エピローグ
予約投稿したつもりになっておりました。遅ればせながら更新します。
早いもので、あの『出来事』から二年が経った。
もう記憶もほとんど薄れかけていて、大学二年の冬から三年の夏にかけて何かが起こった、という事くらいしか覚えていない。紙に書いたり、電子媒体に記録を残したりもした————のだとは思う。というのも、それらしい記述はあったものの、肝心の内容というものに大きな欠落があった。記憶が薄れ行くのもそうだけど、世界の修正力のようなものが働いているのかもしれない。
それがどういうものか、僕にはよく分かっていない。だからこそ、そういうものなのだ、と諦めて受け入れる他なかった。
それによって変わるものはない。あの時に何かが起こって、それによって僕は前に進む決心をした。それが分かっていればいい。この気持ちは決して偽物なんかじゃなく、本物なのだから。
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カランコロン、と馴染みのあるドアベルが鳴り響く。出迎える店員の顔ぶれはこの二年で変わってしまってこそすれ、その内装と味はあの頃と全く変わっていない。
僕はもはや特等席とも言えるボックス席へと通される。珍しく約束をしていた相手はまだ来ていないようだった。
適当に飲み物を注文し、時間が出来た時にでも読もうと思っていた文庫本をカバンから取り出す。そうして一人の時間を過ごし、少ししたところ、相手から連絡があった。
————『悪い、遅れそうだ』。
僕は珍しい事があったものだ、とひそかに瞠目した。遅れると言ってきた事もそうだが、そうした類の連絡をするのが約束の時間ギリギリとなってしまうのも彼らしくないと思った。
僕にしても彼にしても、なんとか都合が付けられるように休日を指定したというのに、どうやら僕の想定が甘かったようだ。まさかここまで忙しくしているとは考えもしなかった。
僕の方こそ悪い、とメッセージを送り、少し考えてから、
————『別に急がなくてもいいよ。君の用事が終わるまで僕はゆっくり本でも読んでいるから』。
とそう付け加えた。たまにはこういう日もあるだろう。こういう喫茶店なんかで本を読む、というのも通なようでいいかもしれない。一つだけ残念な事があるとすれば、ここはボックス席であり、周囲からの目がない事だろうか。まあ、周囲に見せつけたくて読書をしているわけでは決してないのだけど。
谷が息せき切って店内に入ってきたのは文庫本をちょうど半分ほど読み進めた頃だった。
「本当にすまん。これでも急いだ方だが、こんなに遅れてしまった」
「いや、いいよ。むしろ早かったくらいだよ。これ、見てよ。結構いいところまで読み進めていたところなんだぜ」
到着早々謝罪から始まる谷に、気にする事はないと遠回しに告げる。少々の本音が混ざってしまったが、それも愛嬌というものだろう。付き合いのある谷には僕の言い回しが伝わったのだろう、ふっと短く笑いをこぼした。
普段なら立場が逆になるところだけど、今日に限ってこうなった理由を尋ねてみると、谷は簡潔に実験、とだけ答えた。
「ほほー、院に行くと実験ばっかりとは聞いてたけど、そんなにやるんだね」
「時間が空いてる時は空いてるんだけどな。ここのところちょっとばかし忙しかったからな」
谷は言っていた通りに大学を卒業した後、院へと進学した。元々成績優秀であり教授たちから覚えがよかった事と、研究室に積極的に出入りしていた事もあってか、すんなりといったみたいだった。
「そんな風だったら、あんまり朝倉との時間が取れてないんじゃないの?」
「凪も一応納得済みの事だったんだけどな。最近はちょっと不満が溜まっているようだから、どこか遠出でも、と考えているとことだ」
「それはいいね。よかったら僕が持ってる旅行誌貸してあげようか? ちょっとばかし古めだけど、僕はしばらく使いそうにないからね」
思っていたよりも忙しいのは何も谷に限った事じゃなかった。
