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一章 十六話 緋王の薔薇


夕食の時にも、実らない実の話が挙がった。

今まで何の実かすら分からず、ただ装飾品扱いだったものが……実はとても美しい花を咲かせるものだと知る。

証拠品となる薔薇の鉢がテーブルから少しだけ離れた場所に置かれていて、ほんのりと芳しい香りを漂わせている。

まだ種が残っているので、どこか手頃な場所に植えていけば数年後に薔薇の園ができるかもしれない。

最も、村人の人に普段の生活とは全く関わりのない薔薇の育成をしてくれる余裕があるとは思えないが。

薔薇の育成は非常に手間と根気のいる作業なのだから。

薔薇の品種改良はさらに難易度が上がるのはいうまでもない。史実でもそれが行えたのはやんごとなき身分が大々的に行動に移したからなのだ。

それを今すぐ求めるのは酷というもの。

貴族といった人に売りつけることができれば需要となりそうだが、あくまで仮定の話だった。


「へぇ、あんな綺麗な花が咲くんだねぇ。棘が痛そうだけど」

「ははは……実際、何度かあるよ」


実際前世の仕事場ではキチンと棘を取るのだが、その際に掴む場所を間違えて刺さったことが多々ある。

鋭い種類になると肌の上に乗せただけで文字通り肉にくい込むのである。

あの痛みを思い返して苦笑するメリアドールであった。


「お花があると雰囲気が華やかになるな」

「あらぁ、前から二人の可憐な花がいるわよ?」

「そうだったのう」

「もうっ……んふふ」


和気藹々とする三人をみて、自然と目を細めるメリアドール。

思い描きこそすれ、結局はそんな食事風景はなかった気がするのだ。

もとより少ない食事で済むメリアドールは早く食べ終わるものの、空いた食器はそのままにしばし目の前に映る家族の暖かな営みを見守る。

空にゆっくりと欠けた月が登っていくのをみた彼女はそっと席を立った。


「それじゃ僕はそろそろ寝るね。明日早いし」

「あ、おやすみなさいメリア」


おやすみ、と三人に見送られて先にレイラと一緒に寝ているベッドへ向かう。いよいよ明日にオーヴォと共にトロナ石を初めとした各種鉱物探しにいくのだから。



ベッドの上で仰向けに眠ると、直ぐに意識が眠りに入っていく。

が、そのまま朝までとは行かなかった。

遠い遠い昔、先代のメリアドールがまだ王をしていた時と思しき記憶が夢となって現れたのだ。


夢だと分かったのは、自分の視界に別の自分(メリアドール)がいかにもお高そうな衣装を身につけて歩いているのを見ているからだ。

場所は以前みた宮殿らしき建造物の中の中庭に当たる場所のようだ。

そこは一面に広がる、薔薇の園だった。


月の下から別の明かりのある屋根の下へと移せば、その薔薇は緋色をしていた。

可憐で優美な大輪。眠る前にレイラに与えたあの薔薇だ。

その薔薇を見つめる彼女の目は穏やかなものだ。そっち花弁を顔に近づけてはその香りを、見た目を愛でる。

ただそれだけの動作が絵画となるかのように際立つ。


「良い薔薇……」


パチリ、と剪定鋏の閉まる音が聞こえた。

彼女がみた先には、影が蹲っていた。


「恐悦至極」


低音の響きで返すのはその影だった。

立ち上がった影は巨人のように──それこそ、前世でいえばギネス確実だろう──大きな体をしていた。

見るからに無骨で熊のようにずんぐりとした逞しい図体。そんな彼の手にはすごく小さな剪定鋏が握られている。

メリアドールがあの鋏を使うなら丁度いいぐらいの小さな鋏を、あの巨人の大きな指先でチョンと摘んでいる。

そのミスマッチぶりが強面な彼にどことなく愛嬌を与えていた。


「貴方の薔薇は素敵よ」

「……」


彼は口下手なのか、それとも美しい超越者に萎縮しているのか。

彼はただ俯いて頭を掻いていた。

