竜が、一度だけ生贄を食べた話【ハイファンタジー】
山の頂には、紅い鱗の竜が棲んでいる。
竜は、かつて麓の村々に生贄を差し出させていた。
麓を、六つの村に囲まれた山。
その頂は火竜の棲家。紅い鱗の竜は、人間の巫女とともに、山の主として君臨している。
竜は巫女が来るまで、村々に生贄を差し出させていた。
うら若く、美しい娘を毎年ひとりずつ。
さもなければ村を焼く。山に立ち入りすぎても村を焼く。
そう宣言して長い間、竜は「人喰い竜」と呼ばれ恐れられていたのだ。
「本当は違いましたけれどね」
洗濯物を干しながら、巫女――娘は竜を仰ぎ見る。
「人間の記憶を魔法で書き換えて、生贄は誰ひとりとして食べていませんでした。私を含めて」
この娘も、そうしてやってきた生贄のひとりだ。
想定以上の変わり者で、自ら好んで竜の巫女など名乗り始めた。
それに伴う村人たちの記憶の調整など、まだ記憶に新しい。
「ところで、本当に食べたことはないのですか? 生贄を」
「ないな。……いや、『あれ』を数に入れるならば」
竜は少々思案し、
「聞きたいか?」
かつて、私が一度だけ食べた生贄の話を。
◇ ◆ ◇
昼下がりのこと。
その日竜に捧げられた生贄は、すでに死んでいた。
生贄――だったそれ――が乗せられた輿に鼻先を近づける。命の残り香は感じられるものの、最後の体温が抜け抜け落ちる直前というところか。
運ばれてくるまでは息があったのだろう。しかし、それだけだったということだ。
さて、どうしたものか。と竜は考える。
もともと、食べるために要求した生贄ではないし、「生きたまま届けた」という条件も満たしている。しかし――
かさり。
かすかな音がした。輿の中からだ。
竜は輿を覆う帳を取り払う。浅黒い地肌に豊かな黒髪で、柔らかな身体つきの少女が横たわっていた。
横たわっていると言っても、これはすでに死体だ。魂に旅立たれ、もはや朽ちていくだけのもの。普通は動かない。
しかしその死体はゆっくりと目を開き、瞬きをし、緩慢な動作で身を起こした。寝起きであるかのように、ぼんやりと辺りを見渡している。
これはどういうことだ。
竜は眉間に魔力を集め、動き出した死体を魔力的に『見る』。
死体の中身は空だった。血の巡りもなければ熱もない。
代わりに、この死体が生前持ち得なかったであろう魔力で満たされていた。
竜の魔力だ。
竜族というのは、魔法生物の一種である。魔法生物は、魔力を生きるための糧とする。息を吸って吐くように、さまざまな方法で世界に満ちる魔力を取り込んでは排出する。それが、世界に戻される。
竜がひとつところに留まっていれば、そこは自然と魔力の力場に変わるのだ。
死体は生命が空になったものだから、場に満ちた竜の魔力が流れ込んだということだろう。いわば、仮初めの命。入り込んだ魔力が尽きるまでの。
気づけば、仮初めの死体はぼんやりと竜を見上げていた。
そしてゆっくりと立ち上がり、
「あなた、人喰い竜?」
口調はあどけない。実年齢は、身体つきより幼いのかもしれない。そしてさらに、麓の人間とは違う、カタコトの言葉を話している印象がある。
「わたし、イケニエ?」
光の薄い目で首をかしげる死体に、
「いかにも、私が人喰い竜だ。そしてお前は今年の生贄だが、もう生きてはいない。いわば仮初めの存在だ」
竜はもったいぶらずに告げる。
「だから、お前のことはカリソメと呼ぶことにする」
「もっとほかの名前……なかった?」
◇ ◆ ◇
火竜である竜の体表はとても熱い。普通の人間ならば近づくだけで火傷を負い、触れれば燃えるか炭になる。
しかしカリソメは、竜の尾に背を預けて座っていた。「中身」が竜の魔力で満たされているため、「竜と同質のもの」とみなされているのだろう。
しかしおそらく、その魔力量は多くない。少しずつ流れ出しているのも『見て』取れる。
保って夜明けまでだろう、と竜は踏んだ。だから、カリソメの好きにさせてやることにした。
「わたし、村のニンゲンじゃなかった」
夕日が姿を隠す中で、カリソメはぽつりぽつりと話し出す。