院に進学した谷とは違って、僕は就職する道を選んだ。元々院に行く事は必須じゃなかった僕からしてみれば当然の選択だ。就職したい企業もあらかじめ目を付けていたから、あとはそれに向けて頑張るのみだった。
インターンも経験し、OBを紹介してもらって色々話も聞いた。出来得る限りの事をして、僕は念願の第一志望の企業の内定を勝ち取った。
そんな新入社員の僕にとって、毎日が勉強の連続だ。とてもじゃないけど、旅行する時間なんて取れないくらいには。
「ありがたくもらいたい、ところだがそうでもないんじゃないのか。ほら、お前この間言っていただろ」
「この前……? ああ、片瀬のことか」
谷に言及され、少し記憶を浚ったところで僕はその名前に辿りついた。片瀬というのは僕と同じ新入社員で、生という文字がついてしまうほど真面目な人だ。
その性格も相まっての事なのか、彼女はどうにも社内で浮き気味だ。先輩たちや同期ともそこそこのコミュニケーションを取れる僕を、そんな彼女は敵視、のようなものをしているらしかった。
「随分熱心なアプローチを受けているみたいじゃないか」
「あれをアプローチというのなら、そこらへんにいる女性のカバンが当たっただけでもアプローチになってしまいそうだな。そんな世の中なんて僕は嫌だよ」
谷の妄言を同じくらいあり得ない事を言い連ねて笑い流す。あれは敵意というものでしかないだろう。こちらから視線を送った時なんか、それはもう鋭い視線でもって返してくる。たまらず視線を外すのはいつも僕の方だ。目で威圧してきている。
谷ともこんな感じで相変わらず付き合いは続いている。お互い忙しくなり、会える頻度は少なくなってきてはいるものの、メッセージのやり取りなんかでお互いの近況報告をしあったりと少し前では考えられないほどだ。
いや、僕の方が変わった、という事なのだろう。谷の接し方はあの頃となんら変わってはいない。ぎくしゃくしていた頃のわだかまりもすぐになくなった。もしかしたら谷のあの時の記憶が薄れたため、とも思ったけど、谷はもともとそういうやつだ。こんな僕を笑って許してくれる、いいやつだ。
おっと、こんな、なんて言っていたらまた誰かに怒られるかもしれない。気を付けないといけないな。
「仕事の方はどうなんだ? 榎田の事だから、そつなくこなしてるのか」
「そう出来たら苦労はしないよ。前に話したっけ、部長の話」
「ああ、確か厳しいって言う……。そんなにやばいのか?」
「結構ね。主任からもよく気を付けろとは言われてたけど、最近になってその意味がようやく分かってきたところ」
部長というからにはそこそこ歳を取っていて、それでいて相応の考えを持っている。それはそれで悪いとは思わないけど、僕からしてみれば一番改めて欲しいのはその頑固さだ。面と向かって言えば首が飛ぶから何も言えないけれど。
そうしたこまごまとしているところを抜きにして考えれば、うちの会社はかなり待遇の良いところだ。新人に対しても親身になって接してくれる先輩がいるし、残業だってほとんどない。あったとしても社員総出で助け合って出来るだけ長くかからないようにしている。
「そういえば、最近中学の同級生だとか、高校の同級生だとかの結婚の連絡をよく聞くようになってきてな。もうそんな歳になったか、と思う事がかなり増えてきた」
「確かに。僕の方もそうだね。でも、日本人の平均結婚年齢って確か三十歳前後とかだろ? そう考えたら結構早い方なのかな」
「どうだろうな。……俺も、凪とはそのうち、とは考えるようになってきているんだがな」
「そういうのは僕じゃなくて朝倉本人に言ってあげろよ。絶対喜ぶだろうに」
むしろそんな事を言われて喜ばないという姿が思い浮かばない。それくらい朝倉が谷にべた惚れなのは知っている。身長差だったり、性格だったりがでこぼこな二人だけど、相性はかなりいい。谷の方も真剣に考えているようだし、もしかしたら結婚する時は近いのかもしれない。
