一章 六話 出会い
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オーヴォに先導して貰うこと一時間ぐらいので村についた。自分が拠点と定めた洞穴から直線距離でも半日以内──メリアドールが本気を出せば一時間も掛からず──で到着できる距離にあった。
よく今まで見つけれなかったなぁと今までの行動範囲を考えて思うメリアドールであった。
まだ午前中のひんやりとした風に、やや弱い日差しによって映し出された村の風景は予想通りの長閑な西洋の農村のものであった。
想像と異なってた箇所は何度か作り直した痕の残る、主に獣や盗賊対策と思われる柵か。それらは長い木の杭を打ち込んではそれぞれを木の棒を結びつけただけの簡素な格子であった。
そんな柵が村の周囲を囲んでいて、その内側に麻みたいな素材の衣服を着込んだ中年男性が 鍬を携えて歩いているのが見えた。オーヴォは彼のことを村長と呼んで声をかける。
「おや、今日は早いね」
「幸運に恵まれたよ。あとで村長のところに寄るがいいか?」
「それは……後ろにいる嬢ちゃんに関してかな?」
そんな所だと返しては村長と呼ばれた中年男性と別れる。村長はメリアドールに対して柔和な笑みで見送っていくのがちらりと見えた。
村の中を歩くと、洗濯をしている女性らやその手伝いをする子供達が見知らぬ少女に興味津々な眼差しを向けてきたりする。人の視線に不慣れな彼女は思わずオーヴォの影に隠れては、顔だ
け見せるといった奇行を見せる。そのやり取りで大人達は苦笑を返してくるのだった。
同じようなやり取りを何度か経過して、少しだけ視線に慣れた彼女を一つの木造住宅へと連れてくる。どうやらここがオーヴォの自宅のようだった。中に入ると所狭しと干し肉や燻製されたと思しき塊が吊
されていた。少しでも食料を備蓄して備えておこうという用心深さを垣間見たようにメリアドールは思った。
荷物を手頃なところに置くとオーヴォはメリアドールにこの村についてどう思ったかを質問してきた。
「見ての通り大したものがない村だが、田舎だと思ったかな?」
「いえ、そんな事はありませんよ」
なにせ初めて見るこの世界の人間社会なのだから、全てが真新しい風景だった。
それに、見知らぬ余所者に対してもあれほど大らかに接してくれる……最初に訪れたのがこの村でよかった、というのがメリアドールの率直な感想だった。
「お世辞でも嬉しいね。村長の家にはお前さんぐらいの子がいてな」
と、やや神妙な顔つきで語り始める。
その子はレイラといい、狩人の友人の家族の娘だったそうだ。その父親は狼の群れから数少ない村の共同財産である牛から守る為に戦って、薬師の母親は心労が祟ってその後を追うように死亡してしまった
らしく、その時子供を病気で亡くした村長夫婦に迎え入れられたのだそうだ。
年の割にはしっかりとした性格で、近くで群生している貴重な薬草を見つけたりしているのだそうだ。
「すごい子ですねぇ。僕とはとてもとても……」
「貴族の家から無一文でトンズラしてきたのもすごいと思うがな」
そんなツッコミを余所に、村長のいる家まで向かうことにした。
村長の家は村の中央辺りにあり、少しだけ周囲より立派な印象を受ける。それに対して、会議の場として村長の家が使われることもあるからだと説明を受けた。
村長の家のドアをノックの後に開けると、がだいの良いおばさんの抱擁が出迎えた。小柄なメリアドールは容易くおばさんの腕と胴体に包まれては埋められた。
顔はおばさんの胸部に塞がれる形となって、息ができない息苦しさに藻掻いた。しかし腕ごと抱きしめられているのでタップもできず、体格差から足も動かしても宙を漕ぐだけでどうしようもなかった。
「まあ本当に可愛い子!ようこそこの村へ!」
「むぐっ!?」
「夫から聞いてたわ~ ふふ、レイラちゃんとはまた違った可愛らしさで私は嬉しいわぁ~」
「おばさん、そこら辺にしてやってくれ。その子が苦しんでる」
あらいけない私ったら。
といいつつ漸くふくよかな女性のハグから解放されたメリアドールはプハァと息を吐いた。
