第010話 クライベイビー
かつてはセフィロシティの一部であった、空間の歪みの中に囚われた不安定な地『旧街区』。
不安定であるが故に支配者が存在せぬその場は今や無法者たちの温床となっていた。
そして、旧街区に点在している工場跡のひとつにバーバルファミリーの根城が存在していた。
「相変わらず、おかしなところだな。ここは」
辺りを見回しながら、ミーシャがぼやく。横にはミーシャの使い魔である影犬のジャックがいて、すでに周辺の確認を終えていた。影渡りを使えるその使い魔にとっては、そうしたことはもっとも得意とするところであった。
『上を見上げりゃ、別の街が見えるってのは……なんだろうな、ありゃ?』
「230街区あたりのどっかだろ。何が落ちてくるか分からねえ。正直、住みたいところじゃあねえな」
『ま、セフィロシティの中ですら居場所のない連中でもなきゃ、ここまで流れてきたりはしねえさ。ほれ、見ろよ。ああいう末路ってのは悲惨だぜ』
リボルバーの言葉を聞いてミーシャが眉をひそめる。工場より少し離れた廃墟には、死体が散乱していた。身ぐるみははがされているようで、見窄らしい姿のものが多かったが、問題はそこではなかった。
「ゴブリン族が多いな。以前にここを根城にしていた連中かね。腐食鬼化は……してるのもいるか。あーヤダヤダ」
ミーシャが顔をしかめる。いくつかの死体はすでに腐食鬼となっていたが、それらは手足がもがれていて、そばの腐った死体を食べることしかできない状態にされていた。見る限り、それは人為的に行われているもののようだった。
『どうも養殖中みたいだな』
「養殖って……悪趣味な」
そうミーシャは口にするが、腐肉を喰らい呪力をため込んだ腐食鬼の製造は難しいものではなく、使い道も少なくない。界隈の呪術師であれば、それなりの額で取り引きされるモノであった。
『あの中に捕まった女どももいるかもしれないが探すか?』
「勘弁してくれ。俺は生きてる方専門だ」
そう返すミーシャは、周囲を警戒しながら工場へと近付いていく。その途中で門前から爆発音が響き渡ったのが聞こえた。それを聞いたミーシャが「ドラムは上手く行ったようだな」と口にする。
『今の音で上手くいったって言えるのか?』
疑問のリボルバーの言葉に「まーなー」とミーシャが返す。
「あれでヤツは結構強いよ。皮下脂肪だけは尋常でなく分厚いし、それにタフだし……ま、あっちは任せてこっちはこっちでさっさと進もうぜ」
そう言いながらミーシャは構えて、
「行くぜジャック」
「ウォンッ」
ジャックと共に、工場の裏手の壁を一気に飛び越えて中へと入っていく。
「ッ──!?」
そして着地後にミーシャが苦痛に顔をしかめた。
大きな揺れが指の傷に響いたのだ。それを見てジャックが「クゥン」と鳴いたが、対してホルスターの中から響いてくるリボルバーの声は上機嫌であった。
『へへへ、いいねえ。まったく。そんじゃあパックンと行こうぜ相棒?』
その言葉に、涙目のミーシャが「畜生」と呟きながら、リボルバーをホルスターから取り出した。
「仕方ないのは分かってるんだけどな」
ミーシャがため息をつきながら銃身を折ってシリンダーを出すと、左の小指を穴へと入れる。
「くっ!?」
それから肉が噛まれて骨が砕ける音に続いて、咀嚼音とミーシャからの苦痛のうめきがその場に響いた。
そのミーシャの様子に、ジャックが心配そうな顔をするが、ミーシャは集中力を切らさぬよう「ふぅ」と息を吐いてからさらにひと呼吸し、リボルバーを壁に向けて撃つ。それから銃弾が壁の中にめり込んだのを確認すると、己の脳内に映る光景に意識を集中させていく。
『どうだ相棒。何か見えるか?』
「ああ、見える。どうやらまだ生きてるみたいだな」
リボルバーの問いに、顔をしかめつつもミーシャがそう返す。今のミーシャはその場にいながら、建物内部の状況を把握しつつあった。
壁にめり込んでいる赤黒い小指弾の効果は探査だ。この場からは見えない敵の位置や情報が、ミーシャの頭の中に今も直接入り込んでくる。
「連中は今工場の中庭に集まってる……女は……中だな。ドラムは上手くやってくれてるみたいだ」
目をつぶりながらミーシャがそう口にする。
小指を犠牲にした小指弾は接触した物体を辿って周辺の情報をミーシャへと伝える力があるのだ。
「バーバルファミリーの大半はドラムの方に移動してるか。見張りは……今は入り口近くに2。部屋の中に3か。女は5……クソッ」
『どうしたよ?』
眉をひそめるミーシャにリボルバーが尋ねる。
「ひとり、死にかけてる。やばいな」
『そりゃハードなプレイだな、オイ』
「笑えねえんだよ」
吐き出すように言うミーシャに、リボルバーが笑い出しそうな声で尋ねる。