谷の事だからしっかりと手に職をつけてから、と考えているようだけど、あんまり待たせすぎると朝倉の我慢が限界を迎えてしまうなんて事もあり得るだろう。そうなった場合真っ先に被害を受けてしまうのは間違いなく谷だ。
「結婚式にはちゃんと呼んでくれよ」
「気が早いにもほどがあるだろ。お前だってちゃんと片瀬とやらに構ってあげろよ」
「なんでそこで片瀬が出てくるんだ。彼女とは何もないって何度も言っているだろ」
「さあな。————それにしても」
谷はそこで不自然に言葉を止めた。どこか感極まった様子で僕の事を見る。
あれから時折谷はこういう表情を見せるようになった。それはやはり、僕があの時谷を遠ざけたからに他ならないのだろう。
「お前とこんな話をまた出来るようになるなんてな」
「……はは。確かにそうだね。谷には本当に悪い事をしたと思ってるよ」
「いや、俺が役に立たなかったというのは分かってたことだ。お前の気持ちが分かる、なんてどうやったって言えなかったからな」
谷はこういうところで真面目なのだ。口だけでも分かる、と言えばそれだけで救われる人だいるかもしれないのに、彼はしようとしない。いや、出来ない。そういう所には華耶に通じるものがあるかもしれない。だからこそ、僕は谷とうまくいけているのだろうか。
何にせよ、谷が責任を感じる必要がないという事は確かだ。これは今回に限った事ではなく、こうして話題になるたびに言っている事ではあるのだけど、それでもやっぱり思うところがあるのだろう。
谷を遠ざけたのは僕なのに、律儀もいいところだ。
「まあ、でもあの時分かる、なんて簡単に言われてたら、僕は君とこうしてまた話す事もなかったかもしれないけどね」
「……自分の性分に助けられた、なんて思ったのはこれが初めてだよ」
そうして僕は谷との久方振りの語らいに花を咲かせた。こうやって谷との親交はずっと続いていくのかもしれない。
僕は幸せなのだろう。こうして語らえる友人がいるのだから。
幸せになる。当面の目標だったこれは、いつの間にか叶えてしまっていたらしい。これで報告する事がまた一つ増えた。今度会いに行くのが楽しみだ。
深まり始める夏の気配を楽しみながら、僕はそう思った。
♦
「あら、よく来たわね」
そんな風な言葉とともに、僕は家の中へと向かい入れられた。こうして彼女のもとを訪れるのは結婚式以来だろうか。
通されたダイニングでいつものように僕はテーブルの右隅へと座る。もはや特等席といったような具合だった。
「お、蒼くん。また来てくれたのか。君も忙しいだろうに、ありがたい事だ」
僕が来た事を知らされたのか、その人は朗らかに話しかけてきた。
大葉 藤二さんだ。僕と同じ会社に勤める、僕の上役でもある。そして苗字から分かる通り、知代さんの新しい家族となった人だ。
あれから、僕は時間を見て知代さんに会いに行った。もちろんいきなり家に押し掛ける事は出来ず、喫茶店で出会ったという感じではあるのだけど。
やはりといっていいのか、知代さんの、僕に関する記憶はすっかり薄れてしまっていた。それでも危惧していたように、完全に消え去ってしまっているというわけではなく、会ったことがある、という程度だったのは幸いだった。
こうして会って話す事は義務感から来るものなのかもしれない。僕が今覚えている事は、彼女の世話になったという事だけだ。だけど、それさえ覚えていればいい。
そうして着実に仲を取り戻していく中、ある日知代さんから相談された事があった。
『結婚を迫られて困っている』、とそんな内容のものだった。知代さんが亡き夫に操を捧げている事は知っている。だけど、子供のいない知代さんは今一人暮らしだ。色々と不都合を感じる事もあるだろう。
もし、知代さんの少しでも嫌という色があったらならば、僕は全力で止めていた。だけど、知代さんの表情には困惑がありこそすれ、拒絶の意思は感じられなかったのだ。相手————つまり藤二さんとは長い付き合いがあったらしく、知代さんの現状もまた知っていたらしい。ずっと知代さんの事を憂いていたようだけど、迷惑になるものと心に蓋をしていたのだという。だけど、抑えきれなくなりプロポーズされるに至ったと聞かされた。
