第009話 ノーブルオーク
『ありゃ不味いだろ。いや、さすがの俺様も知らなかったぜ』
「知りたくなかった。つうか、傷に響く。クソッ」
先ほど知った衝撃的な事実に、ミーシャもリボルバーもノエルの住居前(ホテルの通路)で溜まらず笑い転げてしまっていた。
おかげでミーシャは親指の傷がさらに広がったようではあったが、苦痛が増すことでリボルバーは満足な様子であった。だが、問題はその爆笑せざるを得ない内容であった。冷静に考えれば考えるほどに、ミーシャは己の見たものが非情に危険なものだと理解しだしたのだ。
「けど絶対に不味いだろ、アレ」
『場合によっては消されるな。というか、バラさなくても普通は消されるな。というか、俺様なら消すな。あんなん知ってるヤツが生きているのなんて耐えられねえ』
「けどよ。俺、不死病感染者だぜ?」
『アホかテメェは。この街じゃあ不死身程度、大した意味はねえんだよ。テメエの大ッ嫌いなドクはよ。テメエの仲間の生首を、酸を入れた花瓶に浸して観葉植物代わりにしてんだよ。捕食形態化しないように毎日、エーテル水を注ぎながらな』
「あ、悪趣味な野郎だな。クソッ。頭に響きやがる」
ミーシャが悪態づく。
ドク、或いはドクトル・カドモスの名を聞くだけでミーシャは己の内側に存在する何かが突き破ってきそうな感覚に捕らわれてしまう。ドクの名は、ミーシャという存在にとっては呪いに等しい言葉であったのだ。
『それで、仕事の方はどうなんだよ?』
「問題はねえだろ。親指はまだ一本ある。でも小指も多分……必要だろうな。クソッ、あー自分で言ってて泣きたくなってくる」
ミーシャの言葉にリボルバーが『ケッケッケ』と笑う。たとえ、不死病感染者だろうと痛みがないわけではないのだ。むしろ犠牲銃は感覚を鋭敏化させ、苦痛を絞り出そうと呪いをかけてくる。
不死病感染者ならば使用制限がなくなるとはいえ、手放されて闘技場に使用されてたのも以前の不死病感染者の使用者がリボルバーのそうした制約を嫌ったためであった。
「ともかく、リチャードに渡された地図の場所に向かうさ。場所はいつものところだし、気が乗らないけどな」
『旧街区か。ああいう連中がたむろするのは大体あそこだな』
「支配者なしのイレギュラーエリアだ。根のない連中のたまり場には絶好の場所だからな」
そう言いながらミーシャが正面の空を見る。
そこにはオーロラが浮かび上がっていた。岩が浮遊し、空間が捻れて、時空同士の衝突により雷が発しているのがミーシャのいる場所からでも確認できた。
複数の街区を繋ぐ、街区としてナンバリングされていない不安定な空間がそこにはあった。
「サイタンピラーが一時期荒れてた頃の名残だって話だったか。場所が不安定だから、支配者たちも部下を常駐できないし、放置しとけば魔物が発生して荒れるしで、まあ住んでる連中とも持ちつ持たれつってことらしいな」
『俺様もそこらへんはよく知らねえなあ。闘技場にずっといたしよ。箱入りなんだよな、実は』
「実は……でもなんでもないだろ、お前は」
呆れ顔でミーシャがそう返す。リボルバーの言葉はまんまの意味だろう。闘技場で使用されていなければ放置されるだけなのだから。
そうして、そんなことを言い合いながらも、ミーシャたちはその場所へと辿り着いた。
「相変わらず世紀末って感じだな」
『ここにゃあ世紀なんて概念ねえけどな』
ミーシャの視線の先には、舗装された道路が破壊され、倒壊したビルが立ち並ぶ世界があった。さらには重力が変動しているようで上空には崩れた瓦礫が浮いている。それが時折、落下してくるというのだから、普通に住むのには厳しい環境ではあった。
『さて、どうする?』
「そのまま進むとうるさいのが多いが……まあ、暴れるなら顔を通しておいた方がいいな。と、さっそくなんか揉めてやがるし」
旧街区の243街区からの入り口付近はバファロファミリーと呼ばれる集団の溜まり場であった。そこに挨拶に行こうと考えていたミーシャであったが、どうやらすでに先客がいたようである。
「ブモー。通せって言ってるんだブモー」
「あん。いい加減にしやがれオーク野郎!」
「何してんだよ、お前ら」
ミーシャがその場に近付くと、そこにたむろしていたのは牛顔のミノス族の男たちと豚顔のオーク族の男ひとりであった。
そしてミーシャが近付くと、ミノス族の男たちが警戒の視線を向けながら、言い争っている二人の場までの道を開けた。
彼らもミーシャのことは知っている。ノエルの従者に屈しているというわけではないが、扱いについてはリーダーの判断を仰ごうという程度には彼らも理性的であった。
そんなミノス族の男たちを横切りながら、ミーシャが対立しているふたりの前へ「よっ」と手を挙げて近付いていった。
「豚と牛が何を言い合ってんだよ」
「うるせえよ犬猿」
「失敬だなミーシャ」
脊髄反射的な返しにミーシャがため息をつく。
