告白
エドガーお義兄様と私を乗せたロヴェット家の馬車は、聖堂を出るとしばらく王都を走り、侯爵家に着いた。
ところが馬車を降りたお義兄様は、屋敷に入りもせずに、私の手を引いてまっすぐに庭園の方へ歩いていく。
荷物を置いたり、着替えたりする暇も惜しいほどの急ぎの話ということ?
いつもは堅苦しいほどきちんとしているお義兄様の突然の行動に、私は戸惑いながらもあとをついていった。
庭園にはバラが咲き乱れ、黄昏の空は昼と夜が溶けあった薄紅色だ。
それを背にしたお義兄様は、一生瞼に焼き付けておきたいほど綺麗だった。
思わず、このまま時間を忘れて見とれたくなる。
彼は私に向き合い、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「ライサ、おまえに聞いてほしいことがある」
「はい、お義兄様」
「実は今日、オーレリア王女が特級聖女に昇級された」
「…………特級聖女? なんでしょうか、それは?」
私はきょとんとして尋ねた。
この国の聖女制度には、初級、中級、上級の三階級が設定されている。
けれど、「特級」なんて聞いたこともない。
お義兄様は私の疑問も当然だという風にうなずき、説明してくれた。
「特級聖女は、信仰心の非常に篤いオーレリア王女が新設した、上級聖女のさらに上の階級だ。王女は上級聖女の地位を利用し、数年前からあちこちに根回しをして承認を得て、ようやく今日、特級聖女というクラスを創設した。そして自分自身が最初の特級聖女となったんだ。聞くところによると、人間をやめたくなるほどのつらい修練が必要だそうだが……」
「そ、そんなつらい修練をしてまで、王女はその階級を新設されたのですか? なぜ……」
「特級になると神官長レベルの権能が与えられ、信者の婚姻についても、身分を問わず単独で承認や不承認ができる。それは自分自身の婚姻についてもだ。つまり、もはや王といえど、特級聖女の婚姻は左右することができない」
婚姻という言葉にどきりとする。
理論上は、今後、オーレリア王女は父である王の許しを得ずに結婚ができる。
ということは……彼女は王の許可も待てないほど一刻も早く、お義兄様と結婚したかったの……?
ノエルには「見ているだけでいい」と言ったくせに、いざお義兄様が結婚してしまうとなると、暗い谷底へ突き落とされたかのような気持ちになった。
ところが、お義兄様は重々しく言った。
「王女がそのクラスを新設したのは、ご自身が結婚したくないからだ」
「………………はい?」
私は目を点にして聞き返した。
結婚したくない?
聞き間違いかしら?
王女は、エドガーお義兄様と結婚したいから、人間をやめたくなるほどのつらい修練をして特級聖女になったのでは……?
お義兄様は、ゆっくりと丁寧に、話をしてくれた。
「王女は、誰とも結婚したくないんだ。幼いころから人一倍信仰心の篤かった彼女は、女神への信仰に人生を捧げることだけがただ一つの人生の望みなのだそうだ。だが一国の王女として生まれた以上、そんな我儘は許されない。だからこそ、筆頭神殿騎士である俺に恋人のフリをさせ、そのことは他言無用との誓約まで立てさせて、特級聖女になるまでの時間稼ぎをした」
「ゲッシュ……」
「そうだ。女神の名のもとに誓いを立て、破ったら死なねばならないというあの古い慣習だ。おかげで今まで誰にも……おまえにも、本当のことは言えなかった」
ゲッシュというのは、昔話にはよく出てくるけれど、厳しすぎて今は誰も行う人はいない慣習だ。
なにしろ、破ったら死ななければならない。
そんな恐ろしい誓約を自他に課すなんて、オーレリア王女は本当に心から女神に人生を捧げたいと思っているんだ……というか、それではお義兄様は、王女の強すぎる信仰心に巻き込まれただけということ?
お義兄様はフォローするように付け足した。
「王女は、ただ権力を振りかざして俺を拘束していたわけじゃない。晴れて特級聖女となった暁には、ランブリッジ産のワインを王室御用達にするという交換条件で、すでに証明書も発行済みだ」
「お、王室御用達……!?」
私はびっくりして聞き返した。
脳裏に、王都の高級宝石店に貼られていた立派な証明書が浮かぶ。
証明書付きの王室御用達のワインとなれば、われらがランブリッジ産ワインの評判も需要もますますうなぎ登りになるだろう。王女の恋人役をする代わりにそんな条件を取り付けていただなんて、お義兄様はさすがだわ……。
真剣なまなざしで、お義兄様はじっと私を見つめている。
私の鼓動が段々速くなっていく。
「……で、ですが、それでよかったのですか? 本当は、お義兄様も王女のことを……」
「違う」
お義兄様はきっぱりと否定した。
「俺が好きなのは、おまえだ。ライサ」
――しばらくのあいだ、私の時間は完全に止まっていたように思う。
待って?