傍から見れば、親子ぐらいの体格差なのに。立場は逆だ。


彼女は緋王で、彼はただの夜の民。

ただの民の彼が宮殿にいるのは、その薔薇を育んだ本人であり、この宮殿の庭師だからだった。


「この薔薇に名前があるのかしら?」

「………。恐縮ながら」


彼はじぃっと見つめた。失礼がないようにと身をかがめ、目線を緋王と同じ高さにしようと努めた。

それでも彼の巨躯からすればちょっと見下ろす形になってしまう。

しかし緋王はそれに咎めることもなく、続きを促した。


「無礼を承知で申し上げます。この薔薇に貴方様の名前を貰いたく……」


それが彼女の瞳の色と同じだから。だけではないのだと……元は同じ男だから気づいたというべきか。

巨躯の彼が彼女を見る目は、憧れの女性を見るそれだった。叶わぬとわかっている恋をする目。

その報われぬ愛を注いで、きっとこの薔薇が生まれた。だからあの薔薇はあんなにも美しいのか。


好きな女の子に手作りの品を贈ってその思いを送る。

きっと僕もそうするだろうな、と夢見るメリアドールは思う。

なんて素敵で、切ないことだろう。

緋王はしばしの沈黙の中、彼だけを見た。

そこにある感情をすべて汲み取って、静かに目を閉じる。


「……良い。許す」

「ありがたき幸せ」


緋王はただゆっくりと薔薇園を見据える。月の淡い光を受けて、薔薇はその色合いを微妙に変えていた。

男はただ黙って緋王の後ろ姿だけを見ていた。


「眠る時は」


緋王はそっと呟いた。ただの独り言のつもりだったのか、無意識だったのかは知れない。

しかしその言葉に彼は黙って耳を傾けていた。

その言葉に王の威厳ではなく、幼い少女の夢語りの甘さがあった。


「眠る時は、この薔薇の花に埋もれてみたいものね。あの甘い香りに包まれて……」


再び過る沈黙の後に、緋王は頭を振っては宮殿の奥へと帰っていく。

そこに少女らしさはなく、王のそれのみがあった。

彼は悟ったのかもしれない。決して彼女は眠らないことを。

眠るという表現は、緋王が斃れるということを。

緋王の姿が完全に宮殿に消えたのを見てから、彼はそっと呟くのだ。


「王よ、貴方様は余りにも孤独だ。そして私はそれを癒す術を知らない……願わくは、私の薔薇があの方の慰めにならんことを」


──場面が移る。

今度はどこかの森の中の草原だった。メリアドールはこの場所を覚えている。

おそらく最初に目覚めたあの場所だ。

そこには蓋の空いた柩があり、その中に緋王が横たわっている。

あの巨躯の彼は彼女の身の上にはらはらとそれを落とした。自ら育てた、あの緋色の薔薇の花弁を。

一輪や二輪ではなく、文字通り彼女の体が殆ど埋もれるほどの花弁を散らす。


「貴方様はいつか告げられた。眠る時は薔薇に埋もれたいと」


花弁に埋まった顔を見る彼の顔ばせは悲しげだった。

ぎゅっと、残った薔薇の枝をに握る手に力が入った。

ぽたり、とその血の雫を指にとり、乾かぬ内にそれを……眠る王の唇へと塗る。

薄い桃色だった唇が、朱に染まった。


「王が目覚めた折には、ここを一面が薔薇薗になっていることでしょう。その際に私がいるか定かではありませんが……薔薇達がきっと貴方様を出迎えてくれる」


告げて、彼は柩を閉めた。

その後彼がどうなったのかはわからない。

分かるのはその薔薇の種があの一帯に散らばっていたということ。

一体どれだけの年月を経たのかわからない。けどあの薔薇は形を変えて、ずっと待っていてくれたのだ。

作り手の願い通り、いつか目覚める彼女を出迎えるその瞬間を。


なんて不器用な人なんだろう。という言葉が夢の終わりで。

起きたメリアドールの目尻から、透明な雫が溢れていることに気づいたのはすぐだった。


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