「藤二さんからよく貴方の話は聞いているわ。なんでも、同じ班の子からモテているそうじゃない」
「藤二さんまで……。片瀬とは別にそんなんじゃ……」
「知代さんも私も、別に片瀬の事とは言っていないけどな」
「~~っ。はぁ、好きにしてください……」
「はっはっはっ! 私が悪かったから、そう拗ねるんじゃない。私はお似合いだと思うんだけどなぁ」
谷だけではなく、藤二さんにまで言われるとは相当なものだ。これは早急に片瀬と話を付ける必要があるかもしれない。『上司や僕の友達が、君と僕を恋仲だと勘違いしているらしい』。うん、これは殴られるな。どうにかいい言い回しを考えなければならない。
少なからず不安には思っていたけど、どうやら知代さんも藤二さんもうまくやれているようで安心した。二人とも、長い付き合いなためにお互いに衝突しない生活の仕方というものを心得ているんだろう。聞いた限りと、こうして自分の目で見た限り不穏な空気などは感じられなかった。
先の事はどうなるかは分からないけど、この様子を見た限り大丈夫だろう、と言えるだけの雰囲気もある。それはとても良い事だった。
「————そういえば、蒼くん。君の班に出張の仕事が出ていたけど、それはもう決まったのかい?」
「そうですね、実のところまだ決まっていなくて……」
「まあ、そんなに焦らなくても緊急度は低いものだけど、それでもちゃんと危機感は持つように」
「……肝に銘じておきます」
「……蒼くんが行くのはどうだい? 新人といっても君の仕事ぶりはちゃんと上まで聞こえてきてるし、なにより新人だからこそ経験を積ませるという意味でも適任だ」
「いや、僕なんかとても……。仕事だけで見ればそれこそ片瀬の方が……」
僕としては興味を持てる話ではあったけど、適役がいるならばそっちの方がいいだろう。
そんな僕の答えに藤二さんはふむ、と少し考え込む。
「聞いた話によると、片瀬はコミュニケーション能力に難ありとの事だったが、そうだな……。まあ、どちらにせよ、蒼くんも考えておいてくれると助かるよ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
「もう、仕事の話はそこまでにしておいてくださいな。家の中でもそんな風に堅苦しい話をしていると、息が詰まってしまうわ」
「……との事だし、どうだい、蒼くん。一杯やらないかい」
もちろん僕のここまでの交通手段は車だ。そしてそれを知っての上での誘いなのだろう。
上司からの誘いを断れない、という僕の性格も込みでの話だ。藤二さんはにかっと笑った。
「……ご相伴に預からせていただきます」
僕の諦めに満ちたやけくそな一言で、その日は酒の席となった。
知代さんも珍しく酔いがはやくに回ったらしく、早々に自室へと退室していった。
残ったのは僕と藤二さんの二人。こうして二人で話す事は珍しくはないとはいえ、今でも緊張が和らぐ事はない。そんな僕の心境を慮っての事か、プライベートで接する藤二さんは普段かなり雰囲気が違っている。
「私はね、これでも君にかなりの感謝の念を持っているんだ」
藤二さんがぽつりと零し、すぐにグラスを傾けた。みるみるうちに減る中身を見て、どうやらこの人も相応に酔っているらしい、と気が付いた。
「感謝って僕は何も……。むしろ僕の方こそ知代さんにも、藤二さんにもお世話になってばかりで」
「ははは、まあ、それは仕方ないよ。私らからすれば君は子ほどの年齢だ。そりゃ、つい手も口も出してしまうよ。……私が言いたいのはそういう事ではなくてだね」
知代さんの事だ、とアルコールの臭いをばらまきながら藤二さんが言う。
「知代さんから聞いているよ。君が色々してくれたんだってな」
「僕は、別に何も……。知代さんは藤二さんだからこそ、応えたんですよ」