「わたし、あちこちを旅するヒトといっしょにいる『持ち物』……だった」
旅人の「所有物」ということかと、竜は解釈した。
人間の間では、同族を「モノ」としてやりとりする場合があるという。カリソメは「それ」だ。
「ご主人、ときどきわたしの柔らかいところさわってた。けど、痛いこと、苦しいことしなかったし、させようともしなかったし」
カリソメは気にしていないように見えるが、竜が思うに、それでも十分な――
「わたし、この麓の村で熱出した。熱くて痛くて、とっても苦しかった。それでご主人は」
竜は簡単な相槌を打つ以外は、黙ってカリソメの話を聞いていた。
カリソメの話はこうだ。
カリソメは旅人とともに、麓の村へやってきた。そしてこのあたりの地方病に罹り、病床に伏したのだという。
このままでは旅立てぬと困る旅人に、村人たちが持ちかけたそうだ。「その娘を売ってくれ」と。
竜は、カリソメが生贄として運ばれてきた事情に合点がいった。
村人たちは村の娘を生贄とすることを惜しみ、今年の生贄として、まだ息のあったカリソメを差し出そうと考えたのだ。
カリソメを売れば、旅人は村を発てるし、旅の資金も手に入る。村人たちは、村人を守りつつ竜に生贄を出せる。両者の利害は奇妙に一致した。
治療の手間をきらった(もしくは、もはや手遅れの状態のカリソメを連れて行くことを断念した)旅人は、その誘いに乗る。
そうして生前のカリソメは村人たちによって生贄として運ばれ、竜の領域で力尽きたというわけだ。
竜は何とも言えず、言わず、天上に向かってため息を吐いた。炎混じりの息が、夜空をわずかに照らす。
「人喰い竜って、あったかい」
カリソメは姿勢を変え、竜の尾にしがみつくように寄りかかる。そして顔をうずめた。
竜と同質の魔力が入り込んだカリソメの身体では、竜の灼けつく体表温もあたたかい程度ですむのだろう。
「ちょっと熱い。でも、あったかい」
そこで、竜は初めて気づいた。肉が焼けるにおいに。夜が終わり、朝が顔を出そうとしていることに。
カリソメに流れ込んだ魔力が、もう多くはないことに。
「カリソメ、お前」
「わたし」
ぽつりと、しかしなぜかはっきりとした声だった。
「わたし、置いてかれた。捨てられた」
「カリソメ」
「人喰い竜、あったかい。熱くても、あったかいの、好き。だから」
カリソメは顔を上げて竜と視線を合わせる。
その浅黒い身体も顔もわずかに火傷を負っていて、
「もう少しこのまま、あったかいところで、生きていたか」
その言葉が終わらないうちに、竜はカリソメの頭からかぶりついた。
ふた口目で全身を口内に収め、豊かな黒髪ごと、骨ごと入念に、形も残らないよう噛み砕いて飲み下す。
血の一滴も落ちていない。身体を流れる血などなかったのだから。
そして竜は背中の皮膜翼を羽ばたかせ、夜明けとともに、生贄を差し出した村へと下りたつやいなや、
「この我に、死体を寄越すとは何事だ!」
大気を震わせる咆哮。
寝間着のまま飛び出してきて怯える村人に、「次があると思うな」と、天に火柱を吐き出してみせたのだ。
それ以降、死にかけの生贄が運ばれてきたことは、一度もない。
◇ ◆ ◇
「そのカリソメさんは、おいしかったんですか?」
竜の話を相槌を打ちながら聞きていた娘が、竜に尋ねる。胸元で、火竜の加護を持つ紅い鱗が揺れた。
竜は「ふん」と鼻を鳴らし、
「血も熱の巡りもない、冷えたかたい肉だ。味など知れるだろう?」
「そうですか」
娘は、いつもの食えない表情をしている。微笑みを浮かべてさえいるような。
この娘も人間だ。いつかは命を終える。それまで竜の下にいるとしたらば。
「娘。お前の命が消えるときは、この私が食ってやろう」
「あら。私はきっとおいしいですよ」
娘は、自信満々といった風に胸を張る。
竜は脱力し、途端に娘の相手をするのが面倒になってしまった。
そして娘の胸元を、鼻先で強めに押して転ばせた。
紅き竜と変わり者娘
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