今のは、幻聴だったのかもしれない。
「…………すみません、もう一度言ってくださいませんか?」
そう頼むと、お義兄様はグッと身じろぎをしたけれど、頬を朱に染めてふたたび私に告げた。
「俺が好きなのは、おまえだ」
あれ…………? 幻聴ではない?
でも、こんなに私に都合の良すぎる展開があるわけないわよね?
私は食い下がった。
「ですがお義兄様は、私が義妹だから……家族だから、離婚した私に優しくしてくださっていたのですよね?」
「違う。……何度言わせるんだ。おまえのことが、一人の女性として好きだからだ」
今度こそ、私は、お義兄様の言葉を理解した。
…………私のことが、一人の女性として…………す……すす、好き………………?
あまりの衝撃に、へなへなと足から崩れ落ちる。
本当に腰って抜けるんだ……。
エドガーお義兄様がすかさず私を横抱きに抱え上げた。
「ライサ!」
「ひゃっ!」
お義兄様が近い!
彼は眉根を寄せ、困ったように言った。
「当然だが、無理強いをするつもりはない。嫌だったらそう言ってくれ」
「い、嫌だなんて、そんな……」
「では、いいのか?」
「えっ、いえ、あの…………」
顔をのぞきこまれて尋ねられ、頭が沸騰したやかんのようになる。
まともに何かを考えるなんて無理なのに、お義兄様は私を抱き上げたまま、じっと返事を待っている。
私は混乱と羞恥の渦の中、しどろもどろに言った。
「……お、お義兄様は、ずっと私の……憧れの人で……その、オーレリア王女と結婚すると思ってましたし……び、びっくりしてしまって……えっと…………」
ノエルに言われて自分の恋心に気づいたけど、見つめるだけで幸せだった。
叶うなんて微塵も思っていなかった。
それなのに、こんなに突然――!
お義兄様は小さくため息をついた。
「……悪かった。どうやら俺は焦って順番を間違えたようだ。一つずつ正しい手順を踏んで進めるとしよう」
「正しい手順って……?」
こわごわ尋ねると、お義兄様は思案しながら説明した。
「そうだな……まずはデートをしよう。花束を持っておまえを迎えに行く。そして二人で出かけて、口説く」
「くっ、口説くっ……!?」
「ああ。そうして何度目かのデートで正式に交際を申し込み、承諾をもらえたら手を繋いで、キスをして……」
私を横抱きにしたまま、お義兄様は器用に指を折り、真面目な顔で数え上げる。
限界を超えて恥ずかしい。
私は真っ赤な顔を両手で覆い、叫んだ。
「お義兄様っ! そんなに具体的に言わないでください!」
お義兄様が、フッと笑う気配がした。
揶揄われている!? 私は必死なのに……なんだか悔しい。
それに、お義兄様は大事なことを忘れている。
私は顔から手を離し、彼を見上げた。
「……私は、お義兄様にふさわしくありません。傷物、です……」
自分で言った言葉がナイフのように自分の胸をえぐる。
私の額には消えない傷痕があるし、離婚歴だってある。
名門貴族ロヴェット家の跡取りであり、輝かしい未来が待つお義兄様の相手には、どう考えてもふさわしくない。
けれどエドガーお義兄様は、気持ちのこもった声で答えた。
「傷痕も離婚も、おまえが頑張った証だ。その傷も含めて、俺はおまえのことが好きだよ」
青い瞳でまっすぐに見つめて。
自分の額を私の額に、こつん、と合わせる。
痛みを訴えていた私の胸は、たちまち雲の上で太陽に照らされたような温もりに満たされた。
ああ、やっぱり私は、どうしようもなくこの人に憧れている。
目が合ったとたん雷に打たれたようになり、私は反射的にパッと顔を背けた。
……でも!
お、お義兄様と、こ、こ……交際、なんて…………!
恥ずかしくて、心臓がもたないわ!!
こんな私に、お義兄様と対等に恋ができる日なんて、来るのだろうか──
お読みいただきありがとうございます!
次回、最終話です。