「仮にそうだとしても、私だけでは彼女の心を動かし切る事は出来なかっただろうね。長く付き合ってきたんだ、それくらいは分かっている」
「藤二さん……」
もう一度勢いよく酒を煽った後、藤二さんは勢いよく僕に向かって頭を下げた。
慌てて手を振り、顔を上げるように促す僕の言葉を聞き入れもせず、藤二さんは僕にただただ告げる。
「ありがとう、と。これだけは言わせてくれ」
律儀な人だ。谷も、そして藤二さんも。わざわざ言わなくても良い事をあえて口に出す。そうしなければ気が済まないとでも言いたげに。
だけど、その素直さは正しく彼らの人柄を表している。清廉で、潔白で、心の底からこうありたいと思えるようなそんな姿だ。
「いえ、僕の方こそ、ありがとうございます」
だからこそ僕も、それに倣って頭を下げた。お互い頭を下げたままの状態がどれくらい続いただろうか。突然がたん、と音が鳴り響いた。慌てて顔を上げると、そこにはテーブルにつっぷす藤二さんの姿が。どうやら酔いが回り切ってしまったらしい。藤二さんは酔いつぶれて眠ってしまっていた。
今日の藤二さんは普段と比べてアルコールを入れる速度が速かった。もしかしたら、先ほどの言葉を言うために酒の力を借りたのかもしれない。
だけど、だからと言って理想の姿である事には間違いない。酒というのはその人の本質を曝け出すものだから。
僕は脱力する藤二さんを介抱し、寝室へと運んだ。僕もそれなりに酔っていたのか、割り当てられた客室に戻ったと同時に意識がぷつりと途絶えたのだった。
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「————というわけなんだ」
「何がというわけ、よ。人と話す時はまず論点を明確に。次にそれを補強する根拠を明確にしなさい。それが出来てようやく人は人と対話を出来るのよ。分かる? 今貴方は私と対話というものをしていないのよ」
「君はなんでそう敵意がむき出しなんだよ……」
僕は知代さんの家を訪れた次の休日、班員との仲を深めるべく例の喫茶店を訪れていた。
相手はまさに谷や藤二さんから言われた片瀬 雨その人である。野良猫のような警戒心でもって僕に接してくるこの姿は何もこの場所に限っただけの話ではない。困った事に会社でも事あるごとにこうやってつっかかってくるのだ。
それ以外ではめったに人とコミュニケーションを取らないため、僕は片瀬係として任命されているのだ。それによって片瀬はより僕への敵意を募らせる事になっているのだけど、板挟みになる僕にはどうしようも出来ない事だった。
「僕たちの班には出張の要請が来ている。だけど未だに行く人が決まっていない。藤二さん————僕たちの上司が言うには新人のための研修も兼ねているらしい。そこで僕や君の名前が挙がった。……ここまではいいか?」
「……ふんっ。それで?」
「はぁ……。それで、僕は君の方が適任だと答えておいた。君に話が回ってくるかもと思って、こうしてあらかじめ伝えるための席を設けた次第だ」
なるべく彼女の意に沿う様にして簡潔に説明をする。淡々とした物言いになってしまったのは仕方がない事だろう。
そんな僕の努力もなんのその、彼女はぷいっと顔をそむけた。
「いやよ」
「……一応理由を聞いても?」
「貴方の施しは受けないわ」
「……なるほど」
全然分からない。僕が彼女を推薦した事を言っているのだろうけど、あれは完全に僕の本心だ。藤二さんの前でそんな意味のないおべっかを吐くほど僕は愚かじゃない。例えそれが酒の席だったとしてもだ。
だけど、片瀬からしてみればそんなの知ったことではないのだろう。自分はこの人に憐れみから推薦されたのだ、と思い込んでいるようだった。
後から詳しく聞いた話によると、新人は二人まで行かせても大丈夫らしかった。藤二さんはどうしても僕に経験を積ませたいようだったけど、僕は答えをはぐらかせておいた。確かに貴重な経験を積めるだろうけれど、無理を押してまでする事でもないと僕は思う。