「で、ドラムにガイア。何、揉めてんだよ? ふたりとも知り合いだったか?」
「んなわけねえだろ。この豚ぁ、テメエの知り合いか。あの連中の仲間じゃねえのかよ」
「ブモー。だからそう言っているではないか」
ミノス族のガイアの言葉にオーク族のドラムが鼻息荒くして叫んだ。その会話にミーシャが少しばかり考えてから口を開く。
「ガイア。あの連中ってのは、バーバルファミリーとかいう連中のことか?」
「ああ、そうだよ。うちのとはまーだぶつかっちゃいねえが、時間の問題だからな。そんなときにそっちに怪しいのがウチの縄張りを横切ろうとしやがったんだ」
まさしく筋肉の鎧と言った風貌のガイアが腕を組んでそう口にする。
「僕はその馬鹿どもを懲らしめに来たんだブモー。オーク貴族としては街を荒らしているオークは黙っていられないんだブモー」
「だからって、うちの島に完全武装で乗り込みやがって。カチ込みかと思ったぜ」
「ま、そりゃあそうだな」
ミーシャが目を細めてドラムを見る。今のドラムの姿は全身甲冑を纏い、その腕には巨大な両刃の斧を、背には大砲らしきものを背負っていた。
時代錯誤とも言える格好だが、その鎧は魔界製の魔術式が強固に組み込まれたもので、斧も大砲も普通の代物ではないようだった。
その姿を見てミーシャが「へぇ」と口にする。
包んだ鎧から発せられる魔術式の構成からして、少なくとも先ほど見たオークたちのマシンガンでは通らないだろうとミーシャは理解したのだ。その様子にガイアが眉をひそめる。
「で、テメエは何しに来やがった?」
「あ? 俺もコイツと同じ用件だよ? ノエルんとこの連中が何人か殺られてな。まあ、始末しにきたってわけだ」
「なるほどな。負傷したばかりのくせによくやる」
ガイアの視線が左腕の包帯に向けられ、ミーシャがため息をつく。
「となると僕とミーシャは目的は同じ……ということだな」
一方で豚顔は笑みを浮かべていた。
オーク族としてはそれなりに美形だとは本人の弁だが、実際にはそうではないことを別のオークから聞いているミーシャは、そのあまり見たくもない笑みに嫌そうな顔をした。
「いや、俺はちょっと別の用もあるからなあ……」
「何を言うんだ。ほら、いくぞミーシャ。そこの牛、僕がバーバルの仲間じゃないのは分かっただろう。通して貰おうか」
「チッ、口の減らねえ豚だ。まあ、連中はいなくなるなら、それに越したこたぁねえがな。テメエ等、ひとまずは手ぇ出すんじゃねえぞ」
ガイアの言葉に周囲の男たちがオォォオオオオッと声を上げた。
「あ、静かにお願いしまっす」
それをミーシャは左手をさすりながら、そう口にした。周囲で騒がれると傷に妙に響くのだ。それからミーシャは急かすドラムに連れられて、旧街区の中へと入っていった。
**********
「で、どうするのだよミーシャ」
ガイアたちと分かれてから数分後。目的地に近付いてくると、ぶもーっと鼻息荒くしたドラムが尋ねてきた。
「どうって……お前、お付きの者はどうしたよ」
「止められたのでな。跳ね飛ばしてひとりでやってきた」
「無茶しやがるなぁ」
ミーシャが頭を抱える。目の前のオーク族のドラムは、オーク貴族と呼ばれる、いわゆるオーク族の中でも有数の一族に連なる人物だ。街内のパワーバランスのこともあり、優先して守るようにとリチャードからは伝えられている人物のひとりでもあった。
「まあ、いいけどよ。で、お前はどうしたいんだよ?」
「連中の頭と一騎打ちして勝つ。そして234街区にちょっかい出さぬようにしばく」
ドラムはグッと拳を握る。それを聞いて、その装備を見て、ミーシャはウンウンと頷くと、それからドラムの肩を叩いた。
「なーるほどな。そんじゃあ、お前が暴れている間に、俺は裏手に回って、ちょいと用事を済ませてくるわ」
「なんだと? 僕にだけ連中の相手をさせて、君は何をしようというのだ?」
「女が何人かさらわれてるらしいんだよ。で、俺はそれを助けたいわけ」
その言葉にドラムがブモーッと鼻息を荒くする。
「な、ナイト役か。ならば、その役割は僕がやろう。代わりたまえ」
「いや、俺は別に一騎打ちしたくないし、それに潜入なんて貴族様のやるこっちゃないだろ。こういう泥臭いのは俺みたいなのに任せておけって。なあ?」
「ふーむ。そうか、貴族らしくないか。では止むを得まい。はっ、ところでまさかさらわれた中にはミュンがいたりしないか?」
「さてな。何人かって言ってたし、ノエルの方も把握してなかったっぽいからなあ。分かんねえや」
そう嘯くミーシャに、ブモーッと鼻息を荒くしたドラムが「ならば、急ぎたまえ。まったく」と言いながら駆けていく。
それにミーシャも顔をしかめながら続いていく。走ると擦れて左手が痛む。さらにこれから何本かの指がなくなるかと思うと、ミーシャの心はさらに陰鬱にならざるを得なかった。