「ごめんなさいねぇ。可愛い子をみるとついつい抱っこしたくなっちゃうのよ」
「あはは……」
乾いた笑いをすると中へと招き入れられる。丸いテーブルに五人分のコップが置かれている。そこにおばさんがポットと思しき容器からコポコポと木製のコップに何かを注いでいる。
お茶の一種なのか、素朴ながら心が落ち着く香りが漂ってきた。
「もうそろそろレイラが帰ってくる筈かな」
「ふふ、レイラも喜ぶでしょうね」
「それでだが村長……この子、メリアドールっていうらしいのだが。精霊使いなのだそうだ」
「なんと、それは本当かね?」
「あ、はい。まだまだ素人ですけどね」
少なくとも嘘はいっていない。精霊使いになって数日しか経っていないのだからとメリアドールは心の中で呟いた。
非実体化している精霊らの視線が後ろからささるが、ここはスルーだと彼女は村長らにお願いをした。
無意識に人差し指同士をつっつきあう仕草をしながら、上目遣いで。
「実はその、仕事が欲しいのです」
「ふむ?」
「見ての通り無一文で……衣服の替えすらなく困ってたところでして」
中身はとにかく、外見は女の子だから死活問題だ。断じて露出狂ではないのだから。
それに同じ服をずっと着続けるのは心の精神衛生上よろしくない。
特におばさんは同情的な眼差しでメリアドールを見ている。同じ(外見は)女性同士、その悩みが嫌というほど伝わっただろう。
村長はなるほどなぁ、と顎に手を当てながら、
「つまり労働によって金銭や生活必需品を得たい、そういうことかな?」
「まぁ、それなら色々手伝ってもらいましょう。けどその前にまずは服かしら」
おばさんの視線が毛皮の下の破れた衣服に注がれる。
「ばあさんは針仕事の達人でのぅ。古着を仕立て直すのは得意なのじゃよ」
「いいんですか? 代金がいるなら」
「いいのいいの! どうせ私が着れなくなった服を仕立て直すだけだし」
「ただいまー。 あれ、お客さん?」
そうすると、玄関から女の子の声が聞こえてきた。
金髪碧眼で年は見た感じメリアドールと同じように見える。ワンピース状の衣服を着用しているものの、どこか活発的な印象を受けた。
視線がふとその女の子の項に届いた時、胸がキュンとなった。そのまま締め付けられるような切なさと愛おしさが体を駆け巡る。
顔が赤くなるのを自覚しながら、口元を覆った。
今口の中では犬歯が鋭く尖っているのをわかってたから。明らかにあの女の子の血を啜りたいと願ってしまっていることに。
今までの人らにはなんともなかったはずなのに。
──ちょ、なんで……?
慌てて先代の記憶から理由を探し出し、そして蒼白になった。
特に相性の良さそうな、本人に好ましい血を持つ相手に対して夜の民は欲情するのだという。
食欲と性欲が一緒になっている夜の民特有の現象であり──性癖なのだ。
「そうじゃ。おお、この子がレイラじゃ。してこっちはメリアドール殿で──」
「どうしたの?」
吸血衝動と格闘してた彼女を尻目に、顔を近づける女の子……レイラ。
呼吸の呼気すら伝わる距離まで近づいた顔、そして……柔らかそうな首筋。
ごくり、と生唾を飲み込んでしまった。
「あ、うん、僕はメリアドール。よ、よろしくね!」
「う、うん? よろしくねメリアドールさん」
慌てて誤魔化すように捲し上げ、ちゃっちゃとこの危険な状況を終わらせようと図る。
だが顔を赤くしている彼女を心配げに見つめる目がそれを許さなかった。
こつん、とおでこ同士を合わせては熱を測ってくるレイラに、メリアドールの衝動が沸騰寸前になった。
どっくんどっくん、と鼓動が脈打つ。
本能が首をもたげて、目の前の無防備な女の子の項に噛みつけと嗾ける。
──あぁ、だめぇ、……僕、獣になっちゃう!
そのままギリギリ、理性が焼き切れそうになりつつも、……両手がレイラの両肩に触れる。服越しに感じ取れるほっそりとした女の子の肩の感触が生々しい。
すぅっと押しのけて退けてさせては大丈夫だよといいつつも、顔が真っ赤になってるのだけは誤魔化せなかったが。
彼女は勝ったのだ。自らの吸血衝動に……但し誰も褒めても讃えてもくれない静かな勝利であった。