「ずっと聞きたかった事を聞いてもいいかな?」
「……何よ」
「君は、どうしてそこまでして僕を敵視するんだ? 君は確かにコミュニケーションが苦手なようだけど、他の人にはそこまでではないよね。だけど僕にはいつもそうやってつっかかってくる。あ、別に怒ってるわけじゃないよ。単純に疑問に思ったんだ」
僕の言葉に意表を突かれたのか、ぐっと顎を引いた後、片瀬は顔が見えなくなるまでに俯いた。一応フォローは入れたけど、それでも傷つけてしまったのかもしれない。
そうだとしたら、悪い事をした。思ったよりも繊細だった、という事だろう。あの態度も自己防衛によるものだったのかもしれない。
早まってしまった自分の行動に若干の後悔を感じつつ、僕は片瀬に謝ろうとして。
「————から」
「え?」
「たいとうに、……から」
「帯刀?」
まさか、このご時世に刀を持ち出すつもりなのか。刀狩り令が発令されたのは随分昔の話だったように記憶しているけれど。
そんな僕の渾身のボケが気に障ったのか、片瀬はがばっと顔を上げた。
「貴方と! 対等になりたいからっ!」
今度は僕が意表を突かれる番だった。ふむ、と一言発し、手元に顔を向ける。そこには最近のお気に入りであるイチゴのショートケーキがある。ふむ、ともう一度僕は一つ頷いて、フォークでイチゴを持ち上げた。
そのまま顔の前まで持っていき、僕から見て片瀬の顔の横に位置する場所に調節する。
頭に疑問符を浮かべる片瀬を尻目に、僕はイチゴと片瀬の顔に視線を行き来させた。
「おお、良い色だ……」
その言葉に再び首を傾げる片瀬だったが、ややあって僕の言葉の意味するところが分かったのだろう。ばっと音がしそうな程に目を見開くと、そのまま僕に聞こえるか聞こえないかという程度の声で、お手洗い、とだけ呟いてあっという間にその場からいなくなってしまった。
残された僕は宙に浮かべたままのイチゴを口の中に放り込み、その味を確かめる。甘く、完熟したイチゴだった。
少しばかりやりすぎてしまったかもしれない。これでは明日にはもっと鋭くなった、それこそ刃のような視線を向けられる事だろう。
「それにしても、対等か……」
そんな風に一直線にぶつかってくる彼女はひどく珍しい。『彼女』以来の事かもしれない。だからと言って何かがあるわけでもないけど。
知らず浮かんでくる谷や藤二さんの言葉を頭を振って打ち消しながら、僕はショートケーキにフォークを向ける。甘いものは苦手だったけど、食べてみればおいしいものだ。
外だけではなく、中身までしっかり考えてみるものだな、とそう思った。
しばらくして戻って来た片瀬と、僕はその日の時間を過ごしたのだった。
♦
その日の夜、何とはなしに僕はPCを起動した。何故だか、そういう気分だった。
開いたのは、いつぞやかは熱心に見ていたサイトだ。様々な記事が書かれ、読まれ、そして埋もれていく。
なぜ今更になって、最近は見る事のなくなっていたそのページを開いたのかは分からない。もしかしたら、昼間の事で『彼女』を思い出してしまったからかもしれない。
何の意識もせず、僕は目を滑らせるようにしてページをスクロールしていく。そんな中、ふと目に留まった記事があった。
デジャブを感じながら僕はその記事を衝動のままに開く。
————記憶を無くす人が続出。怪事件に迫る。
そんな題目を付けられたもの。荒唐無稽過ぎて笑いが出てくるほどだった。
その記事に目を通し、僕は一つの事に気が付いた。それは、この記事で書かれている、その怪事件とやらが起こった場所が、出張先と一致している、という事だった。
僕はふっと頬を緩めて、スマホのメッセージアプリを起動し、藤二さんに連絡を入れたのだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。これで本編は完結となります。
最後に一話、後日譚のようなものを更新します。




