたその時である。
マリイの目からとうとう涙があふれた。
「ゾフィ……!」
「姫様—―」
ゾフィはドレスを濡らすまいとガーゼのハンカチを取り、こぼれ落ちる涙を吸い取った。
「ゾフィ、ゾフィ!」
固く握りしめ、膝の上に置いたマリイの手は震えている。
「あたし、結婚なんかしたくない。
ゾフィにもらった物語みたいに、すてきな殿方に会って恋したい。
政略結婚なんて、嫌……!」
「姫様」
ゾフィはいったん、化粧を諦めた。
こうも涙が頬を伝っては、塗りたてない。
「——姫様、わたくしも、姫様を乱暴者の妻になどしたくありません。
でも、サンリク王ダンギ陛下の決定は絶対なのです」
「父様は、あたしのことなどちっとも考えてくださらない。
先日だって、お会いするのは久しぶりだったのに、まさか開口一番で、結婚の命がくだるなんて!
しかも、お相手がリヨク王子……!
嫌! 絶対、嫌!」
マリイはヒックヒックと、本格的に泣き出した。
ゾフィはため息をつく。
「リヨク王子については、隣国、カイソクでも持て余していると聞きます。
第一王子であるにも関わらず婿に出されるくらいですから、それはよっぽどのことなのでしょう」
「ゾフィ~」
ゾフィは気の毒そうにマリイを見る。
「陛下は分かりやすくカイソクに恩を売りたいのです。厄介者をサンリクで引き取り、しかも婿という立場を与えて体面を保ってやる。カイソクは同盟国ですから、機嫌を取っておくに越したことはありませんわ」
「そのためにあたしを使うなんて、ひどすぎる。
あたしのことがお嫌いなのは分かってたけど、これはあんまりだわ……!」
「それでも王命ですから、仕方ありません。
今日は諦めてパーティーに出席して下さい。
結婚は姫様が十六歳になる、まだ先のことでしょう?
その間に、国王のお考えが変わったり、政情次第では立ち消えになるかもしれませんよ」
「うっ、うっ……、取りやめに、なるかしら……」
まだ十四歳といえども、マリイはこの国の王女だ。
王家の一員として、国の役に立たねばならぬことはちゃんと分かっている。
マリイは、何とか涙を止めようと努力した。
十六歳まであと二年。
いや、半年後には十五になる。
一年と半月の間に、父王は考え直してくれるだろうか。
マリイは、ゾフィに言を心の支えにして顔を上げた。
「ご立派ですわ、姫様」
化粧水をしみこませたコットンで顏を整え、おしろい、頬紅と施し直す。
「さあ」
いつもよりも大人びた赤い口紅を塗る。
「お姫様の完成ですよ」
ゾフィがすっとよけ、鏡に映る、自分の姿を見た。
黒目黒髪で印象が重く、色白とはほど遠い自分の顔は好きではない。
が、ゾフィのおかげで、いつもよりは何割増しか綺麗になっている気がする。
「ゾフィはさすがね。
自分が美しいだけでなく、他の人まで美しくするなんて、美の女神だわ」
「ずいぶんと褒めてくださいますこと」
「いつも思ってたの。
ゾフィの青い瞳は吸い込まれそうだし、金色の髪はツヤツヤに波打ってる。
まとめ髪に地味な服なんて、もったいないわ。
今日のパーティでは着飾って、あたしのそばにいてよ」
「わたくしが着飾ったら、姫様よりも目立ってしまいます。
今日の主役は姫様なのですよ」
「構わないわ。
自由恋愛できる立場じゃないし、目立ったところで空しいだけ。
それだったら、着飾ったゾフィがモテモテになってるところ、見たいわ」
と、部屋の外がなにやら騒がしくなっている。
「そういえば、もう時間ですわね。
どうして誰も迎えに来ないのでしょう?
様子を見てきます」
ゾフィは部屋を出て行った。
一人、ポツンと取り残されたマリイは、再び鏡を見る。
「少しでも、母様に似ていれば……」
母親のメアリ王妃は、マリイが7歳の時にこの世を去った。
20歳の時に嫁いできて王妃となり、28歳の若さで亡くなったのだ。
皆は事故だったと言うが、マリイは真実を知っている。
もともと病弱で、本来子どもを産んではいけない身体なのにマリイを産み、それが原因で亡くなったとゾフィが観念して教えてくれた。
どうりで、納得である。
王妃の死後、なぜ父王がマリイにそっけなくなってしまったのか、ずっと疑問だった。
あたしが生まれてこなければ、母様が死ぬこともなかったのだ……。
それでも、父の期待に応えるべく、マリイは精一杯努力してつもりだが。
「もう、限界。
さすがにリヨク王子はひどすぎる……」
隣国の王子に関しては、いろいろな噂が届いている。
第二王子の評判はそれはそれは素敵で、
お優しい顔立ちに性格は良く、立ち振る舞いも穏やかで、学識豊か。
物語の王子様そのものだと聞く。
が、それに比べて第一王子。
乱暴者で学もなく、素行の悪さゆえに長いこと幽閉され、国外追放のごとくサンリクに婿入りするのだという……。
「ああ……、普通は第一王子が王太子となり、第二王子が国を出るものなのに。
あたしのお相手は、第二王子だったはずなのに……」
父の期待には応えたいが、そのためには乱暴者と結婚しなくてはならない。
マリイは再び泣き出しそうになった。
「ダメ……! またお化粧が崩れてしまう……!」
ぐぐっと我慢した。
泣いたらおしろいが流れてしまうし、鼻をかんだら、そこだけ赤くなってしまう。
ゾフィに三度目の手間を掛けさせてはいけない。
鏡をのぞき込むと、ちょっとだけ元気になった。
リヨク王子のための装いとはいえ、ゾフィの見立ては天下一品。
いつもより断然、きれいに仕上がっている。
マリイは気を取り直す。
「何も、明日あさって結婚する訳じゃなし、今日は、このドレスを楽しもう!」
頑張るぞ!、と気合いを入れた瞬間、
「姫様!」
血相を変えてゾフィが戻ってきた。
「どうしたの?」
「それが、あの……」
「私から話そう」
ゾフィを押しのけて現れたのは、サンリクの国王、ダンギである。
「父様?」
父王がマリイの部屋を訪れるなんて、数年ぶりだろう。
「—―—―マリイ、今日のおまえは、」
次の言葉を待つ。
すこしでも、「母様に似てきた」と思ってくれるのだろうか?