『だったら、どうする? ハリウッド映画みたいにバーンと飛び出して二丁拳銃で皆殺し。そして颯爽と美女を救出してベッドインと行くかい?』
「うるせえ。予定通りに進めるぞ、馬鹿」
そう言ってミーシャは工場へと視線を向ける。
「今はドラムが敵を引きつけてるが、工場内の連中全部じゃあない。移動してる奴らと鉢合わせになった場合には人質に使われるかもしれないし、状況を見ながら行くしかないだろ」
痛みのあまり掠れた声になっているミーシャの言葉に、リボルバーが「へっ」と笑う。
それを無視してミーシャはゆっくりと工場の中へと潜入していく。
小指弾の効力はそう長くはない。バーバルファミリーの動きを見ながらもミーシャはできる限りの速度で女たちの囚われている部屋へと向かい始めるしかない。それが今のミーシャにできる最善の行動であった。
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「くそったれ。狼混じりか、テメェ」
女の腹が蹴られ、その口から血が零れ落ちる。
(まったく、粗暴で野蛮で臭い。オークってのはどうしてこうなんだろうね)
女はそんなことを思いながら、自分を蹴り上げたオークを睨みつける。そして目があったオークは笑って再度女を蹴りつけた。
(好き勝手に……)
降り注ぐ暴行の嵐に、女は己の意識を手放しそうになるのを必死で堪えている。
昨晩はさんざん弄ばれた。だから、もう動く気力もなくしただろうと思われているはずだ……という考えが女にあったのは事実だ。実際にそれは間違ってはいない。だが、それ以上にオークたちの力は強い。油断していようと女を逃がすようなヘマはしなかった。
ライカンスロープという、人族からワーウルフに変じる力を持つ自分こそがこの場を抜ける最後の手段だと考えていた女は、脱出を実行しようとして結局は捕まったのだ。そのため、今は制裁という名の見せしめが他の女たちの前で延々と行われ続けていた。
「もう止めろよ。ミュンさん、死んじまうだろ」
「うるせえんだよ。クソアマッ」
女の仲間のひとりが殴られた。それを見て女がうめくが、その声を聞いたオークがまた女を蹴り上げる。そして転げて壁にぶつかった女は虚ろな目で薄汚れた天井を見た。
(たく。最悪……大体どこよここ?)
場所は分からない。昨晩、娼館がいきなり襲われて、護衛だった赤目も殺されたのは女も覚えている。
なすすべもなかった。大部分の従業員は裏口から逃がせたはずだが、自分も含め五人の女が連れ去られた。それからのことを女はあまり思い出したくはなかった。
女も長く娼婦をやっていれば、そうした経験がないわけではない。だが昨晩のアレは、もはやただの拷問だった。
特にドルグ・バーバルを名乗ったオークどものボスはモノが違った。
だからこそ抵抗せず、機会を待って逃げ出そうとしたのだ。しかし女は逃げきれず、こうしてオークたちに囲まれてリンチにあっている。
(いっそ殺せ……なんてことは言えないか)
恐らくソレを口にすれば連中は間違いなく殺る。笑いながら、小便でもかけられて溺死でもさせられかねない。何しろ今の己は他の女どもを黙らすための見せしめでしかない。それ以上の価値のないぼろ切れだ。
女は死にたくなかった。こんな場所で豚のクソ同然に捨て置かれて死ぬのはゴメンだった。
「ホント、クソだわ」
ワーウルフとなったはずの身体も今はもう人間の身に戻っている。女の意識も薄れ、目も霞んできていた。
「ホント……ドラムくらいなら……チョロいのに……ねえ」
少しだけ馬鹿だが愛嬌のある客のひとりを思い出し、そして女が意識を失いかけたときにゴトリと何かの音が聞こえた。突っ伏した女の耳が地面に接触していたからこそ気付けた音。それからすぐに大きな影が部屋の中へと飛び込んできた。
オークのひとりがその影に襲われ、それは一瞬でナイフに変わってのどを貫いた。続けてパスンという情けない音がいくつか聞こえたかと思えば、他のオークふたりが血を噴き出し、続けて外から入ってきた男が、すでに事切れているオークの首からナイフを抜いて未だに立っているオークへと斬りかかっていき、銃声が響いた。
それはほとんど一瞬の出来事だった。わずかな時間の中でオークたちは女を盾に取る間もなく血溜まりに沈んだ。そして女は自分の前にやってきた男を見て笑う。
「……おっそい」
「悪いな」
女が見た男は、情けない顔をして涙を浮かべていた。
(ああ、そういえば……こいつのあだ名って……)
女は目の前の男が犬使い、女王の番犬以外にも、もうひとつの名で呼ばれていたことを思い出す。
「泣き虫ミーシャ……だっけ。はは、まんまよね?」
そう口にして女の意識はそこで途絶えた。