密かに期待したが、
「いや――、なんでもない」
何も言われなかった。
そしてその代わり、ここに来た用件を簡潔に言われた。
「先ほど、リヨク王子の従者と会った」
「はあ」
王子とではなく、そのお付きの者と会ったのか。
何だろう?
「リヨク王子は今日、来られない」
「え?」
婚約のためのパーティーに、本人が来ない?
そんなことが、あり得るのだろうか。
(でもって、従者は来ているとは?)
とりあえず、今日はリヨクと会わずに済むらしい。
ホッとしたのも、つかの間。
父王は言った。
「遅れているだけだ。
リヨク王子がこの城に着き次第、おまえたちには結婚してもらう。
この城で、一緒に暮らすのだ。
そのつもりでいなさい」
「え?」
「以上」
父は着物の裾をひるがえし、さっと部屋を出て行った。
「どういうこと?」
ゾフィに問う。
何が起こっているのだろう?
「ゾフィ、何があったの?」
「姫様……」
ゾフィは部屋の入り口に突っ立ったまま、気まずそうに視線をそらせた。
「こっちに来て、説明して!」
「……」
ゾフィは可哀そうな者を見る目で、マリイを見る。
「リヨク王子が、逃げ出したそうです」
「逃げた?」
あたしとの婚約を、嫌がって?
「面倒くさいとか、結婚して欲しくば、サンリク側がこっちに来いとか言って暴れたそうで」
「暴れた?」
しかも、「結婚して欲しくば」とは、どういうことか?
逃げ出したいのは、マリイの方だというのに!
「ダンギ陛下は、面目をつぶされたとひどくお怒りで。
兵を派遣して王子を捕らえ、姫様と結婚させて、二度と逃げられないよう城に閉じ込める、と――」
「捕らえて結婚?
しかも、逃げられないように閉じ込めるって……!」
それが、先ほど父が言っていた「この城で、一緒に暮らす」意味?
なんということだろう。
一年半の猶予があると思っていたのに、王子が見つかり次第、結婚させられてしまう。
婚約のためのパーティーすら面倒くさがって逃げるような男と、幽閉されながら!!
もうどんなに着飾っても耐えられそうにない。
「…………ねえ、」
マリイはあることに気がついた。
「あたしの姿絵は、ちゃんとカイソクに送ってある?」
「え、ええ。
でも、カイソクからはとうとう王子の姿絵は届きませんでした」
「そうよ!
だからあたし、リヨク王子のお顔も知らないんだわ!」
マリイは王子の容姿や人となりを、噂からでしか知ることができなかったのだ。
「ひょっとして、王子は、あたしの顔が気にくわなくて逃げてるの!?」
「姫様—―」
ゾフィの、哀れむような視線が辛い。
正解なのだろう。
マリイは唇を噛んだ。
確かにマリイは美少女ではないし、この先、絶世の美女になる可能性も極めて低い。
でも、姿絵一つで婚約を渋られるほどの不細工ではないはずだ!
「父様に……、恥をかかせてしまったのね……」
この上ないショックを受けた。
悲しいし、腹立たしい。
こんな屈辱を受けた上で、結婚だと?
リヨク王子なんて、こっちからお断りだ!
幼い頃より、国のため尽くすのが王女の役割だと教え込まれてきた。
民は働いて国に税を納め、王家は国に尽くして民を守る。
リヨク王子とて同じ教育を受けてきたはずなのに、二国間を結婚で結ぶという役割を放棄して、マリイとの結婚から逃げ出すなんて!
「一人にして、ゾフィ」
「……」
ゾフィは何かを言いかけたが、かける言葉が見当たらなかったのだろう。
何も言わずに部屋を出ていった。
部屋に、ぽつんとマリイ一人。
「ふっ……」
おかしくもないのに、笑いがこみ上げてきた。
いや、自分が滑稽でおかしい。
婚約の話が持ち上がったのは二週間前。
花嫁姿を思い浮かべて喜んだのは、つかの間だった。
第二王子だと思っていたお相手が第一王子へと変わり、その第一王子の評判が悪すぎて、なんとかこの結婚から逃れられないか、そればかりを考えて今日に至る。
「まさか、あたしの方が逃げられるなんて」
これからは、隣国の王子に逃げられた姫として生きていくのだろうか?
マリイは倒れるようにベッドに横になった。
ああ、もう消えてなくなってしまいたい……。




